喧騒のニヴィアミレージ -03-
その翌日もまた特に予定はなかった。フィートからの依頼書によれば、数日間の待ちぼうけである。
今日は全員一人ひとりバラバラに宿を出ていったようだ。久々の完全一人ぼっちである。しかも、ソフィーから何かを頼まれることもなかった。
もういっそのこと宿の自分の部屋にこもっていようかとも思ったが、ソフィーに無駄な気苦労をかけるのも本意ではない。クロノは、とりあえず街を散策することにした。
(目的なく一人で歩くのは、さすがに微妙だな……)
クロノは歩き始めてじきに心が折れる。
「俺の憩いのスポットは……」
それらしいスペースを探し徘徊する。
少しして、太い水路に面した段々構造の公園に辿り着く。一面、鮮やかな緑の
程良く陽があたり、程良く死角で、寝転がっていても特に誰の迷惑にもならなさそうな感じだった。
「今日はずっとここにいよう。ここが俺の戦場だ」
クロノは数歩踏み込んでから、腰を下ろし、すぐ横になってそのまま空を眺めた。
視界の隅でひらひらと舞う白い蝶。その動きにつられ、感覚が淡くなっていく。
頭上の石段を越えて漏れていた人々の行き交う気配は、すうっと遠ざかっていった。小川のせせらぎに浮かぶ笹舟のように。
そよ風が水路の水面を小さく波立たせる。やがて、足元まで駆け上がってきて、柔らかい青葉の薫りが鼻腔をくすぐった。
クロノは、ふと思った。
(みんな、どこで何をしているんだろうな……)
セントケージを出て、早くも半月くらいだろうか。数度のハプニングを経験しつつ、徐々に連帯感みたいなものが芽生え始めていたような気はしていたが、ここに来て、再び見事にバラバラ状態である。
やっぱり、大使館で聞いた話がこたえたのだろうかとクロノは想像する。あれは確かに、クロノとしても衝撃的だったし、みんながへこむのも理解はできた。
ただ、それでも、しばらく朝から晩まで共にしてきた面々との距離が広がると、どこか物寂しい感じは拭えない。あれ、こんな感じだっけ――みたいな感覚だ。
(………ん? もしや、これは、ホームシック的なあれか?)
そのとき、クロノの頭の中で、ピコンと豆電球に明かりが灯る。同時に、なるほどと思い、手をポンと叩いた。
(そうか、みんなホームシックだったのか!)
ニヴィアミレージに辿り着くまでは、ただがむしゃらに目的地を目指していれば良かった。けれども、到着して手持ち無沙汰になってしまい、ふと気分が落ち着いてくると、郷愁の念が静かに湧き上がってくる………みたいな感じだろうか。
(みんな、見かけよりは繊細な神経だったんだな。これは、少しくらい気を使ってやるべきか)
クロノは、随分スッキリした気持ちになる。釈然としない霞のような思考のよどみは、清涼な流れで洗われるように消えていった。
そして、ようやく条件が整った。もやは一切の憂いはない。
クロノは、ゆっくり瞳を閉じて、ゆっくり息を吸い、ゆっくり息を吐く。とても安らかで、穏やかな感覚に支配されていく。
数分と待たずに、クロノは真っ昼間の惰眠に誘われた。
(みんな……寂しがる必要なんてないんだぞ………)
*
「うっひょーー!!」
官庁街の中では一番の外れに位置する、ニヴィアミレージの市庁舎前広場。
朝早く宿を出たエミルは、イベント用の仮設ゲートを通過し広場を一望すると、人目を
広大なスペースには所狭しとシートが敷かれ、持ち込まれた木箱やデスクに物品が並べられている。蚤の市だ。
(これはこれはこれは! 意識を強く持たないと正気を保てそうにありません!!)
