2章 鐔

 某県に姫木ひなぎという町がある。

 海と山の間にある、それほど大きくない町だ。

 つい何年か前に、周囲の町村合併して、市になった。それでもベッドタウンと云うよりはまだ、田舎町の風情を残している。

 JR姫木駅周りやショッピングモール、そこから増えようとしている高層のマンションなど開発は拡がっているが、どこか懐かしい町並みを感じさせる地域だ。

 駅の北側が新しいショッピングモール。反対側は昔ながらのアーケードが伸びている。そこから少し離れたところに、遊具のない大きめの公園と博物館の白い建物。山の方へ視線を向けていくと、ひとつの山の中腹に鳥居と、その先に神社。鳥居の手前から道が分岐した途中に展望台が見える。道は山を越えて隣町へ続いている。

 高い建物は少ない。郊外の国道沿いには駐車場を大きく取った、店舗やアミューズメントの集合施設がある。

 れんげや守弘の通う桐梓館とうしかん大学附属学園は住宅地からは少々離れた、山に近い場所にある。私立大学の付属だけあってかかなり広い敷地があり、校舎も数棟並んで建てられている。

 れんげと守弘が免許センターへ行き、茂林が古い刀の鞘などを仕入れた翌日――火曜日は平常通りの授業だった。

 れんげはいつも通りに登校していた。

 桐梓館の制服は伝統的な濃灰色のセーラー服。男子はブレザーで、セーラーカラーとネクタイのラインが学年で色分けされている。

 考え事をするように窓際の自分の席で頬杖をつき、お下げ髪の先を弄りながら外を眺めていたれんげは突然、後ろから抱きしめられた。

「おっはよぉ、れんげ。今日も早いね」

翠穂みほさん――おはようございます」

 れんげは姿勢を変え、その声の主に挨拶する。

 国安くにやす翠穂は、守弘の他にれんげと親しいクラスメイトだ。

 れんげが自分が『人ではない』という懸念から周囲と打ち解けていない中、その壁を易々と越えてきたのが翠穂だった。

 この翠穂と守弘の影響で、れんげは『人の生を愉しむ』ことに踏み込みはじめた。

 ――翠穂の胸がれんげを圧している。レイヤー気味のボブショートと元気いっぱいの明るい表情が躍動感に溢れているが、それよりも翠穂はその胸が目立つ。

 れんげは制服を豊かに盛り上げている柔らかな胸の圧力から開放された。

「昨日はデート? どこか行った?」

 今登校してきたばかりなのだろう、翠穂はアクセサリーで飾られた鞄を持ったまま、れんげの前の席に座る。

「県の免許センターですよ。そんな、デートなんてほどでは」

「おぉ、免許取ったの!? 見せてっ」

 苦笑して、れんげは財布から昨日交付されたばかりの免許証を出した。

「おぉ~っ」

 翠穂が好奇心たっぷり、といった風でその免許証を取る。

「愛の成果だね」

「そんな大袈裟な」

「でもれんげ、三原クンと付き合わなかったら免許取ってなかったでしょ」

「それは確かにそうですけど――」

「れんげ、二月生まれなんだ」

「あ――ええ」

 さすがに守弘に言ったように『便宜上』とは言えない。

 れんげは極力、自分が人外の物であることを知られたくない。

 翠穂にはそのことを言っていない。

「そっかあ。あたしの方がお姉さんだったとはね~」

「そうなんですか!?」

「うん。あたし八月生まれ。夏休み中なんだ」

「あぁ……そうなんですか」

「タイミング悪いよねぇ。プレゼントもらえないし」

 翠穂が笑う。れんげはそういうことか、と胸をなでおろして驚きを治める。

 まさか翠穂も数百年の齢を重ねていることはなかろうし、単に日付を見て常識的に考えたのだろう。

「れんげって落ち着いてるから、あたしより誕生日早いと思ってた」

 翠穂は免許証をれんげに返した。

「そんな、たかが数ヶ月では変わりませんよ」

「そうかなぁ……」

 れんげにとってみれば、数ヶ月の差などは微々たるものだ。

「ま、いっか。覚えとくね」

「あ――。

 ありがとうございます」

 翠穂のその言葉に、れんげは心底嬉しそうに微笑んだ。

「あ、三原クンおっはよ~ぉ♪」

 翠穂が予鈴と同時に教室に入ってきた守弘に手を振った。れんげも笑顔で挨拶する。

 守弘は返事代わりに軽く手を挙げ、自分の席についた。そこに男子生徒が近寄る。

 ――守弘は家の事情で一年留年していた。そのせいもあってか教室内でなんとなく浮いた距離にあったのだが、れんげをデートに誘ったあたりから他の生徒と打ち解けだしていた。

