付喪神蓮華草子 / 鋼揚羽
あきらつかさ
始章
(――あれは、いつのことじゃったろう)
もっとも、年月の感覚など無意味に近く、人々の唱える時にも関わらないため、そんなことを思っても「いつ」と特定する言葉に困るのだが。
声――音にはならなかったが、その言はどこか、訛っていた。
ともかく、
いつかは知らぬが、それ本来の役割で使われていた当時のこと。そこから
使われなくなって久しく、しばらく『眠って』いたようだ。
(――あれは)
生まれたのは、数百年ほど遡る。実用に加え装飾に重きが置かれ、凝ったものが色々と作られた。その中でも、相当に手の込んだ造作をしていた。
魂が宿ったのは、生まれてから百年ののち。あと数十年もすれば時代は激動へ流転しようという頃の、いまだ太平と云えたころ。
(――あの頃は、
汚れたあとも、
ある意味、憧憬の対象だった。
想いに応えようと己も気を張り、人の役に立ってきた。
だが、時代は酷にももっと高圧的で広範囲に有効で強力な「力」を求め、
(――ここは?)
暗く、人の気配もなく、温度も低い。
ただ小窓から入る月光のみが室内に入る照明だった。
損傷はない。
が、
裸に近い様相で横たわっている。
(――捨てられた?)
飾るばかりで、使うことはなかったから。
見世物じゃない、と内心憤りを覚えてもいた。
それでも大事に扱われていた、はずだった。
じょじょに、
(そう――幼子に傷つけられた)
そうして修理に出されたことを。
ただそれはもう、二十年は前のことだ。
修理はとうの昔に済んでいた。
だが、ここにある。
物置のような、土埃の立つこの場所にある。
無造作に置かれている。
これを「見捨てられた」と云わずして何という。
持ち主からも修理を任された者からも、放っておかれているのは事実だ。
(こんな所でただ錆び、朽ち果てていくのか――今まで長年、幾人もの人の手に渡り功を立てたこの身が、労いもなく捨てられるのが運命か)
同時に、恨みを抱いた。
だが、動くことはできない。
自由に闊歩する肢はない。
己の意思で動く躯はない。
(――
造化の神の導きを受けて姿を変え、仇を報じようという相談事――そこに加わっていたわけではない。
(造化の神――)
それは、祈りはじめた。
(――おるならどうか、この身を造りかえてほしい。
ウチを捨てたあの人にこの恨みを晴らしたい。
報いるための身体がほしい。
探し、追い、斬るための力がほしい。
どうか、聞き入れ手を貸して――つかぁさい)
節気も陰陽も、いつが『その時』かも判っていないまま、執拗に『造化の神』を呼び続けた。
祈りは、幾日幾週も続いた。
だから、その時に至ったのは偶然でも幸運でもない。長くても十数週もすれば節気は訪れる。
(っ――――!?)
それを、何かの力が包んだのは陰陽の入れ替わりが強い、ある晩だった。
(これが――っ?)
それは、意識を力に委ねた。
己の身の変化を覚える。
「……これは?」
月影に浮かび上がり、その身を起こしたのは、すらりとした、細身と肉感の均衡が取れた、艶のある女――に見えた。
長い、鈍い銀髪がさらりと揺れる。
前髪のみ結われ、他は麗らかに流れている。
きりっとした鋭い瞳の美女だった。
白い裸身にただ、肩口から胸元までが開いた淡白い長襦袢のような着物をまとい、細かな模様の鈍い金色の帯が腰を締めている。足には着物と同じ色合いの草履。
女の周囲は、道具や色々なものが崩れて転がっていた。
女は確かめるように自分の手足を眺める。
まったく、人の姿だ。
「あっ……はははっ。
これはええわ」
何か満足したか、そう言って女は立ち上がった。
女にしては長身だった。
鎖骨の間から模様が走っている。それが視界に入ったのか女は着物の前をはだけ、己の肌を見下ろした。
胸元に、龍の頭部がある。
女は更に、脚を露わにする。
左腿の内側に『景』と一文字、彫られていた。右脚の付け根付近では揚羽蝶が羽を広げている。
全身を見回した女は納得げに頷いて、着物を戻すと、つかつかと倉の扉に向かった。
鍵が掛けられている。
女が右手で後ろ髪を掻き上げ、その腕を振り下ろした。
しゅっ、と一閃の光が扉の隙間に疾り――鍵が斬り落とされた。
重い扉を無造作に跳ね開けて、女は夜気を深く吸い込んだ。
「これはええ。
これで、探し出ぇて恨み晴らしてやる。
――でも、まずは、ウチの分身を集めんと、な」
そう言って女は、倉をあとにした。
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