8.


 ミセリアにとって『不幸』とは、己を育むための土壌であり、雨水であり、日光である。

 というのはリーベの言葉だったか、冷人れいとの言葉だったか。

 誰かが発見したのその事実が衝撃的で、わたしはその言葉が誰のものだったのか、はっきりと憶えていない。ただ、そのとき感じたことはよく憶えている。世界に対する強い理不尽、哀しみ、怒り、淋しさ……。

 何かと引き換えに手に入れた。そんな力だと薄々は気がついていたけど、それが『幸せ』と引き換えだったなんて、思っていなかったから。ううん、たぶん、思いたくなかったのだと思うけど。

 わたしたちの中で『不幸であるから力を使える』というミセリアの土台についてが判明したのは、ある能力を持った子が『幸せ』になったことで力を失ったことがきっかけとなっている。

 その子は引っ込み思案な子だった。両親に虐待されて育ったのだというその子は人の優しさに触れたことがなかった。それがその子の不幸。

 わたしの能力はそういう子を『見つける』ことだったから、その子のことも見つけることができた。

 その子の能力は『動物と話す』ことで、それは両親に虐待されたという過去、人を信じられないその子が心の拠り所にしていた動物に希望と夢を見ていたために発現した能力だったといえる。

 わたしたちはそのときまだ『不幸』を土壌としているミセリアを知らなかった。だから、その子が人に怯えている現実をなんとかしようと、なるべく優しく、怖がらせないよう接した。時間はかかったけれど、その子が両親以外の人は自分に酷いことはしない、優しいものなんだ、ということに気がついて、人を受け入れ笑って日常を過ごせるようになった頃…その子の中のミセリアは、不幸という糧を得ることができず、枯れてしまった。

 人と話すことはまだ怖いけれど、怖いと思ったら人から距離を取って動物と話せばいいし、不安になったら動物に寄り添えばいい。その子はそうして自分の中でバランスを取っていた。わたしたちと一緒にいられたのも、動物が一緒にいてくれて、話を聞いてくれて、よき友人で、逃げ場所であってくれたからだ。

 それが失われた。ある日突然ぱったりと動物の言葉が分からなくなり、確かに通じ合っていた意思は途切れ、小鳥と戯れていることが常だったその姿がなくなった。

 人は、怖いばかりではないと。その子がそう気付けたことは、よかったと思ってる。

 …ううん。よかったんだと思いたい。その子にとってそれはよきことであったのだと思いたい。

 けれど、動物という心の拠り所を失い、その子は不安定になってしまった。

 わたしたちという仲間はいたけれど、本当に心から信頼していたものを失ってしまったのだ。その衝撃はきっと、言葉では語れないほどのものだったに違いない。

 やがて、その子はわたしたちの目を盗んで、クレプスクルムへ行ってしまった。

 どうしてか?

 その子はきっと思ったのだろう。もう一度、と。もう一度あの力を、と。

 そうして、ミセリアを子供に植え付けては回収しているクレプスクルムへ行ってしまった。力を取り戻せるかもしれないという可能性に賭けて、自らが実験体になるだろうことを覚悟しながら、行ってしまった。

 ……分かってる。これは、あの子の選択だ。自分で選んだ道だ。普通に、一般人として生きられるかもしれない、そんな未来を捨ててでも、あの子はもう一度力をと願った。また不幸のどん底に叩き落とされ、ミセリアを咲かせるのだとしても、構わない。あの子はそう覚悟して行ってしまったのだ。

 わたしたちに止める術があるはずがない。

 不幸になってもいい。そう覚悟を決めた人を前に、未だきちんと不幸を受け止めきれないわたしたちに、言えることは何もなかった。

 それに、わたしたちがいたから、あの子は力を失うことになってしまったんだから。そんなわたしたちに言えることが、あるはずもなかった。

(あの子は、今、どうしてるだろう)

 明るい現実は想像できない。クレプスクルムとはそういう場所だし、あの子が望んだのはそういうことだ。

 仮に再び能力を発現し、ミセリアの花を咲かせたとしても、それは一時の救いにしかならないだろう。クレプスクルムは能力の安定を見たらすぐにそれを回収する。商品にするために。もしもその流れが定着するようなことになったら…考えるだけで怖いことだ。

 わたしたちは物として扱われる。今以上に、クレプスクルムは子供を土としか思わず、花を咲かせるために肥料をやったり水をやったりするだろう。


「……きれい」


 キラキラと、頭上を星が舞っている。

 手を伸ばすと実際にその星を捕まえることができるのがリーベの空間だ。ふわふわと漂う星は捕まえても捕まえてもどこかからやってきて、やっぱりふわふわと浮いている。なんとなく星を捕まえることを繰り返していると、あっという間に星まみれになってしまった。そんなわたしにリーベが呆れたように息を吐く。


