7.


 リーベはわたしたちの中でも一目置かれる能力を持つ子で、わたしたちがクレプスクルムから隠れて暮らしていたときは、主な場所というのは彼女がつくってくれていた。

 秘密基地でも、避難場所でも、普段の生活場所でも、どれをとってもそう。彼女は自分の望んだ『空間』を創ることができた。

 そこは、現実とは違う場所。

 リーベの気分によって左右される空間のファンシーさやメルヘンさに、雷輝らいき冷人れいとはついていけないこともあったかもしれない。でも、わたしはリーベの創る空間が、世界が、好きだった。

 今の彼女はといえば、ガラスでできているみたいにキラキラ輝いている大きなクッションの上で、さっきからブツブツと独り言をこぼしながら、徐々にこの空間を大きくしている最中だ。

 能力を使うときは誰でも集中力がいる。わたしは彼女の邪魔をしないよう見守りながら、心の中でたくさんありがとうを伝えた。

 人数が増えるなら大きくするわ、なんて気軽に言っていたど、大丈夫かな。今はリーベの力に甘えるのが賢いと分かってはいても心配だ。

 今日のリーベの空間は、ガラスやクリスタル、キラキラ光るもので構成されていた。さまざまな色のガラスが星空のように散らばる空間に、圭紫けいしがさっきからぽかんとしている。


「これ…ガラス?」

「わたしもそう見える。でも、怪我はしないわ。やわらかいの」


 こんなにキラキラと輝いているのに、ふわふわと宙に漂っている光の欠片を捕まえると、ふにゅり、とやわらかい。上質なクッションみたいな肌触りで、冷たくもない。

 光の欠片に頬を寄せるとほのかにあたたかくて、思わず腕の中に抱いてしまう。

 光を腕に抱くなんてそうそうできることじゃないから、堪能しておこう。

 星の海。星の岸辺。星が集う場所。もしもそんなものが実在するなら…この空間に、よく似ているものになるのかもしれない。

 わたしは光の欠片を腕に抱いたまま、一見すると冷たく硬質な輝きを放つクリスタルに腰かけた。見かけとは裏腹にやわらかくあたたかくわたしを包むクリスタルが心地いい。

 圭紫がおそるおそるという手つきでクリスタルに触れた。「冷たくない…?」「座ってみたら。心地いいから」わたしが勧めると、圭紫はおそるおそる青く輝くクリスタルに腰を下ろした。そしてそのまますっぽり、ビーズクッションに包まれるようにその身がクリスタルに沈む。

 雷輝と冷人は慣れたもので、リーベの空間に疑問を抱くのはもうやめたようだ。二人とも大きなクリスタルを選んでベッドにして寝っ転がっている。「圭紫、これでも今回は落ち着いてる方だよ。妖精が飛んでる童話の世界に比べたら…」「……確かにな。あれは居心地が悪かった」「童話の世界に雷輝みたいな不良はいないだろうしね」「うるせェ」「えっと…」二人の会話にクリスタルに埋もれた圭紫が困っている。

 ここでは常識とかルールとか、世界の理とか、そういうものは当てはまらないし、通用しない。

 この空間はリーベがルールだ。だから不思議で、冷たいのにあたたかい。リーベの性格がいつも反映されていて、わたしは彼女の創る空間がとても好き。

 最後にパチンと手を合わせるのがリーベのやり方だ。その音が合図になって世界が動き始める。星を散りばめたような地面からにょきにょきとクリスタルが生えてくる。「男子女子で分けましょ」当然、という顔でそう宣言したリーベがクッションの上をころころ転がってから立ち上がった。大きなクリスタルはリーベの言葉どおり、圭紫たちとわたしたちとを分断するように星の地面から空まで突き立っている。

