暗闇の館、嵐の夜 -03-
ハァ……ハァ……ハァ……。
膝に手をついて周囲に意識を向けると、いくつもの吐息が重なる音が聞こえる。
すでに、旧道に入って数時間が経過していた。高いところから射していた日差しが、気付くと少し傾いてきていた。
「想像以上の難路だな、こりゃ」
「本当に荒れ放題ですね。倒木をどけてないってことは、整備する気ゼロですよ」
「地図には廃道と表記すべきレベル」
それなりに覚悟はしていたが、それでも甘かったと思うレベルの荒れっぷりだった。
本格的な山道は、セントケージからキャニーまでの区間以来だ。あのときも、かなり苦労した。ただ、そうは言ってもあれは正式な道だった。まだ身体が旅に慣れていなかったことも関係して余計に疲れただけだとも思える。
それに対し、このルートは、もはや道としての格付けを剥奪される寸前の何か。日頃から山とともに生きるような人ならまだしも、平地でのうのうと暮らしてきた人間には過酷すぎた。
石畳は流出しガタガタで、不安定なものに体重をかけるとかえって危険だった。崩れた路面に現れた土壌には、低木が根を下ろし通行を妨げる。さらに、次から次へと現れる倒木は特に厄介で、乗り越えたり回り道をしたりするたびに、疲労がじわじわと蓄積していく。本当にひどい障害物コースだ。
先頭を歩いていたエミルが立ち止まる。つなぎの上衣をおろして腰に巻いていて、黒のタンクトップをさらしている。首筋から背中にかけて、霧を吹いたような小さな汗の粒が光っていた。
「地図を見る限りだと……」
エミルは進行方向を見た、というか、見上げた。額の汗を手の甲で拭う。
「この急勾配を越えると旧宿場に入ります。もう少しですよ」
旧宿場のマシな感じの建物にお邪魔して今晩の寝床にするつもりなので、今日の行程もあと少しということになる。モントシャインに入ってからは、ベッドと温かい食事が当たり前になっていたので、気が重いのは確かだが、それでも進むしかない。
今日はここ数日で一番温暖だった。むしろ、昼に近づくにつれ、暑いと言えるレベルに達していた。
クロノの首筋を汗の滴が下っていく。その視界にヘイズが入った。脱ぐのが面倒なのか、服装は普段くらいの感じ。しかし、やはり暑いようで、服の胸元をパタパタと動かし少しでも風を送り込もうとしている。
「風呂入りたい……」
ヘイズの声は覇気がない。
「そりゃ厳しいだろ。もう人はいないはずだし」
クロノも同様に覇気のない声で返した。
「一応、水場があるので水浴びなら大丈夫だと思いますが」
エミルにも聞こえていたようで、振り向かずに言った。
「湧き水か。冷たそうだけどしょうがない」
「飲料水を補充する必要もあるので、旧宿場に到着したらとりあえず水場ですね」
その後もしばらくは難路が続いた。だんだんと喋る気力も失せて、黙々と歩き続けた。
積もった落ち葉を踏みしめる音。小枝を踏んでパキっと折れる音。乱れた吐息の音。大きな石につまずく音。風が森を抜ける音。鳥が鳴く音。水の音。
「ハァ……水の音……」
エミルが顔をあげて言った。エミルもかなりお疲れの様子。
「みなさん、もう少しです。水の音が聞こえたってことは、水場が近いってことですよ」
「や、やったぁ……」
ヘイズも相当お疲れの様子。
「よし! 残りわずかだ! 気合を入れて、行く……ぞぉぉ……」
クロノのカラ元気も続かない。
「ミスティー、アンタ随分余裕ね……」
シェルも汗を滴らせてお疲れ気味。普段の覇気がない。
「………。私も疲れてるよ」
ミスティーの言葉には、その表情と同じくブレがない。本来なら何かツッコミを入れるところだが、その余力は誰にもなかった。
どうにか気を紛らわしながら勾配の最後を越えると、朽ちた看板らしきものが現れて道が広く平坦になった。道のギリギリにまで迫っていた森が開けて、建物がいくつか見える。今まで遮られていた日光が届いて、案外まだ早い時間だったのだと気付いた。
「ここが旧宿場の端ですね。水場はここからすぐのはずです」
地図を見ながらエミルが先導する。
建物は、石造りと木造が混ざっていた。小さめの納屋みたいなやつは大半が木造のようであり、多くは朽ちて崩れかかっていた。人が生活するレベルの建物は、土台だけ石造りか、もしくはすべてが石造りになっている。木造の部分は同じく朽ちかけていたが、石造の部分は白い石の表面が苔で緑っぽくなっているだけで、構造的には問題なさそうだった。
「今晩の宿は、丸ごと石造りの建物じゃないとダメだな」
数分歩くと、いままで聞こえていた水の音が大きくなる。そして、道と交差する水路が現れた。水量はかなり豊富なようで、石造りの小さな橋の下で清涼な流れが煌めいている。
「思っていたより贅沢に水浴びできそうですね」
そのまま直進すると旧宿場の中心部に進めるようだが、一行は橋を渡ると右折した。そちらに水場があるようだ。
道は少し狭くなるが、ぴったり組まれた石畳はそのまま残っていて歩きやすい。水路に沿って歩いていく。
「あ、着きました!」
先頭のエミルが声をあげる。すると、斜面から湧き出している水を集めて溜めている石造りの小さな池が現れた。寮の一部屋くらいの大きさだった。縁は段々になっていて、そこから水を汲んだり洗濯をしたりしていたのだと想像される。
「これは、水の補充をしたら飛び込んで良さそうな感じですね。他に使っている人はいないでしょうし」
