第6章 喧騒のニヴィアミレージ
喧騒のニヴィアミレージ -01-
廊下の一番奥は出窓になっている。
エミルはそこに座って、なんとなく外を眺めていた。
すでに夜も更けている。宿の周辺はニヴィアミレージの中心部だが、街明かりは少なく、人の往来もほとんどない。
ただ、なんとなく、気分的にそれを眺め続けていた。
ガチャ……。
扉が開いた。ちょうど目の前の部屋。二階の一番奥はミスティーだ。
「エミル先輩……」
「あ、もしかして起こしちゃいました?」
「いえ、別に。どうかしたんですか?」
「んー、なんとなく……かな?」
「そうですか」
ミスティーは部屋に戻らず扉だけ閉める。
「寝れないんですか?」
「そんなところです」
「じゃ、せっかくだし、談話スペースにでも行きますか。三階の」
「そうですね」
ガチャ……。
エミルとミスティーが階段の方に向かおうとしたところで、前方の扉が開いた。中からシェルが出てくる。
ミスティーは素早くその背後をとる。
「シェル……」
「わ! なんでアンタ……」
シェルは、悲鳴こそあげなかったものの、身体がビクッと跳ねる。
「シェルも寝れないんですか?」
エミルが声をかけるとシェルが振り返る。
「あ、エミルもいる」
「シェル、どこに行こうとしてたの?」
ミスティーが静かに詰問する。
「別に……」
「階段に向かおうとしてた」
「だ、だから何?」
「寝てる人を起こしちゃダメだよ」
忠告。
「だから別にそういうわけじゃ……」
「シェルはおませさんですねえ」
エミルがニコニコしている。
「だから……」
「まあいいや。エミル先輩、行きましょう」
「どこ行くの?」
「三階」
「なんで……」
「談話スペースですよ、シェル」
「私、眠れないの……ちょっと隣にいてもいい?」
胸の前で両手を握るミスティー。
「……ということを考えちゃうシェルとは違って、私たちは談話スペースに行くの」
そう言うと、ミスティーとエミルは歩きだす。静かに抗議をしながら、結局シェルもついてきた。
三人は、階段を静かに上がっていく。
「しっ!」
エミルが他の二人に止まれの合図をする。
「どうしたの?」
「クロノ先輩とヘイズ先輩ですね」
「ま、隠れていてもなんだし、普通に合流しますか……」
「エミル先輩、ちょっと待ってください」
ミスティーが、出ていこうとするエミルを制止する。
「興味深いので、少し聞いておきましょう」
「アンタ、遠慮ないよね」
「そんなに誉めなくていいよ」
「いや、誉めてないけど」
三人は階段の途中から、談話室の声を聞く。静かなので、かなりしっかりと聞きとれる。
「そうだな……あの時点で選べたのなら、俺はたぶん行かなかったよ」
「そう……」
「でも、今、あのときに戻って選ぶのなら、行く方を選ぶ」
「無知のままはいやだから?」
「それもあるかもしれない……」
「他にもあるの?」
「行かなければ、お前とも会えなかったしな……」
*
翌朝、クロノが食堂に行くと、女子三人が朝食をとっていた。
「あ、先に食べてたんだ。ちょっと起きるの遅かったかな?」
クロノの後ろからヘイズも現れる。
「ごちそうさま」
シェルとミスティーは、クロノが席につくと、ちょうど片付いた皿を持って席をたった。
「お前ら、今日、何か用でもあるの?」
「別に……」
シェルが目を合わせず短く答える。そして、ミスティーと一緒に食堂を出ていった。
クロノはよく分からなくて、まだ座っているエミルを見ると、エミルは困ったような笑いを返す。
「ヘヘヘ……私も行きましょうかね」
特に説明することもなく、エミルも食堂を出ていった。
入れ替わるように、ソフィーがやって来る。
「あら、今日はみんな一緒じゃなかったの?」
「別に時間をあわせてるわけでもないので」
「そう……それならいいけど、そうするとこれはあなたたちの仕事ね」
「仕事?」
「タダで泊まってるんだから、働きなさいな」
「昨日は客だからくつろいでいいって……」
