三題噺「せーしゅん」

桜枝 巧

「せーしゅん」なんて、甘ったるい。

 靴に履き替え外に出ると、春らしいタンポポの様な暖かい風が私達を出迎えた。運動部――陸上部、だろうか?――の、軽快な土を蹴る音が集団となって鼓膜に押し寄せてくる。教室等の方から聞こえてくるトランペットの音と交り合い、淡い水色の中によく溶かしたオレンジ色を垂らしたような空に溶けていく。

「あーゆーの見るとさ」

 隣で勢いよく学生鞄を揺らしている男子が、男友達に話しかけるような気軽さでこちらに近づいてくる。ちゃらそうな割に校則通りの真黒な髪の毛が風に揺れる。

 けだるげな口調の割には、いくらかの緊張が言葉の中に隠れていた。

「何?」

そっけなく返してから、私は少し左に寄って距離をとった。小学校六年の時一度だけ同じクラスになっただけの縁。中学は学校自体が違ったため、高二で再び同級生同士となって、初めて奴がこの高校に通っていることを知ったくらいだ。

 なぜ今更話しかけてくるのか。

 私が数歩離れたことに気がついて、奴は少しだけ顔を曇らせた。唇を何度か開いたり閉じたりした後に、困ったような表情を見せる。

「いや、青春だなーと」

自分で言っておきながら、さすがに恥ずかしくなったのだろう、顔を赤らめたそいつに、私はそう、だけ返した。歩く速さを上げると、ぼんやりとした風が私を包み込むようにして通り過ぎていく。気持ち悪い。

 まるで、私に何かを諭そうとしているみたいじゃないか。

 奴は少し驚いたような素振りを見せると、大股で三歩前に進む。

 それだけで横に並ばれたのが悔しくて、さらに速度を上げた。

 私はいらだつ気持ちを隠すこともなく、そのまま隣へと投げつける。

「『せーしゅん』だなんて、甘ったるい。そんなに元気があるのなら、運動部に入れば良かったじゃない」

おもしろいように静まり返った。

 隣のグラウンドで走っている陸上部のスパイクで殴られたかのように立ち止まった奴を置いて、校門へと進む。

 グラウンドと私達が歩くコンクリートの間には雨が降った時用の小さな水路があり、青春なんてものはその穴に吸い込まれてこちら側にやってきそうもなかった。

 革靴のコンクリートを叩く音が、やけに大きく聞こえる。

「……何をいまさら」

自分でも聞こえないくらいの小さな声で呟く。

 私立の中学に勝手に行ったのは、そっちじゃないか。

 間違っても少し赤くなった顔を見られないように下を向く。

――『はじめまして、だね。六年だけど』

 あの時と同じ笑顔でこちらに向かってくるなんて、卑怯だ。

 もう一度友達、なんて卑怯だ。

 みんな仲良く、だなんて小学生みたいな台詞は、卑怯だ。

 ちょっとくらい、悲しめばいいんだ。


 その時、大きく風が吹いた。

 隣のグラウンドから悲鳴が上がる。顔をあげた瞬間、小さな何かがいくつも目の中に飛び込んできた。砂だ、と気がつく前に瞼を閉じていた。大きな砂埃を起こした風が、脚にも粒が当たっていく感触とともに駆け抜けていく。

 目の中に入った砂が叫ぶ。痛い。痛い。痛いっ……。思わず後ろを向く。

 不意に風が、やんだ。

 まだ痛む目を薄く開く。


 目の前では、「せーしゅん」が行われていた。


 後姿だけで表情の分からない奴が、困ったように右手を後頭部に当てている。その前で、陸上部のウェアを着た一人の女子が真っ赤になって立っていた。

 いつの間にか、二人はコンクリートではなく茶色いグラウンドの上に立っていた。

 グラウンドは、青春の場所だ。

 口が小さく動く。

 何と言っているのかは分からなかった。少なくとも私には、聞こえなかった。

 はやし立てるような歓声がグラウンドの方から聞える。二人の名前が叫ばれる。


 私は大きくため息をついた。

 春の生ぬるい風が、私を挑発するように通り抜けていく。

 負け犬のように、負けることすらできなかった、何もできなかった私は独り言を口にする。

「良かったじゃん、『せーしゅん』できて」

 私は春から目を背けると、校門へと歩き出した。

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三題噺「せーしゅん」 桜枝 巧 @ouetakumi

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