1章 刀身
バイク雑誌をパラパラとめくりながらその部屋の出口のすぐ前で待っていた
「お待たせしました」
シンプルで丈の短めのシャツワンピと細めのジーンズ姿の少女もそれに気づき、守弘のもとへ駆け寄る。無造作な、太めに結われた長い三つ編みがその背で跳ねた。
守弘と、頭一つ分以上の差がある。高めの身長で筋肉質な体格の守弘と比べると、華奢で高校生女子の平均より背の低い少女はかなり小柄に見える。
雑誌を脇にはさみ、シャツの上に革のジャケット、いかにもはき慣れたジーンズといったいでたちの守弘は短く少女に尋ねる。
「できた?」
「ええ。――この通り」
意志の強そうな瞳が彼を見上げる。
少女は持っていた紙片を守弘に示した。
まっすぐ正面を見ている小さな写真と、緑地に書かれた有効期限――免許証だ。
それを見ながら守弘が言う。
「れんげって、二月生まれなんだ」
「――単に、立春の節ですよ。
籍も生年月日も、便宜上のものです」
冷静に言って、少女は免許証を自分で確認する。
「でもそれで、れっきとした身分証明になるし、世間的にはれんげは十六歳になる」
守弘が言い、なるほどと少女は頷いて苦笑した。
「高野れんげ、という
「いいんじゃないか? 現にれんげはここにいるんだし」
財布に入れておくといい、と守弘の言に少女は従った。
少女は、高野れんげという。
人間ではない。
もともとは腰鉈。
ただし、れんげの姿はどこから見ても人そのもので、免許証が示す生年月日から計算できる十六歳、という年齢相応かそれ以下に見える。
少し前にあった小さな事件で、守弘もれんげのことを知った。
三原守弘はれんげのクラスメイトで、現役のレーサーでもある。昨年度初めてF3参戦を果たし、結果はそれほど芳しくなかったものの将来に期待のおける一人として関係者の目には留まっている。
十一月にもなるとそのレースイベントも終了しているため、守弘に時間の取れる機会はそれなりに増える。れんげと守弘がこうして一緒に出かけるようになったきっかけでもある先の騒動の折に守弘が手に入れ、レストアしている原付にれんげが乗るため、この日二人は県の免許センターにやって来ていた。
滞りなく手続きは進み、こうして
すっかり夕刻になっていた。
この日は月曜日で、平日だが、れんげたちの通う
修理中の原付はまだ完成していないが、それも今月中には仕上がりそうだ、とは守弘の言で、その前に免許を取っておくのもいいだろう、とこの日れんげを誘ってれんげがそれに応じた。
原付のみだが、取得までに意外と時間はかかる。
朝から行って申し込みをして、学科試験や運転講習などを経て、交付されたのは四時を過ぎていた。
この季節だと日没も近く、黄昏時、という表現がしっくりくる。
「――じゃあ、帰ろうか」
建物を出たふたりは、橙緋から藍へのグラデーションを見せる空の下、駐車場に停めてあったバイクに向かう。
すぐ近くに守弘のバイクは待っていた。
「あ――そうだ」
「はい?」
ヘルメットを渡しながら守弘が思い出したように言った。
「そのメット、お祝いにあげるよ」
「え?――いいんですか?」
「ああ。それはれんげに合わせてあるんだ。免許取ったらあげるつもりでいたし、必要だから」
そういえば、とれんげはあまり気に留めていなかったフルフェイスのヘルメットを見直す。
よく見ると、以前借りたものと形が違う。思い返すと今朝ここに来るときに被った感触も、前のものよりしっくりと合っていたように思う。
必要なのも守弘の言う通りだ。
「確かに。
えっと――ありがとうございます」
