第3章 キルムリー・トライアル
キルムリー・トライアル -01-
モントシャイン共和国、キルムリー。
オヴリビ川とフーマ湖に挟まれたなだらかな平地に広がる街で、中心部を街道が貫いている。この街道は、モントシャインの各地方を結ぶ主要なルートの一つということにはなっているが、人通りはあまり多くない。
キルムリーは、首都ニヴィアミレージからはある程度距離がある。しかも、この先に旅の目的地となりそうな所もない。よって、街道の利用者の多くは、キルムリーそのものに用のある人、つまり、キルムリーの住民や近隣地域からの買い出し客に限られた。
キルムリーは、小さな生活圏を抱え、慎ましやかに維持される典型的な地方都市の一つだった。しかし、それでも十分な賑わいは見せている。働き者の多い土地柄に加え、農業、漁業に適した土地であることから、中心部の市場は常に活気に満ちている。
「昨日は結局現れなかったな」
「そうだな」
「今日は現れるんだろうか?」
「さあな」
「ずっとこうやって眺めてるのは暇だな」
「まあそう言うな。ギド団長直々の指示なんだ。よく励むべし」
キルムリー中央広場の東、背の高い石造りの建物の屋根に二人はいた。目立たないよう煙突に背を預けて腰をおろしている。
二人は同じくらいの背格好で、ともに少年以上青年以下という雰囲気だった。揃って中央広場の市場の賑わいに背を向け、東に伸びる主要街路を見ている。それは、オヴリビ川に沿って続く街道に至るものだ。
「そんなこと言ったってなあ……人なんてほとんど来ないじゃないか」
「そりゃそうだ。これより東は、まともな街なんてないからな」
一応、主要街道として十分な幅は確保されているが、人の姿は少ない。しかも、ほとんどは近隣の住民と見て分かるような格好をしていた。旅人らしいよそよそしさは感じられない。
二人は屋根の上から東側の偵察を続けるが、一人はキョロキョロと落ち着きなく辺りを見回し、もう一人は屋根の傾斜に背を預け寝転がるような姿勢。対照的だった。
一人が煙突に手をかけて立ち上がった。少しでも遠くを見ようとするが、それで視界が大きく変わるわけでもない。じれったそうに背を伸ばす。
「おい、立つな。目立つだろ」
もう一人は、寝転がった姿勢のまま怒気を含まない口調で注意する。
「へーい」
注意された方は、素直に腰をおろし
そのとき、寝転がっていた方が立ち上がった。
「おい、立つなって言ったのはそっちだろ?」
「来た。あれで間違いないだろ」
「マジ?」
二人は立ち上がって東からやって来た五人組を見つける。
「情報通りだ。あの年、あの背格好の五人組が東から来ることはそうそうない。見るからに不慣れな感じだし、決まりだ」
先に見つけた方が、小さな望遠鏡を覗きながら言う。
「ちょっと貸してみ」
もう一人も受け取った望遠鏡を覗き込んだ。渡した方は、その横で出発の準備をしながら言う。
「決まりだろ? さあ、仕事の時間だ」
「なあ、デゼルト」
「どうした、キーリン」
「ヤバいな…………」
それまでの気だるそうな口調から一転、キーリンは心の底から情感たっぷりに言った。
「あの子たち、超カワイイじゃねえか」
デゼルトは手を止めてキーリンを見る。その視線は、若干の呆れを含んでいた。
「くだらないこと言ってないで行くぞ」
「あの男、へらへら笑って気に食わねえな……場所変われよこの野郎」
「おい行くぞ」
デゼルトは、ギリギリと歯ぎしりしながら怨嗟の念を視線に込めていたキーリンから望遠鏡を奪う。
「どうせ今から会えるわけだしな」
「おうよ。首洗って待ってろよ」
*
「キルムリー到着だー!!」
クロノは両手を掲げた。基本的にテンションは高くないが、気まぐれに一瞬だけ急上昇させてみる。
