キルムリー・トライアル -03-


「シェルは凄いですね……」

 隣に誰かがいるわけではなかったが、エミルは礼拝堂の屋根を見上げて呟いた。シェルのように簡単に屋根に上がれるわけではないので、下で待機している。

 セントケージ学園のカリキュラムでも、対人のセオリーを習い、最低限の実戦演習が組まれていたが、ここまでの動きをする生徒は見たことがなかった。シェルの動きは付け焼き刃ではなく、身体に染みついているものだと思えた。

(撮影したかった……ああ、アイちゃん、早く戻ってきて……)

 そんなことを思いながら見ていると、男が一人宙に放り出されていた。シェルにぶっ飛ばされたようだ。

 礼拝堂の屋根の上で傾斜にぶつかりながら回転していた身体は、放物線を描き落下し始める。しかし、男はすぐに空中で姿勢を安定させると、着地の瞬間、フワッと滑るような動きを見せた。一枚の紙が机から落ちたとき、床に着く直前で見せる動きに似ている。

 男は小さな土埃をあげながらも、しっかり衝撃を吸収し着地した。

(やっぱりあの人、時々、妙な動き方をしますね)

 筋力や平衡感覚とは別の次元の何かを感じさせる動きだった。普通に考えて、そうはならないだろうというタイプの動き。

 男は軽く腹をさすりながら立ちあが―――。

(姿が見えないと思ったら……)


 まだ少女の靴裏の感触が残る腹をさすりながら、キーリンは立ち上がろうとする。すると、視界の外から声が聞こえた。

「盗みはいけませんよ」

 キーリンは、咄嗟とっさに振り返る。そこは、礼拝堂の中の暗がり。

(――!! まだ目が慣れていな……)

 暗がりの中から、箒の柄が飛び出してきた。

 屋根の上は強い西日が降り注いでいたようで、瞳が暗がりに慣れる前に繰り出された鋭い攻撃は、かわすのが精一杯だった。

 キーリンはバックステップで逃れる。相手も間合いを保つように出てくる。建物の陰の暗がりから出てきたので、表情が見えた。

(ヘイズ・ランバーか。なかなかえげつない)

 ヘイズは笑みを浮かべながら、キーリンが完全に態勢を整える隙を与えないようにしている。素早く五連撃し、それらがすべてかわされると一時停止した。

「不意打ちしたのに。やっぱり凄いですね……」

 キーリンはようやく動きを止めることができた。

(線は細いが、こいつもなかなか良い動きをするな……)

 すると、ヘイズの表情から笑みが消え、向かって斜めに移動した。間合いを詰められたわけではないので、キーリンは注意を払うにとどめる。

 直後、ヘイズが立っていた位置に、瓦の破片とともにデゼルトが落ちてきた。土埃を巻き上げるが、物を背負ったまましっかり着地していた。

「キーリン、大丈夫だったか」

「あいつは?」

「屋根の上でこれを抱えたままの一対一はきついからな……」

 デゼルトは、背中の感触を確かめる。

「見逃してもらえねーかな」

「そりゃ無理そうだな」

 二人はアイコンタクトをかわして走り出した。ちょうどヘイズを挟みこむような形だ。シェルが下りてくる前に素早くヘイズを片付けたいという魂胆は明らかだった。

 ヘイズは、小さな子供の背丈くらいの棒を構えていた。いつの間にか、箒の先端部分をはずしたようだ。

 棒の先端は、キーリンのみに向けられたまま磁石に引き寄せられるよう滑らかにスライドする。より敏捷びんしょうな方にターゲットを絞っているようだ。

 しかし、デゼルトに対する注意も怠っていない。むしろ、本丸はデゼルトの背中にあるので、身体の前面はデゼルトに寄っている。

 キーリンとデゼルトは互いのタイミングを見計らい、距離が等しくなるよう進路変更した。前後で挟み込むようにしてヘイズに急接近した。

 ヘイズも待っているだけでは挟み打ちなので、棒を突き出しキーリンめがけて突進した。ヘイズが動けば、攻撃してくる両者のタイミングはいくらかずれる。

 ヘイズの棒は、真っ直ぐキーリンの身体の軸を突ける勢いだった。

(これ食らったらやべぇ!)

