喧騒のニヴィアミレージ -04-


 目抜き通りでも、アパレル系の店が立ち並ぶ一角は華やかさが数段増す。

 良心価格で素朴なデザインの庶民向けの店、単なる実用性以上のものを欲する富裕層をターゲットにした店、流行に敏感な若者をターゲットにした店、その他モントシャインの様々な文化を下地に個性を打ち出す店などがあった。

 これなら誰もがお気に入りの一着と出会うことができるだろう。

(さすがモントシャインの首都……。シェルとか連れてきたら、どれも欲しがりそうだなあ)

 大きめの帽子を目深に被ったその人物は、男としては線の細い印象。背は高くないが、程良く引き締まってスラリと伸びる手足に、姿勢良く歩みを進める姿は妙に様になる。

 今日は普段とは違って、縁のはっきりした伊達メガネをかけていた。これがなかなか似合っていて、すれ違う人の視線がしばしば吸い寄せられる。

(男一人で女性物の店にいるのは、やっぱり変だよなあ……)

 さすがに追い出されることはないが、それでも周囲の視線はかなり気になってしまう。カップルで来ているならまだしも、男一人。

(もし話しかけられたらどうしよう……。ここで、うちの家訓が……とか言うとややこしくなりそうだから、彼女にプレゼントしたいんです……みたいなのが妥当か)

 挙動不審にならないよう注意していたのが、今度は逆に、落ち着き過ぎて、そのまま振りきれて急降下する。きっと、死んだ魚の目のようになっているのだろう。

「彼女ねえ……」

 溜め息混じりの呟きが漏れる。

 適当に目にとまった服を持って、更衣室に入った。ちょうど店員が他の客と話をしている隙に、スルリと滑り込む。

 更衣室の全身鏡に、女物の服を抱えた自分の姿が映っている。それに手を伸ばした。

 鏡の中の人物と掌を重ねる。その人物は、物憂げな眼をしていた。

「あなたは、誰?」

 静かに問う。視線を足元に落とす。

「僕は、ヘイズ・ランバー」

 一拍の沈黙ののち、静かに答える。再び視線をあげて、その表情を見る。

「本当に?」

 真意を探るような眼差しを鏡の中に向ける。同時に、鏡の中の人物も、自分にそんな眼差しを向けてくる。

 ふと、セントケージをたつに至る経緯を思い出した。なされたやり取りを思い返した。

 一応、それなりの覚悟をもってこのパーティーに加わったつもりだった。ちょっとした小細工まで弄して。

 けれど、これがなかなか、思っていた以上の難敵だったようだ。そろそろ今の微妙な距離感は耐えられなくなってきた。誤魔化しを重ねる後ろめたさを無視できなくなってきた。

(だいたい家訓ってなんだよ……)

 別に誰かを責める気はない。どう考えたって自分でいた種だ。それが見事に跳ね返ってきただけに過ぎないことは十分分かっている。それどころか、周囲にも迷惑をかけてしまっている。

 確かに、言うことでこれまでの関係、バランスが崩れてしまうことは恐怖だ。ただ、それでもこの状態は良くない。そろそろ腹を決めなくてはならないのだ。

(本当につまらない意地を張って……。もう、何をやっているんだか)

 そんなことを思いながら、見繕った服に着替えていった。



   *



 ふと何かの気配を感じた。

 クロノは意識をほんの少しだけ覚醒状態に寄せてチューニングする。

 薄目を開けると、空の色は変わっていない。あれからそれほど時間は経過していないようだ。風は相変わらず心地良い。

 クロノは、切り取られた狭い視界をゆっくりあげていく。地面を覆う青葉に後頭部を押し付けるようにすると、頭上の石段が逆さに視界に入る。そこに人の姿があった。

 女の子だ。少しくすんだ色合いのチュニック。その薄手の生地が、ブロンズの髪とともに揺れる。

 あまりお洒落をしている感じではない。しかし、その飾りっ気のない出で立ちは、十分見とれる価値のあるものだった。

(ていうか、可愛いな。さすが都だ)

 女の子は、石段に両手をつき、かなり身を乗り出している。チュニックの胸元は重力と二つのお山に押し下げられる。谷間がかすかに見えそうな。

(お胸もなかなかで……さすが都だ)