れんげは頭を下げる。
表情はあまり変わらないが、それでも感謝の眼差しが浮かんでいる。
「いいって」
守弘はそう笑いながらバイクにまたがり、イグニッションを回す。
れんげもそのヘルメットをかぶり、後ろのシートにまっすぐ座った。
守弘がアクセルをゆっくり開き、ふたりは免許センターを後にした。
古道具屋<
古風な佇まいの日本家屋で、磨りガラスの引き戸に臙脂で店の名が書かれている。<九十九堂>はれんげが現在住んでいるところでもあり、古い物を手入れして、道具として使えるようにして売ってもいる。
売れないようなものも集めているのだが――
――その店から、一人の老人が現れた。
「お、れんげちゃん、お帰り。
守弘もちょうどええ、ちょっと手伝ってくれや」
関西訛りの、濃茶の作務衣がこれ以上ないくらいに似合った小柄な
ヘルメットを脱いで、れんげが言う。
「茂林――これは?」
「この間の骨董市で仕入れたモンや」
そう答えてから宅配便の男に、茂林と呼ばれた老爺が指示をする。
「丁寧に扱ぉてや。あぁ、置くのはそのへんに置いといてくれてええから」
茂林も人ではない。
動物が力を蓄え妖の類となったものだ。
正体は、変化狸である。動物妖の中でもポピュラーな種だ。百数十年前にれんげと出会い、それから行動を共にしている。
守弘が少し肩をすくめて、店の入り口の前に積まれた段ボール箱をひとつ、軽々と持ち上げた。
箱は全部で三個あった。そこそこの大きさをしている。
れんげが<九十九堂>の扉を全開にする。
――と。
「おっ兄ちゃぁんっっっ♪」
喜びを露わにした明るい声がして、ひとりの少女が店の奥から飛び出した。
そのまま守弘に抱きつこうとして、れんげに止められる。守弘は抱えた箱を落とさないようにバランスを保ちつつ言う。
「メっ――メル、危ないだろっ!?」
注意されたことにふくれる少女は表情豊かなローティーンの様で、くしゅっと巻かれた金髪と透き通るような白い肌に小柄な体で、守弘とれんげを見上げる表情豊かな碧の瞳にも幼さが残っている。
その幼さと可憐さを強調するような、フリルとレースでふわりと彩られた薄青のワンピース。
「ごめんなさぁい……」
悪びれずに言う、このメルもやはり人ではない。れんげと同じ付喪神の類で、もとは古い車のステアリングハンドルだ。このメルの関係した事件で、れんげと守弘の関係が育ちはじめたのはつい十数日前のことだ。
れんげは妖怪――付喪神となってから、その退治のため天より顕れた護法童子という鬼に従い、現世で鬼に代わって悪事を為す妖怪を諫める、という役を担っている。
捨てられた道具などが化けて人々に恨みを晴らすのは室町の頃にも伝承が残っており、まとまって妖物集団と化すこともある。
れんげも他の道具に誘われ、この姿形を得た。が、実のところれんげに憎悪の情は薄く、むしろ悲しみと、人への憧れと、自由に動く身を得て彼女――その腰鉈――をよく使っていてくれた恩を返したく思い、その誘いに乗ったのだった。だから人を害することに荷担せず、同類たちのもとを去ろうとしていたが――その時に護法童子が遣わされた。
護法童子はそんなれんげに目を付け、れんげは彼らの代わりに働くことと引き替えに、人の暮らしを得て、今に至る。
――結局、三箱すべてを守弘が店内に運び、サインをした伝票と粘着テープで巻かれたやけに長い袋を手に茂林が続けて店に入った。
メルは守弘にくっついて離れず、最後にれんげが店の入り口のガラス戸を閉めた。
