喧騒のニヴィアミレージ -09-
「お姉ちゃん!!」
「何?」
「何って、火だよ火! 本当に焼け死んじゃうよ!!」
地下一階の天井からぶら下がっているミスティーは下を見る。見るまでもないが一応見る。
自分であけた大穴。地下一階と地下二階を隔てていたものをぶち抜いたわけだが、落ち着いて見てみると壮観だった。ただ、ちょっとばかりはっちゃけ過ぎたかもしれないとも思った。
吹き抜けの底には、これまでドタバタやりあっていた人たち。スイッチが入り怒りまくっている女の指示に従って
破壊された床は木の柱を組んでコンクリートで覆った構造だったので、吹き飛んだ木材が辺りには散乱していた。薪拾いに繰り出さなくても、燃やすものは十分にあった。
女の命じるとおりミスティーの真下でつけられた火は、次々に運び込まれる廃材の類を投入され、徐々に大きな炎となってきていた。もう少し大きくなったら、服に燃え移りそうだ。そうすれば、本当に終わり。
「まだ夏でもないのに今日はアツい」
「姉ちゃん! 冗談言ってる場合じゃないよ!!」
男の子も、柱に固定され身動きできない状態なので、声をあげ続けることしかできない。一方、それとは対照的に、ほとんど焦りを感じさせないミスティー。
「大丈夫……そろそろ来るから」
「え?」
そのとき、大きな音とともに地下一階の壁の一部が崩れ落ちる。ミスティーが一時退避してから戻ってきたときに使った扉の横に、その扉と同じくらいのサイズの穴があく。
崩れ落ちた石のブロックの上に、燃やすものを探しに行っていた男の一人が横たわっている。完全に伸びていた。
地下一階でミスティーたちを監視していた二人が駆け寄る。そこに穴の奥から人影が飛び掛かった。
「なんだコイツ!?」
人影は不意を衝いて男の片方の頭部を掴み、額に膝をお見舞いする。まともに食らった男は、
小さく立ち上る土煙を背に、人影は向き直る。
「クロノ先輩……」
「ミスティー! って、本当に丸焼けになりそうじゃん!! 冗談じゃなかったのか!?」
クロノはミスティーに気付いて縦穴の縁まで駆け寄る。
「先輩、私、冗談は言わないタイプです」
「だから、今はそういう冗談言ってる場合じゃ……」
クロノは身を乗り出すようにしてミスティーに近づこうとする。しかし、助走して飛んでも厳しい距離。
そのとき、縦穴の下から女の声がする。
「なんだお前は?」
「お前こそなんだ?」
クロノは言い返す。女は眉間に感情を押し込め、すべてを察する。
「分かった。銀髪の仲間か。次に片づけてやるから、少し待ってな」
女は、くたばれという意味だと思われるジャスチャー。
「お前こそ首洗って待ってろ。すぐそっちに行ってやる」
クロノも適当に喧嘩腰のジェスチャーを返す。
「クロノ先輩、後ろ!」
「は?」
クロノが振り返るより前に、後頭部に強力なヒット。縦穴に吸い込まれるように崩れ落ちる身体を後ろから伸びた手に引っ張られる。階下に落ちることはなかったが、代わりに完全に拘束されてしまう。
「本物の馬鹿が現れたか」
女があきれ半分の笑いを浮かべる。ミスティーも返す言葉がない。
クロノはすぐに意識を取り戻す。すでに身動きが取れなくなった後だが。
激しい痛みを感じ、思わず顔をしかめる。
「………痛てて………ん!? んん!!??」
「先輩……想像を上回る役立たずっぷりに感服です」
「これは……オイ! ミスティー、どうにか逃げろ! 頑張れよ!!」
「いえいえ、先輩の方こそもう少し頑張って下さいよ」
「そんなこと言ったって、クソ!!」
腕の拘束から繋がった鎖のせいで、立ち上がっても動きは制限される。足元にぽたぽたと血の雫が落ちる。拘束具はただの縄や鎖ではない。内側に金属製の反(かえ)しが並んでいて、抵抗すればそれらが肉に食い込む。
クロノは引きちぎろうとする。足元の血痕が一気に増えていく。
鎖が強く引かれる。クロノはバランスを崩し、腹を蹴り上げられる。
「………ク……ソ……」
地面に横たわるクロノ。ミスティーはその様子を黙って見つめている。
(ああ、これはダメなヤツだ………)
実感がわいてくる。今おかれている状況のすべてが、その根拠となる。
さすがに無茶をしすぎた。慣れないことをしすぎた。そして、その代償は大きい。代償を払うのは自分一人ではない。取り返しがつかない。確かに、これでは馬鹿としか言いようがない。
