キルムリー・トライアル -12-
客席も混乱の一歩手前という感じになってきた。油断していたら巻き込まれかねない。
それまで四人が戦うのに十分な広さだと思えた広場は、ドラゴンの出現で途端に小さく見える。それまで届かなかった様々な種類の熱や圧力をビリビリと肌で感じられるようになる。
「これは想像以上だね」
喉の奥で笑いを噛みしめながらミランが言った。最高に楽しそうだ。
「世の中には、こんな魔法が存在するのか……」
隣のサマルは呆気に取られている。同時に、目の奥には興奮が見え隠れする。
「まだまだ世界は広いってことさ。アイツは、相変わらず楽しませてくれる」
「学園で見たのより、一回り大きくないか?」
クロノは久しぶり――と言っても、一週間ぶりくらいだが――に見たドラゴンを見て言った。それにミスティーが答える。
「別にサイズが決まってるわけじゃないので。でも、これは……」
ドラゴンになったシェルは、黒翼を二三回羽ばたかせ、わずかに浮き上がったところで進撃を開始した。
どう考えても正面からやりあえないことを悟ったミグラテールの男三人は、風圧に苦戦しつつ必死に回避する。
シェルは前脚を地面につけ前のめり気味に方向転換する。飛翔しているドラゴンの身体は案外小回りもきき、障害物のないこの場所で完全に逃れることは難しい。
さらに、背後に逃れたと思ったところに、予測不可能な動きでドラゴンの尻尾が襲う。一人が簡単に弾き飛ばされる。受け身を取っているので、大ダメージというほどではないが、すでに戦意は失いかけていた。
「こんな無茶苦茶ありかよ……」
転げるようにして逃げるだけになった相手を、なおも追いかけ回すシェル。しかし、段々切り返しがうまくいかなくなってくる。
ついには、失速して完全に着地してしまった。動きが緩慢になってきたようだ。太い後脚だけでなく、より小さな前脚も地面につけ身体を支えた。
「まずいですね、たぶん」
「え? 何がどうまずいんだ?」
ミスティーの言葉にクロノは聞き返す。
「空腹の上に、まだ慣れてない使い方をしたため、力尽きたようですね。たぶん解除されますよ」
「解除されるとどうなる?」
「………服はここにありますね」
ミスティーは座っている場所の前に並んで落ちているシェルの衣類一式を指差した。
そのとき、ミランの声が響いた。
「両者、そこまで!」
一気に注目が集まる。
「これ以上やって、つまらない怪我をしても嫌だからね、これは引き分けってことにしておこう」
三人の男たちは、両手両足を広げて仰向けに倒れた。
「助かった……」
ドラゴンの身体も、脱力して地面に崩れ落ちた。
「ヘイズ!」
「うん!」
クロノとヘイズは客席から飛び出した。素早くシェルの服を回収し、ドラゴンの元に駆け寄る。
シェルはすでに人間の身体に戻り、うつ伏せになっていた。当然、一糸纏わぬ姿で。
「クロノ見ちゃダメ!」
「それ言うならお前だって」
クロノは極力見ないようにしながら、服で隠す。シェルは気を失っているわけではなかったので、身体を起こしながら、白い布を取り出す。
その中で、もぞもぞと動いて、受け取った服を着ていった。
観客はみんなミランの方に注目していたので、暗がりのシェルたちのことはほとんど見えていないようだった。
白い布は取り払われる。かなり汚れてはいるが、一件落着だ。
その一方で、ミランの言葉は続いていた。
「ただ、引き分けのままっていうのも締まりがないからね……」
ミランは広場をぐるりと見渡すと、よく聞こえるよう大きな声で言った。
「次の勝負で決着をつけようじゃないか。クロノ、キーリン、こっちにおいで!!」
「げ………」
クロノは身体を強張らせた。
「クロノ、ご指名だよ」
「急に腹の調子が……」
「お腹がすいたんだね。もう少し頑張ったら、食事がおいしくなるよ」
笑顔で遠慮なく突き放してくるヘイズは、シェルに肩を貸し客席に戻っていく。
「絶対に負けちゃダメだからね……」
いらんダメ押しを残して。
クロノは、重い足取りでミランの前に立つ。一方のキーリンは、突然の指名にもかかわらず、意気揚々。
(衆人環視の中で俺を負かしたいってことか……)
「腹が減ってもう……」
「平和な世界で生きてきたから知らないのかもしれないが、壁の外では、危険はコンディションとは無関係に襲って来るんだよ」
ミランは強い口調で言うが、すぐに表情を和らげる。
「そもそも、このイベントのメインは、お前の追試だ。逃れられると思っていたのかい?」
時間としては大したことはなかったが、シェルの派手な戦いぶりは観客を大いに沸かせていた。
そして、シェルの魔法はやはり相当すごいようだった。セントケージという閉鎖的な環境で生きてきたからそう感じるだけかとも思っていたが、各地を旅しているであろうミグラテールの団員も十分に度肝を抜かれていた。どうやら、外の世界でも十分ビックリな魔法らしい。
「二人とも、準備は良いかい?」
ミランは、巧みに場を仕切り直していた。興奮して浮かれた雰囲気をいなしつつ、かといってしらけムードにはしない。絶妙なバランスだった。
今、篝火と照明具と多くの視線に囲まれた広場には、クロノとキーリンだけが立っていた。
「いつでも行けるぜ」
「いつでも行けないでーす」
やる気満々のキーリンと、やる気皆無のクロノ。
ミランは、そんな二人の様子を確認すると、観衆に向き直った。
「さて、そろそろこの子たちのことについて話しておこうか」
この子たちとは、当然、クロノ、ヘイズ、エミル、シェル、ミスティーの五人のことである。
