喧騒のニヴィアミレージ -08-


 再度、捕縛ネット射出機に手を伸ばすと、包囲網に綻びができる。ミスティーはその隙を抜けていく。

 敵にも最低限の学習能力はあるようで、無理に距離を詰めようとはしない。逃走経路だけ塞いで、じりじりと取り囲む戦略のようだ。敵は、いずれもかなりのサイズのナイフを構えているので、接近は避けたい。

 ミスティーは安全な距離を確保して動きを止める。敵の様子をうかがう。その表情からは余裕が見て取れた。

「どうした? 動きが鈍ってないか? もっと元気に走り回ってみろよ」

 男たちにニヤニヤと下卑た笑いが戻ってきた。

「次はどこを刺して欲しい? お好みの場所をぐさり……ってな」

「これだけ散々コケにしてくれたんだ。覚悟はできてるんだろうな? とことん付き合ってもらうぜ」

 男たちは急に走り出した。ミスティーも急いで駆け出す。

「痛っ……」

 数歩目で足がもつれる。痛みに耐えて転倒だけは避ける。すぐ視線を上げて振り返ると、男たちは少し離れたところでニヤニヤしている。

「あー、やっと楽しくなってきたな。いい気味だぜ」

「早く絶望的な顔してお願いしてもらいたいな。地べたに額をこすり付けて、すべて私が悪かった、好きにしてくださいってな」

「オラ! 動かなければジエンドだぜ!」

 一人が本当に間合いを詰めてくる。踏み出しの遅れたミスティーは、バランスを崩しながらどうにか逃れる。そこそこの距離を取ったところで、床の小さな凹凸に足を取られ尻餅をつく。

「ギャハハハハ! そんな何もないところで何やってるんだよ!」

 男たちが爆笑する。

 ミスティーは、その様子を真っ直ぐ見詰めたまま、背後の死角に手を運ぶ。

 ポケットから取り出した小さな球を床に押し付ける。球はつぶれ、床を通じてが伝わる。

「どうした? 腰が抜けたのか?」

 ミスティーは無言で立ち上がる。それから、数歩後ろに下がる。

 気づかれないよう、視線をさりげなく床に向ける。仕掛けたものが、視覚的にほとんど同化していることを確認する。

 ミスティーは、男たちに身体の正面を向けたまま、その場を移動する。男たちはそれを観察している。ミスティーが動いている限り、特に何をするというわけでもないようだった。

 数メートル移動したところで、ミスティーは足をもつれさせるようにして転倒した。感触を確認すると、再び立ち上がる。

「これは思ったよりあっさり降参かもな」

 男たちは談笑しながら、立ち上がっては転倒するミスティーの様子を見ていた。

 女は少しだけ離れて、太い石の柱に背を預け腕を組んでいる。近くには男の子とその妹。二人は黙りこくっている。

 女は無言のままミスティーの動きを目で追っている。男たちは談笑を続ける。

「あいつ、何したいんだ? 逃げるわけでもなく、無駄に動いて」

「牽制してるつもりなんじゃねえか? ガキに手を出さないように」

「健気だねえ。俺、泣けてきた」

 もちろん実際に涙はなく、下品な笑いが巻き起こる。

 ミスティーは移動し、転倒し、立ち上がる。転倒のバリエーションは様々だが、結局はこの繰り返し。

 いつの間にか、ミスティーは敵の立っている位置、より正確に言えば、女が背を預ける石の柱を大きく囲むように一周していた。

 ミスティーは転倒し、手の下の感触に神経を集中する。

(あと一個……)

 立ち上がる。

 ふと石の柱に背を預けていた女が、男たちのところに歩み寄ってくる。

「なんか不自然じゃないか?」

「何がだよ」

「傷は確かに浅くないだろうが……」

「まさか!」

 女は振り返った。ミスティーは片膝をつきながら、床をつまむような手の動き。

 女はミスティーが辿った経路に駆け寄る。血液が薄く靴跡を残しているところを見る。男三人もついてくる。

「何か怪しいところがないか確認するんだ」

「どうしたってんだよ?」

「何か仕掛けていたのかもしれない」

 女の言葉を聞き、男たちはハッとする。

 床は劣化したコンクリート。欠けて削れて小さな凹凸が無数にある。四人はそこに目を凝らす。

「特に変わった様子はないだろ……」

「これは……?」

 床に手を這わせていた女が違和感に気付く。手を何往復もさせて確認する。

 他の男もその場所を確かめる。

「少し出っ張ってるな」

 女は移動する。そこで同じように床を確かめる。

「こっちもだ」

 やはり何かを見つける。

「あ!」

 男が声を上げる。

「テメェ、いつの間に!」

 ミスティーは、石の柱のところにいた。男の子とその妹に話しかけている。男の子は妹を立たせる。二人は柱に背中を預けて立つ。ミスティーは男の子に何かを渡す。

 男たちが駆けつけようしたところで、ミスティーは背後の鞄に手を伸ばす。捕縛ネット射出機を向ける。

「くそっ!」

 男たちはかなりの距離を取って立ち止まる。

「できたよ、姉ちゃん」

 男の子は、自分と妹の身体にベルトを装着していた。

 ミスティーは、射出機を向けたまま、もう片方の手で二人のベルトの具合を確かめる。そして、ホルスターからまた別の装置を取り出す。捕縛ネット射出機よりかなり細いが、同様に何かが飛び出てきそうな装置だ。

