暗闇の館、嵐の夜 -06-


 結局、三階の三部屋にエミル、シェル、ミスティーが、二階の二部屋にクロノとヘイズが寝ることになった。

 三階で女の子三人が部屋に入るのを見届け、クロノとヘイズは階段を下りていく。手には、エミルが全員に配った蓄電灯と非常用ブザー。蓄電灯は貴重な電気を消耗してしまうので、できるだけ使わないのが望ましいが、念のため。

「じゃあ、おやすみ」

「ああ、おやすみ」

 クロノはヘイズと別れると、さらに廊下を進み、一番近い鍵の掛かっていない部屋に入る。深い闇がぽっかりと口を開く静寂の廊下で、扉の小さな軋みが反響する。

 扉は、木目の目立つ木の板を縦に並べ、それらを横方向に並べたいくつかの金具で留めているタイプ。少しばかりの高級感を演出したであろう装飾金具は、所々で塗装が剥がれ落ち、赤錆が浮いている。蝶番ちょうつがいと取っ手の部分は、大きめの釘でしっかり固定されている。

 ガチャリと音を立てて閉める。建付けに問題はないようだが、隙間を空気が通り抜けている。

 クロノは、取っ手の上下に一つずつある頑丈そうなかんぬきをスライドさせようとしたところで手を止める。

(一人部屋ってことは、誰が俺を起こすんだ?)

 これは完全な盲点だった。常に頼れるだけ人に頼って生きるクロノは、誰かに起こされない限り目覚めることなどないと自信をもって言えた。今まではずっとヘイズと相部屋だったので、確実に起こしてもらうことができたわけだが、今晩は違う。

 しかも、明日は普段より朝が早い。これはもう、寝坊確定である。

(というか、俺の部屋、誰も知らないんだから、誰も起こしに来てくれないんじゃ……)

 他の四人が部屋に入るのは見届けたが、逆に言えば、クロノがどの部屋に入ったかは誰も知らない。同じような部屋が続くこの館で、これは大問題すぎる。

(鍵をかけたら、本当に見つけてもらえないかもしれないな。絶対、他の部屋と見分けがつかないし)

 等間隔で同じ見た目の扉が続く廊下。違いは、開くか開かないかだけ。

(ここは潔く、扉全開放にしておくか……)

 クロノは、せっかく閉じた扉をゆっくり開けてみた。

 現れた漆黒が、先程より遥かに深く感じられてドキリとする。同時に、湿り気を帯びた嫌な風が抜ける。ハッキリ言って、相当薄気味悪い。

 死体が徘徊するようなことは実際にないわけだが、精神衛生上良くないと思った。

 尊い安眠のため、クロノはそっと扉を閉め、さらに上下両方の閂をしっかりスライドさせた。取っ手を引いてみると、びくともしない。

(これで良し。お前ら、信じてるぞ。見事この部屋を探り当て、俺を起こして見せろ)

 ようやく人心地ついたクロノは、机の上にランプや手持ちの荷物を置く。そして、鞄からノートを取り出した。ページをめくりながら、椅子に座る。

「俺も結構真面目だったんだな……」

 一人呟きながら、短く今日の出来事を記していった。校外研修レポートのためにネタをメモっていくペン先が、ランプの炎に小さく揺れる。

(本当なら他のやつらにあとで助けてもらいたいところだが……あんまり当てにならなさそうだからなあ)

 書くべきことはすぐに書き終わった。クロノは、何の気なしにページをめくって遡っていく。

 いつの間にか、出発して九回目の夜である。ちょっとした時間に少しずつ書き留めていることもあり、ノートに記録された情報の量は意外と多くなっていた。

 ページを斜めに逆走しながら、最初のページに至り、そのまま閉じて表紙を眺める。

 ふと、セントケージのことを思い出す。

(そういや、リナはどうしてるかな……。学年が上がってからは、ひたすら頼らせてもらっていたわけだが)

 リナとの付き合いは長い。しかし、同じクラスになったのは今年が初めてだった。前々から最大限頼っていたが、同じクラスになればその最大はさらに大きくなる。

 クロノは出発前日のことを思い返した。なんとも微妙な別れ方をしたのは、さすがのクロノでも少しは思うところがあり、モヤモヤとした気分になる。

(帰ったらちゃんと仲直りしないとな)

 でも、帰るのはまだだいぶ先のこと。校外研修の最終目的地、アルゲンスフェラはもちろんのこと、中継地点であるニヴィアミレージまでも辿り着いていない。

 クロノはノートを置いて、ランプの火を消しベッドに入る。

 本当の真っ暗闇。窓を打ちつける雨音だけが、異様にリアルに届く。

 闇に目を凝らしていたら、なんだか頭が冴えてきてしまう。

 クロノは、ベッドの中でニヴィアミレージまでの行程を思い浮かべた。このルートを選んだことで、一日分は確実に取り返せるだろう。

 でも、少し不思議だ。

 多少の難路だとしても、急ぎの旅であればこのルートは利用価値があるはず。より便利な迂回路が開通したとしても、宿場を完全に放棄する必要はあったのだろうか? 実際、こうやって旅人が訪れることを想定して建物を提供しているわけだし。

