喧騒のニヴィアミレージ -02-


 ニヴィアミレージでは、電気の確保には一定の労力を求められる。

 電線による安定供給の恩恵を受けられるのは、政府機関や大使館などの重要施設くらいのもの。それについても、安全のため政府管理施設だけを経由する徹底ぶりであり、一般人は電線をその目で見ることすらない。

 一般施設が電気を使用する場合、発電体制の整っていない多くの街と同様、蓄電器を利用することとなる。ニヴィアミレージで生産される電力のほとんどは、水流発電によるもの。河の中に沈められたスクリューの回転からエネルギーを得るのだ。

 そのため、ニヴィアミレージの河岸に沿って、いくつもの発電所があり、電気ステーションが軒を連ねている。市民はこのステーションにカラの蓄電器を持ち込み、代わりに満タンとなっている蓄電器を受け取る。料金はステーションによって異なるので、安いところは早くに売り切れとなってしまう。

「もしかして……売り切れですか?」

 ヘイズが電気ステーションの店主に尋ねる。その横のストッカーに、充填された蓄電器は残っていない。

「なんだお前、あんま見ない顔だな」

 腕っ節の強そうな店主が睨む。華奢なヘイズと並ぶと、その体格の違いが際立つ。

「実はお使いを頼まれまして……」

 ヘイズは宿の名前を言う。

「なるほど。ソフィーのお使いってーなら、売らないわけにはいかないな。いくつ必要だ?」

「二つお願いします」

 店主はストッカーで充電している蓄電器の目盛りをチェックする。一番たまっている蓄電器のコネクターをつなぎ変え、急速充電に切り替えてくれる。

「一時間くらいかかるな。適当に時間潰してろ」

「ありがとうございます」

 ヘイズは少し離れて待っていたクロノの所に戻って来る。

「一時間くらいかかるってさ」

「そうか」

「あっちの方で待ってようよ」

 ヘイズは、河を見下ろせる柵の方を指差した。

「そうだな」

 ソフィーに頼まれた仕事は、電気を買ってくることだった。いつもは自分で行ったり、ハンスに頼んで行ってもらったりしていたが、最近はどちらも忙しくて買いに行けていなかったそうだ。

「セントケージの蓄電器より重かった気がするね」

「一回りでかいからな。いずれにせよ、一人でやるのは重労働だな」

 宅配サービスもあるにはあるが、ボッタクリと言いたくなるくらい高いため、できれば利用したくないという。

「水の中にスクリューが見えるね」

 川面を眺めるヘイズが言うので、クロノも目を凝らす。流れが速くて見にくいが、集中すると物凄い勢いで回転するスクリューが見える。

 サイズの異なるスクリューをうまく配置して、水流のエネルギーを効率よく回収しようとしていた。そこから岸壁に視線をずらすと、ステーションへと敷かれている電線の束が見えた。

 クロノとヘイズは、流れゆく河の水を眺め続ける。岸壁とスクリューで乱された流れは、白いしぶきを撒き散らし空中に放り出されるが、すぐにまた大河の一部となり下流を目指すことになる。

