無知なる魔法使いたちに -04-


 一○分。

 執務室の壁にかかるダークブラウンのシックな時計の針が、正確に時を刻み落としているのであれば、それだけの時間が経過したことになる。ただ、クロノたちにはその数倍の時が流れたように感じられた。

 人が六人もいるのに声のない部屋の空気は重い。少し姿勢を変えるだけでも気を使ってしまう。纏わりつくようで、息をするたびに喉に引っかかる。息が詰まるとはよく言ったもので、実際窒息してしまいそうだった。

 そんな呪いのような時間は、一○分ぶりに解かれた。

「さて……どうしたものか」

 フィートは疲労の色を微かに含んだ吐息を漏らす。この一○分は、彼にとっても過酷な旅路であったようだ。

 クロノたちは、様子を窺う。この場において生殺与奪の権を握るフィートの一挙手一投足に注意を払う。

「あの人……学園長は、なんにも説明していないみたいだね。まあ、そんな気はしていたけれど、これは本当に丸投げだ」

 フィートは、諦めるように、自分に言い聞かせるように言った。しかし、その様子を少し不安げに見詰める視線を感じると、すぐに微笑み返す。

「ごめんごめん。私が愚痴ったら示しがつかないね。大丈夫、しっかり順を追って説明していくよ」

 フィートは端末を素早くタッチする。

「まずはこれだな」

 指先を動かしつつ、フィートは話す内容を脳内で整理する。

「君たち、魔法とか魔法使いってやつが何か分かるかい?」

 論説文でいうところの、話題提起というやつだ。つまり、ここから本論に入っていくことになる。

 五人は、いきなりの難問に戸惑う。

 もちろん、魔法も魔法使いも知っている。セントケージのカリキュラムを受けていれば、知らない人などいるわけない。

 しかし、それが何であるか説明することは難しい。学園において、そのような必要に迫られることもなかったし、今さら考えようという奇特な思考も持ち合わせていなかったからだ。

 フィートは、五人の困惑を見透かした上で、敢えてクロノに答えをうながす。

「さあ、クロノ君。答えてごらん。魔法とは何だい?」

「改めて聞かれると難しいですね………。魔法は……物理法則とか常識とかを無視しているように見える力……ですかね?」

 クロノはどうにかこの場を乗り切るべく苦し紛れに答える。もちろん、これがフィートの求める答えであるという自信はまったくない。

 しかし、フィートは追い打ちをかけることなく話し始める。先に進むために必要な条件は満たしていたのだろうか。

「この世を支配する物理法則というやつは、元来極めて単純なもの。できるだけ単純に記述したいという人間の欲求の表れと言えなくもないが、とにかく、この複雑な世界と比較すれば、拍子抜けしてしまうくらいの単純さを持っている。

 私たちはここに、感覚的な齟齬を感じる。世界はこんなに複雑なのに、それを支配するルールはこんなにも単純なのかと、我が目を疑う。すんなり受け入れられない。受け入れられないからこそ、学ぶ必要があるとも言えるね。

 回りくどい言い方になってしまったけれど、つまり物理法則なんてものは最初からそれなりに突飛なんだよ。一般的な感覚と離れ過ぎていて理解に苦しむものは少なくない。それこそ、

 クロノたちは、集中して話を聞いている。すると、今までそんなふうに考えたことなんてなかったのに、確かにそんな気がしてくる。

「そして、常識というのもまた、極めて厄介な代物だ。例えば、セントケージとニヴィアミレージの常識は、違う部分も多々あるだろう。セントケージの中に限ったって、大人の常識と子供の常識にはズレがあるだろう。

 つまり、常識というヤツは絶対的なものではない。むしろ、極めて曖昧であり、様々な条件によりその姿を変えるから、捉えどころなんてないようにさえ思える。変幻自在過ぎて、そもそも規定できない」

「魔法のように?」

「そう、魔法のように」

 フィートは、フッと笑う。

「物理法則とか常識とかを無視しているように見える力……君はそう言ったね? これは、『よく分からないもの=魔法』という意味で言ったのだろう。

 なるほど、着眼点としては悪くない。ただね、ここで比較対象として持ち出されている物理法則とか常識ってやつも、そもそもひどく魔法的なものだということは忘れないでいて欲しい。揺るがないものだと思って信じ切っていると、いつか痛い目を見ることになるかもしれないよ」

「つまり、よく分からないものは、魔法だけではないと?」

「少なくとも、根っこの部分ではさして変わりがないように見える」

「でも、それなら魔法とは一体……」

「今の時代の理論体系で理解しがたいもの。それにとりあえず〈魔法〉という名をつけたに過ぎない。少なくとも、最初はそうだったのではないかと思う。

 ここで注意して欲しいのは、分からないものではなく、理解しがたいものであるという点だ。魔法は理解しがたいけれど、理解することが不可能なわけではない。この前提はかなり重要な意味を持つ。

