暗闇の館、嵐の夜 -04-


 クロノが水浴びを終え、続いてヘイズが水浴びを終えると、一行はいよいよ旧宿場の中心部に向かって歩き出した。

 石畳の隙間のわずかな土壌から生えている雑草は、随分と立派に育っているものもあったが、それでも基本は平坦で歩きやすく、ここに至る道程を思えば天国のようだった。日も徐々に傾きだしていて、水浴びしたあとに汗をかく心配もなさそうだ。

 進むにつれ、道の両側に建物の現れる間隔が短くなっていく。やがて、道が枝分かれし、連なる建物の裏手にも細い路地が敷かれる規模になってくる。

 建物の隙間の路地を覗いていみると、崩れた石塀や朽ちて転がる屋根材が路地のそこかしこに散乱している。本来の形状を保っている箇所も、表面をつたが覆っていたり、黒ずみが目立ったりしていて、荒廃の色は濃い。

 この旧宿場の前後は、整備されていたとしてもかなりの難路であることに違いはない。とすれば、一気に踏破することは厳しいわけで、この旧道がメインの街道として機能していた頃には、ほとんどの旅人がここで宿をとっていたのだろう。

 今でこそ放棄され荒れ放題であるが、残る面影を辿れば、この宿場がかなりの規模であったことは想像に難くない。このあたりの建物も、旅人を相手にする宿屋だったり商店だったりしたのだろう。在りし日、宿場は大いに賑わっていたに違いない。

「ここがこの宿場の中心だったんでしょうね」

 エミルが地図と景色を見比べながら言った。一行は立ち止まる。

 そこは、道幅が急に広くなっていて、恐らくは街の中央市場として機能していたのだろう。屋台の残骸と思われるものも積み上がっている。

「火を焚いたあともあるな。放棄された後は、みんなここいらで野宿しているんだろうか?」

 木片が散乱しているこの広場は、燃やすものの確保には困らない。

「どうでしょうね。これだけだと何とも言えませんね。ただ……」

 エミルは空を見上げた。先程まで晴れ渡っていた空を、黒くて分厚い雲が覆い始めていた。

「今日は野宿したくありませんね。かなり降りそうです」

「だな。さっさと寝床を探そう」

 クロノとエミルは、少し離れたところにいた三人のところに歩いていく。すると、ミスティーが看板を指差している。

「これ……」

「どうした? 何か文字が書いてあるな」

 大きめの木の看板に何やら文字がたくさん書いてあった。少々癖の強い文字が敷き詰められている。その文字の色味は、看板として使われている木材の薄汚れた感じと比べると、だいぶ真新しい印象を与える。

 ヘイズが声に出して読んでいく。

「リコンにお越しの旅人の皆様へ。すでにお分かりのこととは思いますが、この宿場はすでに放棄され、定住する者はございません。よって、皆様をおもてなしすることはできませんが、せめて雨風をしのげる場所ということで、ここからほど近い場所にある館をご利用ください」

 そのあとには簡単な地図があった。

「現在地がここだから……」

 クロノは、看板の手書き地図と旧道の来た方向を確認し、それから直角に向きを変えた。

「あれのことか」

 地図が示す方を見ると、石造りの頑丈そうな建築物が見えた。この旧宿場の中では、明らかに一番大きい建物だ。ここから見る限り、大きく崩壊している様子はない。

 館に至る道は、この広場で旧道と直行していた。館は宿場に迫る小高い山の裾野を少し上がったあたりにあって、石畳の舗装路が続いている。麓までは定規で引いたような直線、斜面になり始めるあたりから緩やかな蛇行が見られる道だ。

 さらに向こう、館の背後に見える山のより高い位置には、恐らく宿場を広く見渡せるであろう石造りの見張り塔が建っていた。森の木々の中に小さくそびえている。

「そのようですね」

 エミルは手持ちの地図でも確認する。

 地図のあとには、利用にあたっての注意点が書かれていた。館にあるものは自由に使って構わないが、去るときには必ず掃除をして、次の人が快適に使えるようにしていって下さいとのこと。

「ありがたい」

「決まりですね」

 少しだけ緩やかに蛇行する坂道を登ると、数分で館に辿り着いた。

「なかなか立派ですね。古びた感じもほとんどありません」

「これなら雨漏りもしないだろ。良かった良かった」

 間近で見ると、館というよりむしろ山城と言いたくなるような重厚さだった。

 規則正しく並ぶ小じんまりした窓の配置を見る限りでは、三階建て。そして、その上にさらに尖塔が二本そびえ立っていた。宿場の広場から見て見事なシンメトリーをなしている。

