a little plots【1】
「右京?」
その名前を聞いたのは、仕事を終えたばかりの夜明け前だった。
「ああ。桜華に通ってるんだ」
「名前? それとも……」
草野は聞き返す。
「苗字だよ。ってことは、知らねえんだな……隆二の奴がお前の話してたから、俺ぁてっきり顔見知りなもんだと」
『あー、でも』と藤城が呟きながらうっすら白んできた夜空をバックに、紫煙を吐く。
「椿の話だとろくすっぽ授業出てねぇっぽいからな……」
そういうことか。草野は得心する。
桜華は単位制だ。自然と授業に出ていない生徒のことは疎くなる。藤城が今名前を出した『椿』という生徒のことも草野は知らない。
藤城は短くなった煙草を落とし踏み消す。そのままコートのポケットをさぐり──
「うぁ、もう残ってねぇ……草野、金貸して」
「煙草なら分けますよ」
「んー……お前の吸ってるやつ、きつくてさぁ」
「贅沢っすね……」
言いつつも、300円を渡す。
「悪ぃなぁいつも」
「いつか返してくれるって信じてますから」
ぶはっと藤城がむせる。
「あー、あれだ。返す気は、ある」
「はいはい」
草野がにっこり笑う。
「で? その右京さんがどうかしましたか」
—
空は抜けるような青だった。
右京隆二は学校の屋上で大きな身体を広げて転がっていた。
不意に、全身に注がれていた陽光が遮られたのに気がつき、閉じていた目をかったるそうに開く。
「よ」
上から覗き込んでいたのは草野だった。
「……あんたか」
右京はゆっくり身体を起こしてその場に胡座をかく。草野はその横に少し距離を置いて座った。
「何か用?」
「藤城さんに俺の名前を言っていた、って聞いた」
右京は視線を宙に上げ──ああ、と言った。
「別に。
あんたすげーでかいから、名前覚えてたってだけ」
そう話す右京の身長は180センチというところだ。自分より身長の高い人間は珍しいのだろう。
「その中にちょっと興味深い話があって」
「……何だよ、藤城さんお喋りだな……」
右京は頭をぼりぼりとかく。
草野が煙草に火をつけた。
「……生徒の隣で煙草吸うなよ不良教師」
「『せんせい』なんて思ってないだろがお前は」
煙を吐きながら揶揄するように草野が言う。右京は言葉につまった。ある程度は図星だったようだ。
「授業に連れ戻しにきたんじゃないのかよ」
「別に。やる気がないやつを構ってるほど暇じゃない」
ニノミヤに言ったら怒られそうだな、と言いながら思う。
「もうちょっと詳しい話が聞けないかな、と思ったんだが」
「聞いてどうすんだよ」
「確かめたいことがあるんだ」
「……別に俺にとっちゃどうでもいいことなんだけどな」
「そうか?」
草野は右京の顔を見てにっと笑う。
「どうでもよくないから藤城さんに『相談』したんじゃねぇの?」
「そこで熱血発揮な訳?」
「んー……どっちかというとビジネス的都合」
返ってきた返答に、右京は顔をしかめる。
「あんたサイテーだな」
「そりゃ光栄」
右京が立ち上がる。──傍らの剣を持って。
「先生、勝負しねえか?」
「……勝負?」
「ああ」
右京は鯉口を切る。
「やめとけ」
草野は座ったまま微動だにしない。
「怖いのか?」
「別に……でも、怪我してもつまんねぇだろ?」
「はっ。
俺がやられっかよ」
右京は刀を横に払った。
「……あーあ、勿体ねえ」
草野のくわえていた煙草の先端が落ちていた。
「教えてやってもいいぜ。稽古の相手してくれんならな」
「なるほど、喧嘩じゃなくて稽古。そういうことなんだな」
「ああ。剣道部でも、俺より強いのいねえからよ。身体鈍ってしょうがねえんだよな」
「剣道部の最強は桃子さんだって聞いてるけど」
桃子さんとは、草野の同僚の教師で体育担当。剣道部の顧問だ。藤城に聞いた『神谷椿』は彼女の妹らしい。