 クロノは、昼間歩いた旧宿場の街並みを思い浮かべた。

 それまでの登り道の荒廃も凄かったが、改めて考えると、旧宿場の荒廃も相当なものだったように思う。見ていたときはそれほど思わなかったけれど、この館の中を歩き回った今だと、また違った印象をもつ。

 この館は、それほど劣化が見られない。森の中にあるような場所なので、周囲で植物がすくすく育っていくのは理解できるが、それ以外の部分に長い時間の経過を感じさせる部分は思い当たらない。

 対して、旧宿場の他の建物の劣化は激しかった。実際、宿として使おうと思える建物はほとんど見られなかった。一般の家屋とこの館では、そもそもの強度や扱いに差はあるはずだが、それでも所詮は石と木の建築物である。

 果たして、あれらはただの経年劣化だったのか? 何かおかしくはないだろうか?

 クロノは、妙に引っ掛かりを感じる。

 このモヤモヤを解消するため、もう一度、旧宿場を見てみたいと思ったが、寄り道をする暇はないのでたぶん無理だろう。それに、調べて何かそれっぽい痕跡を見つけたとしても、答え合わせできるわけではない。所詮はすべて推測の域を出ないはず。

 思考が行き詰まり、ループし始める。

 お待ちかねとばかりに心地良い眠気が湧きあがり、クロノはそのまま吸い込まれていった。



   *



 突然のフラッシュライト。直後、地鳴りのような振動とともに、生木が引き裂かれるような乾いた音がとどろいた。

 クロノの意識は、緩やかに現実に引き戻される。

 雷か……近いな……。

 クロノは半覚醒状態のまま、窓の外を見ようと身体を起こす。そこで、ようやくに気付いた。


 クロノ先輩……。


(ミスティーか? どうした?)

(ようやく気付きましたか)

 セントケージを出発したとき以来、久々の念話である。

 クロノは非常に便利な魔法だと思っていたが、学園長が魔法をできるだけ使うなと言っていたこともあり、ミスティーは念話の使用を控えていた。

(そりゃ、ぐっすり眠っていたからな。それで、何か用か? 一人で寝るのが寂しくて、お話したいとか?)

(寝言は寝て言えってやつですね)

 念話でも遠慮なく毒を吐くミスティー。まどろみの脳味噌にはちょっと心地良い刺激だ。

(……などとふざけている場合ではありません)

 ミスティーの辛辣な言葉を子守唄に寝直そうと思ったところで、それに待ったがかかる。

 面倒事の予感――。

(この館……大きなネズミがいるかもしれません)

(ネズミ?)

(明かりをつけず、じっとしたままよく耳を澄ましてください。廊下の方)

 クロノは、息を殺して廊下に注意を払う。

 音にならない音。何かの気配を感じる。

(文字通りネズミ……にしては確かに大きそうだな。他の三人が廊下に出ている可能性は?)

(私の部屋の前にもいます。先輩の部屋と私の部屋の前ということは最低二人。しかも、明かりをつけていません)

 確かに、扉の下から明かりが漏れ出ているわけでもない。あまりに不自然だ。

 そして、この部屋の扉の前にいるというのが、そもそもおかしい。

 等間隔に同じ見た目の扉が並ぶ中、なぜ俺の部屋の扉の前にいる?

(ミスティー、念話は他のやつらとの間で使えないのか?)

(使えませんが、なんとなく位置は感じます。他の三人は部屋にいるようです)

(てことは………)

 眠りに落ちる前のささやかな願いは、最も願っていない形で叶えられそうだ。

 乱雑に散らばっていたパーツは集まりだし、噛み合う箇所を見つけながら、その全体像をさらす準備を始める。

(良くない事態です。広場の看板も含めて、すべて罠だったんですよ)

 あの看板を見た旅人は、ほぼ間違いなくこの館で眠りにつく。鍵のかかっていない部屋を見つけ、その温かいベッドの中で眠りにつく。

(こうやって親切にベッドまで用意されているのに、内部に光の届きにくいこの館に一切の照明器具が存在しないのは、故意だったんです)

 街道はずれの旧宿場。死角の多い暗闇の館。今更ながら思い返してみれば、蝋燭一本見なかった。

 これは、間違いない―――。

(ここは、やつらの狩り場だったんです)

 そんでもって、今宵の獲物は俺たちってわけか……。本当に、最悪だな。

(どうする?)

(窓は非常に頑丈なはめ殺しです。仮に破ることができてもサイズ的に脱出は厳しいです)

(でも、待っていれば確実にやられる)

(それは確かですね。今、間違いなく彼らの狙い通りの状況でしょうから)

(適当に見繕ってプレゼントを渡したら見逃してくれないかな……)

(もし見逃すようなやつらなら、すでにこの場所は一般の知るところとなっているはずです)

(ですよねぇ……)

(口封じを考えない人たちだと考えるのは、さすがにお気楽過ぎるでしょう)

 当然過ぎる推論だった。

 ここはセントケージではない。俺たちを守る強固な壁はない。

 生命の危機が、非現実的な物語の中だけにしかない世界ではない。

(武器を持っているか分かるか?)

