シャボン玉日記
テトラ
1.黄(ぼく)
2006年3月5日
今日は、久しぶりに日記を書いてみようと思う。前のページを見たら、3年前のことが書いてあった。この日記は開くことさえ、本当に久しぶりだ。なぜ、また日記を書くことにしたかというと、今日、人生で3度目の大失敗をしてしまったからだ。同じ失敗を繰り返さないために、考えをまとめておきたい。書くと頭の中も整理されるしね。それでは、どんな失敗をしたのか、結論から書いていこう。
ぼくは石鹸を食べた。
これが今日の失敗だ。人に言ったら、「なんで、そんな物を食べたの?」って聞かれると思う。いつもそうだ。ぼくが何か変な物を食べると、みんな決まってこう聞く。だけど、そんな質問には全く意味がないと思うんだ。「食べてみたくなったから、食べた」ではだめなのだろうか。
もちろん、自分なりの理由はあるけれど、人に言っても絶対に理解してもらえない。これまでに、もう何回も試した。だから、説明するのは無意味だ。それよりも「食べてみて、実際どうだった?」と聞くべきじゃないか。
少し話がずれてしまった。日記だし、とにかく自分の思ったことを、そのまま書いていこう。まずは、みんなが聞きたがる「理由」について、自分なりに分析してみた。誰にもわかってもらえないだろうけれど、自分にだけわかればいい。
理由その1
石鹸の味が気になった。石鹸は今まで食べたことがないから、どんな味がするのか気になって仕方なくなった。もしかしたら、すごく美味しいかもしれないと思った。
……うん、間違いを認めよう。これは半分嘘だ。実はもっと前に、石鹸を舐めたことがある。石鹸が美味しくはないことを、ぼくは知っていた。
理由その2
今日はポカポカして、とても気持ちがよかった。いよいよ、本格的な春が来た。そんな陽気のせいでぼくの心はフワフワしていたんだ。いつもより、おかしなテンションになっていたのは間違いない。暖かくなると変な人が増えるというじゃないか。だから、気づいた時には、何も考えずに石鹸を手に取っていた。
……いや、これも半分嘘だ。気温に関わらず、ぼくは、いつでもフワフワしている。この話をすると、友人はみんな驚く。「自覚があるんだ!?」って。全く失礼な話だ。ぼくだって、自己を客観的に見ることはできるし、むしろ、同級生たちより、ずっと自己分析できているつもりだ。もちろん、ぼくが食べたくなってしまう物が、一般の常識からずれていることも知っている。でも、それは食べたくなってしまった物を、食べない理由にはならない。人に迷惑をかけなければ、何を食べたっていいじゃないかと思う。
あー、しかし、これは言い訳で、たまに予期せぬところで人に迷惑をかけてしまうことがある。そんな時は、とても後悔する。特に、衝動的に行動してしまった時は、自分の幼稚さに腹が立つ。長い付き合いの友人たちは、ぼくを優しく許してくれる。友人たちに対しては、申し訳なく思っているし、感謝もしている。そんな優しさに甘えているから、いつまでも普通の人間になれないのかもしれない。
ここまでわかっていても、どうしても変食(自覚はあるのだよ)をやめることはできない。
理由その3
「これは、違う」と、意識的にも無意識的にも避けていたのだけれど、どうしてもあの光景が頭をよぎる。ここまで、グダグダと書いてきた2つの理由は、全くの嘘とも言い切れないが、時間稼ぎしていただけなのは、明白だ。言うなれば、真実のうわべをツルッとなぞっていただけってこと。石鹸だけにね……。
今、頭の中をグルグル回っていることを隠してしまえば、嘘をついているのと同じことになってしまう。認めたくはないが、ぼくが石鹸を食べた直接的な理由は、ここにあるようだ。心の奥底に封印してしまいたかった。記憶喪失にでもなればいいのに。でも、そう考えれば考えるほど、あの光景を鮮明に思い出してしまう。この話は、今回の失敗を語る上で、避けては通れない道のようだ。……仕方がない。書くか。
まず、精神衛生のために、自分のことを確認しておきたい。ぼくは特殊な性癖なんて持っていないはずだ。たまに、ちょっと変な物を食べるだけ。誰かや、何かに執着することもない。むしろ、人間関係なんかさっぱりしすぎているくらいだ。これだけは、確認しておかないと、頭がおかしくなりそうだ。
では、これから真実を書き記していこうと思う。
……と、その前に、記述に集中するために、先にちょっとトイレに行っておこう。
さてと、今度こそ、本題に入ろう。ぼくが食べたのは、学校にあったレモン石鹸だ。外階段の横の蛇口に、赤いネットがかかっていて、レモン石鹸はその中に入っていた。毎日通り過ぎていた場所だけれど、そこの石鹸を食べてみたいと思ったことは、これまで一度もなかった。
今日の放課後、ちょうど水道の近くを通りかかった時に、学年で一番かわいいあの子が手を洗っていた。ソフトテニス部に入っていて、みんなに大人気の彼女だが
、ぼくが好きなのは他の女の子だ。(まあ、彼女のことも、可愛いとは思うよ)
でもその瞬間、なぜだろう、手を洗う彼女にとても惹かれてしまったんだ。正確には、彼女の手と石鹸に。
