Merciful Murder

 その男に会ったのは、首尾よく仕事を終えて自宅へと向かう途中だった。

 怨気とも違う異様なオーラを感じて振り返った路地裏。白い月光が一筋射し込んでいた。

 その中にたたずむ、金髪の後ろ姿。どこの国のものか見当のつかない言葉が、独特の旋律に乗り、静かに場を支配する。


 不意にその旋律が途絶えた。

 男が微かに振り向く。口元がくいっと持ち上がると同時に──その圧倒的暴力は俺に向かって放たれた。

 頬を濡れた感触が伝う。鉄の混じったような匂い──

「おや」

 破壊音。……そして静寂。壁には、凶悪な力でえぐられた穴がぽっかりと開いている。

「困りましたね。楽に殺してあげようと思ったのに」

 轟音の元凶たる男は、柔らかな微笑を湛えながらその表情に似合う丁寧な言葉遣いで言った。

「……驚きました。せっかく天界人の気配を避けたこの場所でことをとりおこなっていたというのに」

 濡れた感触は徐々にその量を増し──シャツを染め、地面に滴る。


「あなたは、何です?」

「さあな」

「黙秘ですか。……なら、直接その身体に訊いてみますか」


 男の姿がふっと消える。

 反射的に身体は動いた。


 地面に穴があく。

 破片が放射線状に散らばり──その一つが右腕を直撃した。


「人とは思えないほどの反射能力ですね……でも、遅い」


 ──すぐ目の前に、微笑があった。

 腕をつかみ、引き寄せ、反動を使い大きく払う。

 男の身体は宙を舞い──くるりと体勢を変え、地面に着地する。


「危うい危うい。まだ動けましたか……残念ながらタイムアップのようです」


 ──空が白んできていた。


「お名前だけでも聞いておきましょうか」

「教える義理はない」

「……用心深いですね。残念ですが、賢明です」


 男が一歩後ろに下がる。影に踏み込んだ瞬間──その姿は溶けるように消えた。


 ……助かったのか。建物の壁にもたれかかり──うずくまる。

 頬を伝う血は止まる気配もない。

 右目の青──浄眼。草野の血筋とともに受け継いだこれは、ヒトの気と相入れぬ怨気を中和し、自らの中の鬼を制御するもの。

 だが、自らの意志で幼きころに壊れ──命の危機を感じたときには生存本能とともに、怨気が身体を支配する。

 身体能力は格段に上がるが、同時に負担も上がり、封印でもある浄眼は怨気を抑えこもうとして──大量出血という状況に陥る。


「……これから授業だってのに……」


 結界を身の周りにまとう。身体により負担をかけることになるが、この血にそまった状況を他人に見せるわけにもいくまい。

 俺はゆっくりと立ち上がり──自宅へと向かって歩き始めた。



---



— Haluka


 せんせの異変に気づいたのは、三限が終わって準備室に帰ってきた時だった。

 あ、せんせてのは草野先生な。俺滅多に同僚の人たちをあだ名みたいなんで呼ぶことないんだけど。せんせが新任でやってきたとき校長先生に面倒見てくれって頼まれて以来、学校内で顔を付き合わせてる事が多い。ならそれなりには仲良くなるもんだよな。

 ともかく。

「せんせ、コーヒー飲まねえか?」

 一息つきたくて、自分の分とせんせ専用の濃いコーヒー、人呼んで『草野スペシャル』を用意して物理の準備室を覗き込んだときだった。

「……うん」

 いつもと違いかなり間を置いて返ってきた返事を怪訝に思い、俺は物理準備室に入り込んだ。

「ん? どしたの」

 俺に気づいたせんせが、何事もなかったかのように言う。だが。

「せんせ、顔色悪くねえか?」

「別に」


 返事をよそに、せんせの手首に手を伸ばす。一瞬せんせが腕を引いたが、俺は構わず掴みとった。


「……て、すげえ熱いぞ!? 熱あんだろ」

「そうかな」

「おかしいって、これ。熱測れよ、俺体温計持ってるから」

「いいって」

「だめ! 何かあったらどうすんの」

 結構年上のはずのせんせを叱りつけながら、既視感を覚える。そうだ、とーる。あ、弟な。あいつもよく調子悪いの悟られたくなくてこうやって逃げようってしたっけ。バレバレだってのに。

