暗闇の館、嵐の夜 -05-
クロノは、ランプ片手に暗い館の中を順番に回っていった。
大半の部屋は施錠してあった。無理やり入ることもできそうだったが、使って良いと言われている建物である以上、使って良いスペースなら鍵はかけないだろうと思い、次に進んでいった。
そのまま廊下を進んでいくと、ようやく鍵の掛かっていない部屋を見つけた。
開けて中に入ると、ベッドと簡単な棚、机と椅子があった。壁には絵画も飾ってある。
窓の硝子も無事なようで、降り出した雨粒が叩きつけられている。
「これは……客室だな」
たぶん使って良い部屋なのだろう。特に埃っぽさが気になるということもない。最後に掃除されてから、それほど経っていないと思われる。
クロノは部屋を出て、さらに見て回っていった。鍵の掛かっていない部屋が連続することはなかったが、それでも三階と二階にいくつか確認できた。
「五つ以上確認したし、そろそろ戻るか……」
クロノがホールに戻ると、そこは眩しいくらいに明るくなっていた。
かなり大型のものも含め、大量の照明器具が設置され、灯されていた。
「明るくなると華やかだな」
よく見ると、長テーブルの脚や大きな窓の枠の部分には繊細な意匠が凝らされていて、気品も感じさせる。
「この館、おそらくは高貴な客人が使うためのものだったんでしょうね」
メインの街道であれば、それなりに偉い人が訪れることもあったはず。そのときに普通の旅人が使うような安宿では申し訳ないということだったのだろう。
「それでは、私たちも晩餐会を始めましょうか」
エミルが手を広げ、大げさにテーブルの上を示す。
クロノは苦笑しながら席についた。
「メニューはあれだけどな」
小奇麗なテーブルには、質素な保存食が行儀良く並んでいた。
保存食は見た目の割になかなかの味で、みんな満足そうにしていた。種類も豊富なので、そうそう飽きることもないだろう。
クロノは大きな魚介類の缶詰に手を伸ばしながら、館内の様子を報告した。
「二階、三階をざっと見てきたけど、使える部屋はどれも綺麗だったから、普段の宿とあんまり変わらないぞ。隙間風もないし、窓もガッチリしていてうるさくないし」
「それは良かったですね」
「確認しただけで五つ以上あったから、一人一部屋で寝れるしな」
「そう言えば、全員別の部屋っていうのも始めてですね」
「確かに」
一行はいつも男女二部屋を確保し、二人と三人に分かれて寝ている。これは、宿泊費の節約という意味ともう一つ、学園長から「寝るときも含め、できるだけ単独行動にならないように」と言われているためでもある。
「ま、今夜は良いだろ。どうせ俺たちしかいないんだから」
並べた分を空にし、腹が満たされる。意外と悪くない晩餐会だった。
そして、吸い寄せられるように、壁際のソファーに腰をおろし、やがて転がった。
「至福のひととき……」
外では雨足が強くなり、風も吹いてきているようだった。そして、その分余計にこの平和な空間を噛みしめたくなってくる。
「久々に平和を味わってる気がする」
「言うほどピンチもなかった気がしますけどね」
ソファーから窓の外を見ると、そこは完全なる真っ暗闇だった。月明かりすらあり得ない天気なので、この宿場で光があるのは本当にこの空間だけなのだろう。
「ありがたやー」
クロノは誰に向けてというわけでもないが、心底感謝する。旅の勢いに押されて忘れかけていた平和の感触を思い出していた。
「しかし、それにしてもすごい照明の数だな」
豊漁の時期の
「たぶん、まだまだありますよ」
「すごいな〈アイちゃん〉は。まったくもって有能すぎる」
「そうなんですよ。〈アイちゃん〉は、とにかく凄いんですよ」
エミルは誇らしげに言う。
そこで、クロノはふと思ったことを口にした。
「そう言えば、いつも〈アイちゃん〉から物を取り出すのはエミルがやっているわけだが、それって俺たちにはできないんだよな?」
以前、そんなことを話していた気がする。だから、盗まれても中身は抜き取られないだろうと。
そもそも、エミルが片時も離さない以上、別に他の人が取り出す必要もないのだが、ちょっとした好奇心はあった。
それに対し、エミルの返答は予想外のものだった。
「たぶんできますね。やってみます?」
「あれ……? 前に……」
「そう言えばそうですね。確かに、盗まれたらたぶん取り出せないと思います。でも、私以外が取り出せないのかというと、それは少し違うんですよ」
クロノが起き上がると、他の面々も寄って来た。
〈アイちゃん〉は、旅のスタンダードである鞄状態。この状態でどうすることもできないというのは、キルムリーの一件で、キーリンとデゼルトが証明している。
「この状態は、完璧にガードされているので、〈アイちゃん〉に手出しは不可能です。甲羅に引きこもった亀みたいな感じです」
エミルは〈アイちゃん〉に手を伸ばす。
「普段は一瞬でやっちゃいますが……」
指先が接触した部分から連鎖的に〈アイちゃん〉を構成している個々のパーツが蠢きだす。その動きは、まるっきり無秩序に見えるが、すぐに全体として新たな秩序に至る。
触れているエミルの手は沼に沈むように、ズブズブと潜り込んでいく。
