キルムリー・トライアル -05-
「随分こなれた感じだったな、ミスティー」
「そんなことはどうでもいいので、早くお茶の時間にしましょう」
クロノとミスティーがいる建物の前の広場では、シェル、ヘイズ、エミルの三人と、通りすがりの盗人二人が激しくやりあっていた。もっとも、クロノが少し見た限りでは、エミルは傍観しているだけだった気もするが。
クロノとミスティーは、砂埃を払いながら階段を上がり、三階に行った。クロノはミスティーの指示に従いすでに往復していたが、三階は見晴らしが良く、広場の様子がよく分かった。
あまり窓際に行くと、こちらに気付かれてしまうので、目立たないよう注意して腰を下ろした。三階はあまり砂もなく、比較的綺麗だった。
クロノは、先に持ってきていたお茶のポットを傾ける。魔法瓶の中から冷たいお茶がコップに注がれた。
「やはり、甘い物の後はお茶が美味しいですね」
「同感だ」
甘饅頭を平らげ、大皿を屋台に返却すると、その隣の店がお茶を提供していることに気がついた。相手の術中にハマっているという自覚はあったが、口の中が甘くなっている状況で、お茶を飲みたいという欲求には抗えなかった。
その場でも飲めたが、魔法瓶に入れてくれるサービスもやっていたので、お願いした。
「エミルはあれだけど、シェルとヘイズは結構やるんだな」
「そうですね。シェルについては知ってましたが、ヘイズ先輩がなかなか。普段、活発な印象はありませんが」
クロノは、パーティーメンバーの戦いぶりに頼もしさを感じる。今は積極的に参加していないが、エミルも〈アイちゃん〉を使える状況であれば、限りなくチートに近いことができるわけだし、心底頼もしいと思った。
そうこうしているうちに、戦いの舞台は、クロノたちのいる建物の中に移動してきた。
「やっぱり、あれはあの二人組によるものだったようですね」
「つまり、あの二人はわざとこの建物に逃げ込んで見せて、シェルたちをおびき寄せたってことか」
「恐らく。なかなかの策士ですね」
クロノは、背後の大穴の底に仕掛けてあったものを思い出した。
三階分をぶち抜く形であいた大穴の底には、かなりの砂が積もっていて、そこに覆い隠されるようにして漁網が隠されていた。「これはまた、トラップを仕掛けるには持ってこいの場所ですね」と言ってミスティーが立ち止まった場所だったわけだが、すでに先客がいたということだ。
ミスティーは、埋められた大きな漁網から伸びるロープを辿り、ぐるりと付近を眺めると、一人で勝手に納得してしまった。「せっかくなので、これも使わせてもらいましょう」。
それからミスティーは随分と手際よく作業を進め、誰かが仕掛けていたトラップは、見事に上書きされた。
もともと仕掛けられていたトラップが発動したタイミングで、ミスティーの指示通りにワイヤーを巻きつけたソファーを蹴り落とすと、惚れ惚れするくらい見事に“トラップ返し”が発動した。
クロノは三階の大穴の縁から見下ろしていて、ソファーから繋がるワイヤーがミスティーの見立ての通り引き合い漁網の動きを制御したのが見えた。二人組のうち片方は逃れたようだが、狙い通りの動きをしたことだけでクロノは十分感動できた。
「いやー、本当に凄いな。相手もビックリだろ」
「私、こういう陰湿なの得意なんです」
自分で言うのか、とクロノは思った。
目の前の三人だけを相手にしているつもりだった二人組は、完全に外野だと思っていたやつの罠にしてやられたわけだから、確かに正々堂々とは程遠いわけだが。
「ところで、ワイヤーとかいろいろ使ったけど、いったいどこから出したんだよ……」
改めて眼下の光景に目をやると、使用した細いワイヤーはかなりの量だし、他にもそれらを連結する小さい器具をいくつか設置していた。
「見ますか?」
ミスティーは、自分のスカートの裾を摘む。
「何、その中、そんな凄いことになってるの!?」
「凄いですよ、実際」
―――ごくり。
「はっ! もしや、これ自体がトラップなのでは?」
ごくり。ミスティーは持っていたコップのお茶を飲み干す。
「先輩もここ数日で学習してきましたね……」
一階の砂埃が落ち着いてくる。その中からヘイズがこちらを見上げていた。
クロノは軽く手を上げて答える。しかし、ヘイズは何やら分かりにくいジェスチャーをしていた。
そのとき、背後に気配を感じた。
「君、女の子が自分のスカート摘まんで『見ますか?』なんて言っているんだから、ここは断固として見るべきだろう?」
振り返ると、ミスティーの背後に見知らぬ男が立っていた。比較対象のミスティーが小さいせいかもしれないが、長身で、浅黒い肌に白い歯をのぞかせてニッと笑っていた。
「さてと……」
男はしゃがむと、ミスティーのスカートの裾を摘もうとする。
悪寒を感じてビクッとしたミスティーは、その手をかわし、すすすっとクロノの背後に逃げ込んだ。
「新たなる変質者の出現です」
“新たなる”という部分にツッコミを入れたい気もしたが、クロノは目の前の男の観察に徹した。せっかく厄介事の中心から距離をとっているのに、こちらまで巻き込まれるのは御免だ。
「俺にもお茶くれないかなあ? 喉
男が言った。訳知り顔のおじさん……というよりは、もうちょい若いくらいの男。
「どうぞ」
クロノが答えると、男は床に置いてあった魔法瓶を手にとった。
「冷えててうまいな!」
男は笑顔でそう言いながらも、傾けたコップ越しに階下の様子をうかがっていた。
クロノも階下の様子をうかがいながら、同時に男の様子にも注意を払った。当然、ただの通りすがりのわけはない。
(ていうか、こいつ黒幕じゃね?)
