家に帰るとゴーレムが隠れてました

大学から戻った僕は自分の部屋のドアの前に立つと、深呼吸をした。もう一度深く息を吸い、一息に鍵とドアを開ける。集中していた耳には、ガチャバタンとドアの音に半ばかき消されるように、奥からパタパタと小さな足音が聞こえた。

「よし……」

足音の距離からして、風呂場やキッチンではない。となると、部屋のどこかにいるはずだ。

僕は電気のついた部屋を見回す。机やベッドの下、棚の後ろ、カーテンが不自然に膨らんでいるような事もない。しかしクローゼットの開閉音は聞こえなかった。そう難しい所には隠れていないはずだ。

そこで僕は、クレイは起きたら必ず自分の使っていたタオルケットをきれいに畳む事を思い出した。見れば、ソファーの上にはくしゃくしゃと丸まったタオルケット。無造作に置いただけにしては……妙に膨らんでいる。

「そこだ!」

僕はソファーに駆け寄ると、勢いよくタオルケットを引っぺがした。

「うわあ!」

悲鳴を上げて転がり出たクレイを、逆の手で受け止める。彼がちゃんと立ったのを見計らって、僕は口を開いた。

「ただいま」

「おかえりなさい。……うう……」


発案したのはクレイだった。

石川の件があってから、クレイは訪問者に対する警戒を強めていた。とはいえ大学生の一人暮らしで、友達もいなければネット通販もしない僕には来訪者などほとんどいない。しかし、彼は石川に捕まった事(俗に粘土人形捕獲事件と呼ばれる)が相当トラウマらしく、誰かが急に来た時にすぐ隠れる練習をしたいと言い出したのだ。

「とは言っても、この狭い部屋でかくれんぼなんて成り立たないしなあ」

「どうしましょう」

「言い出したのはクレイでしょ。考えて、ほらほら」

「う、ううん……」

そうからかうと、クレイは腕を組み、首をかしげていかにも考えていますと言うようなポーズになる。部屋に来たばかりの頃は表情も仕草も控えめというかどこか無機物めいたものがあったが、僕の漫画やラノベを読んで、最近は逆に動作がオーバーになってきている。

「あ、こういうのはどうでしょう!千秋さんが帰って来たら僕が隠れて、それを千秋さんが見つけるというのは!」

「おー……まあ確かにいつ帰ってくるってはっきりした時間は分からないから、いいかもね」

「でしょう!」

「でも僕が探すんじゃすぐ見つかりそうだけど」

「まあそこは……頑張ります?」

「僕に聞くな」

そんな訳で帰宅かくれんぼが始まり、今日でちょうど一週間目だ。今のところ僕の戦績は7勝0敗で、そのどれもが帰宅して数分足らずでクレイを発見している。

「なんというかさー、素直なんだよね、クレイは」

「えっ、ありがとうございます……?」

「褒めてないよ」

「えっ」


タオルケットを畳みなおしているクレイを横目に、鞄を放り出しベッドに倒れ込む。今朝遅刻しそうになって走ったせいか、今日は妙に疲れが溜まっているのだ。

「あー……お布団は僕の嫁……」

柔らかいベッドに体を横たえて力を抜けば、疲れが溶けてベッドに染み出していくような感覚を覚える。鞄をかけていた肩に疲労が残っているのを感じ、僕は大きなため息をついた。

「千秋さん、寝るならお弁当箱出してちゃんと着替えてください」

「うん……そだねー……」

「千秋さん、どうかしたんですか?」

「いやまあ……ちょっと今日は疲れて……」

クレイはやれやれと言った風に首を振ると、僕の鞄から弁当箱を引っ張り出してキッチンへ持って行った。カタコトと踏み台を動かす音がして、水音が聞こえる。

僕はとりあえず着替えようかと思ったのだが、ここまで来ると起き上がるのも面倒くさく、寝たままなんとか服を脱ごうとした。腕時計を外し、靴下とズボンを脱いだ所で疲れてしまい、再び力を抜いて寝そべる。

「お弁当箱洗いまし……なんで半裸なんですか」

「んー……」

「……千秋さん?聞いてます?」

「……んー…………」

「千秋さん?えっ、ちょっと、どうしたんですか?!千秋さん!!」


「風邪、ですね……」

「…そっか…」

「もう、気付いたら真っ赤になって倒れてるんですから、どうしようかと思いましたよ。ボクが言うのもなんですけど、体調不良とか、怠いとか、気付かなかったんですか?」

「妙に疲れたなとは思ったけど、僕ほとんど風邪ひいた事なかったから……」

あの後僕の額に手を当てて飛び上がったクレイは、僕を部屋着に着替えさせて布団をかけてくれた。僕はというものの、怠さで満足に体を動かす事もできず、終始クレイにされるがままになっていた。

