喧騒のニヴィアミレージ -05-
「ハァ……」
ミスティーは天井を仰ぎ見て溜め息を吐いた。首をゆっくり左右に振り、続いて両の手をきゅっと結んで、そのまま高く持ち上げた。
(なんでだろう……。本の内容が全然頭に入ってこない)
積み上げた本を上から取り、しばらく読み進めてのってこなければ隣に置く。そんなことをやっていたら、結局本の山は上下逆順になり少し場所が移動しただけになってしまった。
今しがた読むことを諦めたのが最後の一冊。それを新しい山の頂上に置く。
これではただの積み木遊び。読むことで真価を発揮する尊い書物たちは、さぞかし嘆いていることであろう。
(なんで私は、一人で図書館にいるんだろう?)
ふと疑問が湧き上がった。連続性のない唐突な問いだった。
ミスティー自身が、その疑問の出所を
(図書館で読書をするのに一人なのは別におかしくない。学園でもそんなもんだし)
妙な疑問にそれらしい答えをあてがってみる。でも、それは誠実に向き合った答えではないと分かっていた。大人が使う小利口さといやらしさを含む、その場しのぎの言葉の羅列のようだと思った。
「ハァ……」
これだけの本に囲まれてこの溜め息。これはもう、本に対して失礼以外の何物でもない。
ミスティーは立ち上がる。鞄を背負い、机の上の本の塔を持ち上げ、本棚に戻していく。厚く立派な本は、あるべき場所にピタリとはまっていく。
パズルのようにピタリとはまっていく感触を味わいながら、同時に、自分の中に、それとは対極の性質を持つ何かを見つける。心の中で何かがはまっていないような感覚。何かが足りていない。しかし、その何かは、なんだかよく分からない。よく分からないが、その何かは、ただ静かに読書に興じることを許さない。
ミスティーは、せっかく出会った本の価値を引き出してあげられない未熟な自分を悔いる。そして、中央図書館の重厚な建物をあとにした。
ニヴィアミレージの街並みは、非常に整然としている。中州に石を積み上げ造成された人工地盤は見事に平坦で、そこに縦断する道路と横断する道路が直交しながら綺麗なブロックを形成している。
縦断する道路のうち、街路図を見てもよく目立つ大通りが二本ある。そのうち、右岸、すなわち三本の橋で対岸の街道とつながっている側に近い大通りは、商業的により栄えている。観光というほど大層なものでもないが、ショッピングをするならこの通りで間違いなしだ。いつでも多くの人で賑わい、繁華街が周囲のより小さな道路沿いにまで及んでいる。
縦断する二本の大通りのうち、左岸寄りの方は、もう少し落ち着きがある。商業地区も少なくはないが、おそらく客層はかなり違う。官庁街を形成するブロックが面するのはこの通りであり、ミスティーがいた中央図書館もその並びにある。
ニヴィアミレージのみならず、モントシャイン共和国の重要な機関が軒を連ねる一画ではあるが、逆に言えば、一般の市民にはそれほど縁のないエリアである。せいぜい、美しい石畳と壮麗な石造りの建築物を眺めるか、国内有数の蔵書を誇る中央図書館で読書をするかのどちらかだろう。よって、ニヴィアミレージの幹線道路沿いのわりに人通りは少ない。本日は、市庁舎前の広場で大規模な蚤の市が催されているらしく、多少人の姿は見られるが、これはむしろ例外的な状況である。
つまり、非常にすっきり整然とした大通りであり、この点においてもう一方の縦断道路とは極めて対照的なのである。少なくとも、この数日で見たり聞いたりした範囲で得ている情報だと、そういう話だったはずである。
「……何してるんだろう?」
だからこそ、それは多少なりとも違和感の漂う光景だった。
図書館のエントランスから出てきたミスティー。その視界の隅には、人が不自然に集まっている様子が捉えられた。人だかりとまでは言わないが、相対的に高密度な領域。
図書館の脇の目立たない空間。大通りと、そこから一本中に入ったところを通る路地とをつなぐ広場。いくつかの細身の樹木と低木の植え込み。長くて緩やかに湾曲する石造りのシンプルなベンチ。それらが、幾何学的に配置されただけの、特に面白みもない都会の隙間スペース。
そこの一角が異様にざわめいていた。それは、音としてのざわめきではない。人々の間を行きかい、表情の中に静かに表れる種類のものだ。
ミスティーは、ほんの軽い好奇心でそこに近づいていく。
路地の通行人たちが足を止めている。一瞥して立ち去る者も少なくなかったが、一定の割合で、その場にとどまる人がいる。その人たちは、何かを遠巻きに眺めている。
後ろからだとよく見えないので、ミスティーは人々の視線の先に何があるのか確認しようと進んでいった。見物人の最前線に出る。ここまで来ると、その場の状況がよく見えて、よく聞こえた。
しっかり手入れされ刈り込まれた植え込みを背に、男の子が立っていた。その背後には、男の子よりもう少し幼い感じの女の子が見える。その顔には、涙の痕。
そして、その二人の子供を囲むように、男性が三人、女性が一人立っていた。十代後半から二十代前半くらいだろうか。外見的に際立った特徴があるわけでもなく、どこにでもいそうな一般人のように思えなくもない。しかし、あまり友好的な空気ではないようだった。