こちらに危害を加える気配はないし、二人組に加勢するわけでもない。しかし、その視線は、彼が明らかに関係者であることを示していた。
「お茶、ありがとな」
男はそう言うと、躊躇することなく大穴から飛び降りた。二階の床に着地し、さらに飛び降りて一階に到達した。この建物は、フロアごとの高さがあまりないが、それでも一連の動作は実に軽やかだった。
階下では、二人組のうち〈アイちゃん〉を背負ったままトラップを逃れた方が、シェルとヘイズの波状攻撃を必死にかわしていた。
「先輩、私たちも行きましょう」
ミスティーが言った。
「せっかく決着がつきそうなのに、ここで〈アイちゃん〉を持ち逃げでもされたら、たまったものじゃありません。先輩、ダッシュです」
クロノは、ミスティーに背中を押されて、勢いそのまま階段を駆け降りた。
(ミスティーの言うことももっともだな。それに、おいしいところで良い働きをするのも重要だ)
そんなことを思って一階に辿り着くと、すでにミスティーが到着していた。留め具のようなものを外す音が聞こえた。
「私は、ワイヤーを使って降りてきました。ラクチンですね」
クロノとミスティーは、終局に向かいつつある捕り物の現場に向かった。さっきの男が柱の陰から涼しい顔で戦況を眺めているが、とりあえずそれは無視する。
ヘイズの攻撃をすんでのところでかわした盗人は、直後に背後をとったシェルの手刀を頸部に受ける。それほど重みのある攻撃ではないが、軽く立ちくらみのようになった。
「せいっ!」
これまで直接手を出していなかったエミルの声がすると、男は投げ飛ばされた。舞い上がった砂埃が落ち着くと、地面に大の字で伸びているのが見えた。その背中に〈アイちゃん〉はなかった。
クロノには、投げ飛ばすときエミルが〈アイちゃん〉に触れた一瞬で、男の背中を離れたのが見えていた。
「アイちゃん、おかえり!!」
エミルはその腕に〈アイちゃん〉を抱きかかえ、頬ずりをして歓喜していた。
最後の最後でエミルが、華麗な投げ技を決めてノックアウト。床に転がされた男はすぐに意識を取り戻すが、すでに三人が取り囲んで立っている。勝負ありだった。
「ここまでか……」
男は寝転がったまま言った。相棒はいまだ漁網トラップの中。ここからの抵抗は無意味だった。
「ちっ」
シェルが舌打ちする。隣でヘイズが不思議そうな顔をする。
「取り返したのに、なんで舌打ち?」
「勝てなかった……」
「え、僕らの勝ちでしょ」
「一番に取り返した者だけが勝者」
「……シェルの中ではそういうルールだったんだね」
エミルが一歩前に出た。
「先程、礼拝堂の広場で、どうしてここが分かったんだって聞きましたね?」
大の字のままの男がエミルを見上げる。トラップにかかっている方も聞いているようだ。
複雑な街路を真っ直ぐ突きぬけ、〈アイちゃん〉のもとに辿り着いたその理由―――。
エミルは、マジ顔のまま小指を立て、雄大な風景に愛を叫ぶように言った。
「答えましょう……。赤い糸ですよ! 私と〈アイちゃん〉の間に繋がる赤い糸を辿ったんですよ!!」
男は呆れるように小さく笑った。
「そりゃ参ったな。いったい、どんな魔法だ」
「ついでに、まったり甘饅頭を食べきった我々がここに辿りつけた理由も教えてあげましょう」
いつの間にか、ミスティーも輪に加わっていた。
「テンションの上がったシェルが向かったにもかかわらず、どこも大きな騒ぎになっていなかった。それならば、目指すべき現場周辺はそもそも人のいないエリアのはずだ……という完璧な推理で場所を特定しました」
どや。ミスティーは淡々と語りつつも、どこか自慢げだった。
(実際、完璧にその通りだったわけだが……)
シェルの行動パターンを見事に把握していたミスティーは、ほとんど迷うことなくこの場所に辿り着いた。おかげで、余計な労力をかけることなく合流できたのだ。
「ははは………完敗だな」
少し離れたところから、会話に参加していなかった者の声。
その場にいた者たちがいっせいに声のした方向に目を向ける。それは、先程の“新たなる変質者”の声だったが、エミルたちは知らないので警戒を強める。
「サマルさん……」
トラップの中に捕えられている方が言った。
「デゼルト、お前そんなところで何やってんだ?」
「す、すみません……」