「何やってんの」

「うん、なんとなく」


 様々な色に明滅する星は宇宙を表現したものだろうか。

 ふかふかの大きなクリスタルに埋もれながら、わたしは星を抱いている。星に埋もれている。

 ぼんやりと頭上を見上げながら、どうして古い記憶を思い出したのかというと、圭紫けいしのことがあったからだ。

 彼は、わたしのために『不幸』になることを受け入れた。そうなってもいいと思った。そうしてミセリアの花を咲かせた。

 本来なら自分の不幸をどうにかしたいと思って咲く花だ。彼がわたしのことを自分のことのように思っていなければ、きっと花は咲かない。

 つまり。つまり、極端な表現をすると…わたしが『幸せ』になって、いつでも笑顔でいられるような日常を送ることができるような未来が訪れた場合。私が不幸でなくなった場合。わたしのために不幸になると決めた彼の中のミセリアは、枯れるだろう。

 わたしの不幸が自分の不幸。

 なら、逆も当てはまるはずだ。

 わたしの幸せは、自分の幸せ。

 つまり。わたしが幸せになったら、彼も幸せだと感じて、そうなった場合、彼の中の花は枯れるのだ。花が枯れれば能力も消える。

 わたしは幸せになれない。彼も、幸せにはなれない。

 ミセリアの花を咲かせ、その力を必要としているわたしたちは、決して幸せにはなれない。その事実がわたしの胸に突き立っている。

 自分の不幸にはまだ耐えられた。それでずっと生きてきた慣れ、というものもある。だけど、自分のせいで他人が不幸になるだなんて、ミセリアを咲かせるだなんて、わたしは想像したこともなかった。

 星を抱いたままのわたしに、リーベがなんともいえない表情でクリスタルに腰かけた。星の光を硬質に反射しながらも、現実なら硬くて冷たいクリスタルがやわらかくリーベを支える。


「まぁ、レアなケースよね」


 というのは圭紫の能力の発現について、だろう。

 わたしは曖昧に唇を緩めた。笑って返したかったのかもしれない。ちゃんと笑えていたかどうかは分からないけど。

 能力のため、不幸でいなければならないという暗黙の了解。わたしにもう力はないけれど、圭紫のミセリアを枯らせないため、力の消失を防ぐため。わたしはやはり不幸でいなくてはならない。

 そのことが哀しいような、淋しいような。

 だけどこれは贅沢な感情だと思う。こんなわたしを自分のことのように思って不幸になることを選んだ人がいる。わたしはそのことをもっと、こういうと変な言い方になるけど、喜ぶべきなんだと思う。わたしには不幸になるだけの価値がある。そう証明した人がいるんだから。

 そう考えると、やっぱり。照れくさいというか。照れてしまうというか。嬉しいな、って思ってしまうっていうか。

 星を抱えたままころりと転がって、リーベから顔が見えないようにして、やわらかいクリスタルに顔を埋める。


「リーベ」

「ん?」

「わたし、どうしたらいいだろう」


 答えは分かりきっていた。それでも彼女に尋ねたのは、彼女の鋭い言葉を期待してのことだった。

 リーベは、よくも悪くもはっきりと物を言う子だ。「幸福を、避けるべきでしょうね」そう、こうやってズバッと言ってくれて、わたしの躊躇いや戸惑いをあるべき場所に正してくれる。今ある最善を考えてくれる。

(うん。そうだよね)

 幸せになってはならない。自分のためにも、圭紫のためにも。

 その言葉を自分に刻みつけるわたしに、彼女はいくらかの空白のあとにこう続けた。


「でもね? これは今の状態じゃ無理なことだって分かってるんだけどさ。あたしは、ユウには幸せになってほしいのよ」


 普段から気持ちを素直に表現しない彼女には珍しい言葉だった。

 思わずころりと寝転がってリーベの表情を確認してしまう。彼女は可能な限り明後日の方向に顔を背けてわたしに見られまいとしていた。「何よ」「ううん」「じゃあ見ないで」「うん」ころり、ともう一度転がる。腕の中にある星が忙しなく瞬きしている。虹色だ。リーベの感情の起伏に反応しているのだろうか。

(しあわせに)

 しあわせ。幸せ。幸せって、なんだろうか。

 かつて一緒に過ごした仲間を思い浮かべながら目を閉じる。

 今日は、眠ろう。みんなそれなりに疲れているはずだから。わたしも、クレプスクルムに捕まってからは眠っていない。

 瞼を閉じると疲労感を感じた。ようやく安心できる場所にこれたという実感が今頃になってわたしを包み込み、眠りへと誘う。

 これから、どうするかは。明日、みんなが起きたら話し合おう。今は眠って、疲れを取ろう。



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