「なあなあ君さ、これは弁償しなきゃなんねえわけだよフツー。ガキでも分かるよな、そのくらいのことは?」
男の一人が、服の袖を見せている。角度的に、ミスティーのところからはよく見えない。
「本当にすみませんでした」
男の子は深々と頭を下げる。
「すみませんでしたって言ってもなあ。これ高かったんだぞ? とりあえずお家の人を呼んでおいで。待ってる間、妹の面倒は見ててやるから」
男は男の子の背後にいる女の子を見る。女の子は完全に怯えている。
「本当にすみませんでした!」
男の子は重ねて詫びた。本当に必死さが滲み出ている。
「だいたいさ、ちょっと声かけたくらいじゃねーか。別に人
他の男も威圧的に発言する。そのたびに男の子は詫びを入れる。一切反論はしない。
同時に、傍観者たちがざわめき出す。
「焼いたってことは、魔法使いか? あの子、魔法使いか?」
「だいたいトラブル起こすのは魔法使いに決まってんだよ」
「兄が魔法使いなら、妹も魔法使いかもしれない」
「こんな危ないやつを自由に歩かせてていいの? 行政府は何をやっているのよ」
「心配していたけど、自分で蒔いた種じゃねーか」
「少し気の毒な気はするが、あの子たちにとっても良い機会だな」
「関わってもロクなことにならない。もう行こうぜ」
人に聞かれないようにするといった気遣いはない。通りの立ち話と同じ感覚。子供たちの耳にも届いているかもしれない。けれど、それを気にする様子を見せる人はいなかった。
「だいたい気味が悪いんだよ。今は服を焦がす程度だったかもしれないけど、そのうち人を焼き殺せるようになるんだろ、どうせ?」
女も言う。汚らわしいものを見るような目つきを向ける。また男の子は頭を下げる。
「ギャー怖えー」
その言葉に男三人が反応してゲラゲラと笑っている。頭を下げながら、男の子の目からも涙が零れ落ちる。
「俺らも暇じゃないからな、これは親切ってもんなんだぞ。放っておいたら人殺しになるお前に、社会の守るべき秩序ってものを早めに教えてやってるんだよ。ありがてえ話だろ?」
「ありがとうございます!」
男の子は、泣きながらまた頭を下げた。
気付くと、いつの間にか傍観者はまばらになっていた。残っている数人も、ただ暇を持て余して眺めているだけ。まさに文字通り傍観を決め込んでいる。
子供二人を相手に不快な笑い声をあげる彼らもそれを感じとり、その人たちのことについてはまったく気にしていない。
「オイ、お前」
男の一人が言った。
「オイ、オメーだよ、そこの銀髪! テメー、さっきから何睨んでやがる」
ミスティーは、その言葉でようやく自分が話しかけられていることに気がついた。そして、無意識のうちに睨みつけていたことも。
ミスティーは何か言おうとする。しかし、何も言葉が出てこない。まるで、金縛りにあったように。
「まさかとは思うがな、お前も魔法使いか?」
敢えて多くの人の耳に届くよう、ゆっくりと尋ねた。
その場に残っていた人たちは、それを聞いてハッとする。傍観者の視線はすべてミスティーに注がれる。
それは、いまだかつて経験したことのないような感情を湧き上がらせる視線だった。何か大切なものを
「オイ、何とか言えよ、アァ!?」
「わ、私は……」
私は…………。
続きを言おうとしたところで、頭の中に言葉がよぎる。
絶対に、魔法使いであることを知られてはいけないよ――――。
魔法使いだと知られてはいけない。これがこの旅のルール。絶対的ルール。
破ってはいけない。知られてはいけない。絶対に。どんなことがあっても。
でも………。
どうしよう。どうしよう。
どうすれば?
「…………………」
…………ゴメンナサイ――――。
「オイ!」
「私は…………私は……魔法使いじゃない」
ミスティーは、自分の身体が震えださないよう注意する。呼吸が乱れないよう、そのリズムを強く意識する。湧き立つ血の流れをどうにか鎮めようとする。
「そうか……。それならいい」
そう言うと、彼らは子供二人を連れてその場を立ち去った。
ミスティーはその場に立ち尽くし、地面に映る自分の影を睨みつけていた。
残っていた傍観者たちは、そんなミスティーを訝しげに見ながらも、足は止めずに四散していった。
(私は……私は…………。だって、私は……)
ミスティーは腹の底からせり上がってくる何かを押し戻す。
すると、連れられて行く二人の子供の表情が鮮明によみがえる。
すでに憔悴しきって泣くことすらできない妹。必死の形相で絶望に耐える兄。
その兄は、結局、大声で助けを呼ぶようなことはしなかった。
それはそうだ。あれだけの数の普通の人が見ていたのに、誰も助けの手を差し出すことはしなかったのだから。状況を悲しいほどによく理解していたのだ。その上で、無駄な抵抗はしなかった。
理由は、ミスティーにもよく分かっていた。幼い妹を守りたかったのだ。逆上させて、妹に危害を加えられることを何よりも恐れたのだ。
ミスティーは、拳を強く握る。心の中で繰り返していた感情の波は、すっかり収まっていた。
(ダメだ………こんなのは、やっぱりダメだ)
ミスティーは顔をあげる。そして、彼らの後を追った。
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