キルムリー・トライアル -02-


(本当はもう少し穏便にやるつもりだったが……)

 〈アイちゃん〉を背負ったキーリンは、鼠色の外壁に挟まれた狭い路地を走る。

 路地に面して、店舗の小さな裏口や薄汚れた窓や鉢植えが並んでいる。荷物が積み上げられて通りにくい所も多い。

 路地は舗装されているが、それぞれの建物の小さな裏庭が連結されただけのようでもあり、人が通り抜けていくことをあまり想定していないように見える。しかし、彼はそこを走り、障害物があれば難なく飛び越えていった。

 後方には、持ち主を含む三人の姿があった。キーリンの後ろ姿を見失うまいと、食らいつくように追いかけてきている。

 キーリンは、指示を受けたときにもらった情報を思い出した。

(こいつの持ち主が……エミル・オレンセ。で、その後ろの帽子の男がヘイズ・ランバー。最後尾のちっこいのがシェル・ポリフィー……だな)

 事前に顔が分かる情報はもらっていなかったが、観察していてその他の特徴から判断はできた。

 キーリンは先頭を走るエミルと一瞬だけ目が合う。親の仇を見つけたかのような形相が怖すぎて、すぐ目をそらした。

(すると、見当たらないのがクロノ・ティエムとミスティー・シンプスか。女子三人が追いかけてくるのが理想だったんだけどな。ミスティーちゃんは改めて……)

 キーリンは後方の確認をすると、また軽やかに進んでいく。彼が進むことに集中すると、追いかける者たちとの距離はあっという間に広がっていく。


「何なんですかっ! あの身のこなしは……」

 エミルは息を切らし目を血走らせながら、半分以上キレ気味で言う。その視線の先で、〈アイちゃん〉を奪ったターゲットは、自分の背丈ほどもある大きな木箱を、建物の壁を利用して素早く飛び越えていく。

 追いついてきたヘイズとともにその木箱に駆け寄っても、同じことができるようには思えない。ジャンプしながら腕を伸ばし取りつき、気合を入れて這い上がる。

 先に這い上がったヘイズが木箱の上に立つ。

「いない……」

 入り組んだ薄暗い路地から、すでに逃亡者の気配はなくなっていた。

「あ、あ……アイちゃん……」

 顔面蒼白で動揺するエミル。その横でヘイズは後ろを振り返る。

「シェルも来た」

 エミルも振り返った。

 シェルは深く踏み込むと、建物外壁の配管と小さな突起を足場に一瞬で木箱の上にあがってきた。ほとんど壁を走っているように見える。

「あれれ……こういう動きって、みんな意外とできるものなんですか?」

「シェルを基準に考えない方が良いってミスティーが……」

 よく動くシェルを見たのは初めてだったが、ヘイズはミスティーが言っていた言葉を思い出した。そして、シェルの後ろからついてくる人の姿がないことを確認した。

(クロノとミスティーは来ないね。何となく分かってたけどさ……)

 ヘイズの脳裏には、余裕綽々しゃくしゃくで甘饅頭を頬張る二人の姿がありありと浮かびあがっていた。


 市場で賑わう中央広場から離れた一画。キルムリー市街地の端の方、入り組んだ路地で地元の人間でも敬遠する街の袋小路。

 この一帯は、かつて街道を行き来するならず者たちの止まり木として機能していたらしいが、善良な市民の地道な努力の結果、それらは一掃された。しかし、もともと住みやすい場所ではないこともあり、普通の生活圏として定着するまではまだかなりの努力を要することだろう。

 地区の中心部、周囲を石造りの荒廃したアパートに囲まれた中庭のような場所に、これまた見事に荒廃した小さな礼拝堂があった。最後に祈りが捧げられたのは、いつのことだろうか。

 罰当たりなことに、その礼拝堂の屋根の上、一番高い所で一人の男が胡坐をかいていた。デゼルトだ。先程まで口元を隠していたストールを下げ、首に緩く巻きつけている。

 そこにアパートの影から人が飛び移って来た。キーリンだ。足元に気をつけながら上がって来る。

「おう、ようやく来たか」

「悪い、少し手間取った。あいつら、やたら勘が良くて」

 キーリンは、背負っていた盗難品を下ろす。二人揃ってマジマジと眺めた。

 全体に施された黒系の塗装。形状は少し大きめのリュックサックだが、ショルダーハーネス以外は硬質で、ジャンクパーツでそれっぽい形状に組み上げただけにも見える。様々な構造物を確認できるが、各々の構造物それ自体に機能が割り当てられているようには思えない。

