無知なる魔法使いたちに -08-


 宿の入口には、満室の札が掛かっていた。これは、昨晩みたいに一人一部屋というわけにもいかないかなと思ったが、食堂に行くと準備されている量は昨日と同じだった。どうやら、クロノたちがいる間は新しく客をとらないようだ。

「もう少し待っててね」

 厨房からソフィーの声がした。

「何か手伝うことありますか?」

 クロノは一人で厨房に入っていく。

「お客さんなんだから、適当にくつろいでいればいいのよ」

「まあまあ、本当の目的はつまみ食いですから!」

「それは残念、つまむようなものはもう残ってないわよ。私がつまんじゃったからね!」

「うぉー、先を越されたか!」

 昨日の今日でこのテンションというのも我ながらすごいなとクロノは思う。そして、異国の地でこのような場所を与えられていることに、柄にもなく感謝してみたりする。

「ところで……」

 ソフィーは、声のトーンを落としてクロノに話しかける。

「どうしました?」

 クロノもそれにあわせる。

「あの子たち、ちょっと元気ない? 何かあったの?」

「腹が減りすぎたんじゃないですか? 成長期ってやつですね」

 クロノは、生ハムの切れ端を一つつまむ。

「そう、それならいいけれど……成長期ね、大豆製品にするべきだったかしら」


 テーブルでは、大鍋から盛り付けたビーフシチューが湯気を上げる。濃いブラウンの中には、少し大きめに切られた肉と野菜がたっぷり。ニンジンの赤やブロッコリーの緑で彩りも豊かだ。

 その横には、ルッコラの葉にトマトを添えて薄切りの生ハムを乗せたサラダ。オリーブオイルに軽く塩コショウで風味づけをしている。

 六人で席に着き、それをいただく。

「うまい!」

 クロノが言うと、他の面々も同意するが、あまり会話は続かない。

 クロノが一番喋り、次にソフィーが喋る。他は、反応もするし、笑顔もつくるが、それすらあまり続かない。

 バスケットの次のパンに手を伸ばしているところで、来客を知らせるベルが鳴り、ソフィーがパタパタと玄関に向かう。

 こんな時間に宿泊客だろうかと思ったが、戻って来たソフィーの後ろにはハンスがいた。

「ソフィーさんのビーフシチューの香りに誘われてやって来ちまったぜ!」

 いきなりテンション高めのハンスが加わり、食卓は少しばかり活気を取り戻していく。

「仕事帰りですか?」

「おうよ。今日もバリバリ働いたぜ」

 実際、見事な食いっぷりだった。クロノもよく食べるので、結局大鍋の中は綺麗になくなる。

「アンタたち、本当によく食うね。作る甲斐があるってもんだわ」

 みんなの腹が満たされてくると、場の空気は当初よりかなり和やかなものになる。何て事のない会話を、何て事のないきっかけでかわせるようになる。

「みんな、多少は元気になってきたみたいだな」

 ハンスがクロノに小声で言う。

「ソフィーさんに呼ばれたんですか?」

「まあな。その前にフィロにも聞いて気にはなっていたけど」

 食後、そのままの流れで軽く談笑してから、ハンスは宿をあとにした。

 食堂の片づけを手伝った後は、みんな部屋に戻っていった。


 宿は三階建てで、一階にあまり広くはない食堂と厨房、ソフィーの私室、物置などがある。

 階段を上がり、二階には三部屋が並んでいる。客室はいずれも二人部屋として使えるものだが、それを今はエミル、シェル、ミスティーが一人一部屋使っている。

 三階に上がると、階段の前に談話スペースがある。大きめの窓があって、ソファーとテーブルが置かれている。小さな本棚もあるが、収まっているものはあまり統一感がない。談話スペースの隣には、二階と同じタイプの客室が二つ並んでいて、こちらはクロノとヘイズが使っている。

 時計の長針と短針が一番高いところで出会いつつある時間。

 なんだか寝付けないクロノは、隣の談話スペースに行き、適当に本を手に取ってソファーで横になった。しかし、あまり興味のある内容でもなかったので、じきに飽きてしまう。

 クロノは動くのも面倒だったので、本をテーブルの上に置いて、そのままソファーで横になっていた。右腕を目隠しのように顔に置く。

(明日の俺は何をするんだろうな……)

