キルムリー・トライアル -08-


「あんたたち、学園を出てから、魔法は使ったかい?」

 クロノたちは互いに視線を交わしあった。それから、それぞれ否定する。

「使ってません、たぶん」

 魔法というのは、自分の意思で完全にオンオフを切り替えられるようなものではないし、また微弱な発動であれば自覚症状もないことが多いので、絶対と言い切れるものではない。しかし、少なくとも五人に使ったという認識や感覚はなかった。

「よし。それじゃあ、誰かに、自分は魔法使いだと名乗ったことは?」

「ありません。俺の知る限りでは、ここを訪れるまでそういう話題が出たこともないです」

 クロノが説明する。一応、他の面々にも確認するが、訂正すべき点はないようだ。

「よしよし、良い子にしてたわけだね。そうしたら、あとはアミュレットのチェックだ。アミュメーターは持ってるかい?」

「アミュメーター?」

「アミュレット・メーターのことですか? 私が持ってますよ」

 クロノが首をかしげる横で、エミルが助け船を出す。〈アイちゃん〉に手を伸ばすと、素早く目的のものを取り出した。

「持ってても、使い方を教えてもらえなかったので、一度も使っていませんが」

「チェックとかいうより前に、そもそもアミュレットって何なんだ? 学園長は、魔除けとか言ってたけど、適当っぽいし……」

「なるほど、魔除けね。ま、別にハズレってわけでもないな。ほれ、それを貸してみ」

 ミランは喉の奥で小さく笑うと、エミルからアミュメーターなるものを受け取った。

 それは、実験室にありそうな器具を思わせる質感の物体だった。明確に何らかの目的を持っているけれど、誰もが気軽に扱えるわけじゃない。そんな妙な敷居の高さを感じさせる。

 ミランの手に収まったそれは、実際のところ、それほど複雑な形状をしているわけではない。主要なパーツとしては、片手で握れるくらいの10センチほどの円筒形の本体と、その一方の端に付属する五本の鉤爪かぎづめ型端子くらい。寸胴ずんどうな幹から根が張りだしているようにも見える。根の先端は尖っていた。

 円筒形の幹の部分の内部は、無色透明の液体で満たされているようだ。根のような端子は金色に近い金属光沢、それ以外の部分は水晶のように透過しやすい材質となっている。

 セントケージ学園でも、こんなものについて習ったことはない。クロノたちの中に、詳細を知る者はいなかった。

「簡単に言えば、アミュレットが持つの残量を調べるための道具ってとこだね。これも詳しいことは、そのうちどこかの誰かから聞いておくれ」

 ミランは、ここで詳細を語る気はないようだった。その口調は、ふざけているようで真面目。しっかりと何らかの理由と判断を経てのものだということは、何となく分かった。

「エミル、ちょっとおいで。その耳のやつ、アミュレットだね?」

 エミルは両耳に瑠璃色のピアスをしているが、ミランはそのうちの右耳を指差した。エミルのピアスは、よく見ると左右でデザインが異なっていた。だいたい耳にも髪がかかっているので、クロノは今まで気付かなかった。

 エミルは立ち上がって、ミランの近くに寄った。

「じっとしてな」

 ミランはアミュメーターを右手に握ると、五本の端子をエミルの右のピアスに近づけた。端子の鋭い先端は、吸着するように瑠璃色の表面にくっついた。

 すると、ミランの視線は少しだけ険しくなる。そのまま数秒間経過し、アミュレットからメーターを離した。手を開き、握っていた本体部分をよく観察する。特に変わった様子はなく、無色透明な液体に満たされているだけだった。

「問題ないね。はい、次。ミスティー、おいで」

 正直、何をやっているのかさっぱり分からない。クロノとヘイズはともに不思議そうな顔をしていた。一方、エミルは、自分の右耳が見えるはずもなく、二人の不思議そうな顔を不思議そうに見ていた。

 呼ばれたミスティーは、表情を変えずに立ち上がった。首からさがる暗紫色のペンダントに手をかけた。

「自分で持ってな」

 ミスティーはペンダントを渡そうとしたが、遮られる。ミスティーの掌の上に乗るペンダントに、ミランがアミュメーターを近づける。そのあとは、エミルのときと同様だ。

「問題ないね。はい、次。ヘイズ、おいで」

 左手のブレスレットからさがるエメラルドグリーンの物体がアミュレットのようだ。

「問題ないね。はい、次は………シェル、おいで」

 シェルも素直に近寄る。

(そう言えば、シェルのアミュレットはどれなんだ? それらしいのを見た覚えがないな……)

