無知なる魔法使いたちに -02-
入ったときと別のところから出ると、リヤカーを備え付けた三輪バイクが停められていた。振り返り、ここがすでに三つの門を抜けた場所なのだと理解する。精巧な石組みの橋の端っこ。
バイクは見た目にも重量感のありそうなモデルで、大容量の蓄電器と立派なモーターを搭載していた。タイヤは幅が広く、速度を上げても安定感があるに違いない。
牽引用のフックでバイクと接続されているリヤカーはオープンタイプ。向かい合わせになるよう両サイドに座席が備え付けられただけの簡素なものだ。
「本当は橋を走っちゃいけないんだけど、大使館の関係者は特別なんだ」
ハンスは三輪バイクに跨ると、起動させながら言った。
残り六人はリヤカーに乗り込む。少し窮屈だが、解放感のあるオープンタイプなのであまり気にならない。
「よし、出発だ!」
ハンスは橋に人がほとんどいないのを良いことに、少し乱暴に発進させる。
あっという間に加速し、正面から風を受ける。向かいに座っているヘイズは、帽子が飛ばされないよう押さえている。
スピードに乗った車体が橋の石材のつなぎ目に差し掛かると、そのたびに小さく振動し、独特のリズムが身体に響く。
「気持ち良いだろ!」
ハンスは大きな声で後部リヤカーの面々に言った。
「最高です!」
クロノは答えた。
黄昏時に差し掛かりつつある時間帯。日中の暑さを失いつつある空気を切り裂きながら、バイクはただただ真っ直ぐ疾走する。
眼下にはオヴリビ川の荒々しい流れ。正面には、みるみる迫って来るニヴィアミレージの街並み。石を積み上げてできたというだけあり、近づくにつれ威圧感は増してくる。
「ニヴィアミレージか……」
クロノの呟きは、誰かの耳に届くより前に風にかき消される。
クロノはふと、セントケージの城壁から外の世界に踏み出したときのことを思い出した。
境界線を越えるということの意味。距離としてはほんの少しなのに、その一歩を踏み出すだけで、まるで違うどこかに辿り着いてしまう。
昨日までの常識と断絶した異国の地。昨日までの自分が知らない新世界。
正直、まったく望んじゃいない。平和が一番だと日々言ってきた。
ただ、向こうからやって来てしまう場合はしょうがない。
無駄な抵抗をせずに受け入れることもまた、俺のモットーなのだから。
クロノたちの当面の宿は、大使館から目と鼻の先。セントケージ関係者御用達の宿で、すべての手配はすでに済まされていた。宿の女主人は気さくな感じの人で、ハンスやフィロたち大使館の面々とも顔馴染みのようだ。
「大使館への直通回線もあるから、何かあったら連絡してくれ。たぶん俺かフィロが出るはずだ。あ、でも女の子だったら、何かなくても連絡していいぞ」
「馬鹿言ってないで、早く戻るわよ。仕事やりかけなんだから」
「じゃ、そういうことで~。ソフィーさん、あとは任せた!」
「はいはい任されたわ。さっさと行きなさい」
大使のスケジュールの都合もあり、面会は明日の午後に設定された。午前中は適当に観光でもして、昼過ぎに大使館まで来るようにと言い残し、ハンスとフィロは去っていった。
部屋数は少なく、クロノたちの他に宿泊客はいなかった。まるで学園の寮のように感じられ、夕食の席ではこれまでの武勇譚を面白おかしく語り、大いに盛り上がった。
*
午前中は各自気の向くまま街を散策し、昼に宿で合流してから大使館に行った。
その立地こそ官庁街の一角という都の一等地であるが、セントケージ大使館は地区の他の建物より地味で、ニヴィアミレージの一般的な集合アパートとほとんど同じ外観をしている。掲げられている旗からセントケージの大使館と分かるが、同時にそれがあまり存在感のある国でないことも分かる。
大使館内ではフィロが付き添って案内をした。と言っても、館内は広くないので、専ら待ち時間の雑談相手という役である。
途中、ハンスも陽気な顔を見せたが、忙しいらしく、またすぐにいなくなってしまった。
クロノたちは、フィロとともにロビーのソファーに座っていた。会う時間はアバウトなので、ここで現れるのを待つことにする。