「さあ、そんなれんげにコレを見せてあげよう」

 守弘を見ていたれんげを、翠穂が呼び戻した。

「え?」

 翠穂は携帯電話を取り出していた。

「この間ね、ネットで見つけたんだ」

 言いながら翠穂は携帯電話を操作し、出てきた画面をれんげに向ける。

「これは――何ですか?」

 携帯電話の小さな画面の中で、動画が再生されていた。

「見てなって」

 翠穂が笑う。

 動画は、とあるレース映像だった。観客席からのハンディカメラ撮影だろう、サーキットを映している。

 そこに、タイヤとコクピットのみが目立つフォーミュラマシンが地に張り付くように疾走してゆく。カメラがそれを追って動く。

 その中に一台、ボディ上面が深い青に塗られたマシンがいた。

 安定した感じの走りで、カメラの前を走り抜ける。

 十数秒ほどそのレース映像は続いた。ひゅんひゅんと駆けるマシンたちはやがて、白黒のチェッカーフラッグで決着がついた。

 画面が切り替わり、表彰台が遠く映る。

 ぐっ、とズームが寄っていって、台に上った三人の姿がじょじょにはっきり判別できるようになる。

「――あっ」

「そう、三原クン♪」

 表彰台の右端で嬉しそうに両手を挙げているレーシングスーツ姿の、少年の面影を残した笑顔の男は、教室の対角で男子生徒と談笑している――――

「守弘さん――ですか?」

「間違いないわよ――ほら」

 画面が、順位表を映した。

 三位にしっかりと『MORIHIRO MIHARA』とあるのが、何とか判別できた。

「三位、なのですね」

「初参戦で表彰台だからね。来年はもっと注目されるよ、きっと」

「それは――素晴らしいですね」

 れんげはどこか嬉し気な感情の混じった感想をもらす。

「――最近れんげ、ちょっとずつだけど表情出てきたね」

 翠穂は楽しそうに言う。

「これはやっぱり、恋のチカラかな?」

「翠穂さんのお蔭でもありますよ」

 正直にれんげは言った。

「へ? あたし?」

 くりっとした目を更に大きくして、翠穂は自分を指さした。

「ええ」

 れんげが口元を綻ばせて頷く。

 正直に全てを話すことはできないが、翠穂には感謝している――れんげはそう思っていた。

 本鈴のチャイムが鳴った。

 担任の教師が入ってくる。

 翠穂はれんげに「あらら。じゃ、またあとでね」と手を振り、本来の自分の席に行った。

 ふとれんげが守弘の席を見ると、ちょうど振り返った守弘と視線が合った。


□■□■□■


 休み時間になってすぐ、守弘がれんげの席にやって来た。

「昨日帰ってから調べてみたんだけど――」

 と、紙片を持ってくる。

 そこには電話番号らしい数字が書かれていた。

「これがあの番組の――ていうかテレビ局の番号。俺からかけても説明できないし、昼にでもかけて聞いてみたらどうだ?」

「ありがとうございます。

 ――どうやって調べたのですか?」

