6.


「随分と無謀なことをしたね、結紅ゆうべに

「…そうね。ごめんなさい」


 圭紫けいしが眠ってから、わたしはまず、冷人れいとに静かにやんわりと怒られた。いつもの優しそうな笑顔で。

 わたしは頭を垂れて素直に謝った。言い訳は思い浮かばなかった。我ながら馬鹿なことをしたものだ、と思うくらいに、今は冷静でいられた。

 海に辿り着いたときも。圭紫の言葉に心が揺れたときも。わたしは冷静さを欠いていた。

 自分は冷静で思慮深い方だなんて思っていたけど……自分の一部だったものを奪われて、自暴自棄になるくらいには、冷静じゃなかった。

 一度は、きちんと諦めた。

 私たちからミセリアの花を摘もうと襲撃してきたクレプスクルムに対して、わたしが囮になって、冷人が手伝ってくれて、みんなを逃がすことができた。代わりにわたしは捕まった。捕まるということはイコール能力を抜き取られるということ。分かっていた。わたしはそれを選択した。

 …結局、誰かを見捨てるなんてこと、わたしにはできないままだった。

 誰かを見捨てて生きて、のうのうと生きていられるような人間に、わたしはなれなかった。そうなれた方が賢くて、この世界を少しだけ生きやすくなれると分かっていながら。そんな冷たい人間の方が楽だと思いながら、そういう人にはなれなかった。

 わたしが頭を下げたままでいると、ぽん、と誰かの掌が置かれる感触がした。そのままくしゃくしゃと頭を撫でられる。…こういうことをするのは雷輝らいきの方だろう。掌も大きいし。

 雷輝はわたしに甘いというか、優しいというか、気にかけるというか。たぶん、わたしのことをお姉ちゃんみたいな立ち位置に思っているんだろう。


「もういいだろ。全員無事なんだ」

「今回は、ね。圭紫が能力を発現した…それが代償だったろう」

「冷人てめェ、何が言いたい」

「雷輝。冷人も、そのくらいにしてあげて。雷輝本気にするから。

 全面的にわたしが悪いの。分かってる。もう無謀なことはしないって誓う。だから、喧嘩しないで」


 ピリピリした空気のままの雷輝の手を両手で包む。途端、雷輝は怯んだようにわたしの手の中から自分の手を引っこ抜いた。素早いことだ。

 雷輝はちっと舌打ちすると腕組みして冷人から顔を背けた。冷人がふっと息を吐いて座席の背もたれに寄りかかる。

 彼は冷静だ。冷静に、静かに、わたしのしたことについてを指摘する。


「結紅。君は僕らのことをよく知っている。能力の詳細や、居場所。性格や行動パターンも。もしあのままクレプスクルムに捕らわれていたら、それこそ薬や拷問で、僕らのことを喋るしかなかったかもしれない」

「うん」

「君は問われるべきではない罪に問われ、身体的にも精神的にも苦しみ、その余波は僕らまで届く。

 これはね、君一人の問題ではすまないんだ、結紅。それは僕らにも言える。

 僕らの誰か一人でも、奴らの手に落ちてはいけない。自分のために…いっときでも共に過ごした仲間のためにも」


 赤信号でバスがゆっくりと停車する。

 窓の外から射し込む白い陽射しは痛いほど熱いのに、車内はその分冷房で冷えていて、その温度差が、これが現実なのだと教えてくれる。窓の外のビルが続く景色が、その窓が反射する光がチカチカと眩しい。

 わたしは、冷人の言葉が少しだけ嬉しかった。怒られてはいるのだけど、同時に気遣われているのだとも分かるから。

 冷人は線引がうまい。どうでもいいと思った人は思考でわりきって切り捨てることができる、そういう人だ。だから、彼がわたしに怒るということは、わたしに思考を割いてくれているということだ。わたしがどうでもいい人ではないってこと。それはもちろん、冷人の言うように『自分だけでなく他人にも迷惑が及ぶから』という理由もあるのだろうけど…きっとそうじゃない理由もあるって、信じたい。

