4.


 もし、自分が特別な力を使えるとしたら、何が欲しいだろう。どういう力を望むだろう。何が一番欲しいと思うだろう。

 博多に向かう電車の中で、僕はずっとそのことを考えていた。

 僕の中にもあるというミセリアの種。ある状況下で育つと不思議な力を発現させるというその種は、僕の中で、まだ育っているのだろうか。それとももう腐り落ちてしまっただろうか。

 これまでの人生ってものを振り返ってみても、そんなに『不幸だ』と強く思えるような大きなことはなかったような気がする。

 両親は厳しい人たちだけど健在で働いているし、友達は少ないけどいるにはいるし、お金はたくさんはないけど平均的な収入はある。今までとくに大きなトラブルに巻き込まれたこともない。病気はいくつかしたことがあるけど、ガンだとか、そういう大きなものじゃない。

 どの面を切り取っても平均かそれより下くらいの位置にいる僕は、特別に不幸なわけでもなく、幸福なわけでもない。

 あまり心を動かして生きてこなかった。それだけは、不幸と言えるのかもしれないけど。何か特別な力を宿すほどの不幸かと言われれば、たぶん、そんなことはないと思う、が答えになる。

 でも、冷人れいとはこんな僕に可能性を見ている。能力が発現するかもしれない、という可能性を。

 不幸になること、それが条件の、不思議な力。

 僕は、自分を不幸にして、何を望むだろうか。

 今までの人生。これからの人生。そして今現在の自分。

 結紅ゆうべに

 とりとめのないことを考えていたら電車は最終駅のホームに滑り込んでいた。博多駅。終点だ。

 博多駅に降り立ったのは随分と久しぶりだった。

 自動改札に切符を押し込んで駅構内に出て、田舎者の僕はつい辺りを見回してしまう。

 いろんなものが詰め込まれて増改築を繰り返した結果、行き慣れた人でないと分かりにくい構内のままだ。昔と変わってない…いや、昔よりなんだか色々増えて、分かりにくさが増してる気がする。かな。

 案内図を見ても、建物によって一階と二階が交錯してたりして、本当に分かりにくくなっている。これじゃまるで迷路だ。

 高校生とかそのくらいの頃に修学旅行的な何かで駅を経由した記憶があるけど、それきり、一緒に遠出して遊びに行くほど親しい友人もいない僕は、都会に来る用事もなく片田舎で日々を過ごしてきた。こういう場所には慣れない。忙しなく行き交う人とか、イマドキっぽい流行を先取ってる男女のグループとか、店への呼び込みの声とか、テレビのインタビューとか。慣れないものがいっぱいで目が回りそうだ。

 自動改札を抜けたところで足を止めていた冷人の前にスッと結紅が現れた。突然のことに驚く僕と、とくに驚くこともない雷輝らいき

 結紅はきょろきょろと人で混み合う構内を見回し、まずは電子案内板を見上げた。タッチパネル式の案内板を何度か指で叩いて何かを確かめたあと、改札を背にして歩き始める。


「ユウは何を確認したんだろう」

「目的の場所だろ」


 当たり前のように雷輝にぼそっと言われたので、ああそうか、と頷いておく。

 クレプスクルムというのは建前としては慈善事業を謳っている会社、になるんだと思う。中身はさておき、事業として成立しているなら。それならちゃんと会社としてどこかにオフィスを構えているはずだ。結紅はそこへ向かったのだと思う。

 僕は人混みの中を歩いていく結紅のジャージ姿を視界の隅に止めつつ、つい癖で左手の腕時計を探ってしまい、大人しく案内板のタッチパネルを叩いた。もう僕にインターフェイスはないのだった、ということをすぐ忘れてしまう。『クレプスクルム』と入力して検索をかける。すぐにヒットして、丁寧にクレプスクルムがどんな会社なのかという案内と一緒に地図が表示され、現在地が点滅し、目的地が赤い点で表示された。

 インターフェイスがあれば、目的地を告げればホログラムで矢印が表示されて、その矢印に従って歩いていれば着いていたろうけど。

 いざインターフェイスがなくなってみると、自分がどれだけあの小さくて便利なものに依存して生きていたのかがよく分かる。

 誰もがそばにあって当たり前のものとして使っている携帯情報端末。それが突然なくなって、きちんと生きていける人は、この場所にどのくらいいるだろう。

 結紅は一度見ただけできちんと目的地を把握している。迷路のような博多駅構内に戸惑ったように足を止めることは何度かあったけど、途方に暮れることもなく、何も頼らず、誰も頼らず、駅の東口から外に出た。

 駅から外に出ると、途端に夏の空気と直射日光が僕を攻撃してきた。すぐに肌が汗ばんでくる。


「…あれ? ユウは?」


 瞬きの刹那に結紅がいなくなっていた。ついさっきまでそこにいたはずのジャージ姿が見当たらない。

 きょろきょろと辺りを見回した僕に、冷人が額に手を当ててこめかみを解しつつ、「ちょっと休憩。人の往来の多い場所の情報を再現するのって、結構疲れるから」とぼやいて手短なベンチに腰かけた。直射日光がガンガン当たって暑いだろうベンチに他に人の姿はない。というか、外をあまり人が歩いてない。それだけ今日が暑いってことかもしれないけど。

