5.


 昔からゲームをする度に思っていたことがある。

 それは主人公と、たいていのゲームに登場する悪役、いわゆるラスボスのことだ。

 たいていのゲームで主人公はレベルアップして能力的に強くなり、仲間を得たりしてソロで戦う必要もなくなり、最後には悪が倒される。

 絶妙なバランスで主人公側の配役が死んだりすると、ストーリーとしてはなお盛り上がり、仲間の一人を殺されて、主人公やその仲間は悪を成敗することへの迷いが薄くなる。仇を取るんだ、という運びになる。

 僕はその流れの中でいつも何か引っかかりを憶えていた。

 ラスボスだって登場人物だ。主人公と同じように息をしているし、主人公ほどの冒険はしなくたって、仲間を増やしたり、どこかの街を征服したり、後々主人公の仲間になる感じの邪魔な人間を排除しに行ったり…そういう生きている行動をしたって何もおかしくない。それでもラスボスはたいてい主人公ほどの行動力を発揮することなくどこかの居城で激闘の末にやられる。それがエンディングの決まり事のようなものだ。たまにその道を外れた作品があると僕は『面白いな』と思いながらプレイしたものだけど。

 もしラスボスが主人公のようにレベルアップを繰り返して強くなり、悪事に目のない仲間を増やして強力な存在になっていったら、主人公はラスボスに勝てるのだろうか?

 たいていのゲームでラスボスは成敗される。それがシナリオだ。

 でも、一つくらい、主人公が完膚なきまでに叩きのめされるゲームがあってもいいんじゃないかなぁ、とは思ったりする。それが面白い作品になるのかどうかは別として。

 つまり、何が言いたいかというと、だ。

 僕の場合、『クレプスクルム』という社会的な立場も得ている彼らはある意味『主人公』なのであり……非合法的な手段で人の大切なものを奪う会社を前に、人を前に、思ったわけだ。世の中が彼らを肯定して良い物とするなら、僕は悪いものになろう、と。悪役にだってなってやろう、と強く思ったわけだ。

 たとえ僕らが社会的に立場のないゴミ屑だとしても。ゴミ屑にもゴミ屑なりの意地や誇りがある。守りたいものも、戦う理由も。

結紅ゆうべに

 僕が守りたいもの。僕が戦う理由。

 それは、きみ。きみがいるから。ただそれだけで充分だ。

 じゃあ、次。僕が思う強いラスボスってなんだろう?

 ラスボスはやっぱりインパクトが大事だと思うんだ。強烈に印象に残るっていうか、『コイツ絶対強いぞ』って思われる容姿とか能力とか。

(でも、あまりにもあからさまに強そうだと、逆に警戒される原因になるのか)

 相手がレベリングしたり仲間をぞろぞろ連れてきたりしたら面倒だな。だったらシンプルに、いつものスタイルで、かつ圧倒的な力で制圧するっていうのが理想かもしれない。

 じゃあ、次。僕が思う、圧倒的な力っていうのはなんだ。

 映画。漫画。ゲーム。不思議で圧倒的な力について描かれた作品は数多くある。その中で僕が思いついたものは。


「……ユウのためになれる力。全部。かなぁ」


 いろいろなものが頭の中をぐるぐると駆け巡ったあと、僕の中に残ったのはそれだった。

 結紅。

 すごく大げさで、馬鹿みたいだって、きみが笑ってくれたらそれでいい。そんな力になればいい。そんな力できみを守っていきたい。

 自分を守れなくたっていい。自分のためにならなくたっていい。

 僕は、きみのための力になりたい。

 僕は望んだ。『きみのためになれる自分』を。

 そのために差し出した、今までの僕の、どこにでもある日常。平穏といえば平穏で、でもどことなく不幸せであった日常を生け贄にして、僕は、結紅のためになる力を得る。



 僕の中で、ひっそりと、花が咲いた。薄い紫色の、か弱そうな花が。



 僕の中の改革も、僕の変化も、周りにしてみれば一瞬だったらしい。

 僕はじゃりっと一歩踏み出し、公園の砂を踏みしめながら、パンツスーツの女の子に向かって歩いていく。「、圭紫けいし!?」「おい、馬鹿野郎っ」僕の行動を予測していなかったんだろう、驚いた冷人れいとの声が僕を呼ぶ。雷輝らいきの声も。

