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TがAさんの部屋を覗き始めて三ヶ月ほどが過ぎた頃、最初はちらりと見るだけだったTも大胆になってきてね、カアテンの隙間からじっと覗くようになってしまっていたんだ。その頃になるともう慣れたもので、夜には自分の部屋の電灯を消して、辺りの家々に怪しまれぬようにしていたんだ。
そうして毎日覗いているとね、色んなことが分かるんだよ。例えば彼女の起床時刻——TはAさんの部屋を徹夜で覗いたこともあるんだ——、家を出る時間、帰宅時間、それから入浴時間などなど……。基本的に人間は同じサイクルで生活しているからね、その全てのことが、たった窓一つから良く見えるんだよ。またそういうことが見えるということがT自身も嬉しかったんだ。何しろ憧れのAさんだからね。
あ、君は『TはAさんのことをそんなに知らないのに、どうして好きになれるのか?』と思うかもしれないね。その意見は一部は正しいが、一部は間違っているんだ。TはAさんのことをよく知らないからこそ、こんなに好きになれたんだよ。人は気になる相手がいると、よく知らなければ知らないほど、自分の中で都合の良いように相手の内面を作り上げてしまうのさ。だから、あれほどまでの正義漢だったTも、あっという間にこの『覗き』の虜になってしまったんだね。
話が逸れてしまったが、ここからが重要な所なんだ。その日もTはAさんの部屋を覗いていたんだが、いつもより彼女の帰りが遅くてね。少し心配していたんだ。そうするとね、午後十一時を過ぎた頃になってやっと彼女が帰ってきた。でもこの日の彼女は一人じゃなかったんだよ。男と一緒に帰ってきてね。二人でワインなんか飲み始めたんだ。これはTにとっては大変衝撃的だったろうね。彼は勝手にAさんの恋人気取り——だからこそ、勝手に彼女のことを心配したりしていたんだね——にまでなっていたからね。だから彼女に恋人がいるというのはどうにも許せない。彼はその男のことを心の底から憎いと思ったんだよ。
この頃の彼はもう半分ほど狂っていてね。ほとんど常人じゃなかったんだ。独りで部屋にいてもぶつぶつと独り言——それももちろんAさんに向かって話しかけているんだがね——を繰り返すし、天気が悪く窓が曇っている日なんかは、窓硝子に『好きです』と書いてAさんに伝えようともしていたんだ。だからその男が繰り返しAさんの部屋を訪ねてくるようになると、冗談ではなく本当に殺意まで覚えたんだよ。『彼を殺してしまう前に、早く手紙を書いてAさんに自分のことを伝えなければ……』と、本気でそんなことを考えていたんだ。
このころの彼がまた少しでもAさんの気持ちを慮ることが出来たなら、事態はそれほど酷くはならなかったかもしれない。でもTは既に自己中心的になりすぎていて、Aさんの心まで考える余裕はなかったんだよ。彼は学校も仕事も行かず、朝から晩までずっと窓にしがみついていたんだ。
これがどれほど恐ろしいことか分かるだろう? もし君が同じように誰かに視られているとしたらどうだい? ぞっとするだろう。彼はもう半年以上もAさんのことを見つめて——監視していたと言っても良いかもしれないが——いたんだ。
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