3章 柄

 意識が覚醒したとき、れんげは山の中にいた。

(――また?)

 今まで人の云う『夢』など見たこともなかったのに、ここ一週間で二度目に遭遇するとは――

 そう思い、周囲に注意を払う。

 ――以前よりはややはっきりと、認識できた。

 山といっても奥深くではなく、建物のすぐ近くにいる。

(――お寺?)

 全体が見えていたわけではないが、何となくそう悟った。

 知覚できる自分の体はやはり腰鉈で、数日前より損傷がかなりひどくなっていた。

 刃こぼれや刀身の傷、柄の使用感、そういった『傷み』である。手荒く使われていたのではない。

 むしろ逆だ。

 大事にされていたからこそ、百年を超える長い時に渡って使用に耐えていた。

 れんげ――腰鉈は、何かの木箱に入れられていた。その他の道具も一緒にあるようだ。

 不意に、捨てられるのだとった。

 何故か解る、という夢独特の感覚にれんげは戸惑う。

 人の話す声が聞こえる。男だ。

『この鉈も?』

『こうなってしまってはもう仕方ないだろう。我雀師ももう亡くなられて久しい』

(――――えっ!)

『そうだな。恩で贈られたものとはいえ、こうまでなっては飾りにもならん』

 れんげも入れられている箱が抱え上げられた。

『今までよく働いてくれたがな――

 修すことも適わぬものばかりだ。仕方なかろう。

 ――捨ててくる』

『ああ』


 ――捨てられたのは、浅く広めに掘られた穴だった。

 壊れた道具などと一緒にガラガラと放り込まれていた。

 ごみ捨て用の場所なのだろう。近くの民家のものも捨てられているようだ。

 無造作に放ったのち、男は去った。

 あとに人の気配はない。

(こんな――もっと、人の役に立ちたかったのに)

 れんげはそれを思い出していた。


 どれほどかの時間が過ぎたとき、何かの声がした。

 壊れた道具がカタカタと鳴っている。

『長年、家具や道具として一所懸命に奉仕して、その末路がこれか』

『恩賞もなく、ただ土に還れというのか』

『なんと恨めしいことではないか』

 ひとつが言葉を発し、それに応じるかのように他のものが声を上げた。

『今までの奉公は何だったのだ』

『仕返しをしてやりたい』

『この怨念、晴らさずにはおれぬ』

(――恨み? そんなものは)

 れんげにその感情は薄かった。

 それより、そうやって人に何事か為す事ができるのなら、仕返しではなく恩を返したかった。

 これまで大切に使われていた礼をしたかった。

 ――物知りらしい、割れた鏡が言った。

『そもそも万物は陰陽いんように従って各々の姿になっているのだ。それを司る造化の神に、陰陽の入れ替わる節分の時にその姿を捨てて願えば、妖物に造り替えてくれよう』

 その言葉に他の道具たちは色めき立った。

『それは妙案だ』

『では節分を待とう』

『鉈よ、お主もどうだ』

 その中のひとつが、れんげを呼んだ。

(私は――)