痛みに悶えるクロノと視線があう。ミスティーは小さく笑う。小さすぎて気付かれないかもしれない微笑。
(でも、最後に顔を見れて良かったです)
巻き込んだだけなので、完全に私のエゴですけどね。
―――さようなら………。
音が引いていく。怒鳴り声、控えめな返答、石材が放り投げられ砕ける音、木材が燃えて弾ける音。十分すぎるほどの音が空間を満たしているはずなのに、それらが急激に自分から遠ざかっていくような気がした。このまま沈黙の湖底に沈んでいく気がした。
しかし、予想に反して音の波は返ってきた。あと少しで完全な沈黙に達すると思われたところで、異質な音がそれをかき乱した。遠ざかる以上に性急に向かってくる。
「ちょっと待ったああああ!!!!!!!!」
声とともに部屋の一角に爆煙が立ち込める。何事かと全員の視線が向いたところで、爆煙が大きくかき乱される。飛び出してきたのは大量のミサイル。
「なんで……?」
ミスティーは我が目を疑う。今わの際に見えるという幻想なんじゃないかと疑いたくなる。
ミサイルの後ろから、今度は巨大な物体が現れる。見覚えのあるシルエット。
赤銅色の鱗。力強い黒翼。地下一階の床と天井の隙間で窮屈そうにしている。
それはドラゴンだった。相変わらずのこだわりのディテール。
ドラゴンは黒翼で近くの人間を薙ぎ払うと、大きく羽ばたかせ、わずかに浮上する。地面すれすれを滑るように進む。
「ミスティー!」
ドラゴンの背中から声がした。この声は―――。
「ヘイズ先輩………?」
ドラゴンの背中にしがみつく二人。一人はエミル。その肩に乗る相棒の〈アイちゃん〉は臨戦態勢でミサイルを吐き出しまくる。
もう一人は、もちろん誰だか分かる。聞き慣れた声だ。しかしながら、その人は見慣れぬ格好をしている。
「その格好、ついに目覚めましたね」
背格好はもちろん変わるわけがない。ただ、黒髪ポニーテールと明らかに女性ものと分かる服装。
(いろいろ問い詰めてみたい気はしますが、それは後に回しましょう)
背中の二人は、縦穴の縁に降り立つ。そこに、クロノを捕えていた男たちが襲いかかる。
ボロボロのクロノを見て、怒りのゲージが急上昇中のヘイズ♀は、男たちに圧倒的勢いでカウンター攻撃を
身軽になったシェルは、そのまま地下二階に突っ込んでいく。それを援護するように、エミルは〈アイちゃん〉を穴の底に向ける。
場はカオスに塗りつぶされていく。蜂の巣を突いたような混乱。特に、敵の大半がいる地下二階は大混乱となる。頭上から突然ミサイルが襲いドラゴンが現れて向かってきたことを考えれば、理解できなくもないが。
一瞬固まり我が目を疑い呆気にとられ、ようやく事態を把握すると声をあげて動き出す。しかし、そこは逃げ道のない地下二階。普通じゃあり得ない状況に正しく対処することなどできない。
〈アイちゃん〉から次々に飛び出すミサイルは、敵を正確に追従し逃がさない。例によって、死なない程度の絶妙な加減で行動不能にしていく。抵抗する手段などない。
ドラゴンについても同様だ。硬い鱗は、石を投げつけても木の棒で突き刺そうとしても意味がない。己の無力さを知り戦意を喪失して、その翼や尻尾で薙ぎ払われるのがオチだ。
本当に一瞬で形勢は逆転し、このまま押し切ると思われた。しかし、そこで声が響き渡る。
「落ちつけ!!!」
例の女だ。彼女だけは怯むことなくそこに立っていた。その声を聞いて、他の者たちも急激に冷静さを取り戻していく。一種の条件反射か。
女は侵入者たちに告げる。
「どこの誰だか知らないけど、大人しくしないと今すぐ火をつけてやるよ!!」
女は炎を上げる長い角材を手にしていた。先端は可燃性の液体に浸した布を巻いているようだ。いつの間に用意したのか。
女はそれをミスティーに近づける。エミル、シェル、ヘイズは動きを止める。本当にこれだけはシャレにならないと理解していた。
男たちは混乱から脱し、今度は逆に高揚感に包まれていく。針が大きく反対方向に振れるように。形勢は再び大きく逆転する。
「やめ―――」
ヘイズが言い切るより早く、女は目を見開き口元を大きく歪め笑う。
「なんてな! どちらにしろ火はつけんだよ、馬鹿め!!」
女はそのままミスティーの服に火をつけた。炎はみるみる大きくなる。
「ミスティー!!」
三人は狼狽する。
