a little plots【3】

『せんせ、悪ぃ、一匹逃がした!』

「了解」


 無線から流れてくる遼ちゃんの声に短く俺は答えた。

 今M82A1に籠められている弾丸は、泉谷神社謹製のM33。

 まもなく鬼が追い込まれたポイントに入ってくる頃合いだ。


 鬼が数体わずかな結界の隙をついて侵入してきたという知らせを受けたのは生徒たちの大半が帰宅した19時前。

 本来であれば生徒に担当させる『鬼退治』を学校に残っていた教師のみで行うこととなった。


 そもそも、この学校に勤める教師たちのほとんどはかつてこの校舎で学んだ生徒たちだ。

 当時の怨気に対する『感受性』は年齢を重ねて失われてはいても、経験がそれをカバーしてくれる。

 今回校内に侵入してきた鬼は人の形を取ることの出来ない低級なものだ。不定形のそれはちょっとでも結界に綻びができればすぐにこちらの世界にあふれ出す。単体では少し清めるだけであっさり消滅してしまうような代物だが一度人の身体に忍び込めば誰もが少々は抱える後ろ暗い心に住み着き、時によっては人を鬼に変える。しかも一度潜り込まれればその身体と同化してしまい、みつけだすことはほぼ不可能だ。


 廊下がふっと翳った。──いや、鬼だ。

 俺は照準を絞り引鉄を引いた。弾丸はまっすぐ標的に迫り──怨気は砕けた。

(しまっ……)

 待ち伏せを予測していたのか。だが単なる怨気にはそんな知恵はないはず──もしこれを、誰かが操っているのでないなら。

 だが、想像をこれ以上続ける訳にはいかなかった。散り散りになった怨気の破片達はさらに速度を上げ俺のすぐそばまで迫ってきており──

(やむを得ないか)

 俺は銃を下ろした。

 破片達はそのまま──俺の身体に潜り込んだ。


 身体の中でうごめく、意識。絶望を訴えるこころ。

 俺は低く笑う。


「悪ぃな」

 鳩尾の部分が、ごぼっと膨れた。

 そのまま胃を逆流し──口から吐き出される。

「俺は特別製なんだよ」

 かつて、鬼と婚姻し子を成した先祖は、人の身体を侵食する鬼に対抗するため、また人の世で生きていくためにあらゆる方法で鬼を封じる手段を手に入れた。

 この顔を彩る青い目もしかり。そして、鬼に侵食されないこの身体もまた。草野の家系が代々守ってきたものは、この血筋だった。たとえ、それがほぼ同一に近い近親婚だとしても──

「……しかし、様にならねぇなぁ」

 掌には、テニスボールほどに圧縮された怨気の塊。むりやり吐き出したためか、胃液と血液がこびりついてる。

 ポケットからハンカチを取り出し、ぬぐい──ふと視線を感じて顔を上げる。

 先程、怨気が現れた廊下の角。

 女子生徒だった。まっすぐ垂らした癖のない髪を、肩のあたりから緩やかに結っている。彼女自身から怨気は感じない。

「……さっきの放送は聞いていたか?」

 俺は女子生徒に呼びかけた。作戦行動を始める10分前、校内に残っている生徒には速やかに裏門から帰宅するように校内放送で通告してあった。

「すみません、仕度に手間取ってしまったので……先生達が行動を起こされたようだったので、邪魔にならないよう教室にこもっていたんです」

「そうか」

 彼女の行動に疑わしきものはないように思われた。

「……名前は?」

「2年B組、百羽 雛姫ゆわ・ひなきです」

「ゆわさん、か。裏門から清めを受けて帰れ。一応全部捕まえたはずだが、万が一がないともかぎらないからな」

「はい」

 女子生徒の姿が、廊下の向こうへと消えた。

「せんせ」

 しばらくして、彼女が消えた廊下の先から遼ちゃんが顔を出す。そのまま寄ってきた。

「……誰か見なかったか?」

「え? いや、誰もいなかったけど」

 遼ちゃんが首を横に振る。……裏門へ向かわなかったのか?

「何?」

「何でもない。ああ、そうだ……悪ぃ……これに護符貼ってくれね?」

「これ?」

 何も知らない遼ちゃんが俺の掌のそれに手を伸ばす。

「あああ、触んなくていい! 護符ちょっと貼ってくれればいーから」

「? うん」

 遼ちゃんが怪訝そうな顔をしながらも護符を取り出し、人差し指で貼りつける。

 勢いよく護符が燃え上がり──怨気の塊ごと燃やし尽くした。

「うわっ」

「さすが遼ちゃんの護符。よく燃えるわ」

「て、せんせ……掌焦げてない?」

「あー、ちょっと痛いけど、これちゃんと焼却しないと」

「見てる方が痛いんだああああああ!!」



「……護符で火傷する?」

「正確には、人の念で清められたもの、かな」

 人の強い願いで念じられたもの。想いには見えない力が宿る。

 鬼に侵食されない身体。それはつまり、人にも侵食されないもの。人であり、鬼であり──人でなく、鬼でなく。

 よって、この身体は鬼の感受性を併せ持つ。……想いに灼き尽くされる。

 実際、海外で仕事していたときは十字架に悩まされたものだった。吸血鬼でもゾンビーでもねえのに。

「俺もう何回せんせの手当したかな」

「まだ片手のうちじゃない?」

「4ヶ月のうちの5回て多すぎんだよ」

 文句を言いながらも遼ちゃんは甲斐甲斐しく焼け焦げた掌を消毒し、包帯を巻いてくれる。

「でもせんせ、ケガの治り早いよな。こないだの右京の刀傷、全然残ってなかったし」

「うん、体質なんだ」

「便利なんだか不便なんだか……あ、だからって油断してる訳じゃねぇよな?」

 叩いていた軽口が、真面目な口調に変わる。

「油断って……」

「そういうふうに無頓着にケガされると、見てる方はたまんねぇんだよ」

「……ごめん」

「謝るくらいなら、最初っからそうならないように考えろってんだ」

「──うん」

「何笑ってるんだよ、せんせ」

「だって、嬉しいから。──」

 ごく自然に答えて……はっとする。


 嬉しい……から?

 何年も、戦ってきた。鬼と。人と。そのたびに怪我をして、手当され……

けれど。感謝こそすれ、嬉しいと思ったことはあっただろうか。


「……ありがとう」

 その先を考えたくなくて、ただひとことお礼を述べる。

 未来さきの孤独を、耐え切れるように。

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