 ミスティーは、妹のベルトの背後に手を伸ばし、飛び出たベルトの端を持ち上げ、柱に押し付ける。それから手に持った装置をあて、トリガーを引く。ズドンという短い震動。太い釘のようなものが突き刺さっていた。ベルトを引き、しっかり固定されていることを確かめる。

 男の子にも同じ手順を繰り返す。二人は石の柱に固定された。

 女が言った。

「お前、何か仕掛けたな?」

 ミスティーはすぐには何も言わず、捕縛ネットの射出機をしまう。もう一方の装置は持ったままだ。

 それから、ゆっくりと敵の目を見据えて言う。

「ご名答」

 あいた掌を天井に向け結ぶ。それから――。

「ボンッ」

 掌を開く。敵がざわつく。

「まさか、爆弾を仕掛けたっていうのか?」

 ミスティーは不意を衝いて走り出した。

「なんで走れんだ!?」

「馬鹿……今までのは演技だったってことだよ!」

 ミスティーは柱から少し離れた位置でピタリと立ち止まった。狙いすましたように。

 その場で直立して振り返る。その手には、新たな装置があった。

「これ、なーんだ?」

 ミスティーは握ったものを掲げる。親指は立てている。

「起爆装置!?」

「クソが!」

 女が走り出した。

「アイツが立ってるところが安全地帯だ!!」

 ミスティーは小さく笑った。四人は数メートルの距離に迫っている。

「ポチッとな」

 親指が押下した瞬間、装置から光が走る。目視が難しいほどに細い線が四方に向かって伸びていた。そこを光が走る。

 導火線を火が伝わる速度とは桁違いだった。たとえるなら稲妻。一点から広がる細く美しい稲妻だった。

 ミスティーに向かって走る四人の足元を逆走し、その背後に幾筋もの光が駆ける。

 ミスティーは起爆装置と反対の腕を天井に向ける。トリガーを二度引く。天井からくさびを打ち込まれるような音が二度響く。

 四人はミスティーの身体に飛び掛からん勢いで迫っている。ミスティーはその場で動かない。そして、短く告げる。

「おめでとう」

 ズドン!

 爆発音。一つずつはあまり激しくない。その割に、足元に感じる震動は大きい。しかも、かなりの数が重なっている。その場をぐるりと囲むように衝撃が走る。

「私はおとりでした」

「なに!?」

 四人は背後の衝撃を確認しようと振り返る。その視界には、立ち上る小さな粉塵。

 浮遊感。四人は突然のその感覚に戸惑う。しかし、すぐに気づく。

「床を抜きやがった!!」

 くり貫かれ崩落する床と土煙と轟音とともに自らの身体が落下していくことに。

 女は手を伸ばす。ミスティーの身体はすぐ目の前。しかし、伸ばした手と裏腹に、距離は広がる。消えゆく床をものともせずに見下ろすミスティー。

 小規模な爆風にも耐えられず、いくつかの窓枠が吹き飛ぶ。長年の汚れで遮光性の増していた窓がなくなり、光が直接射し風が流れる。粉塵の陰影は濃くなり、空気の流れに押され形状を変化させ、やがて自重で緩やかに落ちていく。

 一分ほどして、ようやく震動がおさまる。土煙も落ち着いて、状況を見通せるようになる。瓦礫の山と化しているが、やはり地下二階は相当な広さだったようだ。

(しっかり抜けてくれて良かった……意外といけるもんね)

 ミスティーは階下の様子を見ながら思った。その身体は、天井に打ち込んだ二つのペグからワイヤーで吊るされている。

 先程の縦穴で見た断面から考えれば、十分に落とせると思われたが、この部屋の床も同じ材質だという保証はなかった。鉄などで補強されていれば難しかったし、たちまち窮地に陥っていたはずだ。