「ネットで。番組のサイトがあったんだ」

 なるほど、とれんげは頷き、そのメモを生徒手帳に挟んでおいた。

「お昼休みにかけてみます。事務室の近くに公衆電話、ありましたよね」

「――あれ、ちょっと前に撤去されてたよ」

 翠穂が話に割り込んできた。

「誰も使わなくなってたから、ってこの間持っていってた」

 翠穂はふたりの表情を窺って言う。

「何か急ぎの用事?」

「お店のことで、ちょっと」

「そういやれんげ、ケータイ持ってないんだったな――」

 守弘がポケットから、飾り気のない青い携帯電話を取り出した。

「後でかけてみよう」

「いいんですか?」

「当たり前だろ」

「だかられんげ、ケータイ買いな、って」

 翠穂が冗談めかして笑う。

「さっきのムービーもあげるよ。

 ね、ね、ねっ?」

 れんげはつられて笑った。

「――考えておきます」

 無下に断らないのは、れんげが人と深く接しようという心境の現れ、とも云える。



 昼休み。

 食事のあと、れんげは守弘の携帯電話で、テレビ局に電話することにした。

 守弘が見守り、翠穂が興味津々といった風にれんげを眺めている。

「――私、姫木という所で古道具関係のお店をしております、高野と申します。

 昨日の、そちらの鑑定のことでお話したいことがあるのですが、ご担当の方はいらっしゃいますでしょうか」

「三原クン、昨日のことって?」

 翠穂が守弘に訊く。

「ん~……ちょっとな、れんげができれば引き取りたい、ってモノが鑑定に出てたんだ」

 守弘は茶を濁したような答えをしてしまう。

 れんげの電話の向こうは、何かやたらと騒がしいようで、れんげの声が若干、大きくなる。

「――はい、お願いします」

 れんげが、電話を耳に当てたまま頭を下げる。

「れんげって丁寧よねぇ。商売柄なのかな」

「そうかもな」

「――ええ、はい。それでこちらも、同じ刀のものと思われる、鞘を持っておりまして――」

 電話の向こうの相手が替わったのだろう、もう一度れんげは名乗ってから説明をはじめる。

「刀!? そんなのも売るの?」

「売らないんじゃないか?」

 いくらか事情を知っている守弘は、はぐらかして答える。

「ええ、それで、是非お会いしたく思いまして。

 ご連絡先などお教えいただけないでしょうか」

 れんげは熱心に頼み込むが、やはりというか向こうの対応は冷たいようだ。れんげは「そうですか……」

 と落胆を浮かべる。が、

「――それではせめて、こちらにご連絡いただけるよう取り計らっていただけないでしょうか」

 れんげはなおも畳みかける。

「はい。お店の電話をお伝えしますので、どうかよろしくお願いいたします」

 もう一度れんげが頭を下げ、自宅の電話番号を伝えた。

「よろしくお願いします。

 ――失礼します」

 れんげが電話を終えた。が、すぐに別の所へ電話をかける。

「――もしもし、茂林?