「病院に行くのは時間的にも無理でしょうから……風邪薬はありますか?」

「無い。まさか、自分が風邪ひくとは思わなかったから」

「じゃあ、せめて体温だけでも測りましょう」

「それも無い」

「えっ?!でも、このままにするのは……」

自分の体を過信しすぎた事を少し後悔する。咳やくしゃみは無いのだが、その分ろくに歩けもしない無力感が辛い。

「どうすれば……あっ、そうだ。石川さんに買って来て頂くのはどうでしょう」

「……ああ、それはいい。クレイ、携帯取ってくれる?」

クレイが渡してくれた携帯を、重い手で操作する。持っているのも辛いのでクレイに耳元に置いてもらい、チャットアプリの無料通話を使う。数コールで石川が出た。

「もしもし、どうした?忘れ物か?」

「もしもし?ちょっと、頼みがあるんだけど……」

「うぉいお前その声どうした?!何だ?!喧嘩でもしてやられたか?!」

「違う、風邪……」

「えっ、ちょっとマジで大丈夫か?割と洒落にならない感じじゃねえか」

「大丈夫じゃない……薬と、体温計買って来て……金は後で払うから……」

「お、おう分かったすぐ行く!他に買うもんないか?食いたい物とか……この際だから食い物くらいは奢るぞ?」

「あー……桃?」

「桃?」

「桃のゼリーが食べたい」

「分かった。一応泊まれるようにしていくから、クレイに水飲ませてもらって安静にしとけよ。間違っても本読んだりゲームしたりするんじゃねえぞ。いいな!」

そう言って電話は切れた。クレイに礼を言って、姿勢を仰向けに戻す。通話の内容を聞いていたのだろう、クレイが水を持ってきてくれた。

「やはりいい方なのですね、石川さんは」

「まあねえ……はは、大丈夫だよ。またあいつがクレイを捕まえようとしたら、僕がなんとかするから」

「でも、千秋さんには安静にしててもらわないと」

「あ、大丈夫、起き上がりはしないから。この分厚いラノベを、頭に向かって投げるだけだから」

「結構エグいですね」

言いながらもクレイは安心したように笑った。


「38.9度…お前これインフルじゃねえだろうな?」

「周りにインフルの人がいるようには思えなかったけど……」

部屋に来た石川はとりあえず僕に体温を測らせ、携帯で何事かについて調べ始めた。クレイは薬の説明書を読んでいる。

「えーと、節々の痛みとかあるか?」

「あんまりない」

「あとは……急に熱上がったか?それともじわじわ……いや、そういや午前中からなんか様子が変だったよなお前」

「朝走った疲れだと思ってたんだよ……」

「って事は朝からか?となるとやっぱ風邪か」

石川は袋からゼリーを取り出してクレイに渡すと、自分の荷ほどきを始めた。

「とりあえず俺今日は泊まってくからな。薬飲んで一晩寝て、ある程度熱下がるなら大丈夫だろ」

「詳しいね」

「妹がかかった時いつも俺が看病してたからなー。とりあえず食えるならそれ食っとけ、なんか腹に入れて薬飲んで寝ろ」

石川は鞄から着替えや寝袋を取り出していた。以前は泊まりに来た彼にはソファーで寝てもらっていたのだが、クレイがいる事に対する配慮だろう。言動は粗暴だが、気配りは人一倍こまやかな奴なのだ。