どこまでが敷地なのかもよく分からない。相当な規模であることは間違いなく、当然セントケージでお目にかかることのできないものだ。
エミルは目を輝かせながら人混みをかき分けて進んでいく。
中には、荷車を持ち込み、天幕を広げてかなり組織的に商売をしている人たちもいたが、大半は小規模で、一人ですべてやりくりしている人も多かった。シングルベッドほどのスペースにシートを敷いて、客と談笑しながら品定めに付き合う。
エミルは、はやる気持ちをどうにか抑え、ざっと会場の様子をつかんでいった。
並んでいるものとしては、やはり古着が一番多いのだが、他にも台所用品、日用雑貨、それにエミルが好むガラクタの類も相当な出展数だった。どちらかというと、実用的なものが多く見えるが、用途不明のガジェットや機械のパーツも決して少なくはなかった。
そして、都というだけあって、広大なモントシャインの各地からもたらされたと思われる魅惑の品々を見つけることができた。見たことのない形状の物体が視界に入るたび、そこから視線を引き剝がして先に進むのに苦労する。
(ヤバいです。涎が出そう……じゅるる)
欲望の大海原に立つエミルは、自分の財布を確認する。そして、自問自答。
この予算でできることは何か?
欲しい!と思ったものを買うのであれば、財布は数分でカラになる。超欲しい!!と思ったものを買うのであれば……それでもやはり、財布は数分でカラになるだろう。
考えろ、考えるんだエミル―――。
エミルは、知恵熱を出しそうなほどの真剣さを見せる。そこに、閃きが舞い降りる。
「そうだ!」
エミルは、改めて自分の財布の中身を確認した。
(よし、ギリギリいけます!)
続いて、運営のテントに向かった。登録用紙に簡単に情報を書き込み、一番狭いスペースの登録料を支払う。これで、残金はほぼゼロ。
登録証明のための札を手に、指定された区画に行く。その区画は、他の所よりまだゆとりがあって、エミルは適当に確保したスペースに〈アイちゃん〉から取り出したシートを広げた。
周囲の視線に注意しながら、クッションやラックも取り出した。最低限のセッティングだけすると、〈アイちゃん〉をできるだけ目立たないところに置いて、ひと撫でする。
(相棒よ。アナタだけが頼りなんです)
エミルは、〈アイちゃん〉の中からいらなさそうなものをどんどん取り出し、ラックやシートに並べていく。無尽蔵に格納する〈アイちゃん〉の腹の中からは、どうしてこんなものが?と思いたくなるものまで、様々なものが出てきた。
置ける空間はすぐに一杯になった。エミルはそれらを一通り眺める。
(いまいちパッとしませんねえ……)
エミルは、さらに〈アイちゃん〉に手を伸ばすと、今度は各種工作キットを取り出した。その場は、即席の工房となった。
その中心に腰を下ろしたエミルは、インスピレーションに任せ並べたガラクタを加工し、組み合わせ、新たな何かを生み出していった。
「さあさあ、気軽にお立ち寄りください~」
掛け声を始めると、客が足を止めるようになる。その場で制作している出展者は他にもちらほら見かけたが、ここまで本格的なのはいない。物珍しさから、ちょっとした人だかりができていく。
エミルのメカニックの技術はかなりのもので、無駄のない動きから、パーツを最大限に活用する美しさがあった。街角の大道芸を見るようなノリで人々は歓声をあげるようになってくる。
「完成しました」
素早く動作確認するエミル。便利かと言ったら正直微妙だが、見るとなかなか愛嬌のある動きをする不思議な物体ができた。
ただでさえ狭いスペースに工作機器まで置いてしまい、完成品の置き場所がなかった。
すると、すぐに声がかかる。
「姉ちゃん、俺が買うぜ。いくらだ?」
他にも希望者が数人いたので、ちょっとした
エミルは次の制作に取り掛かる。その後も、完成品はその場ですぐに買われていった。目の前でつくられる正真正銘のハンドメイドは好評で、他の出店者と比べても、売り上げは好調なようだった。
(稼いだ分だけお買い物………稼いだ分だけお買い物………)
