キルムリー・トライアル -06-
キルムリーから街道を東に少し進んだところに川がある。名はペルサ川。
普段はあまり幅の広い川ではないが、そのわりに河原は広く、背の高い草が生い茂っている。その河原には太い丸太の柱が立てられていて、街道の一部を成す頑丈な木造の橋が架けられている。
クロノたちもキルムリーに到着する直前に渡ったわけだが、ぱっと見た感じ、別段特徴的なところもない。何の変哲もない普通の川である。しかし、これが意外とキルムリーの肝と言えるものだったりする。というのも、キルムリーの市場に並ぶ豊富な水産物、農作物を支えているのが、ペルサ川だからである。
市場の魚の大部分は、オヴリビ川で獲れたものである。キルムリーが面する水域は、広大なオヴリビ川の中でも、特に好漁場として知られていて、その恩恵を受けてキルムリーは成り立っている。しかし、この場所を好漁場たらしめているのは、実はペルサ川である。街道と交差したペルサ川は、その後すぐにオヴリビ川に注ぎ込むわけだが、豊富な栄養分を含んでいるようで、その下流部に多くの魚が集まっている。オヴリビ川の
一方、ペルサ川を少しだけ遡ると、キルムリー郊外の氾濫原に辿り着く。キルムリー市街地が広がる卓状地形を取り囲む低地は、地形的な都合から、大量の水が流れてくると広く水没することになる。結果として、一帯に肥沃な土が供給され、水の引いたあとの土地は農地として最適な条件を備える。一定の頻度で発生する洪水により土地は更新され、長期的に安定した農作物の収量が確保されることとなる。ここでもやはり、ペルサ川は恵みの川なのである。
また、農地の隙間に風車が点在する様子は、キルムリー郊外の典型的な光景であるが、これは良い漁場の広がるオヴリビ川で水流発電をほとんどしていないことと関係している。川の中にスクリューを設置し電力を得るより、豊かな水産物を選んだわけだ。確かに風任せの発電には難点も多いが、豊富な食料こそがキルムリーをキルムリーたらしめている。
ペルサ川は、オヴリビ川に合流する手前で大きく迂回する。ちょうどキルムリー市街地のある台地部分が川の進路を邪魔していて、直進すればそのままオヴリビ川に到達できるにもかかわらず、避けるように流路が大きく湾曲している。
この地形のため、台地の裏手、オヴリビ川の反対側には、進行を妨げられた川の水が滞留しやすくなり、その結果としてできたフーマ湖という湖がある。
水深は浅く、あちこちに
フーマ湖岸には平地が広がっているが、年や季節によって湖の面積がかなり違うので、農地としては使いにくい。そのため、このまとまった空き地は、キルムリーを訪れるキャラバンの幕営地としてよく活用されていた。
市街地のある台地とフーマ湖の間の低地。目立ちにくい林の陰に、キャラバン〈ミグラテール交易団〉は拠点を構えていた。
市街地の喧騒を離れ、真っ平らな草地をフーマ湖に向かって歩いていくと、目的の場所と思しきものが見えてきた。
クロノ、エミル、ヘイズ、シェル、ミスティー、キーリン、デゼルト、サマル。八人は、先程までの激しい争いを綺麗さっぱり忘れたように、警戒を解いて喋りながら歩いていた。
特に、前を歩くサマル、キーリン、デゼルトの方が会話は多い。あとについていく、クロノ、エミル、ヘイズ、シェル、ミスティーは、ややテンションが低くなっていた。
「サマルさん、先に言っておいてくださいよ」
「お前、先に言ってたら手を抜いてただろ」
「まさか!」
「キーリンは、どちらにしろ女子相手じゃ本気でやりませんよ」
「デゼルトの言うとおりだ。まあ、俺もずっと見てたしな」
「だって!」
キーリンは声を上げると、派手な動きで後ろを振り返った。
「こんなに可愛い子たちを本気で痛めつけられるわけないじゃないですか!」
クロノ一行の女子たちはノーリアクション。
「可愛いってさ」
クロノが、女子たちにぼそっと言った。
「私、直接関わっていないので」
ミスティーはむしろ関わりたくないという感じで言う。