 雷輝が汗で肌にくっつく銀髪を鬱陶しそうに払いのけつつ、異存はないようで、冷人が座るベンチの反対側に腰かけた。

 僕はちょっと考えて、「コンビニ行ってくる。ついでに飲み物買ってくるよ」と申し出た。リアルマネーがないとこの先厳しそうなのは分かったし、冷人に電車代を返さないといけないし、ATMでお金を出してこよう。

 そんな僕に冷人は苦笑いをこぼした。どうしてかは分からないけど。「じゃあアイスコーヒーを頼んでもいいかな。ミルクだけ入れてほしい」「分かった。雷輝は?」「あ? あー……メロンソーダ」ぼそっとした声に思わずえっと聞き返しそうになり、思い止まる。聞き返したりしたらまず間違いなく睨まれそうだ。「分かった、買ってくるよ」と残して、僕はすぐそこのコンビニへ、冷気とお金と飲み物を求めて入店した。

 自動ドアが開いた瞬間にひやりとした空気が肌に触れる。店内に入ればその空気が僕を迎えてくれる。それが少し、幸福だと思う。夏限定の幸せだけど。

 ATMでとりあえず一万円を手元に引き出し、考えて、無印良品の簡単な財布も買うことにした。リアルマネーを持ち歩くなら持っておかないと。

(アイスコーヒー…店頭で淹れるタイプの方がまだおいしいかな。メロンソーダ……は、ファンタでもいいかな。これしかないや)

 自分にはレッドブルを購入した。こう、気合いを入れたい気分だったから。エナジードリンクにそれだけの力があるのかは謎だけど。

 僕はこれから結紅を助けに行くんだ。

 具体的なことはまだよく分からないけど、とりあえず、僕の人生の中で一番重大な時間になることは間違いない。

 僕が飲み物を買って戻ると、冷人はもう立ち上がっていた。結紅が少し先の交差点で信号待ちをしている。休憩はもう終わりでいいらしい。

 二人に飲み物を渡し、電車代を払おうとしたら「いいよ」と手で制された。「いや、でも」「僕にそのお金を払うくらいなら、結紅が戻ってきたら、服の一つでも買ってあげてよ。彼女、無頓着すぎるから」冷人の苦笑いに、僕は空笑い。出会ったときのスリップドレスにサンダルにカーディガン、という格好を自然と思い出す。

 冷人がそう言うなら、僕は結紅のためにこのお金をとっておこう。

 熱気で揺れて見える空気の中、結紅が歩いていく。僕らは彼女のあとを各々飲み物を手についていく。目的地は公園横のクレプスクルム博多支部のオフィスビル。


「じゃ、作戦会議だけど」

「今かよ」

「うーん、色々考えはしたんだけどね。結局結紅がどうなったのかによって僕らの対応も変わるわけだから。捕まってしまったんなら救助が目的になるし、まだ仕掛けていないのだったら結紅を止めて連れ帰ることになるだけだし。

 まぁ、決めたら譲らない結紅だから、まだ何もしてないってことはないだろうね。昨日の深夜にはああしてあそこを歩いていたはずだ」


 結紅が、公園に入る。そうして立ち止まる。どこにでもあるビル群の中の小さな公園には誰の姿もなかった。これだけ暑いから、外で遊ぼうって子供もいないのだろう。とくに、ビルの間の公園は直射日光とビルの間を吹き抜ける熱風の集まる場所だから。

 ざわざわと絶え間なく吹く風が結紅の黒い髪を揺らしている。

 そして、彼女の姿はかき消えた。これで二度目だ。

 そこで僕は今更ながらに気付いた。

 結紅は力を抜き取られたと言っていた。冷人も雷輝もそう言っていた。でも、冷人の再現での結紅は力を使っている。この矛盾はなんだろうか。

 僕は冷人に顔を向けて「ユウ、力を使ってるけど。抜き取られたんじゃないの?」そう尋ねた僕を雷輝が睨んだ。もとが眉間に皺の寄った怖い顔なだけに迫力がある。

 冷人はいつもの笑顔を少しだけ曇らせた。


「結紅は……まだ力の使い方を憶えていたんだろうね。感覚として。だから、無理矢理実行しているんだと思う」

「無理矢理…?」


 その言葉は嫌な感じがした。

 僕の思考を肯定するようにざわざわと熱風が吹いて髪をなぶっていく。

 ないはずの力を無理矢理使う。結紅にとってプラスだとは考えにくい。無理をするっていうのはそういうことだ。

 冷人はさらにこう付け加えた。


「あと、僕の力だけど。半分くらい解析されてるだろうと思っていい。

 あのとき結紅が僕らを庇ったけど、彼女の力だけでは補えないと判断して、僕がカバーした部分もあったから」


 それを聞いた雷輝が冷人のワイシャツの胸ぐらを掴み上げた。身長が180センチあるだろう雷輝にそうされると冷人でも小さく見える。「ユウが捕まるって分かっててやったのか」低い声は静かな怒りを含んでいて、冷人より僕の方が慌てた。そういった感情の起伏による人の行動が、知人と、仕事の都合の顧客とでは、受け取る僕に明らかな差があるせいだ。