 恩返しができるのなら、その造化の神の手にかかってでもしたいが――。

『仕返しなどするものではありません』

 そう言っていた。

『――ふン、寺に染まり刃物武具の矜持もないかッ』

 荒い声。

『まあよい。

 次の節分まで考えておけ』



 そこで目が覚めた。

 見慣れた天井が視界に入る。

 布団から出して見た手も、いつものものだ。

 体にもおかしな所はない。十代半ばに見える、お下げ髪をほどいた華奢な少女の体躯だ。

「――これは一体……」

 声も勿論、いつものもの。

 目が冴えてしまっていた。起き出して時計を見ると、まだ深夜だった。

 守弘とI県まで行った翌日――日曜だ。

 明日は普通に授業がある。

 見ていたのは、遙か過去の事だった。

 前回の夢の時より、鮮明に残っている。

 ――あの後にれんげはこの、少女の姿になり、瑞に従わされる事となった。

 この姫木に住まい、店を開き、学校にまで通うようになったのはまだ一年足らずのことだ。それまでは各地を転々と旅して廻り、その途中で茂林と知り合った。

 ――れんげは、机の上に置かれたままの鞘を見た。

「刀本体が今どこでどうしているのか、気になるけど……」

 寝間着のまま自室を出て階下へ行く。

 居間で炬燵に入ったまま、メルが横になっていた。

 テレビも点けっぱなしで、しかし放送終了していてただ砂嵐のようなノイズがざあざあと流れている。

 れんげは苦笑をこぼし、炬燵とテレビの電源を切った。妖怪の身で体調を崩す、ということは考えにくいが人の暮らしとしては良くない。

 それから廊下を挟んで反対側、ガラスの引き戸を開けて店内に降りてみる。

 低い室温がれんげを包んだ。

 れんげは薄明かりを点け、店の出入口まで素足のまま歩いていった。ひんやりとした木の感触がどこか心地いい。

 戸締まりを確認して、れんげは――その鍵を解いた。

 からからと乾いた音も極力小さくして、その戸を開ける。

 外に出るとより冷えて乾いた空気がぴん、と張っている。

 街頭はまだ点き、信号が点滅している。生活音はかなり少ないが街の匂いは強い。

 れんげは深呼吸して天を仰いだ。

 星月の瞬く満点の空が広がっている。

「――無事に刀が刀として見つかれば……この靄のかかったような気分も多少は晴れるのかな……」

 答えるものはない。

 小さく肩をすくめ、溜め息をこぼしてかられんげは家の中に戻り、施錠した。

 居間へ行って起きる様子のないメルを炬燵から引っ張り出し、抱きかかえて二階の、メルにあてがった部屋へ運ぶ。

 明かりを点けると四畳半ほどの部屋が露わになる。

 メルの部屋は住み始めてまだ日が浅いために物は少ない。クローゼットと、ほとんど空の小さな本棚程度。本棚の上には一輪挿しが綺麗に磨かれ、どこで摘んできたのかツワブキが挿されている。

 花は緑の、円筒状の蕾を今にも咲かせそうなくらいに脹らませている。

「――ん……あたしの…………ケー……キぃ」

 一旦下ろすと、メルが身をよじった。れんげは起きたのかと見下ろすが、メルはまだ寝息を立てている。

「メル……あなたも、夢を見ているの――?」

 返事はない。

 れんげは布団を敷いて、そこにメルを寝かせた。

「今度、夢のことでも聞いてみようかな――」

 そう呟いて、れんげはメルの部屋の電気を消した。


□■□■□■


「翠穂さんは――」

「ん?」

 月曜の放課後。

 れんげと翠穂は一緒に下校していた。

 翠穂の方が十センチ弱身長がある。守弘に対して程ではないが、やはりれんげはやや見上げる目線になる。

「翠穂さんは――夢とか見るのですか?」

「うん。色々ね」

 翠穂は「寒くなってきた――もう十二月だね」とスクールコートの前を合わせる。

 それでもやはり、胸は目立つ。

 制服のスカート丈が短いからか、翠穂は濃いめのタイツを穿いていた。

 寒がりなのかな、とふとれんげは思う。れんげは制服の上に羽織ったコートと、膝上のいわゆるオーバーニーソックス。暑さ寒さにあまり敏感ではない。

 翠穂が尋ね返してきた。

「どうして?」

「あまり――見ないものですから」

「ふぅん。最近は何か見た?」

「!? そうですね……。

 何か、ケーキを食べていたような……」

 れんげは昨夜のメルの寝言を拝借した。

 ぷっ、と翠穂が吹き出した。

「れんげも?

