旅の仲間(仮) -03-


 森の中が薄暗くなってきた頃に、本日の目的地である無人小屋に到着した。

 まだ空は青かったのだが、森の中はすでに不気味な夜の気配を漂わせつつあった。当然、全員がこのような旅に不慣れだったので、一様に安堵の表情を浮かべた。

 これで、セントケージ城壁部から、国境ゲートのあるキャニーまでの道程のちょうど真ん中あたりに達したことを意味する。

 道幅が急激に広くなり、そのままなだらかな雑木林になってきたところに、小屋が静かに佇んでいた。極端に大きいわけではないが、見るからに頑丈なつくりのログハウスだった。太い丸太で支えられた土台の上に立っているので、屋根もかなり高い。

 クロノはすぐ中に入って大の字になりたいと思ったが、日が落ちてしまう前に周囲の確認をすることになった。全員でぐるりと一周する。

 小屋の裏は、緩やかな斜面になっていて、大きな岩の隙間に刺さっている細いパイプから湧き水が出ていた。その下に大きなたらいが置いてあって、透き通った水が溢れだしている。

 一すくいして口に運ぶ。

「うまい」

 水の心配はないようだ。

 また、小屋の外壁部には、薪が高く積み上げられていた。視線を上げると、壁の高い所から煙突が出ている。

「暖房も問題なさそうですね」

 日が陰って急激に気温が下がってきていたので、これはありがたかった。

 周囲の確認を一通り終え、五人は小屋の中に入った。

 窓はどれも小さかったので、中はすでにかなり暗かった。まずは石積みの立派な暖炉に火を入れた。薪が少し湿っていて手間取ったが、すぐに大きな炎となる。小屋の中を暖気が巡っていく。

 クロノは、ようやく人心地ついて小屋の内部を眺めた。

 小屋の中は屋根までかなりの高さがあって、思ったより開放感があった。入口から見て左手の壁に大きな暖炉があり、右手には梯子のように急角度の階段があり、その上がロフトになっている。暖炉のところを除いてすべて板の間。家具類は一切存在しないシンプルな空間だった。

 クロノが暖炉の前に座ってただ火を眺めているその後ろで、エミルが〈アイちゃん〉から必要なものを取り出していく。夕食のための食材、調理器具一式、コンロ。

「マットもいりますか?」

「あった方が良いね」

 エミルの手伝いをしているヘイズが答える。

 小屋の内部はかなり綺麗だったけれど、ゴロゴロするにはマットがあるとベター。クロノは動かずして環境が整えられていくことに感謝する。

 その他にも、寝袋など、今晩必要なものすべてが取り出された。

 エミルは手際よく調理を開始し、それをヘイズが補佐していた。二人とも手慣れた感じで、他の三人の出る幕はないようだった。今後旅を続けていく上で、食事が保障されるというのは素晴らしい。

 一方で、年少組二人は、かなり自由だった。揃って手伝う気は皆無。

 シェルは、薄暗い壁際で膝を抱えてムスッとしているように見えた。暖炉の温もりはギリギリ伝わってくるくらいの距離だが、角度的に暗くなっている。時々大きく燃え上がった拍子に明るく照らし出されるくらい。

 ミスティーは……。

 クロノは座ったままぐるりと見渡す。

「いない。なぜだ?」

 暖炉から離れればその分暗くなるが、それでも姿形が分からないほどではない。

 クロノが不思議に思っていると、ロフトの上からミスティーの頭がひょっこり現れた。いつの間にか、上にあがっていたようだ。

 ミスティーもクロノが見ていることに気付く。そして、何やら手招きしている。

 少し面倒だと思ったが、エミルとヘイズがせっせと動いている横でただ座っているのもどうかと思い、立ち上がった。後輩の相手をするというのも立派なミッションだと自分に言い聞かせて。

 梯子状の階段を使って、十分な広さのあるロフトに上がる。下よりも暖かい。

「どうした?」

「こんなものを発見しました」

 ミスティーは一冊のノートを持っていた。少し古そうだったが、学生が使いそうな普通のノートだ。

「これで事件の全容解明につながると期待されます」

「いつどこでなんの事件が起きた」

 ミスティーは事件の内容には触れず、ノートを一ページずつめくっていく。

「何が書いてあるんだ?」

 ミスティーは真剣そうな眼差しをノートに向ける。

「実はですね……ここは薄暗くて、字がよく見えないんですよね」

 ミスティーは、ノートを持ち上げ暖炉の方向に向けて広げるが、それでもかなり見にくい。

「俺を呼ばずにお前が下りてくるべきだったな」

「いえ、クロノ先輩を呼んだのはただの嫌がらせが目的だったので。憂さ晴らしできて、今、最高の気分です」

「分かっててやったのか!」

 結局、ロフトから下りて暖炉の近くに行く。板の間の上にノートを広げ、それを二人で覗き込んだ。

「何か面白いこと書いてありますか?」

 エミルが料理の手を休めずに言う。

「俺はもうダメだ。だから最期の言葉をここに書き記す」

「いや、捏造するな」

 それは実際のところ、過去の宿泊者たちが暇つぶしのため書き記したメッセージを蓄積したもので、目ぼしいネタを含んでいるようには見えなかった。斜めに読みながら、どんどんページをめくっていく。そして、書き込みのある最後のページまで行く。