それほど広くない店の奥、カウンターの向こうは生活空間になっていて、開きっ放しの引き戸と襖の間から炬燵のある居間がのぞいている。
店からは一段高くなった廊下に守弘は箱を並べて置いた。
「ありがとうございます、守弘さん」
「いいよ。
――どれもそんなに重くなかったけど、中身はなに?」
守弘は廊下に腰を下ろす。地上から六十センチ程度の、座るのに丁度いい高さだった。
「ああ、開けてみよか」
茂林が軽く言って、粘着テープを剥がして段ボール箱を全て開けた。
他の三人(?)は興味津々に覗き込む。
緩衝用の発泡スチロールに埋もれて、新聞紙でくるまれた何かが数個、それぞれ触れ合わないように、動かないように詰められていた。
三箱とも包みの大きさや形は色々あったが、同様の中身だった。
れんげが一つ引っ張り出して包装を解く。守弘とメルもれんげの真似か、それぞれ別の箱から新聞に包まれた物体を取る。
「――お皿、ですね」
「こっちは壷か? 置物みたいなのもあるけど……」
「この一輪挿し、可愛いっ。素敵――あたし欲しいなぁ」
茂林が楽しそうに笑う。
「あげてもええけどな、大事に使うんやで」
茂林は時々、こうして古い道具や骨董品を集めてきていた。商売的に見れば『仕入れ』とも云えるし、れんげの務めのことを考えれば妖物に変化する前に『保護』してきたとも云えるだろう。
「これ――化けるのか?」
そのことに思い当たったか、守弘がれんげに尋ねた。
「いえ、その前に集めているのです。もとの姿――役割を失い、妖となってしまう前に。
変化してしまったものは、戻りませんから……」
れんげは、自分のものになった薄桃色のガラスの一輪挿しを愛おしそうに服で磨いていたメルの頭をそっと撫でた。
きょとん、とメルがれんげを見上げる。
「人に迷惑をかけずとも、またかけたことを省みても、もとの形として道具として使われることはもうありません。
そうなる前に、まだまだ道具として使えるようにするのです」
もう一度れんげはメルの頭を撫でた。
「もっとも――ほとんど、あまり古くありませんね、茂林。
せいぜい数十余年くらいのものが多いように思いますけど……」
「まぁ、商売もあるからな。
――でも今回の目玉はな、こっちなんや」
守弘は「それでも十分古道具と思うなぁ」と呟きながら、茂林が示したその包みに目を向けた。
先ほどの宅配便で一緒に届いた、細長い包み。それを茂林はまだ開封せずに持っていた。
「それは?」
れんげが問う。
「すごいでぇ――――」
ようやく茂林はその包みを破りはじめた。
□■□■□■
「――おぉ」「これは――」「?」
三者三様、茂林の取り出したものに視線を奪われる。
「嬢ちゃんはさすがに判らへんか」
茂林はメルの『?』を浮かべた表情に苦笑をこぼす。
「
それは、刀の鞘だった。
れんげの言う通り、細かな技術を窺わせる造りだ。深い朱塗の地に、白く蝶の紋が入っている。丸い、羽を広げた蝶の図柄で、一カ所ながら印象に残る。
鯉口から鞘尻まで、細かな部品のほとんども一緒にある。
「しかも、これはかなり……」
「判るか、れんげちゃん。
たぶん江戸中期――元禄から享保、その辺とワイは
茂林はどこか不敵な口調で、その鞘をポンポンと叩く。
「……って、いつぐらい?」
守弘はこそっと、れんげに訊いた。
「西暦でいう十八世紀初頭、ですね。
――確かにそれくらいの年月を感じます」
「そんな古いんだ――すごいな」
守弘の袖をメルが引いた。
「お兄ちゃん、サヤ、ってなぁに?」
「ん? あぁ、刀を入れる入れ物だ――って、そうだ、これは鞘だけ?