 昨日の鍔のことで――」

<九十九堂>にだった。

「――ええ。それで、電話があったらきちんとお願いします」

 そう言って通話を終え、れんげは守弘に携帯電話を返した。

「うまくいきそうか?」

「そう、ですね。こちらから直接連絡できればよかったのですが……」

「れんげぇ、簡単に説明お願い」

 翠穂が『?』を浮かべていた。

 れんげは苦笑して、昨夜の話を当たり障りのない範囲で、かいつまんで翠穂に説明することにした――――



「あったで」

 夕方。

 帰宅したれんげに、短く茂林が告げた。

「本当ですか!」

 急いで店の戸を閉めて、れんげはカウンターの茂林に駆け寄った。

 その勢いに驚いたか、今日もテレビにくっついていたメルが居間から顔を出し、すぐにまたテレビに戻る。

「それで、どうなりました?」

「こっちの持ってるモンを見てみたい、んやと」

 茂林は例の鞘をごとりとカウンターに置いた。

「行くか? れんげちゃん。

 交渉はワイは苦手や」

「行きます。

 ――連絡先とか、聞いているのですか?」

「一応な」

 茂林はメモを出した。『コシバエ』と読みにくい字で書かれており、電話番号が走り書きされている。

 れんげは荷物を置くのもそこそこに、そのメモを取って廊下の端に置いてある電話――これも、かなりの年期を感じさせる黒電話――の受話器を取った。

 ダイヤルを回す。

 数回の呼び出しで、相手が出た。

「小椎八重さまのお宅でしょうか。私、<九十九堂>の高野と申します――」

 れんげは昼の、テレビ局の人間にしていたより熱心に、話し始めた。

 何言か会話を交わして、やがてれんげは電話にお辞儀する。

「――はい、ありがとうございます。

 それでは今度の土曜に、お伺いさせていただきます。

 失礼します」

 ちん、と音を立ててれんげは受話器を戻した。

 振り返って、廊下の縁に座ってお茶を飲んでいた茂林に言う。

「週末、行ってきます」

 れんげはカウンターの鞘に目をやって続ける。

「あの鞘、私が預かります」

「わかった。ワイは留守番でええねんな?」

「ええ」

「お姉ちゃん、出かけるの?」

 メルが首だけ振り向く。

「週末にちょっと。

 その日中に帰ってきますよ」

 茂林は空になった湯飲みを手に、居間に入った。

「まあ、アレが本物なのは間違いないし、実物と会うたられんげちゃんも判るやろ。あとは譲ってくれるかどうか、やな――」

「そうですね……」

 れんげもようやく置きっ放しだった鞄を取り、鞘は抱いたまま、居間に行く。

 何故かこの鞘に、れんげは奇妙な親近感を覚えていた。


□■□■□■


 K市のとある公園のベンチに、女がひとり座っていた。

 深い色の銀髪に、胸元の開いた和装。

 日もすっかり暮れ、遊ぶ子などもいない。女の他に人のいる様子はない。

 女の手には、件のつばがあった。鐔を固定するための二枚の切羽せっぱ、柄の補強のための縁、そういったものもある。

「やっと――やっとじゃ」

 女が呟く。

 女は両手で鐔を胸元にかき抱き、嬉しそうな表情を浮かべていた。

 このベンチの真上の街灯は球切れなのか、夜になっているのに明かりが点いていない。十数メートル先の電球は弱めだが点灯している。

 女の周囲の照明はその街灯と月明かりくらいで、女は薄暗い中にいる格好になっていた。

「他のモンも早ぅに見つかったらええんじゃが……。

 ――まぁええ。

 さて、お前ェはどうしたらウチと一つになれる?」

 鐔の目の高さに揚げて、女は問いかけるように言う。

「お前ェを取り戻したんはええけど、そこからが判らん」

 女は鐔を睨む。

「――ウチにゃあ、お前ェが必要なんじゃ。

 どうしたらええ?」

 その時だった。

 女の手の中で、鐔がほんのりと揺らいだ。

 周囲の『気』の流れが、女を中心に緩い渦を描いて女に集まってゆく。

 離れたの街灯の明かりが一瞬強く光って鐔に当たり、女の胸元に蝶のようなシルエットが映る。

 ちょうど鎖骨の間、白い肌に彫られた、刺青のような模様――三鈷剣の先の龍頭に黒い蝶がとまったようにも見える。

「っ!」

 女は真剣に、祈るように鐔を強く握って目を閉じる。

「――来てッ」

 シルエットが、ちょうど羽を広げるように伸びる。

 蝶が、龍の上で羽を揚げてゆくようだ。

「あぁっ……熱ィ…………っ」

 女の手――その中に鐔を持つ両手に向って、何かが入ってゆく。

「ァ……っ!!」

 女が仰け反った。

 パン、と派手な音を立てて街頭が弾け割れた。

 公園がいっそう、暗くなる。

 女は座り直して掲げていた手を下ろし、ゆっくりと開いた。

 女の掌から、鐔がなくなっていた。

 映っていたシルエットも消えている。

『気』の流れは平穏に戻り、落ち着いている。

「ふっ――あははははっ!」

 女は声をあげて笑う。

「感じる――おェを感じるよ。

 身が引き締まったような、ええ気分じゃ」

 女は自分の全身を見回す。異変のあった箇所を確かめるように躯を探ってゆく。

 それから女は満足げに頷き、公園をあとにした。



 同じ頃――

 れんげは奇妙な場所にいた。

 覚えがあるようで、それなのにはっきりと思い出せない。

 山の中のようだった。

 寺のものだろう、時を知らせる鐘の音がすぐ近くで響いている。

『お――もうそんな時間か』

 男の声がする。

 れんげは周囲を見回し、その声の主の男がれんげの体を持っている、、、、、、、ことを知覚した。

(――えっ!?)