「う……じゃかっしい、女に本気だせるかああああ! それよりやるのかよ、やらないのかよ」
「うーん困ったねえ……情報は教えて欲しいけど、稽古は面倒くさいなあ」
「じゃ、帰れ」
「そうも行かないんだよね……右京さんの持ってる情報、歴史同好会の皆様の特別イベントらしいじゃん?」
「知ってるんじゃねえかよ」
「いや、本当にそこまでしか知らないのよ、俺」
草野はサイズが半分になった煙草にもう一度火をつける。
「お前も知ってんだろ? この学校における生徒の三分の一は鬼人……それだけの人数が被害に会うかもとわかってて、ほっといたらそれこそ教師として問題だ」
「だからって……だからって、ダチを売れっかよ」
なるほど。歴史研究会の中心にいる人間は右京隆二の友人ということか。
「しかしお前は迷ってる。そうだな?」
「うるせえ!」
右京の剣がもう一度翻る。
──屋上の床に、血の雫が落ちた。
「右京さんは血、上りすぎ」
草野の掌が右京の剣の切っ先をつかんでいた。
「煽ったつもりもなかったけどさ……そんな簡単に頭に血ぃ昇らせてたら、いざという時の判断も誤るぞ」
まっすぐ右京の視線を捉えて草野は言う。
右京はしばらく固まっていたが──やがて懐紙で刀の血をぬぐい、刀を鞘に収めた。
「……鬼が憎い」
右京がぽつりと呟く。
右京の母は、彼が子供の頃に鬼に襲われた。命こそ助かったが、以来ずっと眠り続けている。藤城に聞いた話だ。
「けど、この学校にいる鬼人のやつらは関係ない。俺たちとは別の意味での鬼の被害者だ」
「……」
「でも……『あいつら』は焦ってる。鬼に関わる全てを憎んでる……鬼と鬼人のやつらの区別もつかなくなってる」
『あいつら』とは歴史研究会の面々のことだろう。
歴史研究会。表向きは単なる部活動の一団体だ。だが、そのメンバーの中には鬼人の学生はいない。鬼に大事なものを奪われた者たちが寄り添いあっているのだから。
「……わかった」
草野はハンカチで手を抑え、立ち上がる。
「先生……?」
「お前の友人が道を誤ろうとしている──そう見えるんなら、お前が止めてやれ」
草野は煙草の火を消して吸殻を携帯灰皿に落とし、そのまま校舎に戻る扉の向こうへ消えた。
—
「遼ちゃーん」
草野は生物準備室の中を覗き込む。
「保健室行ったら誰もいなくてさ……ちょっと手伝ってくんない?」
「どうかしたの、──うわっ」
叫び声は、真っ赤に染まったハンカチに気づいたからだろう。
「一体何したの」
「まあいろいろあって」
—
数日後。
藤城から携帯に電話がかかってきた。
どうやら右京は、草野にではなく藤城に詳細を話したらしい。
『……つーわけなんだけどさ。
どうやら俺が外側でどうこうやっても手遅れになりそうなんだよな』
「あー、それはそうだねえ」
『これはお前に頼むしかねえかなあと』
「やですよ、そんな面倒な案件。しかも安いし」
『草野……』
「藤城さんが内部調査すればいいじゃない?」
『どうやって……』
「藤城さんが関係者になればいいんでしょ」
ただよう沈黙。
『……俺に教員になれ、と?』
「方法は任せますよ」
『俺に九時五時人間になれと?』
「だから方法は任せますって」
『むりだあああああ!!』
「俺はやってますけど」
『お前みたいな体力バカと一緒にするな』
「じゃ、諦めるんですね」
再びただよう沈黙。
「みゃーこちゃんも定期収入が一つ確保できて喜ぶと思うけど」
『……』
「煙草買うのに、いちいち言い訳したりこっそりお金抜いてあとで怒られたりする必要なくなるよ」
『わかった、やりゃあいいんだろやりゃあ』
──かくて、藤城は桜華の教員として赴任することとなるのであった。
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