 あたしもこの前、ケーキの夢だった」

 翠穂は軽く笑う。

「どこかのケーキバイキングみたいなのでさ、数えられないくらいの種類がずらっ、て並んでるの。最初イチゴのショート食べて、それからムースにいって、タルト食べて……」

 と、指折って数えていく。

「でも、どれもレモンの味がするの。チョコ食べても、コーヒーシフォンぽいのも、チーズケーキも。

 しかも飲み物がレモンスカッシュかレモンティーかホットレモンか蜂蜜レモンで、これでもか、ってぐらい。

 レモンフェスティバルか! て思ったトコロで目が覚めちゃった」

 れんげもつい、笑みをこぼす。

「おっかしいでしょぉ?」

 二人は駅前に向かっていた。

 翠穂が買い物に誘い、れんげが応じた格好だ。

「あとはね、魚屋で買い物してるの。

 なのに普通の魚はいなくて、マンボウとかエイとか深海魚とか、ヘンなのばっかり置いてあって――――ん?」

 れんげが、翠穂を制した。

「どうしたの?

 ――ん? 誰?」

 二人の前方――まだ百メートル以上先に、女がいた。

 間に他に人はおらず、女はまっすぐ二人を見ている。

 ちょうど駅に向かうには曲がり角になっていて、二人の進行方向とは違う、住宅地にさしかかるあたりに女は立っていた。

 女は和装だった。肩から胸元まで三角に大きく開いた白地の着物で、遠目にもメリハリのあるボディラインがうかがえる。

 鈍い銀色の、長い髪が初冬の風に揺れている。

「モデルかなぁ。それにしても凄い露出――寒くないのかなぁ」

 のんびりと、翠穂がそんな感想をもらした。

 が、れんげは悪い予感が的中していたことを想像して表情を険しくする。

「翠穂さん――すみません。

 お買い物はまた後日でいいですか? ちょっと野暮用が……」

「そうなの?

 あのお姉さん、れんげの知り合い?」

 鋭いな、とれんげは思い誤魔化さずに言う。

「ええ。

 ――すみません」

 翠穂は少し考えるように首をかしげ、数秒間をおいてから微笑んだ。

「ふぅん……ま、いっか。

 明日教えてね」

「本当にすみません」

「謝らなくていいって。じゃね」

 翠穂は笑顔のまま手を振って、律儀に向こうの女にも会釈してかられんげと別れた。

 翠穂が見えなくなるまで見送ってから、れんげは女に向き直った。

 女はれんげを睨み、待っていた。

 れんげから、ゆっくり慎重に近寄る。

 鞄の中から独鈷杵どっこしょ――一対の剣先を背中合わせに握りを挟んで繋ぎ合わせたような形状の法具を出していた。

 れんげは鞘にも覚えた、どこか懐かしいようなものを女からも感じるのと同時に、危機感で緊張する体を自覚する。

「あなた――」

「おェ」

 れんげと女、同時に口を開いていた。

 まだ、数メートルの間がある。

 近付くと、女の鎖骨の間から豊かな胸の谷間に向かって刺青のような模様が伸びているのが見えた。

 模様は真っ直ぐな剣に巻き付く龍。

 それを見てれんげは直感的に確信した。

倶利伽藍くりから――揚羽あげは

「なんでウチの名を知ってるんじゃ」

 否定せず、不機嫌そうに女は言った。

「それに、お前ェは何者じゃ。

 不思議な気ィ漂わせよって」

 女の言葉は訛っていた。茂林の関西弁ともどこか違う。

 女は長身だった。翠穂よりも背が高い。

 右手で髪を掻き上げて、女はれんげに棘の残る色の声を発する。

「ウチの名を知っとるということぁ、他も解るな?