 れんげは、己の体が人の形を成していないことに気付いた。

 鉈――腰鉈のかたちをしている。

(こ、これは!?)

 言葉が出ない。

『――おおい、我雀がじゃくっ』

 別の男の声がした。

 れんげを掴んでいた、我雀と呼ばれた男が振り返る。

 男は木に登っていた。そこからひらりと飛び降りると、地上にかれを呼んだ男がいた。

 どちらも似たような、作務衣によく似た作業服姿だった。

(――ん?)

 れんげはまた奇妙なことに思い当たった。

 男たちの様子――風体がよく判らない。辛うじて作務衣らしい、というのが判るくらいで、顔などはっきりしない。

 周囲も、木々の生い茂る山のような場所、としか認識できない。

『そろそろ戻らぬか?』

 地上にいた男が言い、飛び降りたほうが頷く。

 れんげを持った男はその鉈を眺めて言った。

『こいつも、師の師が使ってらした頃はもっとかったらしいがなあ』

『仕方なかろう、もう百年、、にもなろうという古いものだ』

(これは――)

 現在のれんげの記憶では、靄がかかったように判然としない部分。

 男ふたりが緑の深い山道を歩きながら話している。

『そういやこいつ、何か由来があったんだらしいんだが、知っているか?』

『あぁ、聞いたことある。なんでも昔助けた行き倒れの刀工とうこうが、救われた礼にとこの鉈を打ったのだとか』

『ほほう。恩返し、ということか』

 鉈を持った男が、手元のそれをもう一度持ち上げて見る。

『どうして寺で鉈が受け継がれているのか、疑問に思っていたんだ。

 ――成程な』

 しかし、とその男は続ける。

『昨年割れてしまって以来、鞘がないというのも困りものだ』

 男の言う通り、鉈は抜き身――仕舞う様子も場所もなく、裸のままにされている。

『布でも巻いておけばよかろう』

『――そうだな』

 男が苦笑する。

『今使っているのは殆ど我雀、お主だ。使い易いようにすればいい』

『ああ、そうするよ』

 れんげはただ、その声を脳裏に聞くばかりで、動くことも声を発することすらも叶わない。

 鐘の音が近く、男ふたり会話しながらけっこう歩いているのに、一向にどこにも到着する気配がない。

 山道を延々と歩いている。

『――ふと思ったのだが』

『どうした?』

『百年も受け継がれてきたこの鉈、何か名前などはないのか?

 ただ鉈、というのもなんだか可哀想、、、じゃないか』

『変わった男だな、お主は』

 男が笑う。

『だが、それも聞いたことがある。

 そいつの名はな――――――』



「――――っ!」

 れんげががばっ、、、、と身を起こすと、そこは見慣れた<九十九堂>二階の、自分の部屋だった。

 布団から出た手を見る――人のものだ。

「今のは……」

 声に出して呟く。いつもの、自分の声だ。

 先ほどの場面に見覚えがあるような、ないような、曖昧な記憶が残っている。

 だが今は――飾り気のない、普通の部屋だ。机と本棚と箪笥。

 れんげは布団から出て、時間を確認する。

「――二時……」

 すっかり目が覚めてしまっていた。

 三つ編みを解いた長い髪が寝癖で少し乱れている。

 それをうなじでまとめながら、机の上に置いた例の鞘を見る。

「あなた――私と関係が?」

 れんげは、さっき見ていたものを思い返す。

「今のは――夢? 私が?

 それに、名前とは……」

 れんげは鞘を取った。

「私の真名まなのこと?」

 だが、れんげが覚えているのは瑞――当時生まれた付喪神らを退治に遣わされた護法童子の一人にその真名を預かられた遙か過去のこと。

「何と言っていたか……判らない」

 男たちの会話も、そこがはっきりとしない。

 れんげは悩ましげに首を振る。

「でも、この懐かしさは一体……?」

 れんげは結局、夜が明けるまで鞘を抱いていた。

 思い出そうとしても、そこにかかった靄が晴れずにどうしても思い出せない記憶を探りながら。


□■□■□■


 週末。

 れんげと守弘は、K市にやってきていた。

 小椎八重邸を探すと、案外すぐに見つかった。

 旧家、という表現がしっくりと合いそうな古い造りの大きい家に守弘のバイクが到着したのは約束の時間どおりの昼過ぎだった。『小椎八重』という重厚な表札のある大きな門の前にバイクを停める。