サマルと呼ばれた男は、デゼルトを罠から解放した。
ヘイズが何か言おうとするが、クロノはそれを制止した。五人は黙って成り行きを見守る。
「キーリン、派手にやられたもんだな」
サマルは起き上がり片膝をついていたキーリンを見下ろす。口元は笑っているが、視線に感情はなく、辺りには緊張感が漂っていた。
「街の東からやって来る、クロノ、エミル、ヘイズ、シェル、ミスティーの五人組を発見し、隙をついて、おそらくはエミルが所持していると思われる黒い鞄を手に入れよ。その後は、礼拝堂付近に向かい、次の指示を待て。なお、そこまで五人組が辿り着いた場合、致命的なダメージは与えず、行動不能にせよ―――」
クロノたちにも聞き取りやすいよう、言葉を切りながらサマルは言った。
「これがギド団長からの指令だったはずだ」
サマルはその身体から四方に威圧感を放っていた。言い聞かせるように刻む台詞は、のしかかるような質量を備えていた。
キーリンとデゼルトは、険しい顔で足元を見つめていた。何かを言おうと口を開くが、言葉は出て来なかった。
サマルは、ピリピリした空気を肌で感じ一通り味わうと、満足したようにフッと表情を崩す。それから、クロノたちの方に視線を移した。
クロノたちは、それをただ静かに受け止め、次の言葉を待つ。
サマルは、射るような視線を向けてもあまり効果がないことを悟ると、落ち着いた口調で言った。
「俺は、キャラバン〈ミグラテール交易団〉の分隊長、サマル・ユージュ。こいつがキーリン・トレンスで、あっちのがデゼルト・ラーヴだ」
クロノは三人の顔を改めた。やはりグルだったわけだ。
「とりあえず、一部始終を見させてもらった。まだまだ荒削りで、実戦というものをまるで分かっていないが、それでも面白いものが見られた」
サマルは、ようやく楽しそうに笑った。緊迫感は完全になくなっていた。
「さすがは、あの学園長が選んだ生徒たちと言ったところか」
あの学園長……。
クロノたちの表情の変化を楽しんでいるサマル。一方、キーリンとデゼルトは、いまいち事態を飲み込めていないようだった。
「この五人組は、セントケージ学園の生徒だ。お前らも名前くらい知ってるだろ?」
キーリンとデゼルトは小さく驚きながら頷く。
それを見ながら、クロノは少し不思議に思った。
キャニーを離れてから、セントケージのことをしっかりと把握している人はほとんどいなかった。東のど田舎にある小さな集落くらいのイメージしか持たれていないことはすでに承知していたが、この人たちは、もっと正確に分かっているようだった。
サマルがニヤリとしている。クロノが不思議がっているのが面白いようだ。
「うちのキャラバンは、セントケージ学園の現学園長パレア・チェルスキーと縁があって、お前ら五人の様子を確認するようお願いされていたんだ。旅に出ておよそ一週間。一発試すにはちょうど良い頃合いだろ」
クロノは、国境の町キャニーの国境管理局にも事前の知らせがあったことを思い出した。
急な出発ではあったが、学園長は意外と様々な根回しをしていたようだ。いきなり異国の地に放り込まれはしたが、最低限の保険はかけているのかもしれない。
「ただ、もうちょい確かめておきたい気はするな。サボっていたやつもいることだし」
サマルは、クロノとミスティーに視線を流した。というか、ほとんどクロノに絞っている気もする。
「というわけで、とりあえず俺たちの幕営地まで来てもらおうか。追試の時間だ」
サマルがそう言うと、間髪入れずに短い言葉が飛んできた。
「断る」
シェルだった。唐突ではあるが、やはり偉そうだった。
(相変わらず怖いもの知らずというか、空気が読めないというか……)
しかし、よくよく見ると、まだ〈アイちゃん〉を抱きしめたままのエミルも、サマルたちに疑念の目を向けている。
「〈アイちゃん〉が受けた辱めを簡単に水に流すことは……」
エミルは何やら呟いていた。かなり根にもっているようだった。
「当然、客人として招くという意味だ。温かい食事と快適な寝床は嫌いか?」
サマルが言うと、シェルは歩きだした。
「ちょうどお腹がすいてきたところ。早く案内して」
周囲の人間のリアクションは眼中になし。シェルは、やはり自由だった。
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