「どうだった?」

 ヘイズも尋ねる。

「どうって言ってもな。普通に、俺たちと同じようなシチュエーションのやつらが書き記したんだとしか」

「それは、私たちみたいな学生が書いたってことですかね?」

「ノリ的にそんな感じだな」

「日付とか書いてない?」

 ヘイズの言葉に、クロノはハッとする。最後の書き込みから逆に辿っていく。

「ありました」

 ミスティーが指差す。

「10年前だな」

「先輩……。この道を学生が通る状況というのはかなり限られています」

「だな」

 10年前の日付の入った書き込みの後にも、筆跡の異なる複数の書き込みが存在する。内容を見る限り、いずれもセントケージの学生のように見える。すなわち、最近10年間で、このノートに複数の学生が書き込みをしたことになる。

 セントケージの城壁はおろか、学園の敷地からもほぼ出ることを許されない学生たちによる書き込み。内容以上に、書き込みが存在しているという事実そのものが重要だった。

「クロノ先輩は、校内新聞を読んできましたか?」

 クロノは、ミスティーの質問の意図をすぐに察した。昨晩の話を思い出す。

「読んではないけど、新聞部から直接話を聞いた。少なくとも最近三十年は、セントケージ・スカーレットが発行されてないって」

「明らかな矛盾ですね。セントケージ・スカーレットは極めて例外的な措置だと学園長が言っていましたし」

 これはどういうことなんだ? いったい何を意味している?

 考え込むクロノの隣で、ミスティーも頭の中を整理しているようだった。開かれたページを凝視しながら固まっている。

 暖炉で薪が弾ける音がやけに大きく感じられる。炭化した薪が崩れて舞い上がった火の粉が煙突に吸い上げられる。

 クロノは、火かき棒で少しならしてから、追加の薪を突っ込んだ。

「できましたー」

 エミルの声がする。いつの間にか、小屋の中には食欲をそそる良い匂いが充満していた。空腹感が急激に増してくる。

「ほら、もう食事にしようぜ」

 ミスティーはなおも難しい顔をしていたが、ここでこれ以上考えても簡単に結論が出るわけではない。それより、しっかりと飯を食うことの方が今は大切だ。

「シェルー、肉ですよー」

 エミルは、壁際のシェルに呼びかける。シェルは緩慢な動きで立ちあがると、黙ってこちらにやってきた。テンションが上がる気配は一向になかった。

 ミスティーもその動きを目で追っている。シェルはミスティーの横に座った。

 ヘイズが盛り付けをして、その皿がクロノに渡され、隣のミスティーに渡され、シェルの前に置かれる。シンプルだが、これぞ肉という感じの肉料理。

「うまそうだな!」

「今日はずっと歩いていたので、しっかり食べて体力を回復させましょう」

 当たり前だが、みんな思いっきり腹をすかせていたので、料理はあっという間に平らげられた。身体がいつも以上に欲していたことを差し引いても、料理は非常に質が高かった。限られた調理環境と限られた時間の中であってもこれだけのものをつくれるというのは、頼もしいったらありゃしない。

 しかし、肉好きと思われたシェルは意外と小食だった。メンバーの中でもかなり小柄だが、それでも今日の行程を考えれば、もう少し食べそうなものだ。

「シェル、デザートはないよ?」

「分かってる」

 ミスティーが話しかけても、反応は最大でワンフレーズ。他の人の会話に混ざる気もないようだった。

 片付けをした後は、みんなで暖炉を囲んで談笑した。

「ノートは、何やらネタの香りがプンプンしてますね!」

「今は、完全に情報不足だけどな」

「この先進めば、おいおい分かっていくんじゃないかな」

 エミルはミスティーが見つけたノートにかなりの興味を示すが、クロノは逆にすでに興味を失っていた。

 暖炉で揺らめく炎。その炎が唯一の光源となっている小屋の中は、そのダンスと同様にユラユラと心地よく揺さぶられる。パチッパチッと手拍子のように小気味良く火が弾ける音が、この四角い箱のような空間で軽やかに反響していく。