 雷輝がイライラと貧乏揺すりを始めたので、わたしはそっと話題を変えることにした。


「他のみんなは? 大丈夫なの?」

「どうだろう…僕が追えばいいんだろうけど。読み取りは結構疲れるからね。君のことを追うのでとりあえずは手いっぱいだった」


 うん、と一つ頷く。うん、全部は分からないよね。わたしに力が残っていれば…見つけられたのかもしれないけど。

 わたしにあった力。クレプスクルム支社に突入するまでは、まだ確かに使えていた力。

 人を見つけること、人を隠すことがわたしの力だった。

 わたしはその力を使って自分を隠してクレプスクルムに潜入して……でも、捕まってしまったけど。今となっては浅はかだったとしか言いようがない。何かに心臓と頭を鷲掴みにされるような痛みを感じながら潜入して、わたしは一体何がしたかったのだろう。ううん、何ができると思っていたんだろう。

 わたしはみんなのことを思った。バラバラになってしまった仲間たちを。以前なら、こうするだけでみんなの居場所が分かったのにな。今は何も分からない。なんにも伝わってこない。

 そのことが少し、だいぶ、さびしい。胸にぽっかり、穴があいたみたいで。

 からだに残留していた力ももうなくなってしまった。わたしは無力な人間に戻った。


「リーベの居場所は分かるの?」

「一応ね。結紅を追うって知らせに行ったから。苦い顔してたけど教えてくれたよ」

「そっか」


 わたしはこれから会うリーベを思い浮かべた。

 金髪碧眼。小柄で、きれいでさらさらな髪はショートカット。

 日本人が未だに思い浮かべる外人さんの定型的なイメージそのままの色合いをしたリーベは、毒舌家だ。日本育ちなので日本語はペラペラ。頭も良いから、もちろん英語も使える。

 わたしたちは不幸故に能力の発現者となった。そのことを考えれば能力を発現した人が捻くれていたりするのはいたって普通で、わたしにとってはリーベは口は悪いけどかわいい妹だったりする。

 会えるんだ。また。今はそのことが純粋に嬉しい。

 たとえ、不幸が根っこにあって繋がった仲間でも。



 わたしたちはバスを乗り継いだ。

 街から町へ。そこで圭紫が起きてコンビニに行って、わたしたちにサンドイッチやおにぎりや飲み物を買ってきてくれた。お客さんもまばらだし、と控えめにサンドイッチを頬張り、午後ティーを口に含みつつ、バスはわたしたちを乗せてさらに小さな町へ。そこにはコンビニはなくて、道路の脇にぽつんとバス停の標識があるだけで、人も見当たらない。

 陽射しはまだジリジリと痛くわたしたちを照りつけている。だいぶ傾いてきたのかもしれないけど、夏の夜はまだ遠い。

 人里離れたこの場所からさらに山の方へ行く三時間に一本しかないバスに乗って、舗装がボロボロの道路をガタガタとバスに揺られながら行き、名前も知らない山の中腹辺りで下車した。その頃にはさすがに陽射しの強さは弱まっていて、太陽は山の向こうにその姿を消そうとしていた。

 人生の中で一番長くバスに乗り続けた時間だった。なかなか揺れた。あと、お尻が痛い。

 雷輝はからだが大きいから、バスの座席で窮屈そうにしていた分、今伸びをしているみたいで、空に向かって腕を突き出して背筋を伸ばしている。冷人は場所を確かめるように辺りを見回している。圭紫は、飲み物の残りとお菓子の入ったビニール袋を鞄の中に突っ込んで、わたしと目が合うと、笑うことに慣れてないぎこちない笑顔を浮かべた。

