家に帰るとゴーレムが寝てました
クレイと同居を始めてから四日が経った。
今のところ大きなトラブルは無く、むしろ彼は積極的に家事を手伝ってくれるのでとても助かっている。
一度その家事やその他の知識がどこから来たのか尋ねた事があったが、
「多分ボクを作った主人の物でしょう。何しろ作られた時の事を覚えていないので、そのあたりも分かりません」
と言われた。随分と手慣れた様子で(踏み台は必要とするものの)家事をこなす姿を見ていると、主人は主婦だったのではないかなどと想像が広がる。
ゴーレムは睡眠を必要としないができない訳ではないという事なので、夜はソファで寝てもらっていた。別に起きて好きな事をしてもいいのだと僕は言ったが、ゴーレムでも暗いところでは視界がきかず、起きていては電気代がもったいないと言われた。律儀だ。
その日の夜の事だった。
「千秋さん、お願いがあるのですが」
「ん、どうした」
夕食の後に洗い物をしていると、クレイがそう切り出した。住まわせてくれと言われた時ほど深刻そうな顔ではない。
「すぐじゃなくても良いので、大きな紙が欲しいんです」
「紙?」
このくらいの、と彼が身振りで示したサイズはかなりの大きさだった。流石に用途が分からなかったので詳しく聞いてみると、曰く魔力を補給するための魔法陣を書きたいという事だった。
「以前にもお話しましたが、ボクは食物と魔力の両方で動く最新型のハイブリッドゴーレムなのです。ですが実は、食物が無くなる分には大丈夫なのですが魔力が尽きると動けなくなってしまって……」
「魔方陣を書いて魔力を補給すると。書くだけでいいの?」
「はい、そこがハイブリッドの良い所です。従来の魔力のみで動くゴーレムは多量の魔力を消費するために魔力補給にも大規模な儀式が必要でしたが、食物エネルギーを併用すれば簡単な魔方陣からの補給で事足りるのです」
「なんか車の説明受けてるみたいだ……ちなみに、それって紙じゃなきゃだめなの?」
「いえ、重要なのは魔方陣が書けるかどうかですので画材は関係ないです。ただ、できれば無地の物が良くて、それだと紙が一番安いかなと」
つまり、クレイが上に横たわれるくらいの魔方陣が書ければ良いらしい。
「OK、分かった。明日帰りにホームセンター寄って来るよ」
「ありがとうございます!」
クレイは飛び跳ねて喜んだ。
約束通り、僕は次の日紙を買ってきた。
買いたい物があったついでだからいいよと言ったのだが、クレイは何度もお礼を言った。物腰が丁寧なのは良い事だが、ここまでされるとどうにも落ち着かない物がある。その日僕が帰ってきてから、クレイは家事を休んでずっと魔方陣を書いていた。
「疲れそうだな」
「そうですか?」
「だってこう、すごい丁寧に書いてるじゃん。手に力入ったりして疲れそう」
「千秋さん、ボクの手は粘土製で筋肉も何もないので疲れません」
「そう……ならいいんだけど、適度に休みなよ」
「大丈夫です。簡単なものなのですぐに終わりますよ」
とは言ったものの言うほど単純な物ではないらしく、結局その日は魔方陣は書き終わらなかった。
翌日、クレイは僕よりも早く起きて魔方陣を書いていた。僕もその日は一限からで早かったので、さっさと準備をすませて家を出る。
「クレイ、朝ごはん机の上に置いとくからちゃんと食べてよ」
「分かりました」
いってらっしゃい、とかけられた声が疲れているように感じたのは多分気のせいだろうと、その時は思った。
結論から言うと、全く気のせいではなかったのだが。
「ただいまー」
靴を脱ぎ飛ばし、電気を付ける。鞄を下ろそうとしたところで違和感に気付いた。
クレイの返事が無い。
というか、もう夜なのに電気が付いていなかった。一体何をしているのかと訝しく思い、声をかける。
「クレイ?暗いままで何してんの?」
返事は無い。
急に心配になってばたばたと部屋の中に駆け込む。電気を付けると、存外あっさりとクレイは見つかった。
「ってクレイ?!ちょっ、生きてる?!」
クレイは書きかけの魔方陣の上でうつ伏せに倒れていた。部屋を見回すが特に荒れた痕跡も無く、机の上の朝食は無くなっている。そして、クレイの横に転がる短くなった鉛筆。と、すると原因は……。
「魔力が切れた……のか?」
ひとまずどこかに寝かせようと、クレイを抱き上げた。つるりとした冷たい感触と、関節を無視して垂れ下がる腕が、クレイが無機物であることを改めて実感させる。ベッドに寝かせ、必要ではないだろうが布団をかけてやる。顔は直視できなかった。
一メートル四方ほどの紙に書かれた魔方陣は九割方完成していた。三,四つ円が重なった間に無数の記号や図形が書き込まれているが、よく見ると同じパターンを繰り返している。
(……これなら時間をかければ僕にも書けそうか?)