 キーリンが身体をねじるようにすると、ヘイズは手首を返し横に薙ぎ払うような攻撃に転じた。軽快な動きを見せるキーリンも、棒の先端の速度を超えることは厳しく攻撃を受けてしまう。

「イテテ……」

 しかし、逃れる方向と打撃方向が同じなので、決定的なダメージとはなり得ない。

「ヘヘ、優しいじゃねーか」

 キーリンは、脇腹を押さえながら瞬間的な痛みをやり過ごそうとしている。

(そのまま突いてたら、たぶんけきれなかっただろうが……)

 ヘイズは棒が動かないことに気付き、ハッとする。

 棒の先端は、デゼルトに強く握りしめられていた。キーリンを打った隙に掴まれてしまったようだ。

 棒の両端をヘイズとデゼルトが掴んでいる。ヘイズは取り返そうとするが、ビクともしない。見た目からも両者の腕力の差は明らかだった。

「二人がかりで少しずるい気もするが、武器を封じればこっちのもんだぜ」

 キーリンはかがんだ姿勢から足払いをする。体勢を崩したヘイズは、そのまま背後からデゼルトに抱え込まれ、その首に太い腕が回される。

 ヘイズは咄嗟の判断で、棒を握ったままの左手を自らの首筋に滑り込ませた。そうしなければ、完全に締めあげられ、すでに気を失っていただろう。

「やっぱやるな。だが、これで終わりだ……」

 キーリンは、ほぼガラ空き状態の腹をめがけて、拳を構えた。

「え……?」

 打ち下ろされた拳がヘイズの腹に到達する瞬間、そこにヘイズの身体はなかった。ヘイズは左手で掴んでいた棒を地面に突き立て、そこを軸に巧みに身体の向きを変えていた。かなりの柔軟性がなければできない動きだ。

 そのまま振り下ろされたキーリンの右腕に、獲物を絞め殺す大蛇のように足を絡みつかせる。地面についた棒とキーリンの腕の間で、ヘイズの身体は浮いている状態となる。

 なおもヘイズの方が圧倒的に分の悪い体勢だったが、少なくとも二人に一瞬の隙をつくることはできた。

 キーリンは、ヘイズが微かに笑っていることに気がついた。

「デゼルト!!」

 キーリンは腕をとられて動きにくかったが、それでもデゼルトより先に視界に捉えることができた。しかし、デゼルトが防御態勢をとる時間はなかった。

 次の瞬間、シェルの蹴りはデゼルトの首筋を完全に捉えていた。デゼルトは、この場にいる中で一番良い体格をしていたが、それが小さな少女の蹴りで数メートル吹っ飛んだ。

(あのちっこい体格で、なんて蹴りだよ)

 軽さを速さでカバーするシェル。しかし、それでも限度があった。

 吹き飛ばされたデゼルトは、明らかにダメージを受けてはいるものの、すぐに起き上がった。やはりなかなか頑丈にできているようだ。

「むぅー」

 シェルは憮然としている。明らかに不満そうだ。

 シェルはチラッと背後を見た。そこには、少し距離をあけてエミルがいた。手に汗握って戦況を見つめているが、参戦する意思は感じられない。

「シェル頑張って! もう一息ですよ!!」

 シェルは〈アイちゃん〉を背負ったデゼルトに一瞥いちべつやると、再びエミルの方を見た。

 渾身の蹴りのダメージがこの程度であることが、たいそう不満なようだった。もっと本気で戦いたくてウズウズしている様子は明らかだ。

「あ! シェル、コスプレはダメですよ! コスプレ禁止!! ダメー!!」

 エミルは、両手をクロスさせ大きくバッテンマークを見せる。

「むぅー!」

 シェルはさらに不満そうになった。

(なぜここでコスプレって話が?)