 柄と鞘はどこじゃ、言えッ」

「言えませんっ」

 れんげはそう即答してしまった。

 知らない、ではなく言えない、と。

 れんげはまっすぐに女を見上げる。

「――鐔を取ったのはあなたですね。

 取り戻して、、、、、どうするのですか」

「知れたこと。

 ウチを捨てた人に復讐するんじゃ」

 女は言い放った。取り戻す、ということを否定しないのが答えだった。

 怒ったような口調は変わらない。

 女の髪が感情に呼応するようにぶわっと浮き広がった。

 れんげのお下げが揺れる。

「復讐など――おやめなさいっ」

「お前ェ――邪魔をするかッ」

 女は数歩でれんげに接近する。

 胸を揺らし、髪はそれ自体別の生き物のように左右に分かれてぴしっ、と伸び、外から横薙ぎにれんげに襲いかかった。

「っ!」

 飛び退いたれんげの制服の、コートの襟がぱっくりと斬れていた。

(やはり、刀本体……)

 れんげは独鈷杵を体の前で構えた。

 女の髪は再び、風もないのに左右に分かれて広がっている。

「変化するほど長い間使われ続けたことに恩はないのですかっ」

「恩――恩じゃと?」

 女が嘲笑を浮かべた。

「そねェな事、思ったこともねェッ」

 女の髪の右側――れんげから見て左側がしゅっ、と動く。

 とっさに左腕を挙げる。

「――っ!!」

 女の髪が弧を描いた。

 甲高い金属音が夕刻の住宅街に響いた。

 れんげの左手にあった鞄が、持ち手だけ残して落ちる。

 れんげの左腕が下がる。肘の辺りから紅く血が吹いた。

 女の髪は革鞄の持ち手ごと、れんげの腕を浅く斬っていた。

「お前ェ――あぁ、そう言うことか」

 女が戻った髪に付いていたれんげの血を舐め取り、何か気付いたように頷いた。髪がしゅるりと踊るように下に流れる。

 女がからりと笑う。

 れんげは鞄の持ち手を捨て、重心を下げて構えた。

 女は笑顔のまま、れんげを睨みつける。

「お前ェも造化の神に願ったンじゃろうが。

 それがなんでウチの邪魔をするんじゃッ」

「人に害を為そうとするから――ですっ」

「――はンッ」

 女は鼻で笑った。

「あの扱いの恨みを晴らそうとして何が悪いッ」

 女の髪は下がったまま、姿勢もただ無造作にすらりと立っている。

「退かな斬るで。

 たとえ同郷同族、、、、の出でもなッ」

「――えっ!?」

 れんげの右手がやや下がる。

「それはどういう―――」

 女が踏み込んだ。

「ほら、退きッ!」

 女は右肩をくん、と軽く前斜め下に入れた。それに合わせて髪が回り、固まって振り下ろされる。

 鈍い銀髪がしなやかにしなり正面かられんげを襲う。

 ちょうど袈裟懸けのように斜めに髪の塊が降りる。

 れんげも踏み込んでいた。右に跳んで髪をかわしてその内側――女の懐に飛び込む。

 女の髪が跳ね上がりれんげの背を斬る。

 れんげの独鈷杵が女の鳩尾に突き立つ。

 金属がぶつかり合ったような、鈍い音が鳴る。

 女がれんげに押され数歩分下がり腰を落とす。

「―――っ!!」

 れんげが仰け反った。

 女が躰を前に折った。

 れんげのお下げの尻尾が弾けた。

「ああっ!」

 結び目から十センチほど内側で切れた髪がほどけてばらりと広がる。

「く……ふふ」

 が、女はまた髪に残っていたれんげの血を舌下ぜっかに転がして笑う。

「なかなかやる。けどウチもこれでは踏ん張りが効かんな――」

 と、草履をはいた自分の足下を見直して、苦笑して女は立ち上がった。

 れんげも間をとって姿勢を起こすが、女のほうが上背がある。

 女はれんげを見下ろし、右腕だけ構える。

「お前ェ――名は?」

「れんげ――です」

「真名は言わんか――まぁええ。

 柄か鞘、持っとるじゃろ、返しッ」

 れんげは独鈷杵を握りなおした。

 解けた髪が風に舞い、れんげの頬を叩く。

「その気はない、か」

 女はにぃ、と笑って構えを解いた。

「……えっ?」

姉妹、、のよしみで今日のところは許してやる。

 じゃけど、柄と鞘は必ず探し出してやる。

 今度ウチの邪魔した時は容赦なく斬るでッ」

 女はやはり何もないようにすたすたと歩きだした。

 背のダメージが効いているのか、れんげはアスファルトに膝をつく。

「倶利伽藍揚羽――、待って……」

 すれ違いざまにれんげが言う。

「いちいち真名を言うなッ!」

 きっ、と女はれんげを睨んで早口に怒鳴った。

「揚羽でええ――何じゃ」

 れんげは女を見上げて荒めの息を吐く。

「本当に捨てられたの……ですか?