「千秋さん、食べられます?」

ゼリーを持たされて立っていたクレイが声をかける。

「ああ、うん。胃は大丈夫そう」

「じゃあ、僕スプーン持ってきますね」

「あ、三本持ってきてくれ。俺とクレイの分もあるから」

「え、いいんですか?!」

「おう。麻野の分は俺が奢るが俺とお前の分は麻野から徴収するからな!」

「なんでだよ」


千秋が寝付いたのを確認した石川は、食べ終わった食器を洗っていた。洗い終わって部屋に戻ろうとしたところで、彼は足元のゴーレムに気付く。

「どうした?」

「いえ、あの……ちょっとお聞きしたいことが」

石川にはまだクレイの表情を読む事はできないが、その声色から真面目な話であるというのは分かる。彼は屈んで、小さなゴーレムに目線を合わせた。

「聞きたい事?」

「はい。以前その、石川さんがボクを捕まえて千秋さんに話を聞いた時に、ここまで真面目になるのはアレ以来だ、というような事を話されていたのが気になっていたんです」

「ああ、……アレな」

千秋が話していない事を自分が話して良い物だろうか、と石川は思案する。が、同時にそれは同居人に隠せるようなものでは無いだろうとも思った。

「お前、麻野の服脱いだ所見た事あるよな?」

「ええ、一緒にお風呂に入った事もあります」

「突っ込まねえからな……じゃあ、アイツの体に違和感感じなかったか?」

「違和感?」

クレイはキッチンの入り口から顔を出し、ベッドの方を伺う。布団がかかっているので、ここから千秋の体の様子を見る事はできない。

「まあ、なんだ。俺にはゴーレムの価値観はよく分からないし、アイツが言ってねえなら俺から言う事でもないが……もし違和感を感じたなら、多分それがそうだぜ」

「そうですか……」

「アイツ自身、気にしてるんだかしてないんだかよく分からないとこあるからな。麻野が自分から言ったらその時は受け入れてやれ」

「分かりました、ありがとうございます」

ぺこりと頭を下げて部屋へ戻るクレイ。その後ろ姿を見送りながら、石川は何事か考え込んでいた。


夜、寝苦しさと暑さで目が覚めた。

枕元にあった水を飲み、なんとかしてトイレに行く。戻ってくると、枕元にクレイが立っていた。

「うわ、……どうしたの、クレイ」

「いえ、水を補充しておこうと思いまして」

「そっか、ありがとう」

ベッドに潜り込み、一息つく。ソファーの向こう側では、石川がいびきをかいていた。

「他に持ってくる物はありませんか?」

「大丈夫」

「では……」

「あ、ちょっと待って。……うりゃ」

首をかしげるクレイにひょいひょいと手招きをする。僕はベッド脇まで戻ってきたクレイの体を掴むと、無理矢理ベッドの中に引き込んだ。

「おー、やっぱり冷たい」

「ちょっ、千秋さん、なんで、わあああああ」

クレイはじたばたと暴れるが、僕が離す気配が無いのを察すと大人しく腕の中に納まった。薄い部屋着越しに粘土の冷たさが伝わってきて心地よい。

「千秋さん?ボクは抱き枕じゃありません」

「いや、ほら、風邪って移すと直るって言うでしょ」

「ゴーレムに風邪は移らないと思います」

「お前に移して僕も死ぬ!」

「本末転倒じゃないですか!」

尚も逃れようとしたクレイを抱き寄せ、頭の上に顎を乗せる。クレイは風邪を引いている僕を気遣ってか、あまり派手に暴れる事はしなかった。

「千秋さん、なんか変ですよ」

「風邪でのぼせてるからじゃない?」

「そうでしょうか」

しばらく二人は無言で横たわる。熱と共に頭に巡るのは、一週間前のクレイの表情。今は、クレイの顔は自分の顔の下にあって伺う事はできない。

一週間、表には出さずともずっと考えていた事だった。作り主の事が気にならないと言うのは明らかに嘘だ。しかし、そこに自分のような人間が首を突っ込んで良いものだろうか?クレイのためなのか、自分のためなのか、よく分からない理由でずっと悶々としていた僕だったが…熱に浮かされた頭がそれを切り捨てた。

「クレイさあ」

「なんですか?」


「やっぱり探そう。クレイを作った人」


「えっ……でも、それは」

「いや違うな。探す。僕が探す。石川にも手伝わせる」

「でも迷惑では」

「いいんだよ、僕が探したいんだから。あいつだって嫌がったりしないと思うし」

「ですが」

僕は収まっていたクレイをひっくり返し、顔を手で挟んで無理矢理視線を合わせる。どこか困惑した表情のクレイに、僕は思いの丈をぶちまける。

「迷惑っていうなら、嘘をつかれたり隠されたりする方が困る。何度も言うけど、っていうかこの状況で言う事でもないけど、もっと僕を頼ってくれよ。……寂しいじゃん」

「千秋さん……」

腕に力が入らなくなり、クレイを解放する。クレイはそのまま目をぱちぱちさせていたが、やがて僕の胸に顔をうずめてくぐもった声で言った。

「本当に、いいんですか?」

「いい」

「きっと大変ですよ?」

「分かってる」

「本当の本当に、お願いしていいんですか?」

「しつこいよ、クレイ」

クレイは僕の服を握りしめた。

「……ありがとうございます」

僕はその頭を撫で、そのまま抱きかかえる。

しがらみが解けた後の眠りは、夢は見ずとも心地よかった。


翌朝、僕の体調はかなり回復していた。まだ倦怠感は残っているが、十分歩き回ることができるくらいだ。

「クレイ、おはよう」

「オハヨウゴザイマス」

「クレイ?え、怒ってる?なんで?」

「別に怒ってないです。あの後明け方にベッドから蹴り落とされた事なんて微塵も怒ってませんから」

「嘘?!えっごめん、それは本気でごめん!」

「せっかくいい話だったのに、千秋さんがそんな非情な方とは思いませんでした」

つんとそっぽを向くクレイに謝り倒す僕。そんな所に、キッチンから石川が顔を出した。

「お、熱は下がったみたいだな。まあ大事を取って今日は休んどけ。あ、勝手に飯炊いといたけど大丈夫か?」

そう言う石川の手には既に半分空になった茶碗がある。文句を言おうとした所に、クレイがとたとたとキッチンへ駆けて行った。

「石川さん、ボクにもご飯ください」

「おう、おかずもあるぞ」

「え、いつのまに二人なんか仲良い感じになってるの」

「まあ、朝色々あってな」

「色々ありまして」

「なにそれ気になる!!」

その後も和気藹々とし続けた二人に僕がいじけて慰められるのは、また別の話。

クレイを作った人を探すために僕達が動き出すのは、もう少し先の話。

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