池に注ぎ込む流れに手を伸ばしたシェルは、さっそく水を飲む。
「美味しい」
なかなかの名水のようだ。
「せっかくだし、古い水も入れ替えておきましょう」
エミルは、タンクを用意しながら言った。みんなでテキパキと水を補充する。
そして、ようやく―――。
「水浴びタイム……」
シェルはそう一言だけ言うと、遠慮なく服を脱ぎ始めた。
「わわわ! ちょっと待った!」
ヘイズが慌ててシェルを止める。シェルは不満気に答える。
「私は早く水浴びしたい」
「だからって、僕たちだっているんだよ!」
「…………」
表情は変えずに黙るシェル。クロノとヘイズの方を見る。何を思っているのか。
そこにミスティーが台詞を挟んでくる。
「シェルの辞書に羞恥心という言葉はない」
「いや、そこは持とうよ、一応年頃の女の子なんだからさ……」
「コスプレを極めんとする私としては、むしろ見せるのが使命というくらいの覚悟」
「いや、それ何か違うから! そして、そこ! なぜカメラの設置作業をしている!」
ヘイズがビシッと指した方では、エミルが、脚を生やしたビデオカメラモードの〈アイちゃん〉のファインダーをのぞきながら位置を調整していた。まさに、本来の機能を発揮すべく体勢を整えつつあった。
「これを記録せずに何を記録せよと! 私はこのドキュメンタリー作品に命をかけているんですよ! もっと言えば、人類の命運をかけて挑んでるんですよ! 女の子がキャキャキャウフフフと水浴びとか……もう! 素材として最高じゃないですか!!」
エミル、完全真顔でヒートアップ! 普段ニコニコしていることが多いだけに、気迫を感じる。
「人類の命運………それはヤバいな。記録することを許そう」
クロノは努めて冷静な口調で言う。
「クロノさん! アナタは真の理解者です!!」
「おお! 編集作業には付き合うぜ!!」
ガシッと手を取り合うクロノとエミル。“同士”という言葉が似合う絵ではあるが……。
「アンタらアホか!!」
ヘイズが全力で突っ込む。普段大声を張り上げることは少ないが、一定レベルを越えると全力のツッコミが発動する。
そんなふうにギャアギャア騒いでいると、クロノの近くに立っていたミスティーが言う。クロノの服の裾を引っ張っている。
「とりあえず、クロノ先輩は橋の所で待っていると良い」
「あ、ああ………あれ、ヘイズは良いの?」
「これは失敬。先輩たちは橋の所で待っていると良いです」
クロノとヘイズは結局、橋の所で見張り役になった。
「人なんて来ないと思うけどな」
「まあ、そうは言っても道そのものは廃道じゃないからね」
「実際、この道を使う人はいるんだろうか?」
「普通に考えれば、分岐直後の登りの荒れっぷりを見て引き返すだろうね」
「だよなぁ」
しばらく二人でポツリポツリと会話を続けた。
その流れで、クロノは、少し遠慮気味に以前もした質問をしてみた。セントケージを経って最初の晩、キャニーへの道中にあった無人小屋でした質問だ。
「お前はさ、何でこの旅に加わることになったの? どうして、〈セントケージ・スカーレット〉を発行されたんだ?」
水のせせらぎ、木々のざわめき、鳥のさえずり。
ヘイズは口を開こうとするが、言葉は出て来ない。
「ま、いいや。前にも同じ質問しちまったしな。悪かった」
「いや……僕の方こそゴメン」
水路の清い流れのように、また静かに時が流れる。しばらくして、三人の声が近づいてくる。
「あ、ちゃんと待ってたんですね。のぞきに来るかと思ってたのに」
エミルがニコやかに言い放つ。
「行くかっ!」
続けて、さっぱりした銀髪を風になびかせていたミスティーも言う。
「先輩の変態キャラがぶれましたね。キャラ崩壊は人生の崩壊。これはかなり致命的です」
「何っ? 俺はのぞきに行かなきゃならなかったのか!?」
それならそうと先に………とクロノが思っていると、ヘイズが何かに気付いた。
「シェ、シェル、どうかした?」
「あ、いや、別に……」
どうやら、シェルがじーっとヘイズのことを見ていたようだ。
「そ、そう。それならいいんだけど」
二人とも、どこかぎこちない。
「よし、じゃあ俺たちも水浴びしてくるか」
クロノはさっさと汗を流したかったので、ヘイズに声をかけた。
「え、え、そうだね………あ、で、でも……」
「? もしかして恥ずかしいのか? 別に男同士なんだし気にしなくて……」
「ち、違うの!」
ヘイズは急に大きな声を上げる。みんなキョトンとしてしまう。ヘイズは、小さく「あ……」と言って気まずそうに続ける。
「ち、違うんだよ。説明するのも少し恥ずかしいんだけどね、我が家には妙な家訓があって………他の人と一緒にいるときに裸を見せるなと……」
ヘイズは消え入るような声で俯きながら言う。
「だから……」
「なるほど! そういうことか。そう言えば、俺、ずっと相部屋だったのにお前が着替えるところも見たことないし、謎が一つ解けたよ」
クロノが納得してみせると、ヘイズはほっとしたような表情になる。他の三人はその様子を黙って見つめていた。
「そういうことならしょうがないな。よく分からなくても守らなきゃならない家訓なんだろ」
「ゴメンね。先に入って来てよ」
「おう。じゃあ、遠慮なくお先に」
クロノは、着替えや手拭いを持って水場の方に歩いていった。
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