 彼が悪い人ではないということは、わたしを助けたこと、わたしが彼と過ごした一週間で確認している。

 でも、ありふれているといえば、ありふれている。そんな人だったのに。どうして今頃になってミセリアは咲いてしまったのだろうか。

 わたしたちとパターンが違う、と冷人は言っていた。わたしもそのとおりだと思う。彼のことが知れれば、クレプスクルムにとっての新しい研究材料になりかねない。冷静に、慎重に判断しなければ。


「んで、ここのどこにリーベがいるんだ? ただの山だぞ。イノシシでも出そうだ」


 ぼき、と指の関節を鳴らしつつの雷輝の言葉に、わたしはちらりと茂みを窺った。何もいない。と、思う。

 陽が暮れ始めて生い茂る葉の向こうは闇に包まれ始めている。イノシシくらい、出てもおかしくはないだろう。

 冷人は首を竦めて指差した。そこにふっと前触れなくリーベが現れる。冷人の能力だ。ホログラム映像のような彼女はどこか怒っているような足取りで迷うことなく茂みの中に足を突っ込んだ。そのまま分け入っていく。

 先頭は冷人と雷輝。わたしと圭紫は二人の後ろをついていくように茂みの中に入った。ガサガサガサと木の葉の揺れる音が響く。サンダル越しにコンクリートとは違う弾力のある地面を踏む感触。


「…喋っても大丈夫かな」

「いいんじゃないかな。どうせリーベはもう僕らに気付いてるよ」

「そう? そっか」

「…出迎えくらい来いよな」

「来ないだろうね、彼女の性格じゃ」

「……ただの山だけど、本当にここに人がいるの?」


 圭紫の言葉に頷いたのは冷人だ。「リーベの能力だね。詳しくはまぁ本人からってことで」「はぁ」圭紫は曖昧に頷いた。

 彼は、強く意見を持たないというか、口にしない。わたしは冷人や雷輝のように自分の考えをはっきり持っている人に慣れているので、圭紫みたいな人は少し不思議だ。


「君の能力についても、彼女の頭を借りて検証してみよう。分からないままじゃ僕らもすっきりしないし、今後のためにも、君は自分の力について知っておいた方がいい。うまく使えるようになるかもしれないしね」

「うん。分かった」


 圭紫がそう返したところで、空気が揺れた。それでみんなの足が止まる。わたしの足も。

 リーベの映像は空気の揺れが生まれたその起点に吸い込まれるように消えてなくなる。

 この感覚を、どう言えばいいだろうか。水に広がる波紋…それが空気中にあって、その揺れが肌を通して伝わってくる…そんな感じかな。

 つまり、ここが境界線だ。現実と、リーベの空間との。

 わたしは冷人の袖を引っぱった。彼がわたしを振り返って、仕方ない、という感じに吐息して一歩引いて場所を譲る。わたしは冷人がいた場所に立って、「リーベ。ただいま」と呼びかけた。また空気が揺れる。玄関のチャイムが鳴って、その音は中まで伝わっている。

 そして、扉は内側から開かれた。

 六角形の水晶みたいなきれいなドアが目の前に現れて、スッと無音でドアが消えると、入り口が現れる。そこには小柄で金髪碧眼の少女が仁王立ちで立っていた。でもわたしが知っているリーベより少しだけ、なんだか髪がくしゃくしゃで、着ているものもよれよれだ。


「このっ、馬鹿ユウ! 遅いっ!」


 怒鳴りつけるようなその言葉とは裏腹に、リーベはぷるぷると震えて、今にも泣きそうに湿っぽい瞳をしていた。

 わたしはなるべく優しく笑って「ごめんね」と謝った。それからもう一度、「ただいま」と言った。ぷるぷる震えていたリーベは黙ってわたしに手を差し伸べた。その手に引っぱられてわたしはリーベの作った空間に一歩上がって、そこでぎゅっと彼女に抱き締められた。

 小さな小さな声で言われた「おかえり」に、わたしまで視界がじんわりとしてくる。

 そして、もう一度。リーベが作った花の香りのする空間で深呼吸して、笑顔で言うのだ。「ただいま」って。


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