 僕がただの馬鹿だと思っているのだろう、女の子はにっこり笑って手袋をはめた。そして、ぼき、と指の関節を鳴らす。「まぁ、向かってきたのはそちらですし。これは致し方ないということで一つ」にっこり笑って拳を握りしめた女の子が、いかにも適当に、その拳を僕に当てようとした。だから、僕は避けることにした。ひょい、と簡単に避けて、女の子の拳が轟音を立てて公園の地面にめり込んだのを横目に、走る。

 目指すはクレプスクルム博多支部、そのオフィスビルの、結紅がいる場所。

(そうか。あの子も力があるのか。いや…ここにいるってことを考えれば、あの力は誰かから奪い取ったものだ。それを我が物顔で使ってるんだ。なんて、酷い)

 僕は冷人も雷輝もスーツの女の子も置いて、ビルの階段を駆け上がった。こういうときエレベーターなんて使うものじゃないってことは僕でも分かる。

 ひんやりとした冷気はどこか寒く、僕の中の何かを奪っていくようだ。

 カシャン、と乾いた音を耳が拾い上げる。それが何かを思う前に僕はその場を駆け抜けていた。足元で何かが跳ねる音がする。

 結紅のことを強く思う。

 そうすると、僕は何も怖くないし、どんなものがやってきたとしても大丈夫だ、と思うことができた。

 たとえば、銃弾の嵐でも、耐えることなど容易いし、頑丈そうな防護壁でも、破壊することは簡単だ。

 結紅のことを強く思うほど、彼女の居場所は頭の中であたたかい光を放つ。その光が結紅はこっちだと僕を導く。

 そして、やっと彼女のいる部屋に着く…そんなときにまたスーツの女の子が現れた。なんだかボロボロだ。僕の先回りをしようと急いだのか髪もくしゃくしゃになっている。それを苛立たしげに片手で撫でつけながらびしっと僕を指して、


「あなた、能力者ですか。油断しました…ただの一般人かと気を抜いていたら」

「そこ、退いてくれ」


 彼女の向こうにある鉄の扉。あの向こうに結紅がいることは分かっているんだ。

 女の子は苛立たしげに壁に拳を叩きつけた。ボコッ、と壁がへこむ。「何なんです? 彼らのお仲間ですか? まったく迷惑甚だしい。そもそもこのビルの設備も貧相ですよ、能力者相手に銃弾や防護壁にどれほどの効果があると…あーもう!」女の子が僕を殴り飛ばそうと拳を振るう。その小さな拳に見合わないだけの力が込められていることは公園で確認済みだ。受けない方がいい。

 僕がひょいっと拳を避けたことに女の子は苛立たしげだ。振り返りざま拳をぶつけようと腕を振るってくる。「こんなことなら、柔道とか、SPの訓練とか! ちゃんと、やっておくんでした!」殴る、に蹴りがプラスされた。鼻先を掠めたそのつま先が壁に当たるとビシッと音を立てて亀裂が入る。

 拳と蹴りの乱舞を一歩二歩三歩と引いて避けつつ、女の子を扉から引き離した、その辺りで彼女のことを片腕で突き飛ばした。それこそお返しに、行動と勢いに見合わない力を込めて。

