キルムリー・トライアル -11-


 シェルの動きは、最初と比べてかなり悪くなってきた。腹の減り具合、疲労の問題もさることながら、気分的にも段々下がってきているようだった。戦いの場だけに限らないが、シェルの動きは、特にメンタルの影響が大きい。

 相手もその変化は見逃すはずがなく、数的有利を最大限にいかし、冷静に確実な勝利を目指していた。そして、時間を稼げば、二対一から三対一に戻すこともできる。

 戦況を見つめる観客たちも、最初のインパクトが大きかっただけに、その後の展開には多少なりともじれったさを感ているようだった。

 煽るような声も方々から飛んでいる。それを聞いて、シェルはますます気分を害しているようだ。

膠着こうちゃくしてきたな」

 周囲を見渡したサマルが隣の人物に言う。もどかしそうな表情をしている。

「だけど、そろそろ面白いものが見れそうだよ」

 一方、隣に座っているミランは、楽しそうに客席の方を見ていた。


「シェルーー!!!」

 重なった声が響く。それは、クロノ、ヘイズ、ミスティー、エミルの声だった。

 客席最前列に陣取っていた四人は立ち上がり、声を揃えて呼び掛けている。なお、その横では、デゼルトがキーリンの口を押さえていた。

「お前は、俺たちの中でもすんごく強いんだ。つまり、大将みたいなもんだよ! 持てる力を見せつけてギャフンと言わせてくれよ!!」

 語気を強めて誉める、というか、おだてるクロノ。

「シェルの雄姿はもらさず撮っておきます。だから、せっかくなので、最高の姿を見せてください~!」

 笑顔で〈アイちゃん〉を構えながら応援するエミル。

「えーと……シェルのカッコ良いところ、もっと見たいな! シェルはまだもっとできることがあるはずだよね?」

 気恥かしさを見せながらも、やはり頑張って応援するヘイズ。

「もしかして、学園と感覚が違って尻ごみしてるの? そうすると、シェルはその程度の域にしか達していなかったということ。ぷぷぷ……ダッサ」

 最後に、オチをつけるように小馬鹿にするような台詞をはくミスティー。

 シェルはそれらを動きを止めて聞いていた。それからぽつりと言う。

「言ってくれる……」

 シェルは静かに拳を握っていた。

「お、お前、なに煽ってるんだよ……」

 クロノは腰をおろしながらミスティーに言う。

「みんなで応援して気分を盛り上げてあげようって言われたので」

「ムカつかせてどうするんだ」

「クロノ……」

 間に座っているヘイズが、シェルの方を見るように促した。

「効果はちゃんとあったっぽいよ」


 シェルは、静かに左足を前にずらし、右手を相手の死角に持っていく。その方向は、ちょうど観客からも見えづらい位置になっている。

 相手は、シェルの雰囲気が変わったことに気付き、警戒を強める。

「そろそろこれを使わせてもらう。悪く思わないで」

 シェルの右手には、大きな無地の白い布が握られていた。

「いつの間に!?」

 手品のように現れたそれに、軽く動揺を見せる。

「あれで何をする気なんだ?」

 客も再びざわめきだす。

 はっきり言えば、ただの綺麗なシーツのようにしか見えない。とても武器のようには見えないし、戦いの最中に取り出す理由が思い当たらず、誰もが首を傾げる。

 すると、シェルは素早い動きでその布を身体に巻きつけた。鋭い眼光のまま首から上を出して、身体はすっぽりと布に覆われる。

 時間にして、わずか一、二秒。白い布は取り払われる。そして、同時に布はどこかに消えてしまう。

「服が変わってる!」

 暗闇を背景とするフィールドで、白く大きな布は目を引くが、それに注意を払っていた客もその変化に気がついた。シェルは服を変えたのだ。

 Tシャツに七分丈の薄手のズボンというラフな格好だったのが一転、細かいフリルがふんだんにあしらわれた短いスカートになっていた。上も、胸元に大きなリボンのついた可愛らしいものに変わっていた。

「悪くない……」

 シェルは静かに呟いた。

 一方、対戦相手も観客も動揺を隠せない。多くの疑問符が飛び交う。

(どうしてそうなった……。それは戦いにくいだろ)

