第5章 無知なる魔法使いたちに

無知なる魔法使いたちに -01-


 広大な版図を誇るモントシャイン共和国。その都、ニヴィアミレージは、大河オヴリビ川の大きな中州を土台として存在している。

 中州に石造りの簡単な集落を築いていったのがその興りであると考えられているが、そうして始まった街は当然水害の脅威にさらされ続けた。それに対し住民は、石を高く積み上げることで対抗していった。古い街並みを土台とし、歴史を重ねるごとに石を積み重ねていった。いつしか旧市街は新市街に完全に覆われ、その新市街がさらにその次の市街に覆われていった。

 ニヴィアミレージは、こうして川面かわもからそびえ立つ威容を誇る現在の姿に至ったのである。

「以上、食堂の話したがりのおじさんの説明を要約」

「なるほどね」

 先程昼食をとっていたときの見知らぬおじさんとの会話を再現するミスティー。

 五人で同じ長テーブルについたのに、なぜかミスティーだけ話しかけられ、結局かなり話し込んでいた。

「あとは自分の身の上話とかだったから省略。というか忘れた」

 こんな小さな女の子に話してもしょうがないだろうにとクロノは思ったが、他の四人の会話をスルーして対岸のニヴィアミレージを眺めるミスティーに、おじさんは何かしらのシンパシーを抱いたのかもしれないとも思った。

 意見を求めたいわけではなく、話すという行為を成立させるための相手が欲しかったのだろう。そう考えると、確かにミスティーは適任という気がしてくる。

「さて、それじゃいよいよ乗り込みますか」

「ここまで長かったような短かったような」

「まだ中継地点なんだから、そういうのはセントケージに帰還してからにしようよ」

 クロノたち一行は街道をひたすら進み、ついにニヴィアミレージの対岸に至っていた。

 オヴリビ川の右岸を通る街道は、この場所でニヴィアミレージ方面と分岐する。市街のある中州まで約一キロメートルの橋が三つ架かっているが、そのうち一番手前のものを渡ろうとしている。

 目の前には、対岸の街と同じく頑丈そうな石造りの橋が伸びている。少し視線を落とすと、雪解け水を集めて激しさを増すオヴリビ川の流れがある。

 その流れを見下ろしながらクロノが呟く。

「この川、実は長い付き合いだな」

「街道の大半がオヴリビ川に沿っていますからね」

 エミルも見下ろし答える。

 セントケージが面するオヴリビ川を下り続ければここに至る。あそこを流れていた水はやがてここまでやってくる。

 ただし、セントケージの下流部と上流部にはそれぞれ大きな滝があるため、一つの船で行き来することはできない。加えて、場所により流れが大きく変化したり、分流して川幅が狭くなったりするし、蛇行が激しい箇所もあるので、長距離の水運には根本的に向いていない。

 流れが安定した区間で、安定している季節には、船の往来もそれなりに活発であるが、安全性を考えれば制約が大きい。

 都市国家セントケージが巨大なモントシャイン共和国から独立しているのは、こういう地理的要因もあるのだろう。交通の便の悪さが、あの平和な国の維持に一役買っているのだろう。

 そんなことを頭の片隅に思いながら、一行は橋のたもとにある通行管理署の建物に入っていく。


 国境越え以来久々に取り出した〈セントケージ・スカーレット〉を提示すると、クロノたちは個室に通される。そして、管理署の職員は一旦奥に引っ込み、すぐにもっと偉そうな人と一緒に現れた。二人は、持ってきたマニュアルを引きながら〈セントケージ・スカーレット〉の確認作業に入る。