 思えば、セントケージを出発して以来、特にやることが決まっていない日というのははじめてだった。寝込んでいたとき以外は、当然毎日歩き続け、とりあえずはこのニヴィアミレージを目指してきた。

 最終的な目的地はアルゲンスフェラだが、今は大使館からの情報待ちという状態。明日のうちに何かしらの知らせは届くと思われるが、それでも予定がないことに変わりはない。

 クロノは、今日の話を思い返す。大使館でフィートにされた話だ。

(魔法っていうのは、案外とんでもないものだったんだな……)

 セントケージ学園では、ちょっと人より魔法が使えれば、それなりに目立ってちやほやされる。恐らく、羨ましいという感情が向けられる。

 たぶんシェルだって、高等部一年では有名人なんだろう。あれだけ目立つ魔法を使えるんだから、本人に隠す気がなければ当然注目の的だ。

 ただ、そういう魔法に対するポジティブな印象というのは、より広い世界に目を向ければ相当特殊なものなのだろう。どちらが正しいとかいう話を別にしても、印象操作というべきものであり、決して自然なことではないと思える。

 一方で、どうするべきかと問われると答えにくい。真実を重視すべきか、幸福を重視すべきかという問題になるのだろうか。とすると、今の幸福なセントケージを強く否定する気にもなれない。幸福ならそれでいいと思ってしまう。その幸福が、無知の無知を前提にしているものだとしても。

 ただ、何かが引っかかる……。


「クロノ?」


「!?」

 クロノはガバッと起き上がった。

「あ、ゴメン、ビックリさせちゃったかな?」

 そこには、クロノの反応に逆にびっくりして立ち尽くす人影。

「え、あ、ヘイズか……」

「誰か別の人だと思った?」

「いや、一瞬知り合いの声に似てるなと……」

「え!? あ、あ、そうなんだ……。でも残念、ヘイズ・ランバーでした」

「別に残念とかそういうんじゃないけどな。どうした? 眠れないのか?」

「まあそんなところ。座ってもいいかな?」

「ああ」

 いつもながら、フードを頭まで被った寝間着姿のヘイズが向かいのソファーに座る。今日は……カエルだろうか? 頭の上に目ん玉がついている。

「クロノはどうしたの? 珍しく考え事?」

「そんなとこだな、珍しく」

「そうか。でも、無理もないよ。みんな結構ショックだったと思う」

「そうだな……」

「僕たち、何も知らなかったんだね……」

「そうだな……。個人的には、魔法とか魔法使いに関する衝撃の事実より、度を超えた無知が明らかになって、そっちの方がショックだったかも」

「確かに、そうだね……」

 二人はあまり深く考えず、ポツリポツリと言葉を並べていった。

 いつの間にか二人ともそれぞれのソファーで横になり、薄暗い天井を眺めていた。夜空を見上げるように。

「この校外研修って、何なんだろうね?」

「己の無知と向き合え……みたいな感じなのかと、今は思える」

「真面目な答えが返ってきた」

「あのなあ……俺だって真面目なことを考えるんだよ」

「ごめんごめん」

 ヘイズは小さく笑いながら答える。

「あのさ、クロノ」

「なんだ?」

「クロノは、セントケージ・スカーレットを手にこうやって旅をしているけれど、良かったと思う?」

「良かったか……どうだろうな。俺は基本、流されるままだから」

 校外研修を命じられた。だから、校外研修をしている。単純な話だ。

「じゃあさ、もし今、あの日に戻って、校外研修に行くか行かないかの選択権があったら、どうする?」

「そうだな……」

 行かなければ、今も普通の学園生活が続いていた。

 行かなければ、コイツらとはちゃんと知りあえなかった。

「あの時点で選べたのなら、俺はたぶん行かなかったよ」

「そう……」

「でも、今、あのときに戻って選ぶのなら、行く方を選ぶ」

「無知のままはいやだから?」

「それもあるかもしれない……」

「他にもあるの?」

「行かなければ、お前とも会えなかったしな……」

 ちょっとクサい台詞だなとクロノは思った。でも、まあいいかとも思った。

 ヘイズは何も言わない。談話スペースは静まり返る。

 その静けさに重苦しさはなかった。ものすごく安らかで、包み込まれるような静けさだった。

 そして、ヘイズは、やっぱり何も言わなかった。







(第5章 おわり)




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