 明らかに戦闘に向かない格好を見て、クロノも心の中で突っ込まざるを得ない。

 すると、シェルは再び同じ構えを見せた。また白い布が現れ、それを身体に巻きつける。

 今度は、重厚なデザインの甲冑かっちゅうを身につけていた。しかし、上下セパレートで腹のあたりが大きく露出しているうえ、腕や脚もほとんどガードしていない。

(機能性最悪な甲冑だな、おい)

 軽く身体を動かし装甲を叩いたりした後、シェルは再度、白い布を取り出す。今度は、透きとおるような薄い生地を幾重にも重ねて纏ったような格好だった。動くたび表面に細かい光沢が走り美しい。さらに、いつの間にか煌びやかな髪飾りまでつけていた。

(お前は踊り子か……)

 客席も色めき立つ。キャラバンの団員の多くが男性なので、目の保養に良いと言わんばかりだ。

「シェルちゃんすげえな。これが噂のコスプレか。それにしても、なんていう驚異の早着替え……」

「ポロリもあるかもよ!」

 興奮するキーリンに、撮影に勤しむエミルが楽しそうに言う。

「ほ、本当か!」

 キーリンのテンションがさらに上がる。

「ねえよ! ………とは言えないか」

 クロノは、自分を挟んで飛び交うやりとりに勢いで突っ込みを入れるが、正直シェルの行動など予測できる気はしない。

 息つく暇もなくシェルはさらに変化へんげする。次は何にするのかという期待の眼差しが向けられる。

 しかし、布が取り払われると、最初のラフなスタイルに戻っていた。

「うーん……」

 シェルは少しばかり難しそうな、納得がいってなさそうな顔をしていた。

「やっぱり、意外と違う。ディテールが……」

 シェルはまた白い布を取り出した。それを取り払うと、クロノたちにとっては見慣れた格好になっていた。

「あ、うちの制服ですね」

「多少アレンジはしてるみたいだけどね」

 シェルは、セントケージ学園の中等部の制服を着ていた。学校に通うときや授業を受けるときに着るべき普通の制服だ。

 学園では、ベースのデザインが分かる範囲で、多少のアレンジは許可されているのだが、シェルが着ているものはその範囲内で手が加えられていた。

 えない表情のシェルは服を確認し、しわを伸ばしながら相手に向き直る。その動きにあわせ、プリーツが小さく揺れる。

 何とも形容しがたい不思議な空気が漂っていたが、シェルは構わず突進した。相手も多少動揺していたが、軽くいなしてくる。

「シェルはいったい何をしたいんだ?」

「僕もちょっと分からない……」

「なあ、ミスティー。あいつ何したいんだ?」

 クロノは、ヘイズを飛び越してミスティーに話しかける。しかし、ミスティーは戦況を見つめたまま何も答えない。

「おお!」

 後ろから声がした。キーリンだ。

「どうしたよ?」

「おい、見てみろよ。これはヤバいぞ」

「はい?」

 客席も全体的に盛り上がってきている。クロノは、バトルフィールドに視線を戻した。

「おお!?」

 少し目を離しただけなのに、シェルの着ている制服はすでにボロボロだった。

 よく見ていると、少しかすっただけでも裂けている。というよりは、むしろシェル自身の動きにも耐えられていない。千切れた布切れが垂れさがっている。いろいろ見えてはいけないところが見えそうになっている。

「うちの制服って、あんなにボロかったっけ?」

「いや、セントケージの制服は地味に強力だよ。ちょっと無理したところでなんともないはず……」

 ある程度負荷のかかるシチュエーションにたびたび遭遇することを見越して、セントケージ学園の制服の耐久性はかなりのレベルにあるはずだった。見かけによらず丈夫というのが最大のウリだ。

 クロノとヘイズが不思議に思っていると、ようやくミスティーが口を開いた。

「別に本物の制服に着替えているわけじゃないんですよ」

「どういうこと?」

 ヘイズが聞き返す。

「シェルのイメージに沿ってつくられただけなので、本物とまったく同じというわけにはいかないんですよ。あと、イメージも本当に正確じゃないと、ディテールがおかしくなったり、今みたいに見た目だけで機能性は全然足りなかったりってことも起こるんです」