 人はそんなに悪い者ばかりではありません。

『あの扱い』というのは、故意……にされたのです……か」

 女――揚羽は無言でれんげを睥睨する。

 数秒間視線をぶつけあった後――揚羽が「ふン」と目をそらせて、去っていった。


□■□■□■


 れんげが何とか<九十九堂>に帰ったのは、夜の七時を過ぎていた。

 茂林とメルが今週も鑑定番組を見ていた。

「お帰り、れんげちゃん。

 遅かったや――って、どうしたんや!?」

「お姉ちゃん!?」

 廊下の縁に座り込んだ、お下げ髪の切れたれんげに二人が駆け寄る。

「倶利伽藍揚羽――刀と、会いました……」

 れんげは腕の傷を示した。血は止まっている。

「もう、生まれ変わってたんやな――」

 れんげが頷く。

「昨日今日生まれたということでもないでしょう。

 人に恨みを持って、それを晴らそうとしています。止めなくては――」

「悪いヤツなの?」

 メルの言葉にれんげははっ、と息を呑む。

「いいえ、メル。

 悪いのはそれを行う者ではなく、行為なの」

 れんげは靴を脱ぎ、廊下に上がった。

「遅くなってすみません。ご飯にしましょう」

 と、れんげが抱えていた鞄を居間に入れた時、電話が鳴った。

 れんげが受話器を取る。

「――はい。<九十九堂>です」

『夜分にすみません。倉崎といいますけど――』

 つい先日に出会った青年の声だった。

 れんげは眼鏡が印象に残る、人の良さそうな顔を思い出しつつ受話器を握りなおした。。

 電話機の下に『倉崎祐光』と書かれたメモが挟んだままになっている。

 茂林もメルも、れんげの電話を窺っている。

「あ、高野です」

『ああ、先日はどうも』

 電話の向こうの声の緊張が和らぐ。

『――例の、刀のことなんですが……』

 れんげは身を固くする。背の傷が少し疼いた。

『刀工が判ったんですけど――』

「もう、なかったのですね」

『どうしてそれを?』

「倉崎さんのおっしゃりよう、ですね」

 と、れんげはごまかす。

『あ……そうですか』

 祐光の声が苦笑していた。

「その――倉崎さんにお願いがあるのですが……」

『? なんでしょう』

「お持ちの柄――しばらく預からせていただけないでしょうか」

『どうしてですか?』

「それは――倉崎さんの身に危険が及ぶおそれがありますから」

 正直に言ってしまうべきか、れんげは迷っていた。

 必ず探し出す、と言った揚羽の言葉が気になっていた。

 集めることへの危惧はあるが、<九十九堂>に置いた方が守りやすい、とも思えた。

『危険が及ぶ、とは――あの鐔とか刀を盗った何者かが僕の所にも来るかも、とかそういうことですか?』

「そう――ですね」

 広い意味でそれは間違いではない。

「無事だと確認できれば必ずお返しします」

 言いながら、無理があるな、とれんげは悩む。返せなくなりそうな危険性もある中で、でもれんげは万が一揚羽が倉崎を手にかけたら、というおそれを見過ごせない。

 かといって最初から説明するのは現実感が薄い。

「預からせて――いただけないでしょうか」

 もう一度れんげは頼み込む。

『――では』

 祐光はしばらく間を置いてから、軽く答えた。

『持っていきます』

「危険です!」

 即座にれんげは口調を強くして言った。

「宅配便か何かでお送りくだされば――」

『僕にはそっちの方が不安です』

 祐光の声は穏和ながら、強かった。

『明日、特に予定ありませんから行きますよ』

「でも、本当に危険が及ぶかも知れないんですよ!」

『――まさか』

 祐光はそう笑う。

『そちらの鞘はまだ無事なんでしょう? だとしたら危険度はお互い一緒だ』

「それは……」

『まあ、用心して行きます。夕方くらいでいいですか?』

「あ――は、はい」

 では、と電話は切れた。

 れんげは受話器を持ったまましばらくぼうっとしてしまう。

「れんげちゃん、どうしたんや?」

「あ……」

 茂林が声をかけてようやく受話器を戻す。

「柄の持ち主を呼んでしまいました……」

「そら危ないかもな。

 でも見方変えたら、刀が化けよったヤツを誘き出す材料とちゃうか?」

 茂林は冷静に言う。

「そういや、どんなナリしとったんや? その刀。

 獣か? 魔物か? それとも――」

「人、です。

 女でした」

 そこでれんげは夕刻の対峙を思い出す。

「そういえば――『同郷同族の出』とか『姉妹のよしみ』と言われたのですが、何か私と関係あるのでしょうか……」

「!? れんげちゃん――そういやれんげちゃんはどこで誰に作られたんや?」

「それは――」

 あらためて、れんげはその記憶が曖昧なことを自覚した。

「思い出せないのです……」

「そっか。

 それならそのセリフの事は保留や。その女に聞いてもええ」

 れんげは頷いた。

「柄の持ち主が危険やと思うんやったら、守弘にでも護衛頼んでみたらどうや?