「何を言おうと、〈アイちゃん〉と私の仲を切り裂こうとしたのは紛れもない事実です」
エミルも相手にする気はないようだ。
「お腹すいた」
シェルは話を聞いていないようだった。
ヘイズが歩く位置を移動した。クロノの陰に隠れる。
「みんな、本当に悪かった!」
いつの間にか目の前にキーリンがいた。
「俺も、正直、本当に心苦しかったんだよ」
腕の動きと眉の動きでその感情を伝えようとする。他四人が距離をとろうとするので、結果としてクロノだけが残る。
無視するのも可哀想なので、何となくクロノが答えた。
「そーかい。そりゃ大変だったな」
「てめぇには言ってねーよ」
知ってるよ、という言葉をまんま口に出すと面倒なことになりそうなので、クロノは黙ることにした。
「ミスティーちゃん。あまり相手をしてあげられなかったけれど、何事にも動じず甘饅頭を食べ続けていた君は印象的だったよ。そのままの君でいて」
「それはどうも」
ミスティーは、わざわざ目の前にやってきて喋るキーリンを一瞬面倒臭そうに見るが、それ以上のアクションは起こさなかった。逃げても追われることを悟ったのかもしれない。
キーリンは、そのまま落ち着きなく場所を変えた。エミルの前に来る。
「エミルちゃん。まずは謝罪をさせてく………ぶべべっ!」
キーリンは吹っ飛んでいた。見るとエミルが背負っている〈アイちゃん〉から、黒光りするでっかい拳が伸びていた。伸縮自在な
「エミルちゃん、話だけでも……ぶべべっ!」
同じ光景が繰り返された。もしかして馬鹿なのかもしれないとクロノは思った。
キーリンが立ち上がると、ちょうどシェルの前だった。見下すシェルと目が合う。
「シェルちゃん。君は本当に良い目をしているね。戦ってるときも、本当にゾクゾクしたよ」
キーリンは、フッと笑う。
「俺は、どうすれば君のその
「まずは肉が必要」
「なるほど、やっぱり肉が好きなんだね」
キーリンは、突然、上半身に着ていた服をまくり上げた。
「それなら前菜に俺の腹筋はどうかな? 君が誉めてくれた自慢の腹筋さ」
ほぼノータイムで、シェルの華麗な回し蹴りがその腹を直撃した。
キーリンは吹っ飛び、勢いを持って転がりサマルの前で止まった。並んで歩いていたサマルとデゼルトがゴミでも見るような視線を向ける。
「いやー、俺、はじめてお前のこと凄いと思ったかもしれん」
「お前、少し落ち着けよ。同類に思われたら心外だ」
キーリンが一応もとの位置に戻ったのを確認して、クロノが言った。
「ああいうむず痒い台詞を言われるのは好きなのか?」
「意外と悪い気はしませんね」
特定の誰かに向けて言ったわけではなかったが、ミスティーが答えた。
「なるほど……」
「クロノ先輩は言わなくていいですよ。需要というものを考えて行動してください」
ミスティーはやはり淡々と言い放った。
林の向こう側は、テント村になっていた。
木の柱で組んだところに布をかぶせた円錐形のテントが基本で、他にいくつか複雑な形状のテントが混ざっていた。
「君たち、キャラバンっていうのは知ってるかい?」
不意にサマルが言った。後ろを歩いていたクロノたち五人に向けての言葉だ。
「え? キャラバンって、普通にキャラバンじゃないんですか?」
答える意欲の低そうな他の面々に代わり、クロノが答える。
「商品とかを輸送しながら各地を転々とする集団、みたいな感じか?」
「はい」
サマルは、なんとももどかしそうな表情をした。
「なんていうかな、まあ別に正解と言えば正解なんだけど……。特に、うちは交易団を名乗ってるしな」
他の四人もしっかり聞いてはいるようだった。サマルは、それを確認してから続きを言う。
「でも、セントケージから来た君たちは、もう少し踏み込んだところまで理解しておいて欲しいかな」
クロノは、サマルの口から出るセントケージという単語のニュアンスに注意を払う。やはり、モントシャインの多くの人とは違い、具体的に知っているようだった。
そもそも学園長を知っているということから考えても、何らかの関わりのある人たちなのだろう。ということは、