(分かりませんが、持っているでしょうね。あと、人数が増えてきました。はっきりとは分かりませんが、三階だけで最低十人)

 二階にも同程度いるだろう。そうすると、合わせて最低二十は見ておいた方がいい。

 こちらは五人で、しかも一人一人散らばってしまっている。おまけに、他の三人がこの事態に気付いているかも分からない。ここまでの考えに間違いがなければ、この旅で最大のピンチということで確定だ。

 クロノは速まる鼓動を落ち着かせようとするが、意識するほどうまくいかない。

 とにかく、考えろ―――。

 何とか息を潜めてやり過ごすことはできないか? これは無理だ。相手は、ここに人間がいることを知っている。何の意味もない。当然、隠れられる場所もない。

 どうにか脱出はできないか? 扉以外、一切の脱出ルートがない。しかし、そのルートに敵が構えている。人数を考えれば、非常に厳しい。

 ならば、真っ向勝負はできないか? 最終手段として考えられなくもないが、相手についての情報が皆無では、どう考えても得策ではない。保留。

 交渉できないか? 常識的に考えて、相手は金銭目的。真っ当な旅人は、それなりの旅費をもっているはずだから、それが狙いと考えるのが自然だ。しかし、悲しいかな、我らの所持金は四七八ゴート。少し待ってもらえば、まとまった金を出せるわけだが、そういう話が通用するかと言えば、相当怪しい。

(………なあ)

(何か良い案でも浮かびましたか?)

(いや、残念ながら。ところで、やつらは今、何をしているんだ?)

(それは分かりませんね。あと、どうやら、私の部屋と先輩の部屋の前に集中しているようです。やっぱり、十人ずつくらいだと思います)

 俺の部屋とミスティーの部屋の前に集中? どういうことだ?

 クロノは、ベッドの上で上体を起こし、窓の方を見ている。そして、ある可能性に思い当たった。背筋がぞくりとする。

(ミスティー、落ち着いて聞いてくれ)

(どうしました?)

(ミスティーは今、ベッドの中で横になっている…………わけじゃないな?)

(よく分かりましたね。ベッドに座って窓の外を眺めているところです)

(やっぱり……。ミスティー、そのまま動くな)

 これは、思っていた以上にヤバい。そして、思っていた以上に巧妙な罠だ。

(どういうことですか?)

(俺たちのところに集中しているんだよな?)

(そうですね。他のところもゼロではないようですが)

(見られてるんだよ。俺とミスティーが目を覚ましたことに気付いたから、扉の前に集結したんだ)

(なるほど……。他の三人はスヤスヤ寝てるってことですね。でも、それなら、なぜ襲ってこないんですか?)

(それは……)

 様子見? いや、様子を見てどうするんだ? 待って良いことなんて……。

 クロノは、なおも姿勢を固めたまま考える。

 まだ何か、決定的な違和感が……。

 微かに、金属が擦れる音―――。

(分かった!)

 その瞬間、再び激しい閃光が窓から差し込んだ。ほぼ同時とも言える雷鳴が建物を振動させる。

 クロノは振り返った。窓の外で稲光が連続する。

 ストロボ光のように小刻みに切断される情景の中、廊下側の壁に、一筋の煌めきを見つけた。

 ピンと張ったそれを辿ると、そこには、扉の―――。

(閂だ! やつらは、外から閂をはずせる!!)

 旅人を襲撃するには鍵はかかっていない方が良いに決まっている。

 しかし、鍵のない部屋は、場合により、かえって警戒心を高める。その点、ここには一応立派な閂が備え付けられていた。

 あとは、外から開けられるように仕掛けておけば完璧だ。虚をついて旅人の寝首をかき、目的は達せられる。

 案の定、閂は本来の位置からかなり移動していた。上下二つのうち、上の閂はほぼ完全に引き抜かれていて、下の方も半分以上のところまで来ている。そして、それらから極細の金属線が伸びていた。

 クロノはベッドから飛び降り扉に駆けた。

 閂を一気に引き戻す。

 すぐに椅子に手を伸ばし引き寄せ、その脚を金属製の重厚な取っ手に捻じ込む。何とか奥まで入れたところで、上下の閂が同時に抜ける。

 ドンドンドン!! ドンドンドン!!

 扉が外から激しく打ち鳴らされる。扉越しに、クロノは身体が弾かれそうになる。

(こうなりゃヤケだ! ミスティー、俺が敵の注意を引きつけるから、お前は隙を見て他の三人と合流だ!)

(無茶言いますね。隙なんてあったら苦労しませんよ)

 クロノは、飛びかかるような動きで、机の上の非常用ブザーのボタンを押した。

 ブーーーーーー!!!

 鼓膜に刺さるようなけたたましい音が、暗闇の館を貫いた。


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