茂林、中身は?」
「これだけやった。
な、気になるやろ、れんげちゃん」
「そうですね……」
短く答えたれんげは、鞘に意識を向けたままだった。
「れんげ?」
守弘が呼ぶが、応えない。
「お姉ちゃん?」
「どうした? れんげちゃん」
「?――れんげ?」
「!? あ――すみません」
はっ、とれんげは顔を上げる。
「何かあった?」
守弘が鞘とれんげを見比べた。
「何か――どこか、懐かしい感じがしたのですが……」
そう感じたこと自体を不思議がるようにれんげは首をかしげる。
そのとき、居間の古い柱時計が柔らかく七回鳴った。
「お、もうそんな時間か」
茂林が立ち上がった。
「月曜の七時はなぁ、見たいテレビがあるんや」
と、居間に入る。
れんげも腰を上げた。
「晩ご飯の用意、しますね。
守弘さんもどうぞ」
「ああ、ありがとう」
守弘も靴を脱いだ。
「これ――荷物はどうする?」
「あぁ、そこ置いといてええ。細かいことは明日や」
茂林が言い、れんげが居間にポットと急須と人数分の湯飲みを運ぶ。
「お茶、適当に入れて下さいね」
そう残してれんげは台所へ行った。
茂林がいそいそとつけたテレビでは、鑑定番組が始まっていた。
十数年続いている人気番組である。守弘もほとんど見たことはないが、存在は知っている。
守弘は炬燵に浅く入り、お茶の用意をする。
「これ?」
「そや。たまにコレは、ってモンが出てくるし、値つけが
番組は、ゲストタレントの持ってきた掛け軸が紹介されていた。
しばらくそれをじっ、と見て茂林が言う。
「こら偽物や。よぉ付いて二・三万やな」
「へぇ、判るんだ」
「なんとなくな。電波越しで『読める』ようになってきたんは最近や。
これでもちょっとは
「ふぅん……」
茂林は前述の通り、狸が妖力を得た存在だ。道具や人よりもものの気配を探る能力に長けている。
「長い年月過ぎたモノの気はな、電波越しでもプンプン臭うんや。アレからは臭わへん。こいつの言う程の昔のモンやあれへん」
――数人いた鑑定士たちの付けた価格は、二万円だった。
タレントの驚いた顔がアップになる。
「へぇ、大したもんだな」
「まだ半分くらい勘やけどな」
茂林は守弘の賞賛に、まんざらでもない得意げな笑みをうかべて自分の分のお茶を入れる。
番組は続けて、一般視聴者の『お宝』の紹介をしていた。
守弘はそれほど興味をそそられなかったか、持っていたバイク雑誌を広げた。やはり番組にさほどの関心を示さなかったメルも、雑誌を覗き込む。
「メル――そんなくっつくな」
「いいでしょっ。
――これが今のエンジン?」
守弘は諦め気味の溜め息を漏らしてメルに答える。
「まぁ、これはバイク――二輪車のだけどな。四輪車用のになるともっと排気量もパワーも大きいのがあるよ。二輪にはまだ自主規制があるからな」
「自主規制?」
「安全のためになん馬力に抑えましょう、ってこと。まぁ四輪車のは撤廃されたし、その内二輪の自主規制もなくなると思うけどな」
「ふぅん――お兄ちゃんのあのエンジンは?」
「あのバイクか? あれは四十そこそこ。メルと同じくらいかな。レースで乗ってるヤツは二百十はあるぞ」
「すごいの?」
「メルのパワーの、六倍かな」
「ぇ!!!」
メルが目を丸くした。
そこへ、れんげが戻ってきた。
「メル、守弘さんから離れなさい。
ご飯ですよ」
「……はぁい」
渋々、といった調子でメルが動く。
夕食は、豆腐のステーキと味噌汁だった。こんがりと焼いた厚めの豆腐には微妙にとろみのある茸のソースがかかっていて、醤油の香ばしい匂いが食欲を誘う。味噌汁には椎茸と
「簡単なものですけど」
と言いながられんげは人数分のご飯をよそって配る。
「いや――うまそうだよ」
守弘は雑誌を床に置き、ふとれんげの前を見た。
「れんげのおかず、少なくないか?」
「そうですか?」
守弘の指摘のとおり、れんげの分の豆腐は少々小振りだった。
「気になさらないでください――茂林?」
れんげが呼ぶが、茂林はテレビに釘付けのままだった。
食事に並ならぬ欲を示す茂林にしては珍しい。
「茂林?」
「――
画面から目を離さずに茂林が言い、他の三人も注目する。