彼女の手は、白くて、小さくて、可愛らしかった。たぶん、部活の後だったのだろう。校庭の砂や、汗で汚れた手が、石鹸で綺麗になっていく。たくさん泡をたてて、手のひらと、手のこう全体を、優しくこすり合わせる。次に、指一本一本を丁寧に洗っていく。指の間を洗うことも忘れていない。指を立てて、手のひらをかくようにして、爪の間も洗う。最後に細い手首を洗って、出しっぱなしだった水道の水で、洗い流し始めた。大量の透明な水が、石鹸の泡を落としていく。すすぐ作業も、とても丁寧だ。彼女の手がどんどん綺麗になっていくのがわかった。水が冷たかったのか、関節のところがほんのりピンク色に染まっている。手を洗い終わった彼女は、軽く手を振って水を切ると、黄色いハンカチで手を拭きながら、階段を登って行ってしまった。ぼくに見られていたことには、気が付かなかったようだった。彼女が水道の前から立ち去るまで、ぼくは彼女(の手)に、すっかり見惚れていた。
汚れていた彼女の手が石鹸で綺麗になった。ただそれだけの光景が、ぼくの脳裏に強烈に焼付いた。彼女が去ってからも、しばらく呆然と立ち尽くしていた。そして、気が付くとぼくは、さっきまで彼女が触っていたその石鹸をネットから取り出すと、一気にガブッと齧っていた。
少し甘くて、すごく苦くて、熟す前のメロンみたいな味がした。レモン石鹸なのにメロンの味。メロンの、喉の奥がかゆくなるようなあの感覚がした。香りが付いたレモン石鹸だったから、そんなフルーティーな味がしたのかもしれない。
美味しかったかと言われれば、もちろん美味しくはなかった。どちらかと言うと、不味かった。いや、すごく不味かった。咳込むくらい不味かった。喉への刺激に耐え切れず、猛烈に咳込んで、口の中の欠片を吐き出した。水道の水で何度も何度もうがいをした。それでも、のどの痛みは取れなかった。しかも、勢いよく齧ったので、かなりの部分を飲み込んでしまっていた。
石鹸のショックから少し立ち直り、ぼくが水道にへばりついてゼイゼイ喘いでいると、不意に誰かが外階段を駆け下りる足音が聞こえた。この時点になって、ようやくぼくは気が付いた。
もしかして、これは許されざる変態行為なのではないか。その事実に、ぼくは愕然とした。よくよく考えてみれば、女の子が触った直後の物を食べてしまったのだ。一般的に、かなりイケナイことなのではないか。しまった。齧った瞬間は完全に無意識だった。齧ったのは一口だけだ(大きく一口だけど……)。一時の誘惑に負けた、魔が差した、つい出来心で……。似たような言葉ばかりが、頭に浮かんでくる。急に、焦りと罪悪感が膨れ上がった。いつものぼくの悪い癖だ。また、衝動的に食べ物でない物を食べてしまった。
幸い階段を下りてきた人物は、水道と反対側の、ぼくから見えない方向に曲がって行ったようだ。ぼくから見えなければ、相手からも見えないはず。外階段の上からも、手すりから身を乗り出さない限りは、水道は見えない。つまり、見られた可能性は低い。すぐに石鹸を元に戻した。齧った跡が、歯形になっている。そこは、水で溶かして滑らかにした。別の人が、僕の齧り跡を触ってしまっては、いけないとも思った。
そして、言い訳を考えた。ちょっと石鹸を食べてみたくなっただけで、直前に女の子が手を洗っていたのは偶然だ。タイミングが悪かっただけだ。こう自分に言い聞かせた。
だけど、自分に嘘はつけなかった。あの子が手を洗っていたことと、その石鹸を食べたことは、決して分けては考えられないことだったからだ。さらに、隠ぺい工作までして、何もなかったことにしたのだ。自分は、こんなにも気持ち悪くて、ずるい奴だったのかと凹んだ。
これが、ぼくが石鹸を食べた本当の理由だ。明確に文字にしてみると、なかなか辛いものがある。しかし、失敗を乗り越えて、反省し、先に進んでいかなければならない。そう、ぼくは前向きな人間なのだ。これを忘れてはいけない。
そして、ぼくはお腹を壊した。
当たり前だよね。もともと胃腸が弱くて、体に合わない物を食べると、すぐにお腹を下していたのに、石鹸なんかを食べたのだもの。当然の報いだ。さっきから何度もトイレに行っている。胃もたれもするし、喉もずっと痛いままだ。きっと明日まで、いや一週間は、体調不良が続くのだろう。まあ、今回の罪は、これで許されたことにしてしまおう。
今日はとても疲れた。もう寝よう。
<今日のまとめ>
失敗したこと
①石鹸を食べてしまったこと
②衝動的に、変態行為をしてしまったこと
心配なこと
①病気にならないか
②何かに目覚めていないか。バレていないか
反省したこと
①石鹸は二度と食べない
②衝動的な行動には、これまで以上に厳重に注意する
追記
今後、同じような変態行為を犯さないために、好きな子にちゃんと告白して、健全な男女交際をすべきだ。……できればね。
シャボン玉日記 テトラ @hikonar
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