 どうしても、ってんならワイも行ったってもええ」

「!――そうですね。

 茂林もお願いします」

 れんげはまた受話器を取り、ダイヤルを回しはじめた。

 茂林は欠伸をひとつしてから、メルに言う。

「明日は嬢ちゃん一人で留守番や。店開けんでええし、ここおってええから大人しくしとってや」

「? うん。わかった」

 首を傾げながらもメルは頷く。

「れんげちゃんは一人で背負い込みすぎや。真面目なんもええけど、使える時は味方も使わなアカンで、なあ?」

 半ば軽い独り言のように茂林は言い、居間に戻った。

 メルはれんげの様子がまだ心配なのか、れんげの傍で座布団代わりにしていたクッションを抱きかかえて座る。

 何度かの呼び出し音ののち、電話はつながった。

「――守弘さん? こんな時間にすみません。ちょっと、お願いしたいことが――」


□■□■□■


「おっはよ、れんげ――って、髪切ったの!?」

「おはようございます、翠穂さん――ええ、少し」

 翌日の教室で、つとめて平静にれんげは挨拶する。

 いつもの三つ編みにしていたが、十センチほどの違いに翠穂は目敏く気付いて驚き気味の挨拶だった。

「気分転換? って言っても同じお下げだし。

 いっそ髪型変えてみたら?」

「それもいいかも知れませんね」

 そんな他愛もない会話で、火曜日の朝は始まった。

「――その丸いの、なに?」

 翠穂は鞄の他にれんげが持ってきていた、丸くなっている袋を指した。

「ちょっと、お昼に使うので……」

 言いにくそうにれんげが目を伏せる。

「……ま、いっか。

 あそだ。昨日のあの綺麗な女の人、誰なの?」

 翠穂はいつも通り、登校するなりれんげの前の席を占領する。

 昨日のことを責める空気は皆無だった。

「えっと――姉、です」

 れんげはそう答えた。

 あの刀の付喪神――揚羽の言葉を借りるなら、そういう関係も嘘ではない。もっとも、逆かも知れないが。

「えぇっ!? れんげ、一人っ子と思ってた。

 そっかぁ、お姉さんなんだ。

 もうどこかで働いてて、久しぶりに会いに来たとか、そんなトコ?」

「――そうですね」

 れんげは翠穂の現実的で前向きな、好意たっぷりの探りに内心感謝した。

「そっかぁ。お姉さんかぁ」

 もう一度感慨深げに言い、なるほど、と翠穂は頷いた。

「当分こっちにいるの?」

「それは――どうでしょう」

「できたら紹介してね。

 何食ったらあんなバディになるのか、聞いてみたい」

 くすっ、とれんげは笑った。

「そんな、翠穂さんはじゅうぶん、魅力的ですよ」

「そう?」

 翠穂も笑う。

 本鈴のチャイムぎりぎりに、守弘が登校してきた。

 担任が入ってくるのとほぼ同時だった。

 れんげと目を合わせ、指で小さく『×』サインを作る。

 れんげは微笑み、小さく礼をした。

 内心ほっと胸をなで下ろすれんげを、席を立った翠穂がからかった。

「目で会話しちゃって、ラヴラヴだねぇ」

「――そんなのじゃないです」