 冷人は冷静だ。怒っている雷輝をまっすぐに見て「あれが結紅の望みだった。僕らの誰かが捕まるくらいなら、自分が。彼女はそういう人だ」「だからってなァ」雷輝は苛立たしげに公園の砂の地面を踏みしめている。

 僕は何か言いたかったけど、言うべきことが見つからなかった。

 二人と結紅がどのくらい親しいのかも、結紅がクレプスクルムからみんなを庇ったというそのときのことも、僕は何も分からない。でもこのままの空気なのも、よくない気がする。これから結紅を助けに行こうっていうのに仲違いみたいなのは。でも、じゃあ、僕はどうすれば。

 そう、思ったときだった。


「ははぁ、わざわざそちらからおいでくださるとは、捜索と拷問の手間が省けて助かりました」


 その声に二人は素早く反応した。僕は一拍遅れて声のした方を見る。

 クレプスクルムのオフィスビルというのは入り口がとても変わっていて、四面全てに自動ドアがある。四方どこからでも出入りができるのだ。そのうちの一つ、公園面に一番近いガラスの扉が開いていた。

 ミルクティー色の髪を緩く一つまとめにした女の子が、パンツスーツ姿で立っている。

(というか今、なんて言った。捜索と。拷問?)

 スーツの女の子はパタパタと片手で自分のことを扇ぎながら、腕時計型のインターフェイスを起動させて画面をホロ表示させつつ、「昨夜確保したあの娘のお知り合いでしょう? そこの銀髪くんと優男くんは。そちらがどなたかは存じませんけど」そちら、というのは僕のことだろう。一般的に社会人をしているだけだった僕のことはまだ向こうに知られていないのだ。

 昨夜確保した娘。それは、結紅のことだろうか。

 雷輝が冷人のワイシャツを離してごきっと指の関節を鳴らした。

 冷人はくしゃっと皺の寄ったワイシャツを直しつつ、視線は女の子から外さない。

 僕はといえば、こういう一触即発、みたいな空気に慣れなさすぎて、ビルの間を吹き抜けてくる熱風に晒されながら冷や汗をかいている。

 冷人と雷輝は彼らの中にある能力というやつを使って何かしらできるかもしれない。でも僕は今のところただの一般人で、不思議な力の欠片も日常生活で感じたことはない。

 …たぶん、どこかで諦めていたんだと思う。そうやってずっと生きてきたから。

 何事にも諦めて、高望みなことはせず、だからあまり傷つくこともない、そういう無難な生き方を、僕はずっと。

 そうしてしか、もう生きていけないんだと。それが一番賢い生き方なんだと自分に言い聞かせながら、僕は。

(僕は)

 さらり、と見覚えのある黒い髪が揺れた。

 スーツ姿の女の子のインターフェイスから大きく映し出されたのは、ホログラムの結紅だった。冷人が再現した結紅ではない。今現状の、僕と同じ時間の中を生きている結紅は、どこかの部屋に監禁されていた。椅子に座って、目隠し、猿轡、手錠、足枷。こんなに拘束する必要があるのかってくらい縛られて身動きができない状態にある。

 スーツ姿の女の子は当たり前の顔をして言う。


「あんまりにもだんまりなので、拷問するかお薬使うかで嫌でも喋ってもらおうと思ってたところです。なので、あなた達がここに来てくれたのはその手間がちょっと省けたってことになり、私は嬉しいわけです」


 …にっこり、笑顔で、この人は何を言っているんだろうか。

 結紅が何をしたっていうんだ。彼女は何も悪いことなんてしてないじゃないか。

 雷輝が指先が白くなるほど拳を握りしめている。いつもいい笑顔を浮かべている冷人には表情がない。二人はそれだけ怒っているんだ。

 僕も、怒って当然だと思う。

 勝手にミセリアの種とかいう能力の発現の源を植え付けて、それの発現のために勝手に不幸な環境に落とし込んで、能力が開花したらそれを回収して、その人間は用済み? そんなのってあるのか? ありえていいのか? そんな現実が。

 きつく歯を食いしばって自分の感情の荒波に耐えている僕に気付いたのだろうか。スーツ姿の女の子はにっこりとびきりの笑顔でこう付け加えた。


「まぁ、用済みのゴミ屑がどうなろうが、私達の知ったことじゃありませんし」


 …その言葉に、僕の中の何かが爆発したように感じた。感情かもしれないし、思考かもしれない。目に見えない何かは確かに爆発して、僕の中を衝撃波が走っていった。

 そうして、自分の中の何かのスイッチが入る音を、僕は確かに聞いた。


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