2.


 僕はイマドキの若者らしく、世の流れに従って学力に無理のないレベルの高校を受験し、卒業。大学も同じように受験し、卒業した、特徴のない若者の一人だ。

 就職に有利だろういくつかの資格試験に合格はしたけど、それだってただの資格証明書であって、それ以上に役に立った経験は今のところない。

 将来の夢なんてキラキラしたものは持ってないし、大した趣味もない。休みの日はせいぜいゲームをぽちぽちと部屋でプレイしているくらいだ。

 その日の食べるもの以外はすべてネット経由で買い物をしてしまうため、何かのために外出する、ということもめっきり減った、そんなありふれた引きこもりがちな社会人。

 そんな社会人がぶらりと散歩に出かけて一人の女の子と出会う。しかも入水自殺しようとしている場面に遭遇しての出会いなんて、まるで物語みたいで、なんだかおかしいな。いや、笑う要素はどこにもないはずなんだけど。


「…こんばんわ?」

「あ、はい。こんばんわ」


 彼女の第一声が挨拶だったので、つい挨拶を返してから、僕は慌ててパーカーを脱いだ。「ほら着て。っていうか着てくださいお願いします」「? どうして?」「どうしても」自分が着ていたパーカーを差し出して頭を下げるなんて、おかしな人だって? だってしょうがないじゃないか。彼女は今スリップドレス一枚なんだから。

 スリップドレスにも色々タイプがあるのかもしれないけど、彼女が着てるのは白色で、夏だから薄いし、肩は露出してるし……夜だから透けて見えないことが救いだけど。だけどやっぱり男として落ち着かないものがあるのでせめて何か羽織ってほしいわけです。

 そんな男の事情を察してか、仕方なさそうな手つきでパーカーを取り上げ、肩に引っかける女の子。残念ながら袖を通してはくれなかった。

 まあ、そうだよな。どこの誰かも知らない男の服をいきなり着るのは抵抗あるか…。

 とりあえず撫で肩が見えなくなったので、僕は視線を微妙に海に逃がしつつ、視界の端に女の子を留める感じで落ち着いた。

 途端に会話がなくなった。

 隣の彼女は膝を抱えて海を眺めている。動く気配は全くない。

 夜になれば人の寄りつかない小さな海岸に電灯はなく、少し遠くの方で電光掲示板のホログラムが時刻と標識を交互に表示している。その明かりもここまでは届かないので、僕は仕方なく、電池の消費を覚悟で自分のインターフェイスを起動させた。こういうとき何を流すのが適当なのか分からず、無難そうな音楽チャンネルを設定して、光源としてホログラム映像を表示させて番組を垂れ流すことにする。

 引いては寄せる波の音に、インターフェイスからはざらざらとノイズ混じりの音楽が流れている。シングルランキング一位の曲。当然ながら、全然知らないし分からない。仕事は車通勤だから、電車で流行りの曲を聞くってこともないし。車では眠気覚ましのうるさい曲しか聞かないしな。

 隣の彼女は黙ったままだった。

 時折吹く夏の生ぬるい風が、彼女の長い髪を揺らした。イマドキ黒い。たいていの子は地毛の地味さを嫌って染めるものなんだけど。

 海からのベタつく潮風がからだにまとわりついて気持ち悪かったけど、僕はあぐらをかいた姿勢からあまり動かないようにして、波の音と音楽を聞く。

(ああ、明日仕事なんだけどな。何してんだろうな僕は)

 でも、しょうがないよな。放っておけないって思ったんだからさ。


「知ってる?」


 ザーン、と寄せる波の音に被った声。

 額を伝った汗を指で払いのけつつ「何を?」と尋ねる。彼女は膝を抱えたまま、こちらを見ていた。ホログラムの映像に照らされた顔は、顔面偏差値が平均的な僕と同じ、平均的な顔の女の子だった。もう泣いてはいないけど、目は充血している。


「それ」

「これ? インターフェイス?」

「そう。それ、便利でしょ」

「うん。ないと困るね」

「それって、生まれたときに持たされて、あなたはまだ新調してない人でしょ」

「お金なくって…」

「それでいいよ。新調しない方がいい。全部抜き取られる」

「…? どういう意味?」


 首を捻った僕に、彼女は口を閉じた。そっぽを向いてしまったので表情は暗闇の中に紛れて分からなくなってしまう。

 僕だってお金があったらコイツを新調したいと思ってた。いい加減ホログラム機能も衰えてきてるし。

 というか、誰もが当たり前として古くなったものは新しくしようって考えるだろうけど…それが『全部抜き取られる』っていうのはどういう意味だろうか。

 あれこれ考えていると、ぐー、と音が鳴った。波の音でも音楽番組の音でもない。

 ちらり、と横を窺うと、お腹を押さえて俯いているのが見える。


「…お腹減った?」

「うん」

「コンビニ、行く?」

「…お金ない」

「僕が払うよ」

「サンダルもない」

「あー、うーん…じゃあ僕の貸すよ。ほら」


 彼女が裸足で歩いて怪我をするより、僕が裸足で歩いて怪我をした方が、まだいい。

 のそり、と顔を上げた彼女が僕が脱いだサンダルに足を突っ込んだ。肩に引っかけているだけだと邪魔だと思ったのか、やっとパーカーの袖に腕を突っ込んでちゃんと着てくれた。

 そうして、僕は女の子の自殺をとりあえず食い止めることに成功し、彼女の空腹を満たすため、コンビニへ向かうのだった。





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