「あら、そんなこと言ったかしら?」
「で、何をすればいいんですか?」
ソフィーは、クロノとヘイズに仕事の内容を説明する。
*
ニヴィアミレージの目抜き通りは、官庁や各国大使館の建ち並ぶ通りから三ブロック隔てて並走している。中洲の中心軸より右岸に近く、三本の橋とのアクセスも良い。大型の商店が軒を連ね、様々な地方の特産品を見つけることができる。
「アンタ、いつまでついて来んの?」
雑踏の中、シェルは背後の人影に尋ねる。
「あら偶然」
背後の人影、もといミスティーはわざとらしく答える。
「こんな所に来て……ショッピングでもしたいの?」
距離をとる必要もないので、ミスティーはシェルの隣に来る。
「そんなお金ないし」
「それはそうね」
散財した一件から、旅の一行の金銭管理はより厳格になっていた。質素倹約を尊び、各メンバーにはお小遣いという形で個人の使えるお金に制限をかけるようになった。
「でも、よくよく考えたらおかしい」
「何が?」
「だって、今の宿、宿泊費は大使館持ちでしょ?」
「それが?」
「浮いたお金は、日頃からの感謝の気持ちをこめて私に還元されるべき」
「……私はシェルがなんで罰金をとられないのか甚だ疑問」
シェルとミスティーは、そのまま言葉をかわしながら通りを歩いていったが、話題はすぐ尽きる。というより、最初からほとんどなかった。シェルは不平を漏らす。
「楽しくない」
「そう」
「つまんない」
「そう」
前を歩いていたシェルは
「つ・ま・ん・な・い」
「つまんないのはおどれのその
「………」
「今のは、面白いことを言おうとしてスベっただけ」
シェルは特に何も答えず再び歩き出した。ミスティーもその数歩後ろをついていく。
しばらく二人は何も話さなかった。ニヴィアミレージで最も騒がしい通りを、ただ黙々と歩いた。
通りはやがて大きな広場に至る。右岸に渡る三本の橋のうちの真ん中が、この広場とつながっている。最も幅が広く交通量の多い橋を渡れば、自然とこの広場に辿り着く。
広場の中央には、大河に浮かぶ石造りの都を象徴するような、石像と噴水のモニュメントが鎮座していた。遠くからでも目立つかなり大きなものだが、近くに行くとその繊細さに驚かされる。
石像の土台に彫られたレリーフも印象的だった。顔のある不気味な月と、大河の上で揺らめく石の街。月の雫が、ゆらめく街に佇む一人の女性の掌に落ちていく。
噴水の近くまで行くとシェルは立ち止まる。ミスティーも数歩後ろで立ち止まる。
シェルは振り返らずに言う。
「思い出した」
「何を?」
「つまらないときに何をするべきか」
「………」
「ミスティー、回れ右」
ミスティーはなんだかよく分からないが、とりあえず回れ右をする。シェルも回れ右をする。
二人の位置関係は逆転する。
「よくよく考えたら、位置が逆なのよ」
「……なるほど」
ミスティーは、ここでようやくシェルの言いたいことを理解する。
「逃げるのは私の専門」
「追いかけるのは私の専門」
ミスティーが逃げて、それをシェルが追いかける。これが二人の遊び方。
「位置について、ヨーイ……ドン!!」
シェルの掛け声でミスティーは走り出―――。
ガシ!
ミスティーは何者かに腕を掴まれる。
「みーつけたっ!!」
そこにはエミルがいた。エミルの反対の手には、すでにシェルが掴まれている。
「エミル!」
「エミル先輩……これは鬼ごっこであって、隠れんぼではないのです」
「そっかー、そうだよね。間違えちゃいましたー。テヘ」
そのとき、モニュメントから噴水が吹き上がる。巨大なモニュメントにふさわしく、噴水も高く上がり、そのしぶきが三人にも届く。
「わ、冷たっ!」
周囲には、噴水を見上げる人々の歓声。いつの間にか多くの人が集まっていた。
三人も安全な距離をとり、高く吹き上がる水のダンスに見入っていた。
*
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