僕はクレイが落とした鉛筆を拾い、書き出した。
書き終えたのは次の日の午前三時だった。終わった瞬間、手と目の痛みを実感してどっと疲れる。が、ここで終わったからといって休むわけにはいかなかった。
ベッドからクレイを抱き上げ、紙の上に寝かせる。儀式などはいらないはずなので、クレイの話通りならこれで大丈夫なはずだ。魔方陣にもクレイにも変化は無かったが、もしかしたらそういうものなのかもしれないので、ひとまずはこの状態で放置する事にした。
夕飯を食べていなかったので、お茶漬けをかき込んでコーヒーを淹れる。つい昨日今日の勢いで二杯分のお湯を沸かしてしまったので、時間をかけて二杯飲んだ。時刻は午前五時に迫っていた。
いよいよもってクレイが動かないので、やはり何か間違えていたのかとそわそわし始めた時だった。
彼の指がかすかに動いた気がした。
カップを置いてがたがたと音を立てながら立ち上がったが、何も変化はない。諦めて座りなおそうとした時、今度ははっきりと、クレイが手を動かした。
「クレイ!起きた?!聞こえる?!」
「はい」
存外はっきりとした声で返事が帰ってきた。助け起こされるのも待たずにすっくとクレイが立ち上がる。不自然さや動きの鈍さはどこにもない。
僕は、クレイの頭をはたいた。
「なんでもっと早く言わなかったんだよ」
「……すみません。もっと持つと思ったんです」
しおらしくしているクレイを前にそれ以上言えなくなり、何度か口を開きかけたが黙って椅子に腰を落とした。クレイもそれを見て椅子によじ登る。
「もう、大丈夫なの?」
「はい。フルチャージです」
クレイが椅子の上に立ち上がってぱたぱたと体を動かし始めたので座らせた。
「すごいびっくりしたんだからな」
「すみません」
「二度と動かなかったらどうしようと思った」
「ごめんなさい」
「コーヒー二杯も飲んじゃったじゃん」
「……すいません?」
とにかく、とクレイの顔を上げさせる。
「必要な物とか欲しい物があるならすぐに言って。迷惑だとか思わないからさ」
「ですが」
「優秀な家事手伝いがいなくなると僕が困るんだよ」
その言葉を聞いてクレイはぱちぱちと瞬きをし、そしてくすりと笑った。
「千秋さんはツンデレですね」
「るさい」
後日、僕はクレイに頼まれた物を買いに行った。
裁縫道具や踏み台、粘土など、彼が欲しがった物はどれも値の張らずありふれた物であったが、一つだけ探すのに手間取った物があった。蝋燭を立てる燭台が欲しいというのだ。特に理由も聞かなかったが、何か儀式でもするのだろうかと考えながら適当な値段の物を見繕って買った。
予想は大体合っていた。実際に使う所は見なかったが、数日後にクレイは僕にあるものをくれたのだ。
「……クレイさん、何ですかこれは」
「魔除けのお守りです。効果は本物ですよ」
どこか得意げな顔で渡されたのは、刺繍の施された小さな布袋だった。見比べてみないと分からないが、簡略化された魔方陣が描かれているように見える。
「クレイが本物っていうなら、本当に本物なんだろうな……ありがとう。鞄に入れておくよ」
「あ、できればポケットとかに入れて持っておいて下さい。体に近いほど効果を発揮します」
「失くさないかな……」
「失くしたらまた作りますよ」
そう言ったクレイの表情は、なんだか妙に楽しそうだった。対して僕はまだ魔除けの効果に半信半疑で、半分以上義理で笑っていた所があった。
魔除けが本物だと思い知るのはわりかし先の話である。
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