――番組は、とある刀工を紹介していた。
『――本流からは外れているものの優れた腕だった
「?」
れんげが振り返ってテレビを見た。
画面がスタジオに変わる。
『さあ、依頼人の登場です!』
司会者が言い、初老の男が現れた。
一緒にやってきた小さなテーブルに掛けられていた布が取られる。
――出てきたのは、掌よりも小さい金属の彫り物だった。
その横に『景雲作【
茂林はテレビに向いたまま、いつの間にか手に茶碗と箸を持っていた。
「こいつ……本物や」
司会者と初老の男が話をはじめる。
『I県K市の――これ、何と読むんですか?』
『こしばえ、です』
小椎八重さん、とルビ付きの字幕が出る。
『珍しいお名前ですね』
『ええ、K市では私の家だけですね』
そんなことを枕に、話が進む。
それによると、小椎八重氏は十数年ほど前に骨董屋でこの鐔を見かけ、その細微な彫りに一目惚れして購入した、という。その時から鐔とその周りの部品だけで、個人的に調べていって刀本体のことも判ってきてその価値を知りたい、ということらしい。
その鐔は、確かに細かな彫刻で、金工――鐔師の技術の高さを思わせる。円を基調に、真中の刀身を通す穴を胴に見立てて一羽の揚羽蝶がキリッと羽を拡げている。輪郭は太く、筋の一本一本に至るまで描写され、薄蒼い燐光が施されている。
裏面が映される。そちらは右下の
「この蝶、鞘のと同じやろ」
「言われてみると――似てるな」
「同じ刀の、ものでしょうか――それにしてもこんな偶然……」
「ありえなくはないやろ。
出てくる時には結構まとめて出てくるモンや――にしても」
画面の向こうでは、鑑定士が熱心にその鐔を観ていた。
「鞘に鐔、か。ホンマに本体はどうなっとるんや……」
鑑定額はCMのあとのようで、番組は中断された。
「今のはどこにあるの?」
メルが守弘を見上げる。
メルはこの姿になって、<九十九堂>で暮らしだして初めてテレビを知り、すっかりハマった。今や<九十九堂>で最もテレビを見ているのはメルだ。
ちなみにブラウン管が発明されたのは一八九七年だが、世界初のテレビ放送は英国BBCの一九三六年だと云われている。
メルが生まれたのは一九〇〇年でそれよりは古いのだが、知らなかったからか最初の衝撃と、そこからののめり込みはあっという間だった。
「I県K市、やや遠いかな、って距離だな」
守弘が軽く答える。茂林とれんげの勢いに誘われ、守弘もテレビに注目しだした。
茂林は無言で箸を動かしながら、目はテレビからほとんど離さない。
メルも「ふぅん」と言いながら、あまり興味の湧かない様子でフォーク――メルのぶんだけ箸ではなく、フォークになっていた――を取った。
守弘はれんげを見る。
「――れんげ、こういうのって集めに行ったりするのか?」
「気にはなります。できるなら、行って拝見だけでもさせていただきたいですね」
「そやな。あの男の連絡先とか判らへんかな……」
「難しいんじゃないか? 個人情報とかのカラみもあるし」
「番組に聞いてみよか――おっ」
CMが終わり、先ほどの鑑定額が出ようとしていた。
持ち主は購入額七万円を評価額として提示する。その鑑定結果は――――四十万円だった。
マイクを持たされた鑑定士の一人が言う。
「間違いなく本物の、『倶利伽藍揚羽』の鐔ですね。景雲作の刀は現存するものが少なく非常に貴重なんです。中でもこの頃の作は凝った作りで芸術品的な価値も高い。『倶利伽藍揚羽』は当時の岡山藩主に献上された、とも言い伝えられている歴史的価値から観てもとても重要な刀ですね。
そう言った意味でのこの価格で、もしも刀から鞘まで完全に状態良く揃っていれば、一千万は下らないでしょうね」
拍手がおこる。小椎八重氏が笑顔で頭を下げていた。
茂林がくるりと、テレビに背を向けた。
「れんげちゃん、おかわり。
――アレはどうにか、手に入れたいな」
番組が終わった。れんげは受け取った茶碗にご飯を盛りながら頷く。
「しかし鞘といい鐔といい――何かを感じます。
懐かしいような……近しいような」
「れんげの過去に縁がある、とか?」
守弘がようやく箸を取り、自分の膳を見た。
「!! 茂林ッ!