「単にキャラバンと言えば、さっきので正解。定住せずに各地を巡っている集団は、それなりに多い。ただ、プラスで知っておいて欲しいのは、その中に魔法使いが多くいるということだ」
やっぱり、とクロノは思った。
「正確には俺にも分からないけれど、感覚的には、町中にいる人よりかなり高い割合だと思う。むしろ、キャラバンを見かけたら、まずは魔法使いである可能性を考えるべきだ」
「分かりました……」
クロノは、与えられたヒントを受けてサマルをじっと見た。
「そうだ。実際、ミグラテールの人間も、ほとんどが魔法使いだ。俺も、キーリンも、デゼルトも―――」
サマルは一瞬だけ間をあけてから続けた。
「君たちと同じように」
クロノを含め五人の視線が動き、一気に緊張の度合いを高めた。
サマルは満足気な笑みを浮かべる。
「その様子だと、分かってはいるみたいだな。自分たちが魔法使いであると知られることは、極力避けるべきだと」
サマルは立ち止まった。そこはテントが林立する幕営地の端で、集落の入口みたいな感じになっている。
「いいぞ。顔に出さずもう少し自然に振舞えると、なお良いけどな」
サマルは振り返った。そして、白い歯を見せてニカッと笑った。
「そんなわけで、ようこそミグラテール交易団へ!」
「あ、戻って来た!」
サマルが歓迎の言葉を述べたのとほぼ同時に、女の子の声がした。
「昨日から何してるの……」
テントの向こうから声とともに現れた少女は、クロノたちの姿を見るとピタリと停止した。身内だけだと思って話しかけたら、実は客人もいてドキリというのが、表情に思いっきり出ていた。
少女は、シェルやミスティーよりもさらに少し低いくらいの身長、黒目がちな瞳でこちらのことを見上げる状態になる。ハーフパンツにTシャツを着たラフな格好。耳より少し高い位置で片方だけ結わいたサイドテールが肩に微かに触れている。
「ただいま、イコナ」
サマルが話しかけるとイコナと呼ばれた少女は、再びスイッチが入ったように動き出した。
「その人たちは?」
「ミランのお客さんだ」
「ミランの?」
イコナは意外そうな顔をして首を傾げた。
「イコナ、挨拶くらいしろよ。客だぜ、客。これだからガキは……」
キーリンの言葉に、イコナはあからさまにムッとしてみせる。
イコナはキーリンを押しのけるようにして、クロノたちの前にやって来た。五人の顔をマジマジと眺めてから、改めて名乗った。
「イコナ・イヴリオです」
クロノたちも順に名乗っていった。一番端の目立たない場所にいたヘイズが最後に名乗ったが、イコナがその様子をやたら見つめるので、ヘイズはいつも以上にドギマギしてしまう。
イコナは、五人の挨拶を見届けると、今度はデゼルトの方に歩み寄った。
「デゼルト、なんでそんなに服汚れてるの?」
デゼルトは、ゲ……という感じのリアクションをする。その服は、まだ砂埃にまみれていた。
「キーリンも似たようなもんだぞ」
デゼルトは、イコナの注意をそらそうとするが、イコナは気にせずデゼルトの服を払いだした。その横でキーリンは面白くなさそうな顔をし、サマルはニヤニヤと楽しそうにしていた。
「イコナこんなところに………あ、おかえりなさい」
声とともに、テントの向こうからもう一人現れた。
キーリンやデゼルトよりは大人しそうな感じの少年で、額にゴーグルをつけていた。両目にあてる部分が円筒形に突出していて、そこに丸いレンズがついている、あまり見たことのない形状のゴーグルだった。
少年はイコナを探していたようだが、サマルの姿を見て、さらに見知らぬ来訪者たちを見ると、何か事情があるに違いないと黙って様子をうかがう。
「リブラ、ちょうどいいところに!」
キーリンは、リブラと呼ばれた少年の肩をバシンと叩く。リブラの方が10センチくらい背が低く、並んで立つと身長差が際立った。
「キーリン、どうしたの?」
状況が飲み込めていないリブラは、キーリンに答えつつも、デゼルトに助けを求める視線を送った。