 さっきの空間をアパートのワンフロアとするなら、今この空間は2DKくらいの広さになっただろうか。女子の部屋、男子の部屋、あとは共通の部屋が一つという感じ。

 リーベの空間が落ち着いたので、わたしたちは共通の部屋に集まった。人数分のクリスタルがきちんと用意されている。

 硬質な輝きなのにやわらかくてあたたかいクッションにからだを預けて、一息。

 一番に口を開いたのは冷人だった。クリスタルがやわらかいことに納得がいかないのか、微妙な顔をしている圭紫を掌で示して、


「リーベ、彼は圭紫。結紅を助けられたのは彼の能力の開花のおかげだ」


 言われた圭紫が若干姿勢を正した。リーベが値踏みするように圭紫を上から下まで眺めている。「ふぅん? それはまぁ、じゃあ、ありがとうと言っておくわ」「え?」「ユウを助けてくれたこと」ぶっきらぼうに言い捨ててそっぽを向くリーベに圭紫が首を傾げる。「助けたいから助けただけだし。今は、僕がお礼を言う方かな。匿ってくれてありがとう」リーベが変なものを飲み込んだみたいに顔を顰める。彼女は素直じゃないのだ。

 それは置いておくとして。

 わたしは改めて、圭紫に頭を下げた。ここまで逃げてくることに重点を置いていたから、きちんとありがとうを伝えていない気がしたのだ。


「わたしも、今頃だけど、助けてくれてありがとう」

「いや、助けたいから助けただけで…無事でよかったよ」


 圭紫は笑うことを選んだ。だから、わたしも笑うことにした。

 圭紫がコンビニで買ってきたお菓子やら日持ちのする食材の入ったビニール袋を中央にある大きなクリスタルの上に置く。こちらはテーブルとしてデザインされたのか、見た目どおり硬質なようだ。

 光源として眩しい輝きを放つ光の欠片が降ってきて、クリスタルのテーブルの上でピタリと静止する。

 リーベが無造作に手を伸ばして袋の中のポッキーをつまみ出し、開封した。お腹が減っているのか袋を破って何本も口に突っ込んでバリボリと平らげていく。そんなリーベを横目に冷人が話を続ける。「彼の能力なんだけど、僕らとパターンが違うんだ」「違うっていうと?」「それがうまくいえないんだけど…」わたしたちの中では頭のいい人に入る冷人とリーベが圭紫の能力について話し始めたので、そう頭がいいわけでもないわたしはコンビニの袋の中からクッキーを取り出した。バリ、と開封して一つつまんで口に放り込む。


「彼は『結紅を助けるため』に能力を発現させた。少なくとも僕らにはそう見えた」

「そうだな」

「ふぅん…。あるいは『ユウのため』が『自分のため』とイコールになるくらい強い感情があったってこと、でしょうね。ふぅん」


 冷人は、クレプスクルム博多支部前の公園を中心に俯瞰の視点でその映像を再現した。無理なく視界に入るよう、クリスタルのテーブルの上だけで再現されたそのときをリーベが瞬きもせず見つめている。

 パリポリ、とクッキーを食べていたわたしは今ここにいる圭紫を窺った。

 それが、どういうことなのか。彼が『自分のため』だと思うくらい強く『わたし』のことを思っているのだとしたら、どういうことになるのか。

 わたしはそのことがかなしかったし、嬉しかった。

 圭紫がクレプスクルム支社に消えるまでの映像が消失する。そこから先はないようだった。

 リーベの頭の中では事実の整理がついたようで、手にしたポッキーを振りながら「じゃ、まとめてみましょ」と言う。まずポッキーでびしっとわたしのことを指して、「ユウにはもう能力の欠片も残ってない。そうね?」「うん。そう」捕まるまでは確かに残っていた能力の残滓も、恐らく抜き取られてしまった。今のわたしは一般人。無力な人間だ。

 頷いたわたしに彼女は一つ吐息した。


「となれば、ユウに対してクレプスクルムが取ると思われる行動は二つ。

 一つは実験体として、クレプスクルムにされるがままに生きるってこと。向こうもできればそうしたいはずよ。能力をなくした能力者がどうなるか、再利用できないか、いくらでもあくどいことを考えるでしょう。