 クロノが思っていると、ミランもシェルの身体を見渡して言う。

「アミュレットはどこだい? ちゃんと身につけてるんだろうね?」

「当然。誰よりもしっかり身につけてる」

「じゃあ、見せてみな」

「分かった」

 シェルは半歩下がった。クロノを始め、その場の視線のすべてが集まる。クロノの座っている場所の真正面にシェルは立っているが、背を向ける形になるので、シェルの表情は分からない。

 シェルはお腹のあたりで手を動かしてから、両手を腰に当てた。少し大きめのTシャツの裾から手を潜り込ませる。下は、丈が膝下くらいまでの生地の薄いズボンを履いているが、それに手をかけているようだ。

(なんか、嫌な予感………)

 シェルは、身体を少し前に屈めながら、躊躇することなくズボンを下ろした。まるでトイレで用を足す直前のような動作が目の前で繰り広げられる。

「おい、何やってる!?」

 クロノは焦って声をあげた。シェルは、かろうじて停止する。

「どうしたの?」

 そのまま上体だけで振り返った。よくよく見ると、小さな尻が半分くらいさらされていた。思いっきり目の前で、血色の良い健康的な肌がお目見えする。

「どうしたの、じゃねえよ! ていうか、ズボンだけじゃなくて、パンツも一緒かい!」

「だって、アミュレット……」

 尻を突き出すような姿勢のままシェルが言う。すると、平然とその様子を見ていたミランが、手をポンと打った。

「そう言えば、パレアからの手紙に何か書いてあったな。えーと、見物はなしだ。シェル以外は、いったん外に出てな」

 カメラを構えかけていたエミルは小さく舌打ちをするが、しょうがないので四人は立ち上がる。

「お前、なかなか良い脱ぎっぷりじゃないか」

「任せて」

 笑いながら話しかけるミランに、渾身のサムズアップで答えるシェル。テントの外に向かいながら聞こえた会話から思うに、二人は結構気が合うのかもしれない。


 いつの間にか日は沈み、薄ぼんやりした空が広がっていた。すでに多くのテントに光が灯っている。

 湖畔の平地なので遠くを見通すのは難しいが、幕営地の周囲は真っ暗闇で、少し離れてキルムリーの街明かりが見えた。その輝きは、セントケージと比べるとかなり控えめな印象で、日中の賑わいとは対照的に思えた。

 言葉少なに周囲を眺めていると、前の三人よりは幾分時間をかけてから、シェルが出てきた。

「次、クロノ。他は外で待ってろって」

 シェルに言われると、クロノは一人でテントの中に入る。

「ラストだね」

 クロノが入って来ると、ミランは、手に持ったアミュメーターを様々な角度から眺めつつ言った。クロノはそのままミランの近くまで歩み寄る。

「じゃ、とりあえず脱ぎな」

「え、下?」

「上に決まってるだろ」

 クロノがとぼけてみると、案外普通の返答が来る。

「学園長の手紙には、俺のアミュレットについても書いてあるんですか?」

「さあ、どうだろうね」

 クロノは、上半身裸になった。着ていたものは、軽くまとめておいておく。

 クロノはそのままミランの前に直立した。ミランは、その胸板をまじまじと眺める。

「なるほど、これは知らなければなかなか気付くものじゃないね」

 ミランは手を伸ばすと、表面を触ってみた。クロノの様子をうかがいつつ、予告なしにつねってみる。

いてっ……」

「神経もつながっているわけか」

 ミランは同じ場所を今度は撫でる。そこは、クロノの心臓がある位置。ミランの少し荒れた指先は、表面をなぞり凹凸を確かめる。

「これがアミュレットだね」

「そういうこと」

 胸部の中央から少しだけ左にずれた位置に、注意してみなければ分からないような皮膚の盛り上がりがあった。瘤(こぶ)のようだが、厚みはあまりない。ミランはそこに人差し指をあてている。

「表面に人工皮膚型バンドアーティフィシャル・スキンを貼ってるわけだね」

「知ってるんですか?」

「“遺物”だね。どうせパレアのコレクションの一つだろう。いくつかバリエーションがあるらしいが、毛細血管、神経系に至るまで勝手に連結する代物だ。装着できる皮膚とも言われるが、本来の医療目的以外に、こういう使われ方をすることは意外と多いらしい」