 そして、君たちは魔法使い。しかも、壁外を旅する魔法使いだ。今話した前提に立った上で、さらにもう少しばかり知識を持つ必要はある」

 正直、釈然としない。しかし、話は進んでいってしまう。

「ところでシェル君、魔法使いとは?」

「魔法を使える人」

 悪あがきもしないで短く即答するシェル。一切遠慮はない。

「なるほど。でも、君は魔法を使えないように見える魔法使いも多く知っているんじゃないかな? 魔法使いだけど魔法は使えませんというのは、学園でもあまり珍しくはないだろう」

「確かに……」

「なら、どうしてその人たちは、魔法使いなんだ?」

「検査したから。検査の結果、魔法使いと言われたから魔法使い」

「その通りだ。魔法使いの判定は、血液検査によりなされる。学園でも毎年血を抜かれるだろう?」

「アレは嫌い。でも、何だか分からなくなってきた。あの検査で魔法使いの何を調べているの?」

「魔法使いの血液は、別の魔法使いの血液に混ぜると凝固する性質がある。いわゆる抗体反応だ。検査ではその性質を利用して、予め魔法使いのものであると分かっている血液サンプルを利用して調べていく手法をとるわけだね」

「それはそうだけど………そうじゃなくて……」

「どうして血液を調べることで、魔法使いとそうでない人を区別できるのか。その線引きの妥当性はどこにあるのか」

「そう。なんでその条件だけで線を引いているのか分からない」

 シェルは、ほとんどの場面で感覚的に受け答えしているように見えるが、意外と理屈にも強い。フィートの説明の中に潜む核心を的確についていく。

「追加の検査を実施して、厳密に魔法を使える人だけを魔法使いと呼ぶべきではないかということだね。一理ある。ただね、実は魔法を使っているかどうかを知ることは、案外難しいことなんだよ。

 例えば君が、じっと見つめたものを少しだけ温める魔法を使えるとしよう。確かに、実験室で何かを見つめてもらってその温度を測れば、魔法を使ったということを立証できるだろう。でも、それは先にどんな魔法が使えるのか分かっていてはじめてできることだ。

 自分ですら無意識ということもよくある。というより、そのようなケースが大部分を占めていると思われる。そして、そんな場合には魔法の行使を確認する手段なんてないんだよ」

 仮説があるから実験できる。だから、どんな魔法か分からないのにそれを判別することは不可能ということか。

「使っているはずなのに確認できない魔法を、俗に〈カラ魔法〉と言うわけだが、これらについては今のところお手上げだ」

「間接的に調べることはできないんですか?」

 クロノが質問する。

「それは、副次的効果の方から攻めるということかな?」

「そうです」

 フィートは右手を持ち上げ、順番に指を折りながら話す。

「身体能力の向上、感覚の鋭敏化、思考力・集中力の向上、治癒力の向上、高揚感・全能感の増大。教科書的な分類で言うと、魔法の行使に伴うとされる副次的効果にはこの五つがあるわけだが、知っての通り極端な個人差がある。

 副次的効果が顕著な場合、それをもって魔法使いだとすることはできるかもしれない。しかし、逆に判別しにくいときに、その人が魔法使いではないと確定することはできない。結局、これで線を引くことはできないんだ」

 質問しておいてなんだが、やっぱりダメだったかとクロノは思った。

「カラ魔法でかつ副次的効果も微弱となれば、もう誰が見ても確認はできない」

「確認できないものはもうしょうがない」

 ミスティーが発言する。ちょっと投げやりな印象はあるが……。

「白か黒かの線引きを明確にせずに、間にグレーを認めてはダメなんですか?」

 クロノが補足するように言う。

「至極真っ当な意見だね。ただ、血液検査以外では、黒は分かっても白は分からない。だから、黒と白と間のグレーではなく、黒かグレーかということになるね。

 確かに悪くないようにも思える。でも、この分類ではダメなんだ。ダメな理由はあとで分かると思うけれど、このような譲歩は現実的に認められないんだ。

 それで結局、話は血液検査の妥当性というところに戻ってくる。まあ、この点については、はっきり言ってしまえばただの経験則だ。魔法を使ったとされる人間、もしくは顕著な副次的効果が認められた人間は、血液検査でも魔法使いと判定されている」

「過去に例外は報告されていないんですか?」

「……………」

 クロノが聞き返すと、フィートははじめて言葉に詰まった。

「ちょっと待っておくれ」

 フィートは端末を操作して何かを確認している。何かを考え、結論が出た顔になる。

「まあ、いいか」

 独り言を呟くと、クロノの方を真っ直ぐ見た。

「今朝までの私であれば、君の質問に対して即答できたんだ。例外は一度たりとも報告されていないとね。そして、だからこそ魔法使いの判定において、血液検査は絶対的なものとされている。しかし、やはりどんなものにも例外はあるようだ」

 短く一呼吸。

「君たちが届けてくれた情報チップの中身で一番衝撃的だったことだが、血液検査の例外が存在するようだ。私の知る限り、唯一の例外。それが君のようだよ、クロノ君」



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