 建物自体に目立った損壊は見られず、保存状態は極めて良好。外壁に苔や蔦が張り付いているところは時間の流れを感じさせるが、これはこれで逆に雰囲気が出るというものだ。

「早く入ろう」

 思いのほかいかした今晩の宿に、シェルはウズウズを隠しきれない。

「そうだな」

 入口は石組みの壇上にあり、一段ごとに奥行きをゆったり確保した石段をあがる。石柱に囲まれたその空間は、頭上がぽっかりあいていて、陰影を際立たせる雲の塊が見えた。

 クロノは視線を下ろし、一応ドアノッカーを強く二度叩く。硬質な音があちこちに跳ね返る。

「たぶんいないとは思うけど、先客がいたら仲良くするんだぞ」

 クロノは後輩二人に向かって言っておく。

「それは相手の出方次第ね」

 超絶上から目線のシェル。

「おい、お前は何様だ!」

「会った瞬間から誰でもマブダチさ」

 スルーするシェルに代わり、棒読みのミスティー。

「いや、トラブル起こさなければそれでいいから……」

 一拍おいたクロノは、そのまま力を込めて大きな扉を押した。

 身体の芯まで響くくらい大きく軋んで扉は開かれる。

「真っ暗……」

「まあ、当たり前だな」

「今、ランプを出しますね」

 エミルは、〈アイちゃん〉からヒョイヒョイヒョイっとランプを取り出してみんなに渡していく。続いて、油を補充して火をつける。

「前に使ったライトじゃないのか?」

「今はこの方が雰囲気が出ていいじゃないですか」

 幾何学的に均質に照らす蓄電灯とは違い、周囲の空気の流れを受け揺らめくランプ。空間を端まで照らすことはできないが、言わんとしていることは分からないでもない。

「エミルの言うとおり。これがいい」

 シェルも同意する。暗くてよく分からないが、楽しそうだ。

「ちなみに、撮影は雰囲気重視のナイトモードでいきます。薄気味悪い感じをまんま記録ということで」

 エミルも楽しそうに言って、〈アイちゃん〉を肩に構える。ファインダーをのぞいて、自分はランプを持たず最後尾につく。

「じゃ、取り敢えず進むか」

 広い館の中で、四つのランプが照らしだす範囲はたかが知れている。特に足場が悪いわけでもないが、注意深く進んでいく。

 会話をやめると、途端に不気味な感じになる。外でだんだんと強くなってきた風の音はやたらと遠くに感じられ、その代わりちょっとした隙間風が耳元に感じられる。

 壊れた窓もあるのだろう。建物の中でも風は流れ、ランプの炎も時々揺らされる。そうして照らし出される影が、まるで生き物のようにうごめく。

 進むにつれ、五人はより密集してくる。

「お前ら、怖いのか?」

 冗談半分にクロノが言うと、答えが返ってこない。

 沈黙。広い階段ホールを上っていく自分たちの足音が、やけに大きく反響しているように感じられる。

 クロノは立ち止まって後ろを振り返る。

 すぐ後ろにはヘイズが立っていた。ちょっと不安気な様子でクロノを見上げる。

 その後ろにはミスティーが立っている。特に怖がっている様子はないが……。

「ねえ、あれ何?」

 階段の反対側の手摺りを指差す。ランプの明かりが届かないため、よく見えない。エミルもカメラを向ける。

 クロノとヘイズがランプを持って近づいていく。

 何か大きめの物体……人みたいな形……彫像? ………にしては何だか生々しい。

「これは一体……」

 クロノがランプを近づけると、それの顔が照らし出される。不気味に黒ずんだ皮膚と大きく窪んだ眼窩がんか

 ……………ま、まさか、死体か!?

 そう思った瞬間、頭骸に穿うがたれた双眸そうぼうの闇の中に、異様に大きな眼球が現れる。蜘蛛の巣のような毛細血管まで見えてしまう至近距離。

 その眼球は、声も出せずに固まるクロノとヘイズに狙いを定める。

 その途端、横たわっていた身体はミシミシといびつに動き出す。干からびた関節が擦れ、硬直した腱のいくつかが千切れる音。


 ウギャアアアァァァァァーーーッッ!!!


 クロノとヘイズは全力で階段を駆け上がる。

 一応確認すると、ミスティーもエミルもついてきているようだ。だが……。

「ウォォッ! アイツもついてきてるし!!」

 ヤツも全力でダッシュしてきていた。寝起きっぽいのに普通に速い。

 ………アレ?

 クロノたちはそのまま三階にあがり、廊下を走り抜けた。そして、その突き当たりに飛び込む。

 そこは大きめのホールだった。天井も高く、晩餐会などに使えそうな長いテーブルがおいてあった。

「行き止まりですね」

 エミルはカメラをホール入口に定める。どんなときでもぶれない。

「ヒィィィッ!」

 ヘイズはかなりの錯乱状態。

「…………」

 ミスティーは無言無表情。

 そうこうしているうちに、ヤツがホールに入って来る。妙な唸り声をあげて接近してくる。

「ここは、俺に任せろ!」

 クロノは、無駄に男気を出して皆の前に進み出る。

「クロノさん!」

 ヤツはクロノに狙いを定めて襲いかかって来る。上半身と下半身の動きが微妙にかみ合ってなくて、実に気色悪い。

 クロノはそれをかわすと相手の懐に入り、そして………脇腹をくすぐった。

「コチョコチョコチョ~」

「ひゃん!」

 どこかで聞いたことのある可愛らしい声がしたと思ったら、目の前でシェルが尻もちをついた。

「お前………コスプレか?」

「引っかかってやんの」

「このヤロ! ……の前に、とりあえず何か着ろよ」

 コスプレが解けるとスッポンポンになるのは仕様らしい。そして、それをあんまり気にしないのは素らしい。

 シェルは白いマントを羽織ると、またすぐにしまった。すでに服を着ている。

「一体どうなっているんだか」

「だからコスプレだって」

 そんなやりとりをしていたクロノとシェルに近づく人影一つ。妙な威圧感を察知したクロノは振り返る。

「ヒッ!」

 小さく悲鳴を上げた。しかし、その怒りの刃はクロノを素通りする。

「シェェェルゥゥゥゥ!!」

 かなりキレ気味のヘイズが立っていた。

「お前、相当ビビってたもんな」

 クロノが半笑いで話しかけると、ものすごく睨みつけられた。クロノはすぐに黙り、その場を離脱する。

「ごゆっくり~」

 そして、ヘイズによる説教タイムが始まった。

「あれはかかるな。俺、ちょっと周辺の部屋の様子を見てくるよ」

 クロノはエミルに話しかける。

「了解です。その間、私たちは食事の準備をしておきますので」

 エミルはそう答えると、ミスティーと協力して長テーブルに追加の照明を並べ始めた。



   *


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る