「本当に、なんでこんなに軽いんだ?」

 キーリンは持ち上げていろいろな角度から観察する。

 開け口を探すが、全く分からない。小さなポケットすら見当たらなかった。

「これ、鞄だよな? 買ったもの入れてたように見えたし」

 キーリンは、だんだん自信がなくなってくる。そもそも、彼らが購入していたものの分量を思い出すと、いま目の前にあるものに簡単に収まる気はしない。

「形はそう見えるけどな」

「だよな。そもそもアイツら、街に入る時点でこいつ以外まともな荷物を持ってなかったしな」

「一応、寝てたやつ以外は小さな鞄とか持っていたようだったけれど。そこに必要最低限のものを目一杯詰めてるとか?」

 デゼルトは苦し紛れに言ってみるが、自ら否定する。

「いや、さすがにそんな感じじゃなかったな。見た感じ、相当身軽そうだったし」

 キーリンは、デゼルトに投げてよこす。

「それで、結局これは何なんだ?」

 デゼルトは、改めてその軽さに驚く。それから、コツコツ叩きながら耳を澄ます。

「中が空洞ってわけでもなさそうだな。でも、重さから考えて、完璧に詰まっているとも思えないが」

「いずれにせよ、やつらはかなり必死に追ってきていた。それなりに価値のあるものなんだろうよ」

「団長がわざわざ指定したっていうのも気になるな。俺たち、盗賊団ってわけじゃないんだから、たぶん深い事情があってこういう指示を出したんだとは思うけど」

 デゼルトは、申し訳なさそうな顔をする。

「これ、最終的にはあいつらに返すんだよな?」

「さあな。奪った後は、次の指示をもらわないと分からない」

 キーリンはブツを抱えながら、足を伸ばし天を仰いだ。

「取り敢えず、幕営地に戻ったら、リブラにでも聞けばいい」

「そうだな。リュックと言うよりは、メカって感じだし」

 デゼルトも天を仰ぎながら寝転がろうとする。

 そのときだった。

「ぬおおおおおぉぉぉぉぉぉ!!!」

 礼拝堂の正面の空き地を猛然と突き進む人影。

「お、エミルちゃんだ! 俺を追いかけてきてくれたんだ!!」

「キーリン、言ってること自体に間違いはないと思うが、重要な勘違いに早く気付け」

 突発的にテンション急上昇のキーリンは、デゼルトの言葉にハッとして一瞬で真顔に戻る。

「……今のは冗談だ」

「ところで、どうしてここに辿り着けた? 地元の人間だって真っ直ぐ来れる所じゃないはずだろ……」

「よし、聞いてみよう!」

 キーリンは再び浮ついた声になって振り返る。

「ヘーイ彼女! どうしてここが分かったんだい!?」

 エミルは走りながらニヤリとする。

「キーリン!」

 デゼルトは叫びながらキーリンを突き飛ばした。

 その瞬間、二人の隙間を小さな人影が風のように横切った。キーリンが抱えていたものを、その指がかすめる。

 二人は、バランスを崩し屋根から転がり落ちそうになった所を必死に踏ん張った。すぐ視線を人影に向ける。

 人影は、両手をついて跳ねながら勢いを殺し、空中で体勢を整える。その両脚は、屋根の末端にピタリと揃う。ワインレッドの髪が残像のようになびいていた。

「チッ」

 捕らえ損ねた獲物を恨めしそうに眺める猛禽もうきんの目だった。

「シェルちゃんだね……ていうか、マジかよこの動き。こういう情報は事前に頼むぜ」

 キーリンは、デゼルトに突き飛ばされて屋根のへりに近い所にいた。〈アイちゃん〉を両手で抱え込みながら、中腰姿勢でシェルの出方をうかがう。デゼルトはキーリンより高い所にいた。

 シェルは、デゼルトには注意を払わず、キーリンだけを見ていた。より正確には、キーリンが抱える〈アイちゃん〉だけを見ていた。

(来た!)

 シェルは足場の悪い屋根の上で走り出す。薄い板状の瓦は、所々で剥がれたり、割れて破片が散乱していたりするが、ほとんどお構いなしだ。

(こんな足場の悪い所で追い詰められたら不利だ。とにかくデゼルトの方に……)

 キーリンは、より高い所にいるデゼルトの方に駆け出すが、登りはさらに進みにくい。思い切った踏み込みが厳しいので、一歩で距離を稼げない。

 そうしているうちに、シェルとの距離はグングン短くなってくる。

(安定した瓦を選んで進んでるのか……。ていうか、間に合わねぇ)

 キーリンは、シェルが瞬時に足場を選んでいることに気付き驚嘆するが、そのときには距離を詰められ過ぎていた。

「デゼルト!」

 キーリンは、抱えていたものを思いっきり投げた。シェルの手がかかりそうになったところで、またしても際どく逃れることができた。

 デゼルトはしっかり反応して、それをキャッチする。一方、キーリンは不安定な足場で無理に投げた姿勢のまま、シェルを迎え撃つ羽目になる。

(ヤベ……!)

 大きく振った腕は身体から離れた状態で、瞬時に防御の姿勢はとれない。

 全速力のシェルも止まることはできず、というより止まる気はなく―――ゴフッ!!

 シェルはキーリンに衝突する直前、器用に空中で姿勢を変え、都合の良いを足場に方向転換した。

「良い腹筋……」

 キーリンは間近で少女の声を聞けたことに少しばかり感動するが、一瞬遅れてやってきた腹への衝撃とともに、もともと不安定な姿勢だった身体が弾き飛ばされるのを感じた。

(ああ、誉められた。腹筋、鍛えてて良かった……)

 背中から落ちるように回転する中、シェルの後ろ姿は急激に遠ざかる。それは〈アイちゃん〉を受け取ったデゼルトの立ち位置と完全に被って見えた。

「キーリン!」

 デゼルトの声が聞こえたときには、身体は礼拝堂の屋根から離れ宙に放り出されていた。

(取り敢えず、うまく凌いでくれよ)


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