残されたスマホ
駅前のコンビニで購入しておいたamazonギフトカードと引き換えに、海野は私のスマートフォンに後藤亜実のスナップ写真と、二つの住所と電話番号を転送してくれた。後藤亜実が一人暮らしをしているマンションの住所は、驚くことに私のオフィスが入っているビルのすぐ裏の住宅街にあった。そして父親が住んでいるという実家の住所は、全国的な知名度はないが、この辺りに住んでいれば誰でも知っている高級な邸宅街の一角を示していた。
海野は、見ず知らずの探偵に親しい友人の個人情報を売り渡そうとしていることに罪悪感を持ち、後藤亜実の援助交際をやめさせてくれ、と私に頼んだのだろうか。そして、そのことで多少なりとも自分の行為を正当化できると考えたのだろうか。あるいは、どちらも深い考えのない単純な人助け、というだけなのだろうか。
私はそんなことを思い巡らせながら、先ほどとは逆の経路をたどって、後藤亜実のマンションに向かった。駅から自分のオフィスへの道順をそのまま歩き、バス通りに突き当たる少し手前の角を曲がったところで、そのマンションが姿を現した。
マンションは煉瓦色のタイル貼りの外壁で、三階建ての低層だった。道路に沿って東西に長い直方体に近い形状で、物干しを備えたベランダが一階から三階まですべて同じ幅で仕切られていた。そのサイズから察するに、部屋はすべてワンルームタイプと思われた。
エントランスのガラス扉を押してホールに入る。ホールから先はオートロックの内扉があり、住人にリモートで開けてもらうか、解錠のための暗証番号を知っていない限り、部外者は中に進めないようになっている。ワンルームとはいえ、今風のそれなりの仕様を備えたマンションのようだった。
インターホンで後藤亜実の部屋番号302を呼び出す。彼女が家を留守にしていることはわかっていたが、やはりその通りに、いくら待っても応答はなかった。私は一旦ホールから外に出て、誰か他の住人の帰りを待った。
しばらくして、両手に近くのスーパーのレジ袋を重そうにぶら下げた中年の女が帰宅してきた。私は、ガラス扉越しにインターホンの操作パネルがよく見える位置にさりげなく移動して、彼女の手元を注視した。買い物であふれそうな重いレジ袋を持ったまま暗証番号を押そうとするため、動きは自然ゆっくりとなり、四桁の番号をしっかりと特定することができた。
中年女が内扉の向こうに消え、さらに少し経ってから、再度おもむろにホールに入り、先ほどの暗証番号を押す。ピピピッと電子音が鳴り、無事ロックが開いたので、そのまま中に進み、エレベーターで三階まで昇った。
エレベーターは狭かったが、動作音が非常に静かで、壁にはゴミ出しについての注意書きと、町内会で開催するフリーマーケットの告知が貼られていた。三階で降り、アルミ製の案内パネルで302号室の場所を確かめ、外廊下を目的の部屋まで歩いて玄関前に立った。
ドアホンを鳴らす。もちろん反応はない。私は、左右を見回して人がいないことを確かめてから、ズボンのポケットからハンカチを取り出してドアノブにあて、指紋がつかないように下に押し下げてドアを引いた。ドアはほんのわずか動いただけでガコンと止まった。ドアはロックされていた。
スマートフォンを取り出し、海野に教えてもらった後藤亜実の電話番号をタップし、玄関のドアに耳を当てる。ブーンと何かの継続した設備音が低く鳴っている中で、遠くの方からブーッ、ブーッと私が呼び出していることを示すくぐもったバイブ音が聞こえてきた。
後藤亜実は、彼女が書いてきたメールの通り、スマホを置いたままどこかに消えてしまったのだ。
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