エミルの心の声をよそに、人々は匠の技に見入っていた。
*
「学園の大図書館には敵わないけれど、悪くない」
ミスティーは、荘厳さが目を引くニヴィアミレージの中央図書館にいた。
街全体と同様、建物の主要部分は石で構成されており、これ自体が歴史の生き証人としての風格を漂わせている。図書館というよりは、歴史博物館とかの方がしっくりくる。
エントランスを入って進んでいくと、まず巨大な吹き抜けホールに辿り着く。入口のある一階は、内部構造的には第二階層に相当するようで、眼下に地下一階の閲覧スペースがよく見える。大きな机が整然と並べられており、市民が本を積み上げ読み耽っている。
吹き抜けを見る限りでは、地下一階を含めて四階層、つまり地上三階まであるようだ。ただ、一階層ごとの天井がかなり高いため、一般的な建物の三階建てとはまったく違う。
いずれの階層にも巨大な書架が設置されており、そこに移動式の梯子が設置されていた。
ミスティーはとりあえず歩いて回ることにする。
床にはカーペットが敷かれ、音の反響を最小限にしている。照明は、本の劣化を抑えるため意図的に弱く設定されており、ちょっとした隠れ家のような雰囲気になっている。
(私としたことが、なんで今日までここに来なかったのか)
自問自答。大きな街なんだから、大きな図書館があるのは必定。これに気付かぬとは自分でもビックリである。
ミスティーは、さっそく興味をひかれた本を持てるだけ手に持ち、近くの机に向かった。
*
港近くの古びた倉庫を改造してつくられた格闘技道場。
名目上は、格闘技を指導し、鍛錬を積む場所ということになっている。しかし、その実はただ暴れたい者たちの溜まり場だ。
日頃から鬱憤をため込んでいる腕自慢の船員から、裏路地で日夜縄張り争いを繰り広げる若者までいろいろいるが、総じてみんな柄が悪そうで、ギラギラと獲物を探す肉食獣のような目をしていた。
とりあえず、ロクな人間はいなさそうだった。
「で、その子は?」
奥から、濃いグレーのカーゴパンツに萌黄色の袖なしシャツを着た筋骨隆々な男が出てきた。
「いえ、その……」
話しかけられた方も似たような格好だが、並んでしまうと鍛え方はかなり足りない。
「おじさん、見事な上腕二頭筋」
小さな女の子が、わりと本心でその見事な筋肉を誉める。ダボっとした長ズボンに、上はティーシャツを着てその上から長袖の上着を羽織り、頭にはキャップを被っている。後ろで束ねた髪は、かなり赤に近い色で人目を引く。もちろん、シェル・ポリフィーである。
「おう、ありがとうなお嬢ちゃん。迷子か? 子供はこんなところ来ちゃいけないんだぜ?」
「年齢制限書いていない」
「まあ、そうだけどな。ここは格闘技道場だからな、強いヤツしか入れないんだよ。分かるだろ?」
「強ければいいんでしょ? どうすればいい? 何かテストでもする?」
「んー、あのなお嬢ちゃん……」
「誰か倒せばいい? ルールある?」
「んー、話が通じないか。しょうがねえな、一発痛い目を見て学習してくれ。忠告はしたから、悪く思うなよ」
男はシェルの下腹部めがけて拳を突き出した。しかし、拳を伸ばし切っても腹には触れていない。
男の拳からわずかな隙間を保っているシェルは、一切表情を変えない。。
「ん?」
男は不思議そうな顔をする。もう一度同じことをするが、同じことになる。
「おじさん、学習して。それじゃ当たらない」
「アァ?」
男は、いきなりシェルを蹴り飛ばそうとする。しかし、これまた触れることはない。
徐々に周囲の人も様子がおかしいことに気付き始める。
「そんなガキ相手に、何やってるんすか? 追い払いましょうよ」
「おじさん、ルールは?」
「ああ、ルールな。この道場の中でなら何をやっても恨みっこなし、だ。怪我しても殺されても文句は言うな」
「理想的」
シェルは道場のど真ん中に歩いて行く。
*
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