いつの間に俺のおかずをッ!?」
守弘の分の豆腐ステーキが、半分になっていた。
「食事時に隙見せるからや」
茂林は悪びれずに言う。
れんげが小さく溜息をこぼした。
「守弘さん――私のをどうぞ。
――茂林」
れんげが、茂林の茶碗を取り上げた。
「なにすんねん!」
「それはこっちの台詞です」
れんげはまだ手を付けていなかった自分の皿と、守弘の分を交換した。
「守弘さん、気になさらず食べて下さい。私は米だけでも充分ですので」
「いいのか?」
れんげは柔らかく笑って頷き、その一方でまだ残っている茂林の膳を片付けはじめた。
「待って、れんげちゃん――あと一口」
「駄目です」
「茂林じーちゃん、反省なさいっ」
メルがれんげを真似た口調で言い、くすくす笑う。
「お兄ちゃん、あたしのもいる?」
「いや、いいよ。ありがとう」
茂林は反省の素振りは薄いがそれ以上の抵抗を諦め、箸を置いて湯飲みを取った。
すっかりぬるくなっていたお茶を一気にあおって
柱時計が八時を知らせた。
□■□■□■
「――何かお探しですか?」
とある電気店。
店員がにこやかに一人の女性に声をかけていた。
長い、綺麗に流れる深い銀髪が目立つ。前髪だけが結い上げられていて形の良い額を見せている。
簡素な淡白い着物姿に、鈍い金色の帯。
背はすらりと高い。切れ長の瞳の、鼻梁の通った美女だ。
細身だが肉感的で、どこか艶のような華を感じさせる。
着物の前が大きく開いており、深い谷間が垣間見える。
その胸元からは、龍の頭がのぞいている。
その女性は店頭のテレビを見ていた。
何台も展示してあり、いくつかのチャンネルの番組を放送していた。
れんげたちが見ていた鑑定番組もある。
「見つけた――」
女はそう、呟いていた。
視線の先には例の鐔があった。
「あの……」
再び店員が言う。
女はきっ、と振り返り隣に立っていた店員を見た。
「お前――これはどこじゃ」
「……は?」
「これが
あの男はどこの者じゃ」
女は、訛った口調でそう言って、鑑定番組を映していたテレビを示した。
「さ――さあ……」
店員の笑みは失せる。
「あ、でもさっきI県K市とか言ってましたね」
が、店員は親切だった。
「近ぇんか?」
「あ――いえ、そんな近くはない……と思います」
「そうか」
「えっと、テレビお考え――ではないんですか?」
「ん?」
女は形のいい眉をひそめ、不思議そうに店員を見た。
「ウチはさっきの鍔が見えたから見とっただけじゃ。
――邪魔したな」
女はくるりと振り返った。
「は、はあ……ありがとうございます」
一応、といった風で店員は去ってゆく女にお辞儀をした。
女は非常に目立つ風体だった。
胸元の開いた和装で銀髪の美女だ。無理もない。
しかし、人通りの少なくない繁華街を、周囲の視線も気にしていない様子で女は歩いてゆく。
その女の前にどっと、男女の一団が現れた。行く手を遮る格好になる。
が、その集団には女をどうこうしようという雰囲気はなかった。たまたま、すぐ横にあった居酒屋らしき店から出てきたようだ。
ワイワイと騒ぎながら、酔いつぶれたのだろう、一人のまだ若そうな男を二人の男が担いでいる。「タクシー呼んで帰らせようぜ」誰かが言う。車道に出そうな勢いで別の男が飛び出し、呼び止めたタクシーにぐったりした男を数人が運ぶ。
見るともなしにその様子を見ながら、女はその集団を避けた。
その先に今度は、客待ちで路駐しているタクシーに中年の男が乗り込んでいた。
女が呟く。
「――アレを捕まえりゃあ行けるんじゃねぇか」
女は辺りを見回し、路上で待機していたタクシーの明かりを見つけるとそれに近付いて行った。
それに気付いたタクシーが後ろのドアを開ける。
「――どちらまで?」
まだ若そうな運転手だった。ルームミラー越しに女を見て、眠そうな半開きの目を大きくする。