「そうだそうだ。お前に見て欲しいメカがあるんだよ。いや、メカなのかもよく分からないんだが」
デゼルトは、キーリンが考えていることを察して説明した。それを聞いて、リブラの表情はなんだか明るくなったような気がする。予想外のお土産に喜ぶ子供のように。
「どれ?」
リブラはすまし顔をしているが、少しソワソワしている。
「あっちのリボンの子が背負ってる鞄……なのか分からないけれど。とにかく、開けることもできないし、何より見た目の割に軽過ぎて。俺もキーリンも完全にお手上げだ」
「そういや、さっきあの鞄に殴られた気がする。速過ぎてよく分からなかったけれど」
キーリンも言った。リブラは完全に目を輝かせているが、エミルの方をチラチラ見るだけ。
「普通にお願いしてくれば?」
デゼルトが助け舟を出す。すると、リブラは意を決したように頷き、エミルのもとに向かった。
エミルは、ゴーグル少年リブラの視線がこちらに向けられていることを感じ取った瞬間から、すでに警戒心を急上昇させていた。
「次なる刺客か……」
エミル以外はすでに警戒していなかったので、クロノたちは傍観を決め込むことにする。
「あの……リブラ・フォンチェと言います。メカがとても好きで、その、背中の鞄を少し見せてもらいたいのですが……」
リブラは、エミルの前で伏し目がちに自己紹介し、続けて丁寧にお願いした。二人の身長はほとんど同じだが、立ちはだかるエミルと弱々しく懇願するリブラは対照的に見えた。
「お断りします! 〈アイちゃん〉はもう誰にも渡しません!」
エミルは両腕を組んで仁王立ちし、キッパリと言った。
対するリブラは、自分の言動が気に障ったのかと思ったようで、オロオロしてしまう。
近くにいたクロノやミスティーは、その様子をただ見ているだけだったが、ヘイズはオロオロが伝染したように、二人の顔を見て勝手に動揺している。
「エミル、別に少しくらいなら。どうせ何もできないんだし……」
「ヘイズさん、それは甘いです。〈アイちゃん〉は、我々にとって、本当にかけがえのない存在なんですよ。初対面で軽々しく見せるようなものじゃないんです!」
エミルは、ヘイズにもビシッと言う。やはり今日の出来事はなかなか
ヘイズもここまではっきり拒否されるとは思っていなかったようで、たじろいでしまう。
これはもう無理だな、とクロノが思っていると、リブラは予想外に食い下がってきた。
「そこを何とか……。扱いには細心の注意を払うので。本当に少し見せて欲しいだけなんです」
「ダメなものはダメです」
エミルも頑として受け入れず。
「それならば……!」
リブラは顔を上げた。真剣な眼差しをエミルに向ける。
「その鞄で僕を殴って下さい!」
先程キーリンを殴り飛ばした動きは、クロノもはじめて見るものだった。相変わらず速過ぎてよく分からなかったが、黒い鞄から瞬間的にパンチが繰り出される様は、メカ好きじゃなくてもなかなか興味深い見世物だった。
しかし、その意図はエミルには正確に伝わらなかったようだ。
「殴って下さいって……え、アナタ、そういう趣味なんですか?」
エミルは一歩後ずさりした。
「ますます〈アイちゃん〉を近づけるわけには……」
「そういうことなら任せて」
いつの間にかリブラの隣にシェルが立っていた。リブラはビクッとする。
「ちょうどサンドバッグが欲しかったところ。存分に殴ってあげる」
シェルは軽快な足の運びでその場を反復しながら、シュッシュッと左右からパンチを繰り出し
「うわわ、無理言ってすみませんでした!」
リブラは、しつこく食い下がったことに気を悪くして威嚇されたと思ったのかもしれない。しきりに謝罪を繰り返し、サマルたちの方に戻っていった。
「シェルちゃんに殴ってもらえるところだったのに、なぜ断ったんだ!?」
「お前、キーリンと同類に思われたのかもしれないぞ?」
キーリンとデゼルトが言う。それを聞いて、リブラは別の方向で事の重大さに気付き、へこんで
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