名前は把握されていなくても、家族同然のキャラバンの中にいる来訪者は非常に目立つ。団員たちは、広場のクロノを見て、客席最前列のヘイズたちの方を見た。
「この子たちは、セントケージから来たんだよ。セントケージから」
ミランは、子供が友達に自慢するような様子で話した。どうだ面白いだろう?と言わんばかりに。
すると、客席はざわめく。
「セントケージだって?」
「あのセントケージ学園か」
「てことは………セントケージの魔法使い?」
ミランは反応に満足すると、さらに続けた。
「ところで、今の学園長は誰だと思う?」
団員たちの知らない情報であるようだ。互いに見やって首を横に振る。
「パレア・チェルスキーさ。つまり、この子たちにセントケージ・スカーレットを発行したのは、あのパレアってことだね」
話を聞いて、団員たちのテンションが上がったように見える。
ミランは、クロノやヘイズたちの方を見た。
「この場にいる客人は、パレアが外の世界に送り出した子たちだ。どうだ、面白いだろ?」
クロノには、どこらへんが面白いのかはよく分からない。しかし、ミランは本当に面白いと思っているようだった。団員たちにもその様子が見てとれる。
「ここ数日、ミランの機嫌がやたら良いと思ったら、そういうことだったのか」
団員の誰かが言った言葉が聞こえた。クロノは、なんだか置いてけぼりにされているような感覚になった。
このキャラバンにおいて、セントケージやパレアの名が、それなりの意味を持つのだということは何となく分かった。しかし、それは逆にやりにくさを感じさせた。
(勝手にいろいろ盛り上がっちゃってるけど、俺は単に巻き込まれただけで、何かすごいことができるわけじゃないんだよ……)
「始め!!」
クロノは、ミランの声で彷徨っていた思考を戻した。ミランの手はいつの間にか振り下ろされ、戦いは始まってしまったようだ。
(あー、棄権したいな………)
クロノは、自分でも物凄くやる気が起きていないのが分かった。もともとそういう傾向が強いし、特に珍しいことでもないが、学園の授業中とは話が違う。
これはどうやり過ごすべきか? さすがにこの状況で棄権すると、あとが大変面倒なことになりそうだ。そもそもこれは、俺の追試という名目らしいし、一応実力を示しておく必要はあるだろう。そうでなければ、少なくともミランは納得しそうにない。
「おい、随分難しい顔してるな。何か策でも練ってるのか?」
安全な距離を保っているキーリンが言った。もっとすぐに仕掛けてくるかと思ったが、案外そうではないらしい。
(というか、俺はあいつの動きを知っていて、あいつは俺の動きを知らないから、状況としては向こうが動きにくいってことか……)
だからと言って、クロノは自分から動く気はなかった。むしろ、こういう我慢比べなら任せろという感じだ。
そのとき、クロノは客席方向の異変を感じ取った。
「あいつら、まさか……」
広場から見ると薄暗くて分かりにくいが、客席には続々と料理が運び込まれているようだった。旅の一団の夕食が上品な晩餐会であるはずはないので、大皿の料理はどこかに落ち着く前から伸びてくる腕に奪われていく。完全な早い者勝ちであり、他人を押しやってでも奪って得るものである。
ヘイズたちのいるあたりは、それでも客人の待遇として、優先的に大皿や飲み物が運ばれてきていた。肉汁を滴らせ、むしゃぶりついている。本能のままに口に放り込むシェルを、ヘイズが落ちつけようとしているのが見える。
「な、なぜまだ俺が戦っている最中なのに……」
クロノは、衝撃的光景に口をパクパクさせる。言葉が出ない。
そんなクロノの様子にヘイズは気付いたようで、満面の笑みで手を振る。きっと相当うまいのだろう。
さらに、エミルやミスティーも気付いたようで、手を振ったりガッツポーズをつくったりするが、やはり料理に心奪われているようだった。
シェルについては、一瞬だけ視線を向けたが、とるにたらないことだと思ったのか、すぐに次の料理に手を伸ばしていた。クロノの中で、軽く殺意が湧いてきた。
「くそ……なぜ俺だけ………」
シェルが戦っていたときには、こっちも我慢してたのに……。
そのときだった。
「よそ見するとは余裕だな」
やっと来たか……。
至近距離に迫るキーリン。その蹴りがまともにクロノに入った。全身を使った見事な蹴りで、クロノの身体は吹っ飛んだ。土煙をあげながら、数メートル転がる。
最初の一撃でいきなり食らったのを見て、観衆たちは料理から意識を戻す。酒も振舞われているのだろう。盛り上がり方は先程までより急激だ。ワーッと歓声があがるのを聞いて、キーリンは快感を覚える。
キーリンは、クロノがすぐに立ち上がらないのを確認すると、客席を見た。クロノと旅をしている四人は、他の人たちの盛り上がりとは対照的に、ひたすら料理に集中している。
キーリンは、転がっているクロノに言った。
「おい、まさかこの程度で終わりじゃないよな? 早く起きろよ。見せ場を作れないだろ」
クロノは面倒そうに立ち上がった。
「俺が立たなければ、そのままお前の勝ちになるんじゃないの?」
クロノは服の汚れをはたきながら言った。
「客はもう少し盛り上がるのを見たいんだよ」
「知るか、そんなもん」
立ち上がっても動く気のないクロノ。呆れるように小さく溜め息をついたキーリンは、再び一気に距離を縮めた。
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