 そのまませんせを生物準備室まで引っ張ってきて。無理やり熱を測らせる。

「……ってせんせ、39度あるじゃん。何でそんなに平気で歩けてんの」

 確かせんせは一限に授業があって準備室に入る俺と入れ替わりに『じゃ行ってくる』って何事もないように出ていったはず。

「割としょっちゅうあるし」

「しょっちゅうって熱!?」

「うん」

 だから心配しなくたっていいんだ──そんな言葉を言外にこめた感じでせんせがいう。

「だめだってせんせ。身体が資本だろ、周りだって心配すんだろ」

「……別に。そういう身内、俺いないし」

 思わぬ返事に、つい声を失う。

「親兄弟いないし。親戚とかももういないから」

 しまった、と思いつつ。無性に腹が立つ。

「別に心配すんのは身内だけじゃねえだろ。俺だって」


 ……俺だって、何? 思わず口にでたことばに自分で驚く。


 多分、売り言葉に買い言葉ってやつだよな。だって、誰も心配しないから自分のことはどうだっていいなんて、そんなの寂しすぎるじゃねえか。

 いや、そう思ったのは、その言葉に自分のことをほんの少しだけ重ねてしまったせいかもしれない。

「とにかくせんせ、帰れよ。自習の面倒くらい見てやっから」

 今日は俺はもう授業がなくて、その間にいろいろな雑務をすすめるつもりだったけど、急病人のほうが優先だ。

「でも」

「でもも何もない! そういう時はさっさか寝て早く直して出てくるのが筋なの!」

「いや、だから」

「ぐずぐず言ってっと、救急車ハイヤーすんぞ」

 そう言い捨てて俺は準備室をあとにする。あのまませんせの言い分を聞いてたら、言いくるめられそうだ。

 4限も授業はないから、せんせを家まで送っていこう。


 呼び鈴を押した。返事はない。多分大人しく寝てるんだろう。

 俺はエレベータに乗り込みせんせから預かったカードキーを指定の位置に翳した。


 早退を渋るせんせを説き伏せて送っていったのは3時間程前。

 せんせの家に来たのは初めてだったが、……何と言うかその。

 数年前にできた、学園のそばにある高級マンション。

「うぇ、せんせこんなところに住んでんのかよ」

「……? うん」

 正直一介の教師が一月の給与で住めるような家ではない。

 エレベータに乗り込む。

「何階?」

 俺が訊くと、せんせは無言でカードケースを取り出して階数ボタンの上のあたりに翳した。

『ロックを解除しました』

 機械音声が告げる。

「……へ……?」

「最上階のボタンはないんだ。このカード使わないと行けないの」

 どんな家だよ。んでもって、通常こういうマンションの最上階て、マンションオーナーとかが住んでるもんじゃないのか。

「言っとくけど、オーナーじゃないよ」

 俺の考えを読んだかのようにせんせが言う。……俺そんなに読みやすい顔してんのか。

 エレベータはすごい勢いで最上階へと登っていき、可愛らしいベルの音を立てて止まった。

 降りると右脇に門扉があった。すぐ横に目をやれば、学園の屋根が目に入る。

「入って」

「……お邪魔します」

 玄関に入る。


 ちょっと待て。広すぎねえか。


「せんせ、ここ家賃いくらだよ」

「ないよ」

「へ?」

「買ったから」

 ……もう何ともはや。マンションの一室を即金で買えるという状況が俺には見当もつかない。

 だけど。部屋の広さに対して、すごく違和感を感じる。

 すこし観察して──俺は納得する。

 モノが無いのだ。部屋の広さに対して、趣味のものどころか『生活に必要』なものがまったく見当たらない。

「そのへん座って」

「あ、うん……」

 通されたリビングで、俺は絶句する。

 やたら大きいベッドがそこに鎮座していた。

「せんせ……なぜ居間にベッド置いてるのさ……」

「大体手の届くところにモノ置いただけだけど」

 確かに。ベッドだけでなく、洋服のハンガーやらランドリーボックスが雑然と置いてある。そして、書籍の……山じゃないな。タワー。

「せんせ、本棚買えよ。あと居間は寝るところじゃなくて飯食ったりくつろいだりするとこだろ。元気になったらベッド別の部屋に移せ」

「……それは俺の自由じゃねーの?」

 少し苦笑気味の声。

「ごめん」

 確かにそうだ。せんせが自分の家でどのように暮らそうとせんせの自由だ。


 でも。この家は、寂しい。


「なあせんせ。今日俺晩飯作ってやるよ」

 柄にもなく、そんなことを言い出してしまったのは、この部屋の雰囲気に当てられてしまったからかもしれなかった。



— Kazuho



 玄関が閉まる音、エレベータの昇ってくる音、遠ざかっていく音。

 俺は大きく息を吐く。

 静かだ。

 静寂は苦手だ。一番幸せだった時期を思い出してしまう。

 奈良の山奥にある、かつての家と、いつも自分と共にいた、鬼(彼女)を。