 そのすぐ近くに、車が一台停車していた。

「……何だ?」

 バイクを降りた守弘がいぶかしげに車を観察する。守弘はシンプルなシャツに、運転に適したジャケットと革のズボンといった格好、れんげはニットとジーンズ。さすがにバイクに乗るのに和装は難しい。

 守弘が見ていた車はいわゆるリッターカークラスの小さな、シルバーのもので、I県とは違う所のナンバープレートが付いていた。

「先客――か?」

「ここの家の方のものではなく?」

 ヘルメットを脱いだれんげは守弘に寄る。

「他県のナンバーだしなぁ。

 まあいいや。ジロジロ見てても失礼だしな」

 れんげは頷き、門のそばのチャイムを押した。程なく応答のあったインターホンに名乗って用件を伝える。

『――どうぞ』

 とインターホンが答え、促されたとおりにれんげと守弘は大きな門――のすぐ横の小振りな木戸を開けて、中に入った。

 ――その時。

「……えっ?」

 れんげは『何か』を感じて周囲を見回した。

「どうした?」

「いえ――妖の気配のようなものを感じたのですけど……」

 すぐにれんげは首を振る。

「すみません。判りませんので、行きましょう」



 通された部屋には、二人の男性が座っていた。

 初老の男と、まだ若い青年。片方は小椎八重氏、もう一人は守弘の想像した先客だろう。

「ええと――九十九堂さん、ですな。これはまた随分とお若い。

 私が小椎八重です」

 テレビでも見た、初老の男が立って言う。物腰の落ち着いた、緩やかな恰幅のある風体をしている。低めの柔らかい声とたくわえた口髭が印象的だ。

 渋い色のセーターがよく似合っている。

「<九十九堂>の高野、と申します。

 こちらは三原――。この度は無理なお願いに応じていただき、ありがとうございます」

 れんげは部屋の入り口でお辞儀する。お下げがぽん、と跳ねた。

 守弘も軽く頭を下げた。

「倉崎です」

 もう一人の青年も立って名乗る。こちらは細めの、大人しそうな雰囲気でハイネックのシャツとジーンズという、ともすれば印象の薄くなりそうな服装に、座っていたソファの肘掛には彼のものだろう、明るい色のジャケットがかけられていて、傍らに小型のディパックがある。

 不健康な感じはあまりなく、むしろ時折触れている眼鏡の奥の瞳にしっかりとした意思が見える。

 部屋は、四人が座ってもまだまだ充分な広さのあるソファとテーブルが真中に置かれた、年季の入ったオーディオセットや本棚の上の置物や、敷かれた絨毯も無闇に派手な主張をしない、所有者のセンスを感じる応接間だった。

 勧められるまま、れんげと守弘もソファに座る。

 小椎八重氏と倉崎青年も腰をおろした。

「ご一緒してもらって不躾かとお思いでしょうが、こちらの倉崎さんもあなた方も、同じ用件でしてな。お許しいただきたい」

「それは構いませんが――『同じ用件』というと?」

 茶が運ばれてくる。

 香り高い緋色の紅茶がこれも上品なカップに淹れられ、湯気を上げている。

「倉崎さん、あなたも鐔――ですか?」

 れんげの問いに倉崎が頷く。

「それはどうして?」

 守弘が倉崎に訊く。倉崎は眼鏡の位置を直しながら、

「簡単に言うとあの刀はもともと僕の――祖父のものだったのです。僕もその一部を持っています。

 あなた達は、どうして?」

「断じて、売るつもりではないことはお約束します。

 ――私は、景雲について調べておりまして、その作品を集めているのです」

 それはここに来る途中、れんげが守弘と相談していた『理由』だった。正直に話すこともできないし、曖昧な理由では納得されない。そこから考えた、もっともらしいものがこれだった。