 こういう使われ方……。クロノは、自分の胸に視線を落とした。

 心臓の位置の小さな膨らみはアミュレットだ。自前の皮膚の表面においたアミュレットの上から、さらに人工皮膚を被せたことで、まるで直接体内に埋め込んだかのようになっている。

 なお、皮膚は、自前と人工の境もほとんど分からない。見た目もさることながら、感覚的にも大きな違いは感じられない。

「物を隠すには、これがベストかもしれないね。これなら、それこそえぐられない限りは奪われない」

「こんなところ抉られたら、かなりの確率で人生終了ですけれど」

 クロノは嫌な想像をしてしまいそうになり、それを振り払う。

「さて、手っ取り早く調べようか」

 ミランは、アミュメーターを構えていた。鋭い五本の端子は、クロノの心臓付近を狙っていた。

「あの、このバンドの外し方が分からないんですけど……」

「外さなくて大丈夫だよ。端子の先端がアミュレットに触れれば問題ない」

「だから、人工皮膚が表面を覆っているので………って、まさか………!」

 ミランは、アミュレットの膨らみに合わせて五本の端子を押しつけた。神経の通った人工皮膚は、リアルな痛みをクロノに伝える。ミランはさらに力を強める。

 クロノは、鋭利な先端が皮膚に食い込むのを感じる。人工皮膚は薄い被膜ではない。柔らかい組織を有し、まるで本物の皮膚のように機能する代物だ。

 ミランがあいている方の手を伸ばし、箱を開けて布切れ取り出す。

「それで押さえてな」

 見ると、端子が突き刺さっているところに小さな血の滴ができていた。膨らんできて、今まさに流れ落ちようとしている。クロノはそれを受け取った布で押さえた。

「届いた。動くんじゃないよ」

 ミランはしばらくじっとしていて、それからアミュメーターを離した。等間隔に環状に刻まれた五つの小さな傷から血が流れる。

「血止めだ」

 クロノは、血止めの軟膏を塗った。

「本当に、本物の皮膚みたいだ……」

 クロノはピリピリと痛みを感じつつも、不思議な感覚に改めて感動していた。

 ミランは、アミュメーターを注意深く観察すると、フッと小さく息を吐いた。

「お前も特に問題はないようだね」

「それは良かった」

 クロノは、分からないことの多くがそのまま放置されていることに気付いていたが、それでも短く答えた。そもそも、何が良かったのか?

「ところで、どうして俺だけこんなに厄介なことになってるんだろ? みんなみたいにアクセサリーっぽくしてもらえたらラクだったんだけどな……」

「それは………」

 ミランはクロノと重なった視線をすぐにそらした。傷の手当てに使ったものを箱に戻しながら言う。

「日頃の行いが悪かったってことだろうよ」

「俺、物凄く平和的に生きてきたつもりなんだけどなあ」

 クロノは独りごちる。


 テントの外。クロノと一緒に外に出てきたミランが言う。

「というわけで、全員問題なしだ」

「結局、何の問題がないの?」

 誰かと思えばシェルの発言だった。珍しくまともなことを言う。

「そうだな。それは説明しないといけないね」

 ミランは、改めて五人の顔を眺める。

「平たく言えば、今後は、使ということだ。当然、アミュレットを装着しているという前提だし、人目につくところで目立つことはしちゃいけないがね」

「なんだかよく分からないけれど、これでコスプレもできるな」

 クロノは、隣にいたシェルに軽く笑いかけた。

「コスプレはコスプレ、魔法は魔法。でも、まあ良かった」

 相変わらずぶっきらぼうな口調だが、それでも表情には嬉しい気持ちが微かに漏れ出ていた。

「それなら、さっそく……」

 シェルがアクションを起こそうとするが、それをミランが制止する。

「まあ、焦るな。ちゃんと舞台は用意してあるよ」

 ミランがニヤリとすると、どこかから声が聞こえた。

「全部準備できました! いつでも大丈夫です!!」

 少し離れたところから声を張り上げているようだった。その方向を見ると、幕営地の中でそこだけひときわ明るくなっていた。しかも、何やらざわめきが聞こえる。

 クロノはここでようやく、視界にほとんど人がいないことに気がついた。暗くなっているテントも多いが、さすがにまだ就寝時間ではないだろう。

 クロノは、長年鍛えてきた厄介事回避センサーが鳴りだすのを感じたが、すかさずミランが視線で牽制して来るので、逃亡は断念せざるを得ないことを悟った。



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