「I県K市に小椎八重っちゅう者が住んでるはずじゃ。
やはりそうか、と小さく頷いて女は先程聞いた土地を告げた。
「I県……ですか!? ちょっと遠いですよ」
そう言うが、運転手に断ろうという雰囲気はなかった。
「構わん」
女はシートに深く腰掛けなおした。形よく大きい胸が揺れる。
運転手はつばを飲む音が聞こえそうなくらい喉仏を動かしてから、車を発進させた。
―――数時間後。
タクシーはK市に入っていた。
運転手がさすがに疲れた様子で、ルームミラー越しに女に問いかける。
「えっと――そのコシバエさん、ってどのあたりに住んでるか、知ってます?」
「知らん」
車内はずっと、こんな調子だった。
下心を漂わせた運転手が話しかけ、女はほとんど答えないか、応じても短い返答で会話が続かなかった。
女は自分の素性も車で数時間の距離を移動する目的も話さなかった。
運転手は一度肩をすくめ、車を路肩に停めて振り返った。
「まぁもう、ここまできたら最後まで付き合いますよ。
適当に走って探してみたらいいんですかね」
「気が利くな」
運転手は笑って、再度車を出した。
意外に早く、その家は見つかった。
「いやぁ、珍しい名前でよかったですよ。
電話ボックスの電話帳にも一件しかなかったんで、間違いないでしょう」
タクシーはすっと、場所の判った目的地へ向う。
程なく到着して、車を停めて運転手はやれやれと首を鳴らした。
女が腰を少し浮かせて、運転手を労う。
「ご苦労じゃった」
「いえいえ。
えっと、料金が三三五二〇円、ですね」
「――は?」
女は小首をかしげる。何気ない仕草だが、絵になる。
「いやだなぁ、料金ですよ。ここまでの」
女は、半身で後部座席に向いている運転手を無視して車から出ようとした。
「待ってくださいよ、そりゃ犯罪ですよ」
運転手の声にいくぶん、怒気が混じった。
女の着物を掴もうと手を伸ばす。
――が。
「ふッ!!!」
銀色の光が疾った。
ルームライトに反射した、一閃と呼ぶに相応しいその軌跡は運転手の手をかすめる。
運転手のかぶっていた帽子のつばがぱっくりと割れる。
同時に、運転席と後部座席の間に入っていた透明の仕切りも斬られていた。
運転手の髪が数本舞い落ちる。
血の気の引いた顔で運転手は身体ごと女から距離をとった。
「ウチに触んなッ」
荒々しく言い捨てて、女は後部ドアを開けようとした。
が、ロックがかかっていて開かない。
女は後ろ髪を掻き揚げた。
「ふン――――」
すぅ、と気を吐きそして、その腕をひゅっ、と振り下ろす。
鈍い銀の光が落ちた。
ぎん、と金属同士のぶつかる音がする。
「!! ひぇえっ!?」
運転手が奇声を上げた。
タクシーの後部ドアは、ドアハンドルの真上を通ってまっすぐ縦に斬り下ろされていた。
女は無造作にドアを蹴った。
ぎぃっ、とドアが開く。
窓ガラスの一片が落ちて割れた。
「――けぇ以上斬られとぅなけりゃぁ、さっさと去ねッ」
完全に女が、気を制していた。
運転手は恐怖に引きつった顔で頷いた。
女がタクシーから出る。
タクシーは、後部ドアをガタガタさせたまま走り去っていった。
「――ここか」
女はタクシーを見送ることもなく、正面にあったその家を見上げた。
旧いがしっかりとした造りの、大きな屋敷だった。
タクシーの運転手がそれを確認して停まったからだろう、『小椎八重』と書かれた重厚な表札のある門の前に女は立っていた。
にぃっ、と女が笑う。
「感じる――感じるで。
間違いなくウチの分身の気配じゃ。
なぁ、お前ぇも感じてるか?
やっと再会できたんじゃ――」
時間はすっかり、深夜になっていた。
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