「姉ちゃん!」

 男の子の声。男の子とその妹は、石の柱にへばりつくように残ったわずかな床面の上に立っていた。ベルトもしっかり固定されているので、落下の心配はないだろう。

 柱の周囲はすべて床が落ちている。太い石の柱は、大きな穴の中央付近に、地下二階の床から地下一階の天井までそびえている。地下二階の天井高が、一般的な一階分よりかなりあるので、柱は普通の二階層分よりかなり高く立っている。そして、ミスティーはその柱に寄り添うようにぶら下がっていた。

「大丈夫? 妹ちゃんも」

「大丈夫だよ。お姉ちゃんも大丈夫?」

「うん」

「すごい……床がなくなっちゃった」

 男の子の隣で妹が目を丸くしている。心身ともに大丈夫そうだった。

「相手に触れずに成敗。これぞ逃亡術の真骨頂ナリ」

「おおー」

「いま助けるね。ちょっと待ってて」

 ミスティーは、ワイヤーを繋いでいる腰のパーツに手を伸ばす。何かをいじる。

「…………あれ?」

 ミスティーは、ワイヤーのコントローラーを引き出してよく見る。それを操作し、天井を見上げる。何も起こらない。

(アンカーペグの故障か、配線ミスか、他のパーツがいかれたか……)

「大丈夫?」

 男の子が少し不安げに言う。

「うん。でも、少しだけ時間がかかるかもしれない。ちょっと待っててね」

(最低限しか組んでこなかったから、この場でどうにかしないと)

 不安定かつ不自由な状態で、面倒かつ緻密な作業をしなくてはいけない。

(………どうしよ。鞄の中身を取り出せない)

 ミスティーは、手の届く範囲にあるツールで実行できる代替案を考えようとする。

 ガラガラガラ―――。

 階下で音がした。瓦礫がぶつかり合う音。穴のふちから破片が落下した音ではない。

 ほぼ真下の方向を見ると、細かい破片を払いのけて女が立ち上がった。他に、男二人がもう一人の男に肩を貸して立たせている。女は、その一人に近づく。

「これは折れてるね。かわいそうに」

 抑揚のない口調でそう言うと、視線を高くする。

「やってくれたね」

 ミスティーに向かって言う。ドスの利いた声は、今まで以上に凄味がある。完全にキレていた。

(単に一階分落ちただけだから、命にかかわることはないと思ったけれど……)

 少なくとも、女は思っていた以上にダメージが少ないようだった。服や髪に粉塵が絡みついて見た目が汚れているだけ。小さく動くだけで、細かい粒子が巻き上がる。

 そのとき、地下一階の扉が乱暴に突き破られる。開かないよう細工してあったようだが、扉ごと破壊される。中から人がぞろぞろ出てきた。

「なんだこりゃ……」

 彼らはすぐに床の大穴に気付く。足元に注意しながらその縁まで行く。

「大丈夫ですか!? これはいったい……」

 階下の女に向けての言葉のようだ。

「私は大丈夫だ。そこのガキどもに一杯食わされた」

 ご新規さん一行は、ぶら下がるミスティーと柱の二人を見た。こんなちんちくりんがまさか――というのが表情に出ている。

 物理的に何かが届くような距離ではないが、声は小さくてもよく聞こえた。

「ありゃ、完全にキレてるな。怖えー」

 新たに現れたのは十数名。ひそひそと言葉を交わしている。

(こんなにお仲間がいたとは……。この建物、無人かと思っていたけど、もしかして上の階にいたのかな)

 これはマズイ……正直、かなりマズイ。

「そこで突っ立ってないで、さっさと下りてこい!!」

 女の怒号が聞こえる。十数名のうち、何人かを残して階下に移動した。

 状況的に、いったんは下に降りるしかないのに、下は敵がうようよ。

 危機的状況に打開策を探るミスティー。しかし、良いアイデアは浮かばない。

 そうこうしているうちに、落ちた女の怒鳴り散らす声が聞こえた。

「燃やせるものを持ってこい! あの銀髪、下からあぶって焼き殺してやる!!」

 その言葉が、ただの脅しでないことは、その場の誰もが理解できた。

 ミスティーも当然理解できた。

(本当に最悪……)

 これはさすがに―――。


(………。…………ぃ! ……クロノ先輩! クロノ先輩!!)



   *



 宿からさほど離れていない太い水路に面した公園。

 途中、謎な事態に巻き込まれはしたものの、初志貫徹しっかりその場に居続けたクロノは、突然眠りから覚める。というよりは、起こされる。

 これは久しぶりの感覚。ミスティーか。

(クロノ先輩!!)

(どうした?)

(あ、気付きましたか)

(気付いたぞ。で、どうした?)

(いきなりですが、私、残念ながら丸焼きになるみたいです。私のこと、いつまでも忘れないでいてもらえたら幸いです)

(いきなりすぎだろ!!)

(そうは言いますが、実際そんなところなので)

(は? ちょっと待て! 状況! 状況説明して!!)



   *



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