 まずは、水を入れたグラスが五つ用意され、五人の前に置かれる。しかし、これは飲むためのものではない。

「〈セントケージ・スカーレット〉を沈めなさい」

 五人は言われたとおり沈める。紅の通行証は、特に面白いことを起こすわけでもなく、ただ水に沈みグラスの底に到達する。

 少なくとも五人にはそう見えた。セントケージの魔法使いたちの目にはそう映った。

 しかし、管理署の二人の反応は違った。

「おお! 本当に……」

「マニュアルに書いてある通りだ」

 二人とも驚きを隠せないが、もちろんこれには理由がある。

 二人が見えている光景は、実際のところかなり奇妙なものなのだ。

 〈セントケージ・スカーレット〉は、使。通行証としてはいささか不便な性質であるが、これが学園長から最初に説明されたことである。

 故に、魔法使いでない人は、通常〈セントケージ・スカーレット〉を視認することはできない。しかし、それでは通行証として意味がない。触れば存在は確認できるが、それだけでは不十分だ。

 そこで、モントシャインの公共機関やゲートなどには、〈セントケージ・スカーレット〉が提示されたときに取るべき対応がマニュアル化されている。その最初のステップが、水に沈めて形状を確認するというものだ。長方形の薄い空気の膜が出現したように見えれば、クリアとなる。

 続いて、次の確認作業のための準備が進められる。

 目の前ではかまどに火が入れられ、薪がくべられる。ちなみに、すでに暖房を必要とする季節ではなく、実際この部屋の窓もすべて全開になっている。

 薪を必要なだけ投入し終えると、火力が上がるまでの時間、簡単な質疑が行われる。

 そして、頃合いを見計らって五枚の〈セントケージ・スカーレット〉は火の中に入れられる。火鋏ひばさみの先端で燃え盛る炎に包まれる。

「またしばらくかかりそうだな」

「気長に待ちましょう」

 作業の様子を黙って見守る一行。

 竈ののぞき穴からはゴーゴーと燃え盛る音が聞こえ、時々勢い余った炎が外に吹き出す。

 少しして、突っ込んであった火鋏は取り出される。その先端には、燃える木炭のように赤く光る〈セントケージ・スカーレット〉が挟まれていた。

「本当に見えるようになった……」

 再び驚く二人。

 実は、〈セントケージ・スカーレット〉は、強熱することで魔法使い以外にも見えるようになるという性質がある。だからこそ、このように面倒くさい手順を踏む羽目になってしまう。

「手を出せ」

 クロノたちは言われたとおり掌を広げる。その上に、赤々と煌めき、見るからに熱そうな通行証が落とされる。それは、若干の温もりこそ感じても、熱いというレベルではなかった。

 最初のときは少し怖かったが、二度目なのでもう慣れたもの。視覚と触覚のギャップ感はいまだ抜けきらないが、こういうものなのだと理解はできている。

「渡せ」

 今度は〈セントケージ・スカーレット〉を二人に渡す。二人は、校章と表面の微かな模様を確認すると、それらを返した。

 そして、短く言った。

「いずれも〈セントケージ・スカーレット〉と確認した」

 これで橋を渡れると思って安心した五人はフーっと一息吐いた。

「ま、結構スムーズだったな」

 ところが、思惑は外れてすぐには解放されなかった。

 どうやら、セントケージ大使館の職員の迎えが必要らしい。


 クロノたちは、待たされている部屋から外を眺めてみる。

 対岸には、ニヴィアミレージの市街が要塞のようにそそり立っている。水面から垂直に石の壁が立ち上がり、その上に街のすべてが配置されている。

 石の街からこちらに向かってすっと伸びてくるのが、これから渡ろうとしている橋だ。やはり街と同様、堅牢な石造りで、水量豊富なオヴリビ川の上で絶対的な安定感を見せつけている。

 右岸を通る街道から石造りの橋に入るまでには、三重の堅牢な門が待ち構えている。車輪でレール上をスライドさせられる構造の鉄門は、重心が低く百人で力を合わせても倒すことはできなさそうだ。