 熱を出しているのが遼ちゃんにバレて、自宅へ強制送還を食らってしまった。

 あれは天然の世話好きだ。単なる同僚なんて放っておけばいいのに。一番苦手なタイプ。……のはずなのに。

 そうだ、熱を測れと言われたときも『自宅へ帰れ』と言われたときも、突っぱねることはできたはず。なのに、俺は彼の言葉に従い、家へ帰ってきてしまった。

 いや、これも仕事のうちか。


『主な任務は書状で示した通り。あと、もう一つ頼みたいことがある』

 口頭で非公式に伝達された依頼。

『この学園に鬼人の教諭がいる。二宮遼という者だ』

 学園長は語る。

『彼自身は非常に真面目な人間だ。素行も悪くない。だが、鬼人だ』

『それを承知で雇用したのではないのですか』

『ああ……だが不安の種ではある』

 学園長は窓の外を見ている。その表情は見えない。

『以前にも鬼人の教諭がいた。もう20年以上昔の話だ』

『……』

『彼は強靭で頼もしい我々の味方だった。しかし鬼に惑わされた。我々は彼を取り戻そうとしたが、その結果数名の同志を失った』


『如月事件ですか』


『知っていたか』

『今回の依頼を受けるに当たってはある程度のことは調べましたし、縁ある者からもいくらか教えていただきました』

『泉谷の御大か』

『はい』

 率直なことだ、と学園長は微笑う。

『彼が事件を再現する、とお考えですか』

『分からんよ。言っただろう、彼自身は非常に優秀な教諭だと。籍こそ離れたが二宮の末裔でもある。だが、如月事件の原因となった彼とて同じことだ』

『私も鬼人ですよ』

『ああ、そうだな』


 緩やかな沈黙。やがて、俺は答えた。


『お受けしましょう。──陸原さん』


 そして、打ち合わせの通り俺は二宮と組まされた。──まさか彼があの日の夜会った青年だとは思ってもいなかったが。



— Haluka



 学校が終わり、再びせんせの家に立ち寄った。

 部屋に入る。覚えのある匂いを感じ取って、眉をひそめた。

 短い廊下と居間を仕切るガラス戸を開けて、俺は思わず「うわっ」と小さくうめいた。

 床に敷かれたビニールのゴミ袋の上、鈍く光って広がる赤い液体。広めに敷いてあるとはいえ、今にも床に溢れそうになってる。

 視線をたどれば、血はベッドに横たわるせんせの右目のあたりからにじんでいるようだった。


 ……体質が特殊だとは当人から聞いていたけど、これほどまでとは。


 風呂場と台所を覗き、雑巾を探す。──ない。この家、掃除しねえのかよ。

「たくもー」

 小さくため息まじりに呟き、俺は一度家を出た。マンションのそばにあった100円ショップで可能な限り沢山の雑巾と数枚のタオル、小さなバケツを買う。後日何らかの形で返済してもらおう。

 細心の注意を払って血の溜まったビニールをバケツに放り込み、水で洗って拭いて再度引き直す。重しと土手を兼ねて買ってきた雑巾をビニールのカタチに沿って載せて。

 服を汚さないよう慎重に腰掛ける。タオルを広げてそっと肌を拭った。


「……ん」


 せんせが細く目を開ける。

「……遼ちゃん……?」

「悪ぃ」

「いや…」

 返答に力がない。消耗しているのか。

「ごめん」

「何が」

「面倒かけてる」

 視界にあふれる雑巾やバケツをみて判断したのか。普段は昼行灯のくせに。

「今更なんだよ」

「……うん」

「とにかく寝てろ。でさっさと復帰してこい。俺の仕事を増やすな」

「うん…」

 せんせは薄く微笑ってる。…何がそんなに楽しいんだろう?

「……せんせ、今日飯食えっか?」

「さあ。食欲はないな」

 そりゃな。こんな鉄錆っぽい匂いの立ち込めた中にいれば。

「水とポカリスエットと買ってきたから。脱水症状起こすと長引くからな」

「うん」

「冷蔵庫の中に食べ物も入れといたから。食えるんなら食えよな」

「うん」

 自分でもしつこいと思うくらいせんせに釘を刺す。

 釘を刺しながら、内側から溢れてくる衝動を抑え込んでいた。

 むせ返る匂いのせいだろうか。俺の中の存在が、大きくなっている。

 会わせたくない。せんせが気付いていたとしても。……あいつを見せたくない。

「じゃ、俺帰るから」

「……ありがと。気をつけて」

 なるべく自然に、と思ったけど、慌ててたからそそくさとした雰囲気をだしてしまったかもしれない。ともかく家を出て、カードキーを玄関に置いて、そのままエレベータに乗って……



「…何だ。せっかくもう一度会えるチャンスだったのに」

 エレベータの中で、遼は呟く。

 マンションを出る。建物の間を風が抜けていく。──空には赤い月。


 夕闇の中、猫金目が鈍く光った。

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