 そんなれんげたちの様子を交互に見て、小椎八重氏が言う。

「なるほど。お二方ともそれぞれ理由がある。

 ――さて、お譲りすることはやぶさかではないのです。別段、法外な金額をふっかけようと言うつもりもない。

 ですが……」

 そこで小椎八重氏は言葉を切った。

「ですが?」

「――盗まれてしまったようなのです」

 小椎八重氏は、重々しくそう続けた。



 小椎八重氏の話はこうだった。

 番組の収録のあと――例の鑑定番組ももちろん生放送ではなく、収録して編集してからの放映なので、実際に録ったのはずいぶんと前だった――例の鐔はそれ単体を飾っていても仕方ないので仕舞いこんでいた。

 それが先日の放送のあと、れんげや倉崎青年から連絡を受けて、昨夜出しておこうとしたところ消えていたことに気付いた、らしい―――

「警察へは?」

 と倉崎。

 眼鏡を外して、またかけ直す。

「まだです。そもそも他の骨董品には目もくれず、あの鐔だけが消えている、というのはいささか不思議でもあります」

「その、仕舞っていらっしゃった場所を拝見させていただけないでしょうか?」

 れんげが言う。

「それは構いませんが――何か判るので?」

「自信はありません。けど、見てみたいのです」

 小椎八重氏はしばらくれんげを値踏みするように見てから頷いた。

「まだ、そのままになっております。――こちらへ」


 案内されたのは、書斎のようだった。

 天井に届く勢いの本棚と、がっしりとした机。窓は小さく、エアコンは適温適湿に保たれ、本の保存に非常に適した空間を作っている。本棚の中段に、品々の観賞用にしているのだろう、本を置かずに古い置き時計や壺などを並べた段がある。

 が、本棚の中段にある引き出しがぱっくりと割れていた。

 四人で訪れた書斎は多少手狭だった。

「これは――」

 れんげが、本棚に近寄る。

「ここに仕舞われていたのですか?」

「ええ。確かに」

 れんげはじっくりとほの割れた箇所を観ていた。

 守弘がれんげに近寄って小声で言う。小椎八重氏と倉崎は何か話している。

「――どう?」

「微かですが……感じます」

 それは、またどこかれんげの懐かしさに引っかかる気配だった。

「ここにあったことも、それがここにはもうないことも、嘘ではないでしょう。

 となると――」

「となると?」

「不安です」

 れんげは検分をやめ、振り返った。

「お邪魔しました。

 盗まれてしまったのなら、出てくることを期待しましょう。

 もし出てきたらお知らせ下さい」

 小椎八重氏は真剣な表情で頷いた。



 ――それから、れんげたちは小椎八重邸を退出した。

 門の近くに停まっていた車は、一緒に家を出た倉崎のものだった。

「そういえば、倉崎さんも一部をお持ちだそうですね?」

 帰る用意をしながられんげは、倉崎に訊く。

 車のエンジンをかけていた倉崎は、振り向いて肯定した。

 その拍子にずれた眼鏡の位置を直す。

「ええ。柄の周りを」

「――やはり、刀本体ではないのですね」

「なあ、さっき『もともと祖父のものだった』とか言ってたけどそれがどうしてこんなバラバラになったんだ?」

 守弘が言う。

「恥ずかしい話です――――」

 倉崎は車のエンジンを切った。

「もう二十年くらい前かな――僕がまだ小さい時にその刀を破損させてしまったんです。それで修理に出されて。

 ところがその少し後に祖父は亡くなってしまい、そういうのに全く興味の無かった父が他の骨董品から祖父の家まで、全部処分してしまった。僕は捨てられる前にこっそりその柄だけ持ち出していたんです。

 それで――これは僕が、ちゃんと元通りの姿にしてやらなきゃ、って思って」

「その柄――間違いなく『倶利伽藍揚羽』のものですか?」

「画像見ます?」

 倉崎は車の助手席に放り込んでいたディパックからデジカメを取り出し、ふたりにその画像を見せた。

 守弘も、バイクのエンジンをかけずにデジカメを覗き込む。

 写真には渋い緋色の柄巻がされたままの柄が映っていた。倉崎は、部分を拡大撮影したものを続けて見せる。柄の下端にはまっている鵐目しとどめ金具、目貫、ともに細かに蝶を模して彫られている。