 三重の門を通行する間、左手に迫る石垣の上に、今クロノたちがいる通行管理署の建物が乗っている。小振りな砦のような構造をしており、有事の際には防衛の最前線となるのだろう。とりあえず、見晴らしに関しては申し分ない。門のレールは管理署基部の石垣内部に届いており、全開にすると格納される仕組みになっているようだった。

 三つの門は、いずれも半分ずつ閉じられた状態になっている。それでも十分すぎる広さで、簡単なチェックを受けながら、絶えず人が行き交っている。台車に荷物を山積みにしていたりすると、脇によけて少し長めの検査を受けるが、それ以外は本当に軽いチェックで通れている。

 仰々しい構造物の見える景色ではあるが、人々の様子を見れば、差し迫った心配のない平和な日常の一コマを感じることができた。

「暇」

 シェルが呟く。

「八回」

 ミスティーはその回数を数えて口に出す。

「ニヴィアミレージはすぐ目の前なのになあ……」

 ヘイズは窓枠に両肘をついて遠くを眺めている。その視線を、川面から舞い上がってきた水鳥が横切る。

「ま、ここはポジティブに考えましょう。どのみち私たちは大使館に用があるわけですし、大使館の人が迎えに来てくれるというのはちょうど良いじゃないですか」

 エミルは〈アイちゃん〉の整備をしながら会話に参加している。旅の心強い味方である〈アイちゃん〉は、テーブルの上で複数のパーツに分けられ、細部まで念入りにチェックされている。

「そうだそうだー。お前ら、せかせかするなー」

 会話するのも億劫といった様子のクロノは、いつの間にやら椅子を三つ並べて横になり、力の限りだらけまくっていた。

 ふとシェルは立ち上がり、うつ伏せで横たわる脱力系クロノのもとに行った。

「クロノ、暇」

「そうかー。でも、俺のせいじゃないんだよー」

「暇、構って」

「悪いなー。今、忙しいんだよー」

「私を構え」

「あー、そのうちなー」

「………」

 シェルはそのままその場でクロノを見下ろす。

 そして、身体の向きを変えると、遠慮なくクロノの背中に腰かけた。椅子の上で横たわるクロノの上なので、座面が高くシェルの足はほとんど床を離れている。

「う……」

 クロノは小さな悲鳴を上げるが、シェルはお構いなし。

「シェル……座りたいなら、向こうに椅子があいてるよ……」

「わざわざ向こうに行かなくても問題なし」

「いや、俺には問題ありなんだよ……」

「アンタは椅子。だから、座られて本望のはず」

「………なるほど………」

 体重の軽いシェルが乗っても実際のところどうということはない。

 クロノは、追い払うのが面倒になってくる。だんだん、都合のよい思考に傾いていく。

「なるほど………そのとおり、俺は椅子。だから、座られることで忙しい……あー忙しい」

 反応が鈍いので、シェルはさらに体重をかけてやろうと、クロノの背中の上で自分の両膝を抱える。体育座りの格好になり、全体重がクロノの背中にかかる。

「これでどう?」

「どうって言われてもねぇ……シェルたん軽いから別に問題ないし……。まあ、敢えて言うなら……柔らかくてちょっと温かくて、むしろいい感じか……も………イ、ア、ウァァ!」

