4.


 部屋に踏み込んだ彼女の一声は、僕の想像どおりのものだった。


「汚い」

「だから言っただろ…」


 すっかり生ぬるくなった炭酸飲料を冷蔵庫に放り込んで、散らかっている洗濯物を適当に拾い集めて人が通れるだけの道を作った。

 ゴミ袋が放置してある箇所を避けながら、パーカーの袖で口元を覆った女の子がそろそろとした足取りで僕の作った道を進んでくる。「もうちょっときれいかと思ってた」「片付けとか苦手なんだよ…汚くても生活はできるし」ベッドの上に脱いだままのパンツが転がっていたので高速で掴んでズボンのポケットに突っ込んだ。さすがにパンツくらいは洗濯機に片付けようと心に誓う。

 空になったコンビニ弁当、空のペットボトル飲料、空の菓子袋。空になったものばかり転がっている部屋に彼女は顔を顰めていたけど、諦めたのか、呆れたのか、「シャワー浴びたい」と言い出した。

 ピッ、とエアコンのスイッチを押しつつ、振り返る。暑いんだろう、女の子はパーカーを脱いでスリップドレス一枚だ。汗で白い生地が肌に貼りついている。しまった、見るんじゃなかった。


「あー、えっと、着替えが」


 いまさら視線を逸らして、適当に部屋を片付けるフリをしつつぼそぼそと返す。背中側からは女の子の声。「何か探してて。着てない服くらいあるでしょ」「そりゃあ、あるけど。でもさすがに女の子の下着はないよ」ぼそぼそそう口にした僕に、女の子の声はこう言った。


「ズボンなら、パンツがなくてもいいでしょ?」


 …それは暴論だ。強く抗議したい。

 僕はそんなことしないけど、誰かに襲われたって文句言えないぞ。

 使ってないバスタオルを見つけて、とりあえずそれを手渡す。「お風呂、あっちだから」なるべくスリップドレスを視界に入れないようにしつつ、お風呂場の扉を指す。「着替えは?」「探して外に置いとくよ。だから入ってきて」納得したのか、女の子はタオルを手にさっさとお風呂場へ。

(これが僕でなかったらどうなる? もしこれが頭が金色で改造したインターフェイス使ってるような奴だったら、きみは間違いなく取り返しのつかないことになってる)

 ソファの上を陣取っているたたんでいない洗濯物を適当にたたんで三段ボックスに突っ込みつつ、目にされちゃマズいものはないか、と部屋を見回す。それから女の子でも着れそうな着替えも探す。

 そのうちシャワーの水音が聞こえてきて、無駄に落ち着かなくなってきた。

 23歳、社会人、現在恋人なし。そんな僕に落ち着けという方が無理だ。

 まず、深呼吸を一つ。

 携帯情報端末を取り外して、一年通して活躍中のこたつ机の上に置き、インターフェイスを起動させ、海辺でやったのと同じことをする。音楽番組を選択、ホロ映像を表示させて、音は大きめに。これで少しは気が紛れる。

 なんとか女の子でも着れそうなTシャツとジャージの半ズボンを発見して、お風呂場の扉の前に置いておく。水音は聞かないように、扉の方も見ないようにしてそそくさと部屋に戻る。

 今晩彼女がここに泊まっていくであろうと見越して、ベッドの上のものを片付け、ソファでくつろぐだろうことを想定してゴミ袋にどんどんゴミを突っ込んでいく。

 ゴミ袋をさらに二つ生産する頃に、なんだ、僕だって片付けくらいやればできるんじゃないか、と思う程度には、さっきよりマシな部屋が誕生していた。

 うん。普段から片付けていればここまでにはなるまい。

 でも、疲れた。片付けとか掃除って疲れる…。

 ちらり、とお風呂場の方を窺って、まだ水音がすることを確かめてからソファに転がった。ちょっとだけ休憩しよう。

 ちょっとだけ。



 ちょっとだけ、と思って目を閉じて、僕はどうやら意識を飛ばしたらしい。

 一瞬で寝れるのは僕の数少ない特技の一つだけど、まさかこんなところで意識を飛ばして寝るとは思ってもみなかった。

 はっとして目を開けると、もう無理です、とブレているホロ映像がぼやけて見えた。電池がもうないのだ。

 直後、僕が目を覚ましたことを見越したように映像が消失し、音も途切れる。

 慌てて起き上がると、ベッドには女の子が腰かけていた。僕が扉の外に用意した着替えを着ている。少し大きいTシャツに、少し大きい半ズボンのジャージ姿。

 この間買ったゲーム情報誌をパラパラと暇そうにめくっていたけど、僕が起きたことに気付くとぱたんと雑誌を閉じた。


「遅れたけど、自己紹介。わたし、結紅ゆうべに。ユウって呼んで」

「僕は、圭紫けいし

「そう。よろしくケイ」


 結紅は名前しか名乗らなかったので、僕もそうした。彼女はそのことを指摘しなかった。だから、それでよかったんだと思う。

 結紅はきょろきょろと部屋を見回して「ねぇ、ドライヤーは?」と尋ねてくる。ドライヤー。「ああ、えっと…」こたつ机の下に転がっていたものを引っぱり出す。「櫛は?」「あー」洗面所の方まで行って棚をゴソゴソしていると、ブオー、とドライヤーのうるさい音が聞こえてきた。いつかに仕事でホテル泊したときに拝借してきた新品を持って戻る。アメニティ用品だけど取っておいてよかった。

 結紅が髪を乾かしている間に僕もさっとシャワーを浴びた。夜の散歩とはいえやはり汗はかくものだ。寝るときくらいさっぱりと気持よく眠りたい。

 つい癖でパンツ一枚で部屋に向かうところを思い留まり、しっかりとジャージとTシャツを着て、冷房の効いている部屋へ。

 ドライヤーの音はもうなく、結紅はベッドに潜っていた。しかも寝息を立てている。

 そうだろうとは思ってたけどやっぱり泊まっていくらしい。

 ……なんだかなぁ。見知らぬ男の部屋に上がり込んで、シャワー浴びて、あまつベッドで寝るってどうなんだ。最近の男女間の交流ってこれで普通なのか? いや、そんなことないと思うけど。結紅が普通じゃないんだと思うけど。

 インターフェイスを投げ捨てた子なんだ。いろいろ、普通じゃないのかもしれない。

 別に、僕はそれでもいいんだけど。


「ユウ?」


 初めて声に出して彼女のことを呼んでみた。

 結紅は眠っているようで、返事はなかったけど。

 今何時だ、とインターフェイスを手に取って、まず充電器に繋いだ。少ししてホログラム表示で『起動』の文字が浮かび上がり、時刻を表示する。22時をすぎている。もう一時間で寝ないと、明日は仕事がある。月曜は仕事始まりで体力と気力を使う。寝れるなら、もう寝てもいい。結紅も寝てしまったし。

 当然、僕が寝るのは彼女がいない場所、ソファになるわけだけど。

 いつでもどこでも眠れるのが僕の特技だ。ソファでだって眠れるだろう。

 同じ部屋に女の子がいるというだけで心は落ち着かなかったけど、それでもストンと眠れるのだから、僕の神経も図太いものだ。



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