 しかし、シェルは観念したのか、余計な動きは見せずデゼルトに相対し構え直した。キーリンのことはまったく眼中にない様子だ。

 キーリンは、シェルに相手にされないことに少しばかり寂しさを覚えたが、まずは目の前の相手を片付けなければと思った。

 腕をさすり、手を結んで開く。かなりうまくまっていたようで、腕にまだ痺れが残っていた。

 回復を待つ余裕もなく、ヘイズが棒を突き出して迫って来た。

「同じ動きはやめとけよ」

 キーリンは、再び棒の方向を変えられることを計算に入れ、なおかつ距離をあけすぎないよう身体を運んだ。一旦地面に深く沈みこむようにして、相手の懐に迫る。

 ヘイズの膝蹴りをかわし、浮上しながら身体を大きく半回転させ左肘を突き出した。遠心力を込めた肘で頸椎を狙うが、今度はヘイズが深く沈みこみ、際どくかわされてしまう。

 勢い余ったキーリンとヘイズは、もつれ合うように地面に転がる。

 停止したとき、下にいたのはヘイズだった。キーリンは体重をかけるが、それを棒で防いでいる。至近距離で均衡状態になった。

「お前、身のこなしはなかなかだが、最後のところが大雑把だな………ん?」

「ど、どうした……?」

 圧倒的に不利な体勢でこらえるヘイズは、すでに半分くらい勝った気でいるキーリンに怪訝な視線を送る。

 キーリンは、ヘイズの顔をまじまじと見ながら言った。

「お前、こうやって見ると、結構可愛いのな」

「は?」

「あ……………なに言ってんだ俺……」

 口が勝手に、という感じであたふたするキーリンを、ヘイズは腕と足の力で投げ飛ばした。キーリンの身体は、ヘイズの頭の上を通過していく。

 ヘイズが立ちあがると、キーリンはなおも動揺していた。いろんな意味で。

(だ、大丈夫か俺? いったいどうしたんだ……いや実際普通に可愛いとは……って、そういうことじゃなくて!)

「キーリン、大丈夫か!? それを使え!」

 デゼルトの声とともに、その背負っていたものがキーリンに投げて寄こされた。

 デゼルトはキーリンの様子の変化を見て、戦況が悪くなったのだと思ったようだ。やはり、武器を持っている相手に防御すら難しい状況でやり合うのは厳しいかと思い、いま手元にあって唯一防御に使えそうな物を渡したわけだ。

 キーリンはキャッチしながら、確かにこの軽さだったら使えるかもしれないと思った。耐久性は分からないが、棒の打撃を受けるくらいはできそうだ。それに、もしこれが壊したくない大切なものなら、相手の攻撃意欲を削ぐことができるかもしれない……と思ったが、ヘイズは遠慮なく突っ込んできた。

 棒を大きく振りながらも、うまく重心を調整し身体の軸はぶれない。遠心力をいなしながら、懐に踏み込ませないようにしていた。

 キーリンは、自分の身一つより動きが悪くなり、間合いを詰められてしまう。

 ヘイズの棒が勢いをもって振り下ろされる。キーリンは、手に持っていたものでそれをガードしようとする。

「アイちゃんっっ!!!!」

 エミルの悲鳴のような声が響いた。ヘイズはハッとする。エミルが本当に大事にしている相棒を、遠慮なく傷つけるようなことがあってはいけない。

 対するキーリンは、ヘイズの棒の速度が落ちた瞬間を見逃さず、無理な体勢ながら回し蹴りを一発見舞った。

 しっかりヒットはしたが、威力は弱くヘイズは持ちこたえる。

「へ、油断したのが悪いんだぜ……」

 攻撃を受けてしまったこととあわせ、ヘイズは露骨にイラッとする。不意を打つように棒を打ちおろすと、キーリンは同じように防御しようとするが、棒は寸止めされる。その代わり、ヘイズは右足を蹴り上げた。それは、見事にキーリンの股間にヒットした。

「なッ……!」

 悶絶するキーリン。それを冷笑し見下ろすヘイズ。

「お、お、お、お前、それでも本当に男か? 男なら、この筆舌に尽くしがたい悶絶は、見ているだけでも精神的ダメージが及ぶはず………」

「だから?」

「よ、容赦ねえ……」

 そのとき、デゼルトがキーリンと〈アイちゃん〉を抱え上げた。注意がそれたシェルから逃れてきたようだ。

「しまった!」

 ヘイズが声を上げる。

 キーリンほどではないが、デゼルトも身のこなしは常人離れしていた。隙をついた動きで、あっという間に距離が開いてしまっていた。そして、そのまま礼拝堂を取り囲む石造りのアパートの一つに逃げ込んだ。



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