 クロノがようやく本当の悲鳴を上げる。

 いつの間にかシェルは体勢を変え、背中に跨ったままクロノの顎を両手で力一杯引き上げていた。クロノは海老反りになって呻き声をあげている。

「クロノ先輩、座られたり技をかけられたりして喜んでいるなんて、本当に変態さんなんですね……」

 気がつくと、無理やり持ち上げられたクロノの顔を覗き込むように、ミスティーが正面でしゃがんでいた。

「この状況からの言葉攻めとは………なかなかやるな、ミスティー……グヘ!」

 背後からの力が強くなる。

「何、私のこと無視してんの」

「い、いや……無視してないだろ。ていうか、どう無視しろと……」

「先輩、アーン」

「は!?」

 ミスティーはなぜかパンを持っていた。

「はい、アーンしてください」

 そう言って、ミスティーはクロノの鼻をつまむ。思わず口を大きく開くと、そこにパンが突っ込まれる。

「ンンンン!!! ンンンーー!!(容赦ねえ!! この鬼!!)」

「ああ!! なんでこのタイミングで私は整備なんかしているんだ!! この面白い光景を記録できないなんて、あってはならないのに!!」

 エミルはこちらを凝視しながら吠えるが、手はものすごい速度で整備を終えようと動いている。

 さらに、ヘイズもこちらを見ていた。心配そうに見下ろしている。

「二人とも、そのへんにしておかないとクロノ死んじゃうよ」

 ヘイズ………お前、良いヤツだな。

「……僕はそれでもいい気がしているけど」

 前言撤回……お前も、ヒドいヤツだな。

「クロノさん! 死ぬなら撮影の準備が整ってからにしてください!!」

「ほらほらー、もっと飲み込んでくださいよー」

「クロノ! 今は私を構う時間! こっち見ろ!!」

「ンーンーンーン!! ンンンーーンンン!! ンン!!(この体勢でそっち見れるか! 首一八○度回転とか、普通にホラーだろ!! ウギャ!!)」

 死ぬー!! アタイ本当に死んじゃうー!!


 コンコン!


「ン、ン?(何だ?)」

 クロノはどうにか身体をよじって音のした方を見る。すると、扉が開き、そこに見知らぬ人が二人立っていた。開けたドアを改めてノックしていたようだ。

 一人は男、もう一人は女の人だ。どちらも二十代後半くらいの感じで、男の方は少し悪戯っぽくニヤつき、女の人の方は優しそうに微笑んでいた。

「あ、やっと気付いたな」

 男の方が言った。フォーマルな服を軽く着崩している。

「開ける前にもノックしたんだけどね、反応ないから入ってきちゃった。お取り込み中だったかな?」

「え……、いえ、いや、これは……」

 クロノは少し気恥ずかしくなる。

「そしてシェル、そろそろ下りろって」

 クロノはまだ背中に乗ったままのシェルに言う。体勢的には、もはや背中からしがみついているだけになっていた。

 シェルは小さく頷いて下りた。

「えと……」

 ヘイズが、どうして良いものかという感じに声を上げる。

「あ、そうだ。自己紹介がまだでしたね」

 女の人の方が言う。しっかり仕事をしていると分かるきっちりした服装。

「おお、そう言えば。最初からいきなり面白い場面に遭遇してすっかり忘れていた」

 男の方は少しい大袈裟なリアクションをとりつつ、またニッと笑った。

「俺はハンス・ランデンバーグ。ニヴィアミレージにあるセントケージ大使館で、参事官をやっている。宜しくな!」

「私はフィロ・スラストス。同じく大使館で、書記官をやっているわ。まあ、実際は雑用だけど。宜しくね」

 続いてクロノたちも名乗るだけの簡単な自己紹介をしていった。それから互いに握手をかわす。

 雰囲気は違えど、二人とも話しやすそうな人だなとクロノは思った。

「よし、行くぞ。忘れ物はするなよ」

 ハンスはそう言うと、先に部屋から出ていった。パーティーメンバーもぞろぞろついていく。

「だいぶ待っただろ?」

 ハンスがクロノに話しかける。

「休憩にはちょうど良かったです」

「フフ、あれで休憩になってたの?」

 フィロが楽しそうに言う。

「ええ、まあ一応………たぶん」

「そう言えば、誰が何年生なんだ?」

「俺とヘイズとエミルが高等部二年、シェルとミスティーが高等部一年です」

「みんな年が近いのね」

「あのちっこいの二人は、ぱっと見、中等部なのかと思ったが」

「でも、〈セントケージ・スカーレット〉が発行されたってことは、みんなかなりの曲者なんでしょうね」

「そうですね。曲者ばかりです」

「ハハハ! そりゃいいじゃないか!」



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