3.

 

 よっぽどお腹が減っていたのか、なんでも持ってきていいと言った僕に女の子は午後ティーのミルクとおにぎりを二つ持ってきた。それからレジで肉まん(期間限定の高いやつ)も追加した。さらにレジ横に置いてあるどら焼きに手を伸ばしかけて、引っ込めた。

 僕は喉が渇いたくらいだったので炭酸飲料ですませることにする。

 幸いコンビニに辿り着くまでに大きな怪我もしなかったので、夏だからこそ置いてあるんだろう安物のビーチサンダルで、僕の足元の安全も確保される。

 夏のコンビニは快適だ。夜とはいえ夏はやっぱり暑い。日本はとくに蒸し暑い。ただ立っているだけでもじわりと肌が汗ばむ空気からコンビニの冷気の中へ足を踏み入れる瞬間は心地いい。ただし、出るときは真逆の気分を味わうことになるけれど。

 コンビニのレジ袋をぶら下げ、いざ、夏の夜の空気の中へ。

 暑さに怯んだ僕に対し、彼女は肉まんをはふはふしながらさっさと外へと歩いていく。どこへ行くのか分からないけど、とりあえず斜め後ろ辺りをついていくことにする。

 しゅっ、と耳に心地よい音を響かせつつペットボトルのキャップを捻り開けて中身を呷った。

 この喉越し。夏だからおいしい飲み物だ。じりじりとした暑さは変わらないけど、気分は少し持ち直した。

 左腕の腕時計型携帯情報端末で時刻で確認する。20時……もうそんな時間か。本来なら飯風呂をすませて一人だらだらとゲームをしている時間帯だ。


「どこ行くの」


 とりあえず、僕のパーカーを着た背中に声をかけてみる。彼女は午後ティーはごくごく呷ったあとにこっちを振り返った。街頭に照らされた横顔は、さっきより生気というか元気というかが戻ったような気がする。


「あなた、おうちは?」

「はい?」

「おうち。近くなんでしょ。サンダルで歩きで来るくらいなんだから」

「いや、まぁ、歩いて少し行ったところだけど……」

「じゃあそこで」


 いや。いや、待とう。待とう。それはあまりに警戒心がないというか、そんなに信頼されても僕も困るというか。僕は別に悪い奴とかじゃないし、そんな友達もいないしそんな気もないけど、でも一応男なんです。これでも男なんです。スリップドレスにパーカーの女の子が我が家に来るなんて、前代未聞なわけです。

 女の子がじとりと目を細くする。「なぁに、ここまでしておいておうちには案内しないの?」「いや…いや、汚いし。ゴミとか。女の子上げられるような状態じゃない、し」これは事実だ。金曜のゴミ日をスルーした結果ゴミが溜まっている。

 ぴた、と歩みを止めた彼女は、僕の方を振り返ると少し眉尻をつり上げて、サンダルをざりざりいわせながら距離を詰めてきた。僕の目の前まで来て下から睨み上げてくるので、ちょっと背を仰け反らせて顔を離す。

 いや、近い。色々気を遣ってほしい。

 まずは着ているパーカーのチャックを上までしっかり閉めてほしいところ。


「それとも、何? こんな下着一枚のわたしを外に放り出したまま、自分はぐっすりベッドで寝るっていうの?」

「えーと…」


 すっかり彼女の剣幕に押され気味な僕は、じりじりと後退った。当然彼女は離れた距離をすぐ詰める。よっぽどお腹が空いてるのかおにぎりを食べながら。

 僕の中で様々な気持ちがせめぎ合う。彼女はそれに気付いているだろうか。

 ………恋人って存在が、いなかったわけじゃない。いたことはある。だから、女の子と二人という距離感が分からないわけじゃない。

 でも、遠い昔のことのように感じる。

 学生のときの女の子って存在と、社会人になってからの女の子って存在は、やっぱり少しだけ違うものになった。女の子がやわらかい生き物だという認識は変わらないけど、求めるものは、学生の頃と少し違う。その少しの差が僕を戸惑わせる。

 変わったのは僕か、女の子という生き物か。


「きみ、家は? 帰らないの?」


 逃げ道として言ってみた言葉に、彼女は眉間に皺を寄せた。おにぎりをもぐもぐしつつ、そんな場所はない、と言葉なしで目だけで語ってみせる。

 僕は困り果てた。

 でも、いまさら放り出す気がないことも確かだった。

 入水自殺を止めておいて、ここで放り出すなら、最初から助けるなという話だ。

 僕は自分に問いかけた。大丈夫か? と。僕の中と理性と良心という天使は曖昧に頷く。

 よし、大丈夫だ。僕は我慢強いんだ。女の子を一晩家に泊めるくらい、なんともないさ。


「ほんと、汚いよ。覚悟してよ」

「…男の一人暮らしなんてそんなものなんでしょう? いいから案内して。いい加減汗でべたべたなの。シャワー浴びたい」


 僕に対しての配慮のない言葉に頭がクラリとしかけたけど、なんとか堪えて、まずは我が家を目指すことにする。我が家というか、アパートの我が一室、か。

 もう冷たさのなくなってきた炭酸飲料を呷って喉に流し込む。そのシュワッとした感覚だけがいつもどおりで、目の前にはまだ名前も知らない女の子が二つめのおにぎりを頬張っている。

 これはちゃんと現実なのか、と炭酸を喉に流し込む。シュワシュワと喉に刺激を感じる。

 残念ながら、これはちゃんと現実のようだ。



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