「キャニーよりはだいぶ栄えていそうだね」
見える範囲の建物を観察しながらヘイズが言う。モントシャインに入ってから、このサイズの建物が並ぶ街ははじめてだった。
「思ったより……早く着きましたね……」
ミスティーがムニャムニャっと言う。朝が早かったせいか、いつも以上に眠たげな眼差しだった。
「……スー……スー………」
最後尾のシェルは、歩きながら寝ていた。クロノは、自分がどこでも寝られることを特技だと思っていたが、歩きながら寝るというのはその上をいくもの。素直に感嘆してしまう。
「シェル、着いたよー」
ヘイズの呼びかけに、シェルはうっすら目を開けるが、起きているようには見えない。
地図を持ちながらウロウロしていたエミルが戻って来た。
「もう少し行ったところに、大きな市場があるっぽいですね。そこで買い出ししておきましょうか」
国境の町キャニーで二泊して出発したのが一昨日の早朝。そのあとの道中は、小さな集落しかなかった。いずれも、屋根のある寝床と、その場で食べる分の食料の調達がギリギリで、ストックの確保ができるような感じではなかった。
モントシャイン共和国の中でも僻地に当たるエリアを進んでいるとはいえ、セントケージと比べると不便に感じる機会は多かった。今更ながら、衣食住で心配することのなかったセントケージの快適さを思い知る。
五人は、ざわめきに吸い寄せられるように歩いた。建物の密集度が上がっていく。
城門のような構造をした石造りのゲートを越えると、ざわめきが急に大きくなり、街の中央広場に至った。
「これだけ人が集まってるのを見るのは久々だな」
午後の広場は、本日分の魚や野菜が出揃い、買い物客で大いに賑わっていた。威勢の良い掛け声があちこちで聞こえる。並んでいる食材の種類は豊富で、クロノは今から夕食が楽しみになってくる。
「何を買っておこうか?」
「そうですねー。多少日持ちしそうな食材は買っても良いかもしれませんね。あとは、あると便利なアイテムとかあれば随時」
生魚はもちろん、燻製や塩漬けなども多く見られる。近郊の集落からの買い出し客も多いと聞くが、実際かなりの需要がありそうだ。
買い出しは主にエミルとヘイズが担当した。クロノは、年少組二人がはぐれないよう気をつけながらついて行く。
ミスティーは眠気も抜けてきたようで、興味深そうに並ぶ屋台を眺めている。
一方、シェルは相変わらずの歩き睡眠。涎でも垂らしそうな間抜け面を晒し、無警戒にフラフラしている。
人混みの中ではさすがに危ないので、クロノは手をつないで引っ張って行った。これが意外と目立つようで、「あら、妹さん?」などと声をかけられ、「起きたらあげてね」という言葉とともに、ニコニコ笑顔で様々な食い物をもらうことができた。
「こいつ、寝てるときの方が使えるな」
「同感です。むしろ、起きてると面倒なことにしかならない」
みずみずしい果実にストローを刺したジュースを味わいながら、クロノとミスティーはキルムリーを
どうやら、この三人で歩いていると兄妹に見える人は多いらしく、そういう声のかけられ方は多かった。
(妹がいたらこんな感じなんだろうか)
クロノは、ふとセントケージ出発の朝を思い出した。
「そういや、ミスティーには兄貴がいたよな?」
「いましたっけ?」
ミスティーは真顔で答える。
「え……セントケージを出発したときのアレ、兄貴だよな?」
「ああ……そう言えば」
ミスティーの口元が微かに引きつる。すごいテンションでミスティーの名を連呼しながら現れたシーンを思い出したのだろうかとクロノは思った。シェルが引いていたところからも、相当キャラの濃い人物であると推察される。
「そうですね。愚兄です、恥ずかしながら」
ズズズと音が鳴る。ジュースを飲み干したようだ。
「先輩は兄弟は?」
「俺はいないな。兄弟みたいなのはいっぱいいたけど」
「いっぱい……ですか」
それまで進行方向だけを見ていたミスティーは、クロノの表情を覗き込むように視線をあげた。
「あ、ちょうど良いところにゴミ箱発見」
屋台が切れた所に大きなゴミ箱が置かれていた。
「俺の分も捨ててきて」
クロノはシェルの手を引いているので、すでに飲み干していた空の果実をミスティーに渡した。
買い出しはじきに終わった。
セントケージをたって六日目。人の気配のない荒野を進んでいるわけではないので、極端に物資を消耗しているということもない。最低限の必需品は学園から支給されているし、それ以外にも本来なら持ち運び不可能なほど大量の荷物がある。
だから、ストックのゆとりと、旅をして新たに必要性に気付いた品の調達が主だった。いくらでも持ち運べるので、とりあえず買い込んで安心な状態にしておきたいという感じだった。
五人は、市場のある広場のはずれに行った。ざわめきは届くが、その一角はひっそりしている。
エミルは、石段の陰の人目につかないような所に買い物袋を下ろし、続いて背負っていた〈アイちゃん〉を下ろした。
改めて周囲の様子をうかがってから、エミルは買ったものを手際よく収納していった。〈アイシュ・ボーニッシュ機構搭載型マルチファンクションカメラ〉こと〈アイちゃん〉は、飲み込むようにペロリとすべての荷物を収めた。
エミルがポンと軽く叩くと、〈アイちゃん〉は細かい歯車が
「さて、これからどうしましょうかね? まだ時間はありますが」
エミルは〈アイちゃん〉を背負いながら言った。買い出しがスムーズだったので、日はまだかなり高い。
しかし、クロノとしては、用がないならさっさと宿を確保してダラダラしたかった。
「早めに宿を見つけて、旅の疲れを――」
「何か甘いものでも食べたいですね」
クロノが言い終わる前に、ミスティーが提案する。
「お前、結構食ってただろ」
「私の見立てでは、あそこの屋台の甘
やはりクロノの発言は見事にスルーされる。そして、ミスティーの提案は、エミルとヘイズの賛同を得た。
結局、五人中三人の賛成により、甘饅頭の屋台に向かうことになる。エミル、ヘイズ、ミスティーは、せっかくの賑わいをもっとエンジョイしたいという気持ちがありありと分かる感じだった。
屋台の近くにちょうど丸テーブルと椅子がいくつか配置されていたので、そこを陣取ることにする。呆れを通り越して感心すらしたくなるシェルを椅子に座らせ、クロノも隣に座った。
エミルたちは、大皿に甘饅頭を積み上げて戻って来た。
「可愛いからサービスだってさ」
皿を両手で運んできたヘイズが苦笑いする。
三人も席についた。席が六つあったので、〈アイちゃん〉はエミルの横の椅子に置かれた。
テーブルの中央に置かれたそれをクロノはまじまじと見る。一口サイズの饅頭は、甘い香りをほのかに漂わせ、間違いなく美味そうだったが、それでも多すぎる。軽く一食分はあるだろう。
「今晩は、夕食なしでも大丈夫そうだな」
「確かに」
ヘイズは答えながら甘饅頭を口に運んだ。
「わあ、美味しい……」
エミルも同様の感想を言い、ミスティーは無言で堪能している。
クロノも一つ口に入れた。
「確かにこれはいける」
一つ一つが小さいので、すぐに二つ三つと食べてしまう。それから、隣のシェルを見た。椅子に座ってますます爆睡している。
クロノは甘饅頭を一つ取った。そのままシェルの口の前にかざした。
すると、シェルは小さく反応し、口を小さく開ける。クロノは甘饅頭をその中に押し込んだ。
もぐもぐもぐ………………スー………スー………。
寝顔が少し幸せそうになった。
「こいつは凄いな」
面白くなってきたクロノは、さらにもう一個を口の前に持っていった。再びシェルは頬張って
クロノは自分の鞄をあさり、ノートとペンを取り出した。
「せっかくだから記録しておこう」
一つ口に運んで、ノートにペンを走らせる。
研修レポートのために日記をつけることは、いつの間にか習慣になっていた。たいていは、こういった隙間時間を利用して書き留めている。
宿についてからは存分に休みたいので、その前にほぼ片付けておきたいということなのだが、クロノは自分が案外マメなこともできるんだなと思った。
日記を書いている間、エミルもシェルに甘饅頭を食わせていた。
「これは見てて飽きないですね。そうだ、映像に……」
エミルは、シェルの幸せそうな顔を見ながら隣の椅子に手を伸ばす。
スカッ……スカッ……。
その手は、触れるべきものに触れられない。さらに伸ばすと、椅子の座面や背もたれを撫でることになる。
エミルは振り返る。一瞬、凍りついたように固まり、それから―――。
「ぅぅうぎゃあああぁぁああぁぁぁぁぁ!!!!」
この世ならざるものの
クロノ、ヘイズ、ミスティーもすぐに状況を理解した。
盗難だ……。〈アイちゃん〉が盗難された!
これはシャレにならない事態だ。これだけは本気でヤバい!!
四人の視線がはずれたのは、本当に僅かな時間だった。つまり、犯行はその僅かな―――。
「先輩! あれ!」
ミスティーが指差した先には、〈アイちゃん〉を抱えた男の姿。まだ大した距離はない。
クロノより少しばかり高い上背。口元にストールを巻いていて顔はよく分からない。
「ふぉがががががぁぁぁぁぁ!!!」
エミルは椅子を弾き飛ばすような勢いで立ちあがり駈け出した。ヘイズもほぼ同じタイミングで走り出していた。
「やばっ……もう気付かれた」
男も走り出そうとする。すると、そこにもう一人男が現れた。視界の外から跳び込んできたようだ。
「早くよこせ! 俺が持って逃げる!」
「ほれ」
「軽っ! なんだこれ!?」
後から現れた男は、ストールで隠していないので、クロノからも顔が見えた。たぶん大人ではない。
その男は〈アイちゃん〉を背負うと、一足飛びに人の頭を越えていった。腰に巻いた布がはためく。
(どれだけ身軽なんだ……)
男は、深く踏み込んだわけでもないのに、伸びやかな跳躍を見せる。その軌跡は異様な線を描いた。
もう一人の男は、注意がそれた隙に人混みをかき分け、別の方向に駆けていく。
ガタッ。
突然、クロノの隣でシェルが立ち上がった。
「なんか楽しそう……」
寝起きとは思えないほど目が輝いていた。一瞬で甘饅頭を頬張り、さらに両手に二個ずつ掴む。
それから〈アイちゃん〉を背負った腰巻き男を追いかけるエミルとヘイズの後を追うように、シェルも走り去っていった。
嵐が過ぎ去った後のように、その場はほどほどの落ち着きを取り戻した。
「お前も追いかけろよ。一大事だぞ」
「先輩こそ、甘饅頭の見張りは私に任せて、追いかけていいですよ」
クロノとミスティーは、同じタイミングで、まだ残っている甘饅頭を口に運んだ。
「俺はあいつらを信頼してるからな」
そう言いながらも、クロノの脳裏に不安がよぎる。〈アイちゃん〉を取り返せない可能性は考えていないが、面倒な事態を引き起こすのではないだろうかと。
エミル、シェルは、セントケージ学園で騒ぎをとんでもなく大きくした首謀者たちであり、破壊の権化だ。よくよく考えると、心配にならなくもない。
「私は、逃げるのは得意なんですけれど、追いかけるのはちょっと」
ミスティーはそう言うと、騒がしい面々が消えていった方向を眺め、次の饅頭に手を伸ばした。
*
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