 苦笑して、れんげは翠穂の腰を押した。

「先生が睨んでますよ、ほら」



 女――揚羽は遊具のない大きな公園にいた。

 昨夕かられんげの様子を追っていたが、今朝学校へ行ったれんげに自分の分身の気配が弱いことを知覚すると、れんげを監視するのをやめてこの公園でしばらく時間を潰していた。

 コソコソ尾行するのは苦手だった。

「――あの小娘はあとじゃ。

 その前に柄と鞘じゃ」

 一人ごちて揚羽は座っていたベンチから腰を上げた。

「あれがウチと同(おんな)し素材で、同し手で作られたんは間違いねぇ。

 ――それがどうしてウチの邪魔をするッ」

 揚羽は不機嫌そうにぶつぶつと呟きながら、公園を出た。

「変化したんは恨みがあってじゃねぇのか?

 それに――」

 昨夕の言葉が揚羽に残っていた。

「れんげ、か。

 ――『本当に捨てられた』のか、じゃて?

 見捨てられてたに決まっとるわッ」

 そう言うが、何か心の底に痼りのように溜まっている。

 揚羽は公園から町中に向かって歩く。

 この町は、色々な人外の物の気配があちこちに残っている。

 それに混じって、自分の分身がないかと思って揚羽は注意深く気配をたどってウロウロと歩いてみるが、それが何故か弱々しい。

 いつの間にか道路は山道の麓にさしかかろうとしていた。

『展望台』と矢印付きで書かれた看板が少し先の道路脇に立っている。

 揚羽はそのまま、車道を歩いて山を登っていく。


 姫山の展望台は姫木市を一望できるスポットだ。

 山の頂上に近い所に休憩所のように駐車場のある場所をつくり、そこに建てられた建物だ。

 それほど高い山ではないが、県道がしっかりと通った道で、姫木の町と他をつなぐ主要道だ。行くにも来るにも便利がよく、車の通行もちらほらとはある。

 クラクションを鳴らして揚羽を避けて車が追い越すのを意に介さず、揚羽はその展望台のある広場までやって来ていた。

 展望台の他に屋根があり、その下にベンチがある。あとはジュースの自動販売機くらいで、安全のために柵が設けられている。

 揚羽は町を見下ろす。

「――ウチの分身はどこじゃ……」

 展望台には揚羽の他に人はいない。

 駐車場にも一台も停まっていな――かったが、つい今、そこに入ってきた車がいた。

 小さなシルバーのリッターカー。

 揚羽は弾かれたように振り向き、その車を確認した。

 車の中から、何かの気配が漂う。

「あれは――ッ!!」

 揚羽が見ていると、車から一人の、眼鏡のまだ若い痩せた男が現れた。男は関節をほぐしながら自動販売機に近寄り、小銭入れを広げる。

 その車からも男からも、揚羽は感じ取っていた。

 ――自分の分身が、そこにある。

 揚羽の形い唇がくっ、と上がり、不敵そうな笑みがこぼれ出す。

「これはまさに僥倖ぎょうこうじゃ。

 ――造化の神はウチの味方らしいな、れんげッ」

 揚羽はつかつかと、車と男に近寄っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る