 で、それが叶わない場合…つまり、抵抗するとか、自分たちの思うようにいかない相手、あるいはクレプスクルムにとって危険だと判断される人物だったらってことね。この場合、殺される可能性だって考えた方がいいわ。思いどおりにならない道具はバラして組み直す…。そのことも含めて、ユウは迂闊に動かない方がいい。今度クレプスクルムの手に落ちるようなことになったら、実験体として生きるか、今ここで死ぬか選べと言われると思っておきなさい」

「…うん」


 リーベの言葉は、きっと当たっている。わたしは彼女の言葉を理解し、受け止め、肝に銘じるしかない。次にクレプスクルムに捕まるようなことがあれば、わたしは、おしまいだ、と。

 俯きがちになるわたしにリーベが少し表情を崩した。困ったような、そんな感じで。


「別に、キツいこと言いたいんじゃないわ。これは考えられる事実よ。

 …実質、あたしたちをまとめてたのはユウ、あんただもの。今も、バラバラになった仲間をまとめられるとしたら、ユウだけ。もしもクレプスクルムに反旗を翻す、そんなことになったとしても、あたしたちをまとめられるのはユウだけ」

「そんなことないでしょう。そういうのは冷人が向いてる」

「僕は向かないよ。僕はユウのように優しくないし、信頼もないからね」

「そうだな。ユウにならついてくが、冷人にならついてかねェ」


 冷人も、雷輝も、リーベも、わたしのことをそんなふうに思っているらしかった。

 困ったわたしにリーベは言う。変わらない、意思の強い青の瞳で。「あたしたちのリーダーはユウ、あんたなの。今回のことでそれがよく分かったわ」今回のこと。たぶん、わたしが捕まったこと、だろう。わたしを欠いたこと…それで分かったことがあったと、そう言っているのだ、彼女は。

 リーベはポッキーでびしっと圭紫を指した。「彼はそのための刃ね」と言われ、圭紫がよく分からないという感じで眉尻を下げる。


「ねぇ、今力使える? なんでもいいからさ」

「え、っと。えーと…」


 リーベに言われて圭紫が難しい顔をして考え込む。「えーと……どうやればいいんだっけ?」困った顔でわたしに言われても困る。そういうのは感覚だから。

 リーベはポッキーを口に詰め込みつつ、「たぶんだけど、圭紫の能力っていうのは『ユウを助ける』という条件で発現するんだと思うわ。ユウがピンチでないとダメなの。助けてほしいって思ってるときとか、そういう状況のときとかね。広くか浅くか、その辺りは不明だけど」「…そう、なのかな」「たぶん」圭紫自身もしっくりきていないようだった。わたしも、そのときの映像を見ても、あまり実感はできてない。

 誰かがわたしのために力を発現する。ミセリアの花を咲かせる。不幸になることを承知で。

 自分のためだとしても、力と引き換えに不幸になることを躊躇うのに。そうだと分かっていても、不幸は避けたい、と思うのに。だからこそクレプスクルムは人柱を立てて力だけを得ようとしているのに。それなのに、不幸になってもいいから誰かのためになりたいなんて、なんだか。なんだか……。

 ぐっと唇を噛みしめて、痛みで気持ちを落ち着ける。

 きみのためなら不幸になってもいい、なんて。盛大な告白みたいに思えたのは、きっと気のせいじゃない。

 その強い気持ちが。想いが。嬉しくないわけはない。

(だけどね、幸せにはなれないの。わたしたちは、なれないんだよ)


 わたしたちは不幸であるから力を使える。圭紫、あなたが『わたしのため』にしか力を使えないように、みんなは自分のために力を使う。根本にあるのは不幸。それをどうにかしたい、という強い気持ち。

 だから、わたしたちの中から不幸がなくなったら。幸福になってしまったら。ミセリアは枯れて、花は散るの。力はなくなってしまうの。

 力を望む限り。わたしたちは幸せにはなれないの。

(だから、わたしも。あなたも。幸せにはなれないの)


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