 女の子は簡単に吹き飛んで、ビルの床をごろごろと転がっていった。

 壁に叩きつけなかっただけまだ優しいと思ってほしい。

 僕はようやく結紅のいる部屋の扉をこじ開けた。ガッコン、と枠ごと外して廊下に転がし、部屋に踏み入る。

 何もないその部屋の真ん中に彼女はいて、外の出来事が分かっていないのだろう、不安げに辺りを窺う素振りを見せている。


「ユウ」


 僕はやっと彼女のことを呼んだ。それで彼女は僕に気付いた。

 彼女を拘束している目隠しや猿轡を外し、枷は力任せに粉々に壊した。そんな僕を結紅は呆然と見上げていた。


「ケイ…?」

「うん」


 うん。そうだよ。

 やっと呼んでくれた。よかった。

 彼女がはっと部屋の入り口を振り返るので、僕はそこに透明な壁を築いた。ゲームでいう魔法障壁に阻まれて銃を持ったスーツ姿の人間が何人か、壁にぶつかって立ち往生している。僕は彼らを眺めて、その処分は結紅に委ねることにした。「殺す?」一つ瞬きした結紅が僕を見上げる。ぽかんと口を開けて、そんな気の抜けた顔もちょっと、かわいいなぁ。


「クレプスクルムの人たち。きみが言うなら、僕が殺すよ」

「…あなた。ミセリアが……」

「うん。咲いた」

「……そう」


 結紅は一瞬泣きそうに顔を歪めた。けれどすぐに唇をきつく噛んで難しい顔を作り、泣き顔をどこかへ放り出してしまう。「誰か、殺したの? ここに来るまで」「まだ誰も」たぶん、とは付け足さない。スーツ姿の女の子が一瞬脳裏に浮かんだけど、死んではいないだろう。骨が何本か折れるくらいはしてるかもしれないけど。

 結紅が僕の手をそっと握った。震えている、小さな手だった。「ならいい。殺さないで。ここを出ましょう。それだけでいいから」小さく震えている結紅の肩を抱き寄せる。その瞬間、僕は少し幸福だった。今までで一番結紅に近い場所に自分がいられることを幸福だと思った。

 でも、これは役得ってやつであって、噛みしめるべき幸福ではない。


「きみがそう言うなら、そうするよ」


 そして、僕は魔法障壁を爆発させて、前にたむろしていた人間を吹き飛ばした。もちろん加減して、動けない程度に。結紅の言葉は守らないといけないから。

 僕は行きと同じように帰り道を行こうかと思ったけど、明らかに面倒くさいだろうと思って、途中で非常階段に出て、そこから飛び降りた。結紅はそのことに驚きはしなかった。覚悟を決めた毅然とした表情で僕の手をぎゅっと握っていた。

 僕らはただジャンプして着地した、それくらいの自然さでコンクリートの地面に降り立った。

 とりあえず、冷人と雷輝と合流して。それから安全な場所まで行かないと。

 二人の居場所を頭の中で問いかけると、またあたたかい光を感じた。その光が二人の場所を知らせる。どうやらこっちへ向かって来ているみたいだ。「雷輝と冷人がいるんだ。行こう」僕が手を引くと結紅は僕の手を引っぱり返した。つんのめって立ち止まり、振り返る。

 結紅は、やっぱり少し泣きそうだった。


「どうして、あなたが。無関係だったのに」

「そんなことないよ。僕はユウを助けたかった。そのための力がこれなら、代償があっても、それでいい」

「不幸になっても?」

「不幸になっても」


 迷いなくするりと答えた僕に、結紅は笑おうとして失敗した。そんな泣いて笑った顔がとても愛おしくて…抱きしめたくなったけど、そこへ雷輝と冷人がやって来たので、伸ばしかけた手は中途半端で終わった。


「結紅、と圭紫もいるね。よかった」

「てめェ、いきなりなんだってんだこの馬鹿野郎」


 冷人は結紅と僕の無事を確認して息を吐き、雷輝にはなぜか怒鳴られた。「え、なんで怒ってるの。ユウを助けられたのに」僕が困惑すると結紅がほんの少し唇を緩めて笑った…気がしたけど、一瞬だった。冷人と顔を見合わせると「とりあえず、」「うん、逃げようか。長居は無用だ」と話がまとまるというか、無理矢理まとめていった。まぁ、そのとおり、今はここから逃げないといけないときなんだけどさ。