「エミル!! 壁だ! 地下二階の壁を打ちまくれ!!!」
クロノの声。
「いたんですか、クロノ先輩……」
火だるまになりつつあるミスティーは、なおも毒を吐く。
一方、エミルはクロノの意図を図りかねる。
「地下二階の壁?」
縦穴の下は薄暗い。地下一階と違い、高くて広い壁に窓は一切ない。
壁は一面、太い木材と大きな石のブロックで補強がされている。高い壁の真ん中のあたりを押さえるように斜めに固定された角材。それらは水平方向に渡された別の木材で連結され、重し代わりの石のブロックが荷重を受け止める。
(なぜこんな厳重な……)
エミルは思考回路をフルで回転させる。そして、一瞬だが脳裏にやたらリアルなイメージが浮かび上がる。あの壁の向こうは―――。
「分かりました!!」
エミルは〈アイちゃん〉に触れる。一瞬で大口径の機関銃に換装。三本足の銃架に乗ったそれを抱え込むようにして構え、引き金を引く。
猛烈なマズルフラッシュとともに大量の銃弾が放たれる。着弾の衝撃が激しく響く。地下二階の壁が砕け散っていく。
「クロノ、今のうちに……」
いつの間にか人間の姿に戻っていたシェルが、倒れている敵から奪った鍵で拘束具を解錠する。締め付けていた箇所には、痛々しく傷痕が並んでいた。
弾け飛ぶ破片と土埃の中、地下二階の壁面に大きな亀裂の走る音がする。壁はもはや壁でいられない。
機関銃の大音量に負けないよう、クロノは声を張り上げる。
「ミスティー!! ワイヤーを外すんだ! 飛び降りろ!!!」
ミスティーは、本当に今にも炎に飲み込まれようとしていた。意識を保つのも辛いに違いない。それでも、努めて冷静に振る舞う。
「ひと思いに炎に飛び込めと?」
真下はさらに巨大な炎。炎にくるまれ炎に飛び込むことに何の意味が?
怒号。閃光。弾丸。破片。炎熱。
すべてが
「俺を信じろ!!!!!」
「……………」
バチンッ!
ミスティーは、燃え盛る炎の真上でワイヤー切り離しの操作をする。天井部に固定した二つのアンカーペグをワイヤーが抜けていく。
ほぼ同時に、地下二階の広い壁は崩壊した。太い木材の突っ張り構造も、もはや関係ない。内側に全体が倒れこむように崩れてくる。
そして、大量の水が押し寄せた。地下二階にいた人たちは一気に飲み込まれる。燃え盛る炎も積み上げられた瓦礫も流れて消える。
ワイヤーが完全に抜けると、ミスティーは水の中に落ちた。
(なるほど………地下二階は水面下、だったんですね……)
オヴリビ川の中州に広がるニヴィアミレージで、本来、安全に使える地下二階などというものはない。市中に張り巡らされた水路も時期により水面が上下する。そのことを考えれば、ここは初めからあってはならない違法な空間だったことになる。
沈む身体が引っ張り上げられる。ワイヤーで巻き上げられるように浮上し、次に腕を掴まれ、そして抱きかかえられる。
「ミスティー! ミスティー!」
(………せんぱい?)
「大丈夫か!? しっかりしろ!」
身体を揺さぶられる。
「ケホッケホッケホッ!!」
ミスティーは咳き込む。それから焦点が定まってくる。そこにはクロノがいた。必死な顔。
「クロノ先輩……」
「ミスティー……良かった……」
クロノはミスティーを思いっきり抱きしめる。
「良かったよ……良かった……」
「先輩……わりと素で苦しいです」
「あ、ごめん……」
クロノは加減を忘れていたことに気付き、力を抜く。
「ミスティー、火傷とかは……」
「多少はしてますが、じきに治りますよ。私たち、
「……そうだな」
会話はいったん途切れる。クロノはようやく人心地つく。
「ところで先輩……マジマジと見ていますが、分かっててやってるんですか?」
ミスティーは、普段通りの口調、普段通りの表情で言う。その碧眼でじっとクロノの顔を観察しながら。
「え? ………ア……」
クロノは、ようやくミスティーの言わんとしていることに気付く。というか、なぜすぐ気付かなかったのかと自分を問い詰めたくなる。
クロノに抱きすくめられていたミスティーの服は、すでにほぼ完全に焼け落ちていた。
「場面的に空気を読んでスルーしていましたが……そんなにジロジロ見られると、さすがに恥ずかしいというか……」
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