「アルゲンスフェラの件、フィートさんの言っていた準備って何なんだろうね?」

「なんだろうな……。課題としては、行って現状報告なわけだから、さっさと出発しちゃいたい気もするが」

「そうだね。でも、そうもいかない何かがあるんだろうね。目的地がアルゲンスフェラっていうのも、サイコロを振って決めたわけじゃないだろうし」

「……ものすごい楽園だといいな」

 クロノは視線を上げる。多少霞んではいるが、オヴリビ川の左岸の様子が見える。

「そうだね。でも、全然期待してないでしょ?」

「まあな。それに……」

 クロノはさらに視線を上げる。薄曇りの空が広がっている。

「本当に楽園すぎて、帰りたくなくなっちゃったら困るだろ?」

 隣でヘイズも空を見上げた。少しの沈黙の後、言葉を返す。

「誰が困るの?」



   *



 モニュメント広場は、通行の妨げにならないような所に多数の屋台が出ている。その中に甘い香りを漂わすお店があった。

 店の前には椅子とテーブルが並べられ、そのうち一つに女の子が三人陣取っている。

「実際どうだと思う?」

 シェルはそう言うとクレープをもう一口食べる。

「どうって言っても……気付いてないと思うんですけどねー」

 エミルは少し困ったふうにそう答え、やはりクレープを食べる。

「本当かなあ?」

 シェルは納得しない。

「先輩は、大雑把を装った気遣い屋さんを装った単なる鈍感。たぶん本気で気付いていない」

 ミスティーもクレープを食べる。

「んー……」

 唸るシェル。

「むしろ、気付いていて言ったのなら、逆に凄い。先輩、男前です。私のハートも撃ち抜かれかねない」

「確かに……。気付いていたんだったら、逆にいろいろ凄いですねー」

「んー……」

「ちなみに、誰も突っ込まないので言っておくと、私のハートも撃ち抜かれかねないというのは、実際に先輩が男前だったら驚きすぎて心臓が止まってしまうという意味です。念のため」

「いや、それ、分かりにくいですよ……」

「んー……」

「ところで、クレープもう一個食べる人いますか?」

「私、食べます」

「んー……」

「じゃあ三つですね。先輩が大サービスでおごってあげましょう」

「先輩、ご予算的に大丈夫ですか?」

「んー……」

「ミスティー君、我が軍の財布は誰が握っていると思っているのかね?」

「先輩、どこまでもついて行きます」

「んー!」

「ところで……」

「なんですか先輩? まさかとは思いますが、どこぞのカマッテチャンに話しかけようとしていませんよね? ああいうのは、話しかけたら負けです。地雷と分かって踏みに行く必要はありません」

「んーんー!!」

「でも……」

「そうですか……。決意は固いようですね。ならばもう止めません。その代わり、ヤツにかける最初の言葉はこれでお願いします。『過ぎたヤキモチは可愛くないぞ。テヘ』。人の気持ちを逆撫でするように言うのがポイントです」

「ぜ、善処します……」

「ウガーッ!!」

「怪獣かっ! ……あ、コホン、今のは独り言です」

「過ぎたヤキモチは可愛くないぞ。テヘ」

「ウ………」

「さすが先輩、ナイスに意味不明なタイミングです」

「それほどでも」

「なんですか……私にそれを言わせるんですか……。まあ、いいでしょう。コホン……べ、別に、誉めてなんてないんだからねっ」

「……違う、ヤキモチ違う……」

「お、ようやく帰ってきましたね」

「おやおや、人間のコスプレした怪獣が人語を話し出したぞ。ウケルー」

「ウギャーー!!!」

「あー、シェル落ち着いて。ドードー。ヒッヒッフー」

「先輩、それだと何か生まれます」



   *



 ニヴィアミレージは中州に築かれた都市である。しかし、周囲の激流が外部との船の行き来において大きな障害となっており、あまり盛んとは言えない。

 一方で、都市内の交通手段として、舟運は人々の生活に密着している。網目状に築かれた水路を細長い小型船舶が行きかう様子は、ニヴィアミレージのありふれた光景である。

「これはラクだねー」

 クロノとヘイズは水上タクシーから見上げる。

 水路の水面の高さは、基本的にはオヴリビ川の水面の高さ。つまり、街の標準的な地盤よりはだいぶ下ということになる。季節にもよるが、水の多い今の時期であっても地下二階くらいの高さしかない。

 水路は両側に積み上げられた石の地盤の断面を見ながら街を抜けていく。定期的に頭上を通りが横断し、そのたびに暗いトンネルに入る。並ぶ建物はいずれも水路に背を向け、その裏口から小さな桟橋まで階段や梯子を下している。

「行きもこれで行けたらラクだったんだがな」

「ソフィーさんに、玄関で見送られちゃったからね」

「あれは確信犯だな。とりあえず大変な方を行けと」

「おかげで、行きと帰りに違うルートを使えたわけだし、これはこれで良かったんじゃない?」

 あれから一時間ほど経過し、ステーションでフルの蓄電器を受け取ったとき、普通に歩いて帰ろうとしたところで店主に声をかけられた。それで、歩いて来たと言ったら、お前ら馬鹿かと言われ、水路のことを聞いたのだ。