「これで準備OKです」
エミルは手を離す。
そこには、拳一個分くらいの穴が開いていた。その奥に、他のパーツと質感が異なる部分がある。
「なるほど。変形しないと取り出せないってことか。でも、変形できるのがどうせエミルだけっていう」
「そういうわけですね」
エミルは一歩横にずれた。
「では、取り出したいものをイメージしてここに触れてください。そして、ビビっときたら取り出して下さい」
「偉く曖昧な説明だな」
「いいからいいから」
クロノは恐る恐る〈アイちゃん〉に手を伸ばす。
「じゃあ、寝間着でも……どうせこれから着るし」
言われたとおり、自分の寝間着の上下を脳裏に浮かべて触れた。すると、すぐにビビっときて、淡い発光に気付き、手を引くとそこには目的のものが掴まれていた。
「おお!」
エミル以外四人の声が揃う。
「これは、具体的にイメージできないと取り出せないのか?」
「なんとなくのイメージだと、それに近いものが取り出せますよ。あとは慣れの問題なので、感覚をつかめば、かなり正確に目的のものを取り出せます」
「なるほど」
これはなかなか面白い。そして、ますます不思議なヤツだぜ、〈アイちゃん〉よ。
「試しにやってみましょうか。じゃあ、そうですね。女性物の下着をイメージしてください。具体的じゃなくていいので」
「なぜそのチョイス……」
そう言いつつ、クロノは実践する。先程よりも曖昧だが、いくつかビビっとくる。そして、そのうちの一つを引き出した。
掲げたクロノの手には、女の子のパンツが握られていた。
「おお!」
みんな普通に反応する。
「ちなみに、これは誰のでしょうね? 可愛い猫のプリントがされています」
「私じゃない。たぶん、シェル……」
「私のでもない。このシリーズのキツネのやつは持ってるけど」
「あれ? 私も違うんですけど……それでは一体」
わずかな沈黙。
パーティーメンバー女子三人衆、いずれも自分の持ち物ではないと証言。はて、これいかに?
隙間風がホールを吹き抜け、明かりが揺れ、影が揺れる。
不意に、ミスティーが語り出す。淡々とした語り口に、緊張感が漂う。
「持ち主不明の可愛い猫さんパンツ………それは、これから起こる惨劇に対する神からの警告であったが、誰も気付くことはできなかったのである」
「誰が気付くんだよ! ていうか、神様もう少し分かりやすく警告しようよ!」
「神も万能ではありません」
「これはむしろ無能だろ」
とまあ、ミスティーとクロノの応酬を経ても、真実は当然闇の中。
「分かりました。クロノさんの私物ということですね。大丈夫です、誰にも言わないので」
エミルがクロノの手から下着を回収すると、〈アイちゃん〉に再び収納した。
「何という濡れ衣! ……まあ、実際のところよく分からないが……学園長の支給品に入ってたのかな?」
とは言っても、学園長が用意したとは限らないか。むしろ、普通に考えれば秘書の仕事。
クロノは、学園長の傍で絶妙なアシストをする秘書ルイーゼを思い浮かべる。
あの人ならあり得るな……。
「さて、もうこんな時間ですし、そろそろ就寝の支度をしましょうか」
「それもそうだな。今日はいつも以上に体力を消耗したし、明日も早い」
「ぐっすり寝れそう」
行程を一日短縮するため、明日は朝早めに出発し、ビエーゼをとばして、さらにその次の街まで行くつもりだった。ビエーゼ側の旧道が、今日通ってきた道くらい荒廃している場合、下りとはいえ、予想外に時間を使ってしまう可能性もあったが。
ヘイズ、シェル、ミスティーも自分の寝間着を〈アイちゃん〉から取り出してみた。みんなスムーズにできて、一様に驚く。本当に便利なもんだ。
「ところで、ヘイズ」
クロノは、自分の寝間着を取り出したヘイズに話しかける。ヘイズは振り返り「どうかした?」と聞き返す。
「お前、寝間着は全部フードつきなのか?」
ヘイズはフードつきの寝間着を抱えていた。白と黒の牛柄で、きっと被れば耳でもついているのだろう。事実、クロノが見る限り、ヘイズは今まで常に寝間着はフードつきで、動物柄もかなりの頻度だった。
そして、さらに言えば、寝間着姿のときは必ずフードを被っていた。寝るときも頭からスッポリと被っている。
「え……あ…………まあ」
ヘイズは言い淀む。
「あ、これもアレか。例の家訓の一つとか?」
「え………あ、ああ、そんなところ。うち、本当に不思議な家訓が多くてね。あはは………」
ヘイズは被っている少し大きめの帽子の上から頭をかく。
「クロノさん、ここは片付いたので、寝床に案内してください」
見ると、照明器具は半数くらい残し、あとはすっかり回収されていた。
「館の中に照明器具が全然見当たらないということで、用心のためこのくらいは残しておきましょう。回収は明日ということで」
ホールの明かりを消して、再び手持ちのランプをつける。
強まった風雨と隙間風が通り抜ける音で、不気味さは先程より増している。
「じゃ、行くか」
クロノを先頭に一行はホールを出ていった。
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