 冷人の力で僕や雷輝、結紅、冷人自身の分身がこれでもかってくらいいっせいに出現した。そして、彼らが走り出したのと同時に、僕らも走り出した。冷人は過去の再現だけじゃなく、思うようにホロ映像的なものを作り出すことができるようだ。

 僕らは走る。熱気で揺れるコンクリートの道路を、狭い道を選んで、走る。分身の僕らと別れながら。

 彼らは言わば囮なんだろう。僕らが逃げるための時間稼ぎ。


「どこへ行く?」

「ユウがいる場所ならどこでも」

「そういうことじゃないの、ケイ。逃げ先って話」

「ああ、そうか。うん、どうしようか」

「…支部と本部のある場所は論外だな。山奥行くか」

「ああ、リーベを頼ろうか。あたしには関係ないって突っぱねてたけど、相当気にしてたよ、結紅のこと。無事助け出せたって分かったら安心するんじゃないかな」

「リーベ…元気?」

「まぁ、いつも通りかな」


 リーベっていうのが誰かは分からないけど、結紅やみんなと知り合いで、僕らを匿ってくれるだろう人みたいだ。

(頼ってもいい存在。こんなにたくさんいるじゃないか)

 結紅。きみには帰る場所はないのかもしれないけど。帰れなくたって、頼れる人がこんなにいるじゃないか。

 僕だって、ここにいるよ。きみのそばに、これからも。




 博多駅を横目に、僕らはちょうどやってきたバスに飛び乗った。

 みんなでぜぇはぁと肩で息をしながら、今日の暑さのせいで乗車率の悪いバスの一番後ろの座席にどさっと腰かける。というか、崩れ落ちる。多少涼しい車内でも汗が引かない。

 額を伝う汗を袖で拭って、初めてカーディガンが破けていることに気付いた。よく見たらジーパンもダメージ加工でもしたのかってくらいビリビリになっている部分がある。だいぶダメージ受けてるなぁと服を払って、結紅は大丈夫だろうかと顔を上げたらぱちっと目が合った。「ユウ、怪我はない?」尋ねた僕に彼女はこくりと頷いて、それから雷輝と冷人に視線を向ける。何かを確かめるように。

 冷人が結紅の視線に浅く頷いた。「彼は発現してしまった。ミセリアが見事開花…ただ、僕が思うに、パターンが僕らと違う」「そう、ね」結紅が何か言いたそうに視線を俯けたけど、雷輝の「ほとんど同じだ。追われる立場になったってことだろ」というぼやき声とバスのエンジン音に消されて、彼女の声は聞こえなかった。

 僕はぼんやりと、僕以外と言葉を交わす結紅を見ていた。

 それはそれで、別によかった。彼女がそこにいてくれるだけで僕は嬉しかったし、満ち足りていた。他には何もいらないって言えるくらいに。…こんなことを言ったら、馬鹿ねって、きみは笑うかもしれないけど。

 ……目的地の分からない旅。

 僕を真っ白にする旅。

 あとでコンビニで銀行のお金を全部リアルマネーにして手元に出したら、それでおしまい。僕の社会との接点は断たれる。

 わくわく、はしない。もうそんな子供でもない。自分が主人公だとは、思えない。

 僕はせいぜい悪役の、倒されるべき中間ボス、ぐらいの位置かな。

 だから、いつか誰かに倒されるのだとしても。それまでは僕は僕のために、結紅のために、戦うだろう。クレプスクルム…善良を謳うその会社と。

 すっと息を吸い込む。そして、深く吐き出す。

 くらり、と世界が揺れた気がして頭に手を添えた僕を、結紅が心配そうに眉尻を下げて覗き込んでくる。近い。嬉しいけど。


「無理しないで。急に力を使ったなら、消耗が相当激しいはずだから。移動の間は寝ていた方がいいかも」

「…じゃあ、そうしよう、かな」


 ここで結紅の膝枕を要求できるほど僕は図太くはなかったので、大人しく窓と座席にもたれかかって目を閉じた。

 僕の中に咲いたミセリアの花。

 薄い紫色の花弁を持つ花は、暗闇の中でじっと、こちらを見つめている…そんな気がした。


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