 クロノは都の偉大さを感じつつ、再び瞳を閉じようとする。そのときだった。

「すみませーん」

 なんと女の子はクロノに声をかけてきた。というか、それまでもかけていたっぽい。

 クロノがリアクションを見せると、顔をほころばせる。

「え? 俺?」

 声をあげると、女の子は首をぶんぶん縦に振る。

 女の子は、石段をひょいっと越えてくる。靴から膝下にかけて厚手のスパッツを装着しているのが見えた。

 女の子は、寝転がるクロノのもとまで来ると、その場でしゃがんだ。

「えーっと………その、ちょっとお尋ねしたいことがあるのですが、お隣よろしいですか?」

 柔らかい物腰で尋ねられる。

「どうぞ」

 女の子は、腰でポーチをとめていた銀色のバックルを外すと、そのままゴロンと後ろに倒れた。

「気持ちいい場所ですね」

 伸びをしながら、緩やかに吐き出すように言う。

「ニヴィアミレージの人じゃないみたいだな」

「……そうですね」

 その恰好は、未舗装の道を進むためのもの。都に到着したばかりの旅人と言ったところだろうか。

「尋ねたいことって、道案内とか?」

「そんなところですかね」

 どうも煮え切らない言い方だ。

「目的地はどこなんだ? 俺もここの人間じゃないから詳しくはないけれど、分かる範囲でなら」

「そうですね……」

 女の子は、何かを考えながら言いあぐねている。

「やっぱりいいです。道案内の話はなしで」

 時間の流れが心地良すぎて、曖昧な反応を追及する気も起こらない。

「本当に気持ちいい場所ですね」

 女の子は静かに繰り返した。少し気だるそうに身体を傾け、地面を覆う草花を撫でる。

 クロノは、この場所の良さを分かってくれる女の子に親近感を抱く。

「都の雑踏は苦手?」

 クロノは女の子の背中に尋ねる。

「別に、そういうわけでは……。でも、今はちょっとそういう気分ではないですね」

「そうか」

 女の子は疲れているように見えた。何かを尋ねてくる感じもなかったので、クロノはそのまま放っておこうと思った。

 深く息を吸い、惰眠を貪るべく再び意識を沈めていく。

「―――さま!」

 遠くで声が聞こえた。

 数秒あけて、もう一度聞こえる。フレーズは同じでも、より大きく聞こえた。

「お嬢様!」

 都の雑踏は騒がしい。常に一定の高揚感を保つあの空気は、妙に欲しくなることもある一方で、なぜかやたら馴染めない気がする瞬間もある。

 この子もきっとそんな感じなんだろう。

 クロノは、少し意識を戻す。女の子が耳を澄まして周囲をうかがっている。

 視線があった。

「ちょっと失礼します」

 女の子は、素早い動きでクロノに覆いかぶさった。ブロンズの髪が数本落ちてきて、鼻先をくすぐる。

(わ………近い!)

 骨盤に圧力を感じた。両膝で挟み込まれている。

 さらに、女の子はクロノの背中に両手を滑り込ませる。肩甲骨のあたりを探るような動き。超密着状態である。

「えいっ……」

 女の子は、うまくタイミングを合わせて横に倒れる。それにつられてクロノの身体もひっくり返る。器用に上下逆転である。

(な、な、な!?)

 いきなりのことで面食らったクロノは、自分が女の子に完全に覆いかぶさっていることに気づくと、両手をついて跳ねるように身体を離そうとする。

「待ってください!」

 女の子は、その瞬間、クロノの首に腕を回し体重をかけた。

(うお!)

 ガクンと身体が下がる。両肘をつき、どうにかこらえる。

 女の子の吐息が顔にかかる。ギリギリでこらえなければ、唇が触れ合っていたかもしれない。

「お願いです。少しの間でいいので、このまま……」

 お願いされてしまったらしょうがない。クロノは観念して、そのままの体勢を維持する。女の子は首に回していた腕の力を弱める。

 クロノの視界には女の子の顔だけ。喜怒哀楽がひどくぼやけた、もしくは、そのいずれにも該当しない表情だった。

「お嬢様ー!」

 先程女の子が現れた石段のところから声がした。

 首にかけられた腕の力が強まる。クロノは引き寄せられ、女の子と頬が触れ合う。

 女の子はクロノの身体の下にすっぽりと収まっている。

「いましたか?」

「いや」

 女の子は息をひそめている。クロノも息をひそめる。

 背中に視線を感じる。通りから見たら死角になるが、石段のところから見ればすべて丸見えである。

「真っ昼間から公衆の面前で……。都の風紀も乱れたものですな」

 ひそひそと声が聞こえた。

 鼓膜に女の子の吐息を感じながら、時が流れるのを待った。

「お嬢様!」

 再び同じフレーズが、今度は小さくなって聞こえる。声の主は、この場を離れたようだった。

 女の子は、クロノの首に回していた腕を地面に落とした。クロノは、起き上がり、脇に退ける。

 女の子も起き上がり、長い髪を手櫛ですいて草の切れ端を払い落とす。

「私、そろそろ行きますね」

 クロノは、背中の方に手を伸ばして女の子のポーチをとった。意外と重量感があった。

「ありがとうございます」

 女の子も手を伸ばす。

 すると、ポーチの隙間から中身が零れ出た。細いチェーンにつながったペンダント。

「あ……」

 ギリギリ地面に触れることはなく、クロノの目の前で金属細工が左右に揺れた。銀一色のシンプルな十字の形状ではあったが、非常に精巧な意匠がこらされていた。

 女の子はそれを収めると、ゆっくり立ち上がった。

「では、これで失礼します」

 柔らかな会釈をしてから、女の子は振り返ることなくその場を立ち去った。

 クロノは、その後ろ姿が完全に視界の外に出るまで見届けると、再び仰向けに寝転がった。

 空を見る。やはり、それほど時間は経過していなかった。

「いったいなんだったんだろう……」

 可愛いと思って油断してしまった。

(さすが都………訳の分からんやつもいるもんだな。巻き込まれないようにしないと)

 ニヴィアミレージの喧騒は、なかなかクロノを放っておいてはくれない。しかし、クロノはそれでも断固とした決意で、再び惰眠を貪ることを心に誓った。



   *



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