正直、聞きたいことはたくさんあるが、そういうものほど大使に直接聞くべきだと分かっている。だから、この場でふさわしい話題は、自然と無難なものになる。
午前中にぶらついた街の様子は、全員が単独行動をしていたこともあり、時間稼ぎには持って来いの良い話題だった。
「それは一番大きな港ね。街の中でも賑わっている場所よ」
クロノが適当に歩いた末に辿り着いたのは、ニヴィアミレージの少し上流寄りの河岸。港自体もかなりの規模だったが、周辺の市場や歓楽街も大いに賑わっているようだった。
ニヴィアミレージは人工的に地盤がかさ上げされているため、逆に港は窪地のように大きく落ち込んでいる。円形劇場のように中心が低くなり、独特の景観となっていた。
ちょうど目の前の机に市街図があったため、それに関連してニヴィアミレージの水運について解説してもらった。
「実はね、ニヴィアミレージは水運に適さない土地として知られているの」
「あの流れじゃ危険だということですか?」
街に入るときにも見たが、かなりの激流だった。
「そうね。オヴリビ川の流れはこの中州の影響で速く複雑になっているの。特に、下流部のこのあたりでは渦も発生しやすくて、経験豊かな地元の船頭と頑丈な大型船がなければ中洲に近づくこともできないわ」
フィロは地図を指し示しながら説明してくれる。
「なるほど。でも、港には小型船もたくさんありましたが……」
「それは積み替えをしていたの。外から港までは大型船で運んでくるけど、市街に張り巡らされた水路を通るには小型船の方が好都合。だから、港でそういう作業をするのね」
「だから、その作業をするための人が多かったのか」
「まあ、それもあるわね。あとは、市街の水路に入るために検問所でチェックされるのだけど、これがかなりかかるから、その間に船員たちは周辺で時間を潰すの」
「なるほど。あ、そう言えば、港に巨大な鉄扉がありましたが」
港の内外を隔てる目的だとは思うが、それはあまりに巨大で、城門のようにも感じられた。
「見たとおりだけど、港の出入りを制限するための開閉門よ。そもそもこの街は防衛重視。水運に適さない中州にわざわざあるのも、外敵の侵入を拒みやすいから。通常の岸壁は水面よりかなり高いから普通は接岸すらできない。そして、港の門も閉じてしまえば、水上からの防衛に隙はなくなるわ」
「あとは橋の警備だけ万全にしておけば大丈夫だと」
「そういうことね。だから、この四本の橋は、特に気を使って管理されているわ」
地図を辿る。右岸へ三本、左岸へ一本の橋が架かっている。距離的には右岸まで一キロメートル、左岸までは小島を経由しつつ三キロメートルだ。
クロノたちが渡ったのは、右岸の橋のうちのもっとも上流のやつ。
「あ、だから、付き添いなしで橋を渡れなかったんですか」
あのような面倒な身分確認をわざわざしたにもかかわらず、さらに大使館の職員まで呼び出す厳重さ。仕事に精が出るというか、クソ真面目というか。
そんなことを思いながら、クロノはそれまでの会話と同じテンポで、ただの相槌と同じくらいに意味を持たない台詞を返したつもりだった。
しかし、フィロは言葉に窮する。
「あ、それは……」
その様子が何を意味するのか分からない無知な五人に、複雑な表情を向ける。ゆるやかに淀むことなく流れていた会話は唐突に硬直する。
そんなタイミングだった。
「少し違うね」
始めて聞く声がすると、突然クロノの両肩に手がおかれる。
「確かに橋の警備には万全を期しているが、簡単に渡れなかった理由は他にある」
背後には、やたらと背の高いイカしたおじさんが立っていた。
「それはね、君たちが魔法使いだからだよ」
「やっと来ましたか……」
フィロが言う。
「私の名は、フィート・モーガン。モントシャイン駐在のセントケージ大使だ。遠路はるばるようこそ」
フィートは一礼し、改めて全員の顔を眺める。
「話の続きは、私の執務室で」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます