旅の仲間(仮) -05-


 引き続き、左手にオヴリビ川を辿る街道歩き。出発して二日目の行程である。

 クロノは、歩き始めてから間もなく、なんだか気が重くなっているのに気がついた。特に理由は思い当たらないが、油断をすると「疲れた」とか「飽きた」という言葉が出てきそうになる。しかも、昨日とは違い、言っても笑って流せない気がするのが困りものだった。昨日出発早々に悪態をつき始めたシェルが、逆に自分たちの中で一歩先を行っているような気がして、なぜだか無性に尊敬したくなってくる。

 隊列は、いつの間にか定位置が決まってきていて、先導するエミルと補佐をするヘイズが先頭、少し間隔をあけて独り歩きのシェル、さらに間隔をあけてミスティー、最後尾がクロノだった。クロノから普通の音量で声が届くのはミスティーまで。その前のシェルでさえ、かなり声を張り上げないと届かないくらいの距離があいていた。

 当然、互いに会話はほとんどない。ただ黙々と歩き続けるだけ。しかも、道は昨日よりさらに単調なものに感じられた。だからと言って険しくないわけではないのだが、同じような調子で続いて行くので、先に進んでいる感覚がなくなっていく。身体が慣れてきたと言うこともできるが、今はむしろ多少の刺激が欲しいくらいだ。

 なぜ俺は今、こんなところで黙々と歩き続けているのだろうか? なぜ暖かいベッドで目覚める権利を奪われてしまったのだろうか? なぜ―――。

 一旦は鎮火されたと思っていた、理不尽に対する消化しきれないもどかしい感情が再燃してくる。ただし、クロノの思考メカニズムからいって、それは決して沸騰したりしない。なんとなく沸々としているだけで、結局爆発はせず、いつの間にか有耶無耶になって消えてしまうのである。

 会話のない時間が続いて、クロノは無駄に思考を巡らせ、今さら当たり前のことを思い出した。

 俺たちは、だいたいみんな一昨日が初対面。国外に出るという極めて特異な境遇を共有している分、通常よりも打ち解けやすいとは言えるかもしれない。しかし、それでも本当は互いのことなど、ほとんど分からない。

 無難な会話をつなぐことはできるかもしれない。でも、一度会話が途切れた後、いったい何をすれば良いのかが分からない。

 本当は、こういう重い空気を軽く吹き飛ばすのが、デキル先輩ってやつなのかもしれない。しかし、自分がそういうキャラではないということを、クロノはしっかりと思い出した。何の前触れもなく始まった非日常にも少しずつ順応してきて、自分の本分というやつを取り戻しつつあった。

 そう、俺は、流されるままに。それがクロノ・ティエム。

 クロノは、迷子になっていた自分の半身を見つけ出したような心地になり、安堵感を得る。同時に、もやが晴れるみたいに視界がクリアになっていく気がした。

 視線は、ほんの少しだけ上向きになる。一つ前を歩くミスティーの足元までしか入っていなかった視界が、より多くを捉えることになる。見通しの悪い森に、地面をえぐるようにして通された街道。

 不意に、違和感をキャッチする。

「シェル?」

 クロノは、シェルの様子がおかしいことに気付いた。シェルはミスティーのだいぶ前を歩いているが、少し背を丸め、自分の足元だけを見ながら細かく蛇行して進んでいる。段差に足を取られ、前のめりに加速しては立ち止まり、木立に手をついて体勢を戻す。

 クロノは歩行速度を上げ、まずはミスティーに追いつく。

「先輩?」

「なあ、シェルの様子、おかしくないか?」

 クロノは、ミスティーの答えも聞かずに追い抜かす。ミスティーもすぐに異変に気付く。早足のクロノの背後についていく。

 ほとんど駆けるようにシェルの背中を目指す。すると、シェルの足が止まる。

 背後から近づく二人に気付いたのかと思ったが、直後、シェルは膝を折るように体勢を崩してしまう。

「シェル!!」

 完全に地面に倒れる前に、クロノは滑り込むようにその身体をキャッチした。

「おい、大丈夫か?」

 焦点の定まらない視線。頬は紅潮し、浅い呼吸を繰り返している。

 先頭を歩いていたエミルとヘイズも異変に気付き引き返してきた。

「どうしましたか?」

「シェル……」

 クロノは、エミルの問いには答えず、シェルに呼びかけ続ける。代わりに、ミスティーが状況を説明した。

「とりあえず、身体をラクにできる所に」

 ヘイズは、近くの太い木の根元に誘導する。下にマットを引いて、シェルを座らせる。シェルの小さな身体は、幹の凹凸にうまくはまる。

 シェルの視線は、ようやくクロノを捉えた。

「クロノ……? 私……」

「シェル! 気付いたか?」

 シェルは、まだ状況が分かっていないらしく、力なく視線を彷徨わせる。

「シェル、倒れたんだよ」

 ミスティーが簡潔に説明する。それを聞いたシェルは、先生に叱られた子供のように、唇を結びつつシュンとしてしまう。

 救急セットを取り出したエミルが体温を測ると、かなりの熱があった。

「これは、いきなりじゃありませんね。いつから調子悪かったんですか?」

 エミルの口調は、決して責めるようなものではなかったが、シェルは黙って下を向いてしまう。代わりに、ミスティーが発言した。

「たぶん、昨日の夜の時点ではすでに。本人は大丈夫だって言っていましたが」

 その時点では分からなかったようで、確信はないようだが、ミスティーはこの状況から逆算して答える。

 言われると思い当たる節はある。まだ普段の様子が分かるほどの付き合いはないが、それでも昨晩は明らかに元気がなかった。食欲もなかったみたいだし、口数もやはり少な過ぎた。単に機嫌が悪いだけかとも思ったが、今思えば、あのときすでにかなり調子が良くなかったんだろう。

「なんで言わなかったんだよ」

「だって……」

 何かモニョモニョ言っているが、よく分からない。

「まあいい。少し大人しくしてろ」

 シェル以外の四人は、数歩離れたところで、広げた地図を囲んで話し合いを始めた。

「先はまだだいぶありますね」

 エミルは、本日の目的地であるキャニーを指差した。オヴリビ川と国境線の交点。そこから街道を逆に辿り、現在地で止める。地図上で見る限り、距離的には本日の行程のちょうど真ん中あたりに来ているようだった。

「もう少し手前だったら、小屋まで引き返すという手もあったけど」

「そうですね。でも、私たちは、川に沿って下流に向かって進んできたわけなので、引き返す場合は登りになります。だから、やっぱり戻るというのはナシですね」

「野宿も避けたいな。夜はかなり冷えるし、学園長にもかなり強く言われたしな」

「そうすると、日が落ちる前にキャニーに到着するしか……」

 一同は考え込む。そして、シェルを見る。明らかにぐったりしていた。

「この距離、日が落ちるまでに歩き切るのは厳しいと思う」

 ヘイズの言葉に、異を唱える者はいない。シェル本人を除いては。

「私は……もう、大丈夫……」

 シェルは背後の幹に手をついて立ち上がろうとする。しかし、踏ん張りがきかない。

 クロノはとりあえず身体を支えようとする。

「あっち行って……」

 シェルは手を差し伸べたクロノを振り払うようにする。そして、少しばかり咳き込んだ。

「大丈夫か? 無理せず座ってろ」

「うつるから、あっち行って……」

 ―――なるほど、そういうことか。

 うわ言のように力なく繰り返すシェルの言葉を聞き、クロノは合点がいく。そして、やっぱり昨晩の時点で調子が悪く、しかも自覚もあったのだと確信した。寝しなに言われた「あっち行って」も、体調不良を悟られたくなかったか、もしくは、うつしてしまうことを避けるためだったのだろう。

 誰がどう見ても大丈夫ではない今の状況でもなお強がるところを見ると、精神的には相当タフなようだ。当然、最善の選択とは程遠いわけだが。

 クロノは意見を述べる。

「昨日の早朝セントケージを出発して延々と歩き、キャニーまではあと数時間。シェルにはもう少しだけ根性を見せてもらおう。温かくてしっかり休める場所まで、さっさと行くべきだ」

「え? シェルを歩かせるんですか?」

 エミルは、頭ごなしに反対はしないが、ビックリしたように聞き返す。しかし、クロノは首を横に振る。

「違う。ここから先は、俺が背負っていくよ」

「この道をずっと背負って?」

 ミスティーも聞き返す。

 戻ることは厳しい、野宿も避けたい。それならば、キャニーに進むしかない。しかも、日が暮れるまでに。そして、シェルの回復を待っていては、それはほぼ不可能だ。

 その意味では、クロノの提案は極めて合理的と言える。ただ、一番の懸念材料は、本当に背負って歩き続けられるのかということだ。

 背負って歩くなら、華奢なヘイズよりはクロノが適任だろう。体格的には、パーティーの中で一番しっかりしている。そもそも、日常的に根性が足りないだけで、実は体力が足りていないわけではない。

「今できる最善の策だろう。少しでもキャニーに近づいておくべきだし」

 無理なら、そのときは野宿となるかもしれないが、最悪、キャニーに走って医者を呼ぶことが出来るかもしれない。

「任せろ。俺は、やるときはやる男だ」

 クロノは、ツッコミを期待して少し大げさに胸を張った。でも、他の面々は考えあぐねていて、その余裕はなかった。そして、最初に口を開いたのはヘイズだった。

「よし、クロノの提案でいこう。クロノは、やるときはやる男だよ」

 その口調はふざけたものではなく、不思議と強い信頼を感じさせるものだった。その妙な説得力に、エミルとミスティーも賛同する。

「というわけだ、シェル」

「だから、うつるって言ってるでしょ」

 シェルは、なおもクロノが近づくことを拒もうとする。

「そう簡単にうつされねえよ。むしろ、うつせるもんならうつしてみろって」

 少し強引な口調のクロノ。

 シェルは動きを止める。そして、黙ってクロノの顔を見つめた。

「……分かった。でも、もう歩ける」

 シェルは、また立ち上がろうとする。クロノは、それを制する。

「あー、ハイハイ。ちょっと待て。座って俺の話を聞いてくれ」

 シェルは素直に従う。クロノは、その場で片膝をついてシェルの顔を覗き込む。

「シェル、お前、なんで体調が悪かったことを言わなかったんだ? 昨晩の時点で、自覚あったんだろ?」

「それは……」

 シェルは視線をそらして言い淀んだ。

 クロノは、その心中を察して述べる。ゆったりと語るが、ただ優しく穏やかなだけではない。微かな苛立ちを混ぜ込み、相手に気付いてもらいたいと思っている。

「迷惑がられると思ったんだよな? 出発早々足を引っ張るのが嫌だったんだよな?」

 シェルがかなり強情な性格であることは、このわずかな期間でも十分に分かる。

 シェルは否定しない。それは、肯定のサインと言えるだろう。

「まあ、それ自体はそんなに悪いことでもないと思うんだけどな……まあ何て言うか、あれだ。自分の身体は大事にしろ。そして、ちゃんとに周りを頼れ。変に無理をせずに言うんだ」

 頼ることに関しては一家言を持つと自負している俺が言うのもなんだが。

「あと、頼るのは俺でなくてもいい。俺でなくてもいいけれど、誰か一人には伝えておくんだ。それだけで全然違うから」

 シェルはしっかりと聞いていた。クロノの目を真っ直ぐに見ていた。

「分かったか?」

「うん………分かった」

「よし」

 クロノはほっとする。すると、様子を見守っていた他の三人も同じようにほっとしたようだった。

「キャニーまで背負っていこうと思うんだが、大丈夫そうか?」

「たぶん。……きつかったら言うから」

 シェルは、視線を一度地面に落としてから、再び上げて、クロノを見る。

「むしろ、クロノの方が大丈夫?」

「まあ、何とかなるさ。俺もきつかったら言うから」

「分かった」

 クロノは、それまで背負ってきた小振りな革のリュックをエミルに預ける。

 エミルはそれを受け取りながら、逆に何かを手渡してきた。

「シェルのことはお任せしますが、せめてもの差し入れとして、これを受け取って下さい」

「何だこれは?」

 クロノの手には、ただの紐っぽいものが乗っていた。木綿地の柔らかな肌触りで、幅の広い平紐だ。

「おんぶ紐です」

「おんぶ紐か。〈アイちゃん〉には、妙なものも収納されてるんだな」

 別に変わった特徴はないので、ただの紐ではないだろうかと思ったが、何だか不毛な会話が始まる気がして聞き返さなかった。

「やり方、分かる人……」

 誰も手を上げない。

「適当にやればどうにかなりますよ、きっと」

 ミスティーがかなり無責任な発言をする。しかし、実際よく分からないので、実践あるのみだ。

 というわけで、クロノはとりあえずシェルに紐を巻きつけていった。あまり緩いのは良くないだろうと思い、少しきつめに。

 シェルは何も言わず大人しく従っている。そして、クロノの感性が形となる。

「なるほど、全然分からないな」

「クロノ、何か違う気がするんだけど……」

 シェルは身をよじろうとするが、ほとんど動けない。

「これは……単に縛り上げただけの気が」

 ヘイズの言うとおりだった。シェルは適当に縛られ、単に身体の自由を奪われただけだった。

「具合が悪くて衰弱している所に緊縛とは、マニアックな……。さすがにドン引きです」

 ミスティーがリアルに引いていく。

「いや、違う! そんなつもりは……て、そちらは何をやっている?」

 ビデオカメラモードの〈アイちゃん〉を肩に乗せ、レンズを向けるエミル。

「はっ! つい癖で、一部始終を記録してしまいました」

「エミル先輩、それは証拠映像としてしっかり保存を」

 エミルはモニターを見ながらチェックする。

「これはなかなかヤバイイ感じのが撮れましたね。頬をほんのり赤らめているシェルの表情が見事に背徳的で……。あ、ここ。身をよじって戸惑いながら上目遣いで……」

「いや説明しなくて良いから! というか、遊んでる暇はないだろ!」

「あ、そうでした」

 〈アイちゃん〉をリュックモードに戻して背負うと、エミルが近寄ってくる。そして、素早く紐をほどいて持ち直す。

「クロノさん、普通にシェルのこと、おんぶしてください」

 クロノとシェルが目を合わす。クロノは少し気恥ずかしさもあったが、シェルにそんな様子は見られない。

 ま、俺だけ気にしててもしょうがないか……。

 クロノは、シェルに背中を向ける。シェルはその背中に身を寄せた。

「ちょっと汗臭いかもしれないが、許してくれよ」

 クロノがそう言うと、シェルは無意識のうちにクンクンしてから、ギュッとしがみつく。

「別に問題ない」

「わざわざ嗅ぐなよ」

 クロノは背中のシェルを支えながら、ゆっくりと立ち上がった。シェルは見た目通り軽く、これなら行けそうだと思った。

「はい、じゃあ、そのままじっとしててくださいね」

 そう言うと、エミルは紐を巻いていく。シェルの背中から通して、クロノの正面で交差してまた背面へ。

「ちょっと手をどけてください……はい、こんなもんですかね」

 クロノは両手を完全に離した。

「おお、これはいい」

 シェルの身体はしっかりと安定している。そして何より、両手を使えるのが良い。やっぱりこの道で手が塞がっている状況は危険だ。

「シェル、苦しくないですか?」

「意外と快適。今後はずっとこれでいいかも」

「いや、良くないから。さっさと回復させろ」

 ようやく再出発の準備が整い、一行は進むべき方角を向いた。目指すは、国境の町キャニー。

 エミルは、地図と時計を確認する。

「少しペースを上げますが、厳しいときは早めに言って下さいね」

「隊列はどうします?」

「僕が最後尾に行くよ」

 先頭から、エミル、ミスティー、クロノwithシェル、ヘイズ。みんな、これまでとは明らかに顔つきが変わっていた。

「よし、大丈夫だ。行こう」

 クロノは、今までより重みを増した一歩を踏み出した。これがラストスパートだ。



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