 れんげは茂林のように画像から気配を読むことはできないが、これは何となく本物だ、と確信した――他のものと同様の懐かしさを感じられた。

「それで、テレビで鐔が出た。

 ――『やはり』ということは高野さんたちが持ってるのは鞘ですか」

「ええ」

 れんげは否定しない。

「それ、譲ってもらうことはできませんか?」

「申し訳ありませんが――刀本体の所在が判らない今は…………」

「倉崎――サン、この刀を元通りにしてどうするんだ?」

「う~ん……戻すところまでしか考えてなかったですねぇ。

 バラバラのままなんて、何だか可哀想だと思いませんか?」

 れんげと守弘は顔を見合わせた。

「そうですね――でも」

「じゃあ、こういうのでどうだ?」

 守弘が言った。

「まずは無くなった鐔と、どこに行ったか判らない刀を探す。

 全部が無事な状態で、、、、、、、、、そろってから、どうするかまた相談する、ってことで」

 それはれんげの危惧をしっかりとフォローした上での提案だった。

「それでいいです」

 と倉崎はメモ帳を取り出した。さらさらとペンを走らせ、そのページを切ってれんげに渡す。更にメモ帳とペンもれんげに示した。

 紙片には『倉崎祐光すけみつ』とあり、携帯電話らしい連絡先が几帳面そうな字で走り書きされていた。

 また眼鏡に触れて、彼は言う。

「僕は倉崎祐光といいます。あとは卒業するだけの院生ですからけっこう時間とれます。

 今、祖父が修理に出した先を探してますので、判ったら連絡します――それでどうでしょう?」

「――わかりました」

 れんげは頷き、持ってきていた<九十九堂>の名刺を渡した。

「それではまた」

 そう言って、祐光は車に乗り込んだ。

 走り去るのを見送って、守弘はバイクのエンジンをかけた。

「帰ろうか、れんげ。

 ――まさかあの人、年上だったとはな……」

 そう苦笑する守弘に、れんげは礼を言う。

「守弘さん、ありがとうございます」

「ん? いいって。

 れんげは刀が化けてるのを心配してるんだろ?」

「ええ。もしそうだとしたら――彼が襲われないかと思ってしまいます。

 鐔が無くなっていたというのも気にかかりますし……。

 守弘さん……あの人に、正直に話すべきでしょうか?」

「それは――どうだろうな」

 れんげがバイクの後部にまたがった。

「言いにくいよな。信じてもらえるかもアヤしいし」

 言いながら、守弘はアクセルを開いた。


□■□■□■


「――なっ!!!」

 住宅地から市街へ伸びる道を歩いていた女が突然、振り返った。

 胸元までをはだけた和装で、すれ違う人が見直すほどのキリッとした、深い銀髪の美女だ。

「これは――この『気』は何じゃッ!?」

 女はそう呟いて、早足になってその気配を追う。

 ――と、それは現れた。

 男女二人乗りのバイクが、二車線と中央分離帯を越えた、対向車線の真中にいた。

 気配はその後ろの小柄な女からだった。ヘルメットから長いお下げ髪が出ている。

「なんじゃ、あれは――」

 女が感じたそのお下げ髪の娘の『気』は、自分の分身のものにも似た、だがそれとは違う、それでも自分と近い何かを思わせるものだった。

 本能的に、女はあの娘を追おうと思っていた。探しているものではないが、何か知っているかもしれない。

 信号が変わり、バイクはさっと走り去った。

「ふン――あなぁ、、、に気ぃむき出ぇにしてたら、後を追うくらいできるッ」

 女は向きを変え、娘の気配を追って走りはじめた。



「――っ!?」

 信号でバイクが止まった時に、れんげははっ、と後ろを見た。

 ――が、何も変わったところはない。

「ん?」

 れんげの様子に、守弘も振り向く。

「すみません――気のせいです」

「そっか」

 信号はすぐ青に変わり、守弘はそれだけを短く言ってまたバイクを発進させた。

(――何か感じたのだけど…………)

 れんげには、それが確認できなかった。

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