「まあ……そうかもしれないけど。ていうか、あれだ。タイヤが罠だったんだ」

 できるだけラクをしたいクロノとしては、無駄に歩かされたことがポリシーに反したようで、振り返って反省すべき点を洗い出していく。

「タイヤ? これのこと?」

 ヘイズは、蓄電器のタイヤを見る。

 蓄電器の底にはタイヤが二つついている。真っ直ぐ立てているときは地面に触れないのだが、少し傾けると接地して、運搬に非常に重宝する。

「そうそう。それがあるから行ける気がしちゃったんだ。もう少し考えるべきだった」

 船は、行きに通った大通りの下のトンネルに入る。暗闇の中、出口の明かりが遠い。

 しばしの会話の切れ間を経て、クロノが言う。

「ヘイズ……」

「なんだい、クロノ」

 トンネルの壁は、小さな声までも逃さず反響させる。

「俺、何かやらかしたか?」

 暗闇の中、ヘイズの声はすぐには返ってこない。クロノの声がこだまし、余韻は長く尾を引く。

「君はね……」

 ヘイズの声には、何らかの強い感情がこもっているような気がした。しかし、跳ね返り重なるうちに、それは曖昧で読みとれないものとなってしまう。

「君は、結構いいヤツだと思うんだよ。みんなに気を配って、しかもわざとらしいわけでもなくて。すごく自然な感じが、とても良いと思うんだよ」

 ヘイズは、ゆっくりと言葉を紡ぐ。意図したように届けるため、丁寧に言葉を紡ぐ。

「でもね、クロノ。君は、実は誰のこともちゃんと見ていないと思うんだよ」

 闇は揺れる。水路に浮かぶ小舟のように。

「………」

 クロノに言葉はない。ヘイズは続ける。

「僕のことも、見えていないでしょ?」

 闇に落ちた一滴は、恐らく波紋を残して広がっていったのだろう。でも、そこは結局闇。

「………。ここは、暗すぎるからな」

「そうだね。ここは暗すぎるから」

 船は進む。小さかったはずの出口は、近付くと案外大きい。視界は急激に明るくなり、外に出た瞬間、空気の境を感じる。

「もうすぐ宿に着くね」

 ヘイズは普通の調子で話しかける。

 ほどなくして、船は宿の裏の浮桟橋につけられる。

「お、さすがに帰りは船で来たわね」

 それに気付いたソフィーが下りてくる。宿の地下一階の裏口から、スロープ状の通路が設置されていた。

「ハメましたよね?」

 クロノはソフィーに軽く抗議してみる。

「まあまあ。また一つ、身をもって学べたわけだから良いことでしょ?」

 ソフィーは、笑いながら受け流した。



   *



 夕食前にハンスが宿にやって来た。

「確かに渡したぞ」

 今日は夕食は食べていかないようで、渡すものを渡してすぐに去ってしまった。

 それは、フィートからの依頼書だった。

 食堂に五人集まり、内容を確認する。

「アルゲンスフェラ諸侯領の特使を、その領地まで送り届けて欲しい……だって」

「特使ですか。ニヴィアミレージにアルゲンスフェラの特使が来てるってことですかね?」

「送り届けるって書いてあるから、たぶん」

「これで課題はクリアしたも同然だな。特使と一緒にアルゲンスフェラに行けるんだから」

 クロノは元気良く言うが、他の四人の反応は薄い。クロノはとりあえず依頼書の続きを読む。

「近いうちに詳細な説明と顔合わせのセッティングをするから、もう数日待って欲しい……だって。さすが大使館、至れり尽くせりだな」

 やはり、四人とも反応は薄かった。

 かく言うクロノも、口ではこう言ったが、不安がないわけではない。

 そもそもここは、モントシャイン共和国の首都ニヴィアミレージ。アルゲンスフェラの特使が首都に来て、どうしてセントケージ大使館と接点を持っているのか。どうして、自分たちははじめからアルゲンスフェラを目指しているのか。なぜその現状報告が課題になっているのか。

 考え出せばキリがない。

 そしてまた、クロノは無知を噛みしめる。



   *




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