 早朝から歩き続けていたことによる肉体的疲労と程よい満腹感。それにこの暖炉があれば、思考が段々鈍くなっていくのは、当然のこと。

 クロノは隣を見る。ミスティーは目をトロンとさせ、今にも瞼が落ち切ってしまいそうだった。

 クロノは、エミルとヘイズにジェスチャーを送る。

「今日は早かったし、明日もまたたくさん歩かないといけないので、そろそろ就寝しましょうかね」

 エミルは立ち上がって、ミスティーの隣にやってくる。

「ミスティー、寝袋で寝ましょうね」

「……あ、はい」

 エミルに肩をポンポンと叩かれ、ミスティーは立ち上がる。

「シェルも行きますよー。大丈夫ですか?」

「うん……」

 シェルは、すぐには立ち上がらないが、力なく返事をする。

「どう寝る?」

「ロフトの上と下で分かれましょうか」

「女子三人は、上の方が良いか? 暖かいしな」

「そうですね。女子三人は、より安全安心快適な上で。乙女の領域ですね」

 クロノは、寝袋を三つ手に取り、エミルを見る。エミルは〈アイちゃん〉を背負ってから、眠たげなミスティーの身体を支えている。

 クロノは、シェルを見る。シェルは、ようやくゆらりと立ち上がったところだ。

「あ、それは適当に投げ込んどいてください」

 クロノは、寝袋をロフトの上に投擲とうてきした。

 ミスティーが先に階段を上がり、続いてエミル。最後尾でシェルが待っている。フラフラしていて危なっかしい。

「大丈夫か?」

 クロノが近づこうとすると、黙ったまま手で制止される。クロノは立ち止まってから、優しげに話しかける。

「今日はまだ初日だからしょうがないけど、シェルとも徐々に打ち解けていけると良いと思ってるよ。旅の仲間なわけだしな」

 クロノは返答を期待していなかったので、そのままオヤスミと言って立ち去ろうとした。しかし、予想に反してシェルは言葉を返した。

「旅の仲間? 私は仲間とか全然思ってないからあっち行って。急ごしらえでいきなり仲間になるはずないでしょう」

 シェルは、感情的というわけでもなく、ただ淡々と言った。そして、そのまま階段を上がっていった。

 クロノは、その場でしばし立ち尽くす。

「あちゃー」

 どこで気に障ったんだか……。なかなか難しいなあ。

 クロノは、ロフトの下のスペースですでに寝床の準備を粛々と進めていたヘイズのところに行った。マットが敷かれ、寝袋が広げられていた。寝袋の間の距離は無駄に遠い。

 俺、実はヘイズにも嫌われているんじゃ……。

「ず、ずいぶん間をあけてるんだな」

「え、あ、そう? どのくらいが良いのか分からなくて」

 ヘイズは距離を近づける。

 そして、ヘイズはいつの間にか着替えていた。もちろん帽子は被っていないが、その代わり、大きめのフードをすっぽりと被っている。

「寒い?」

 暖炉の火の勢いは徐々に衰えてきて、それに伴って室温も下がってきている。

「え? 別にそれほど寒くないけど?」

「いや、随分厳重な格好だからさ」

 ヘイズは、クロノがフードのことを言っているのだと気付く。

「ああ、これね。これは、その、えっと……落ち着くからというか……」

「ふうん」

 なんだかよく分からないが、追究するほどのことでもないと思い、クロノは寝袋に入った。マットは敷いてあるものの、さすがにベッドよりは固い。ただ、学園から支給された新品の寝袋の寝心地は上々で、道端の草むらでも安眠できるクロノにとっては何の問題もなかった。

 ガサゴソと寝る位置を定めると、途端に静けさが迫ってくる。火の勢いはだいぶ衰え、爆ぜる音はほとんど聞こえない。あたりは本当に薄ぼんやりとしていて、物の輪郭がかろうじて分かるくらいになっていた。

 隣からは寝息が聞こえない。誰もいないみたいに、ただ静かになっていた。

「起きてるか?」

 クロノは囁くように言った。少しだけ間をあけてから、同じく囁くように声が聞こえる。

「起きてるよ」

「一つ聞いてもいいか?」

 クロノは、真上を見ながら尋ねる。ロフトの真下なので、天井が近い。

「うん」

 録画した映像を少しだけスローにして再生するようなテンポの会話。クロノが静かに言う。

「お前は、何でこの旅に加わることになったんだ?」

 また少しだけ間があく。クロノは、そのまま答えが返ってこないような気がした。でも、短く反応がある。

「そうだね……」

 文字数以上に様々な意味が込められているような気のする言葉。語尾は吐息に紛れ曖昧に消える。

 クロノは、続きの言葉を待って耳を澄ませる。しかし、30秒ほどすると、深い寝息が聞こえてきた。

「ま、何だっていっか……」

 ロフトの上も会話の気配はしない。

 旅の最初の夜。小屋の中は、暖炉の余熱だけを残し、眠りの時間になる。



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