「そうか。しかも、学園の外でやったのは初めて」

「まだコツがつかめてないんでしょうね。他よりイメージしやすいはずの制服ですらあれじゃ………正直、今の状態では厳しいでしょう」

「とすると、本当に手詰まりか」

 クロノの言葉に、ミスティーは黙ってしまう。

「危ない!」

 ヘイズの声がして顔を上げると、シェルの身体がこちらに吹っ飛んできた。相手の攻撃をまともに受けてしまったようだ。

「三人目も復活してるし」

 どう見ても良くない展開だ。

「シェル、大丈夫?」

 目の前で起き上がるシェルにヘイズが歩み寄る。クロノも行く。

「なんつう格好だよ。本当にボロボロ過ぎだろ」

「……うるさい」

 シェルは顔をあげない。服のダメージほど身体にダメージは受けていないようだが、メンタル的にはあまり良くないようだ。

 立ち上がったシェルは、服をはじめ着ていたやつに戻す。

「そろそろ厳しいだろ。降参したらどうだ?」

「……やだ」

 クロノが真面目な口調で提案するも、シェルは拒否する。

「なら、早くドラゴンになってぶっ倒しちゃえよ。あれが一番強いだろ?」

「それは……」

「クロノ先輩、だからまだコツが……」

 ミスティーも横から言う。

「やったらできるかもしれないだろ?」

「あれは、難易度が段違いなんですよ」

 ミスティーが言う。それは、シェルの能力の詳細をよく知らないクロノにも何となく分かった。服を取りかえるのとは次元が違う。

 はじめて会ったときに間近で見た。あれは明らかに、。明確すぎるほど、普通じゃない能力。

 シェルは黙ったまま完全に立ちあがる。対決すべき相手を睨みつけた。そして、短く言う。

「分かった、やる」

 成功してもしなくても、これがラスト。それだけは間違いないと思えた。

 そこにミスティーが進み出る。

「シェル、待って」

「待たない。やると決めたらやる」

「分かってる。だけど、少しでも勝つ可能性をあげたいなら聞いて」

 シェルは振り返った。ミスティーがその目をじっと見る。

「たぶん、セントケージと比べると、外の世界で発動できる魔法は自由度が高い。つまり、その分いろいろなことに注意を払わないといけない。とにかく落ち着いて集中しないと。だから、。カッコつけないで、発動のための言語発声を」

 ミスティーが言い終えると、シェルは背を向けた。

「………分かった」

 そう言うと、ゆっくり歩き出す。

(そうか。こいつら、魔法を使うとき無言でやってるけど、普通は何か口に出してイメージを補強するはずだもんな)

 必須条件というわけではないが、学園で習った内容によれば、魔法発動の際には、基本的には発声するべきであると教えられた。口の筋肉の動き、聴覚による再認識などにより、スムーズな発動が可能になるらしい。

 シェルは白い布を纏う。その足元には、着ていた服が一つずつ落ちていく。例によって、すべて。

(こういうときは、全部脱がないといけないのか?)

 観客たちも分かっている。シェルが纏う白い布の中は、間違いなく全裸!

 当然、すべての視線が釘付けになる。

 すると、シェルは何かを呟きだした。クロノは耳をすませる。

「ドラゴン、ドラゴン、私はドラゴンになる。絶対ドラゴンになる。何がなんでもドラゴンになる。でっかくて、強くて、固くて、すべてを薙ぎ払えるドラゴンになる。今、宵闇に舞い降りる、私は………ドラゴンだ!」

 やはりすべては一瞬だった。

 白い布が急激に膨張する。いびつなシルエットをさらしつつ、すべてが取り払われる。

 空の小さな星々と揺れる篝火と照明の光のもと、その体表が赤銅色の金属光沢を見せる。

 観客は我が目を疑い、その光景に見とれる。大きな身体の鋼のような背中で、艶やかな黒翼が音を立てて広がる。風圧を感じそうな咆哮とのしかかるような威圧感。

 背中の筋肉の感覚を確かめつつ、試しに力を込めて翼を動かす。その衝撃は、突風となって周囲に広がった。篝火は唸りをあげ、木片や小石が飛んでくる。

 それは、まさしくドラゴンだった。



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