セントケージ・スカーレット -07-


 学園長室を出てからの展開は早かった。

 どこから聞いたのか、〈セントケージ・スカーレット〉の話は日が暮れる頃には学園中に広まっていた。情報伝播の要である学校が、すでに下校時刻を過ぎていたという状況を踏まえて考えると、相当な反響だったのだろう。これほどの勢いだと、学園だけでなくセントケージの市中にまで広まっているのではないかと思える。

 そして、各々の寮が夕食をとるくらいの時間帯になると、新聞部による校内新聞の号外まで出された。しかも、クロノがいる寮については、新聞部がわざわざ届けに来てくれた。まさに異例の対応だ。

 その号外新聞の中で述べられている〈セントケージ・スカーレット〉に関する内容はざっくり以下の通りだ。

 〈セントケージ・スカーレット〉は伝説上の代物とまで言われるもので、新聞部が総力を挙げて調査しても信憑性のある記録はまったく出てこない。新聞部は教職員にも尋ねて回ったが、自分が学生だったときも含めて実在を示すエピソードは聞いたことがないという。

 そこから、新聞部は少なくとも最近三十年は『セントケージ・スカーレット』が発行されていなかったと結論付けた。今後の新情報で覆る可能性もあるが、とりあえずとんでもなく珍しいものであることは確かだと書いている。

 追加情報として、噂程度のものであれば聞いたことのある人は何人かいるらしい。ただ、いずれの場合も具体性に欠けるため、裏付け調査を待って欲しいとのこと。

「わずかな時間でよくやるな」

 クロノの部屋まで号外を持ってきてくれた新聞部の部員は、号外を届けてくれた代わりに出発直前の心境というやつを軽くインタビューしていった。

 明日早朝には出発することになっていたので、準備をしながらの受け答えになってしまったけれど、問題なかっただろうか。それにしても、今日決まって明日出発っていうのは、なかなかハードなスケジュールだ。

 その新聞部部員と入れ替わるように、今度はリナがやってきた。シャワーを浴びてきたようで、さっぱりしている。

 ちなみに、当たり前のように出入りしているが、リナは所属する劇団専用の寮に住んでいるので、この寮の人間ではない。しかし、明るく社交的な性格と料理の腕を駆使し、この寮の人間を完全に手懐けていたので、誰も気に留めなくなっていた。

「劇の稽古は終わったのか?」

「うん……」

 クロノはリナに、教室を出てから植物園に至り、その後学園長室で校外研修を告げられ、セントケージ・スカーレットを発行された経緯について、一部の制限情報を除いてかなり詳しく説明をした。

 リナは忙しいところに押しかけてきたわりに、普段よりも無口でリアクションが薄かった。クロノのベッドの上でだれている。

 まあ、聞いてもそんなに面白い話じゃないよな。

 そこで、ちょっと話の切り口を変えてみる。軽いジャブのようなものだ。

「それにしてもさ、女子三人のところ、男は俺一人だよ!」

「何、女の子に囲まれてウハウハって言いたいわけ?」

 わざとらしくおどけた感じのクロノの言葉に、普段みたいな憎まれ口を返してくる。しかし、あまり覇気は感じられない。

 クロノは、もう少し続けてみる。

「いやー、普通にただの美少女三人ならウハウハだったかもしれないけど、アレだぜ。話した通り、曲者揃い変人揃い。平和的に流されるままに生きてきた俺は、カルチャーショックで心臓止まっちゃうかも」

「へー。カルチャーショックでも心臓止まっちゃうんだ」

 リナは絡みづらい返しをしてくる。

「いや、もちろん気苦労が絶えないで精神的に参っちゃうかもって意味だよ。て、いちいち自分の発言の補足をしたくないんだが」

「うん……」

 本格的に会話が成立しなくなってきた。あまり反抗的なのも面倒だが、元気がないのもかなり面倒だと思った。

「おい、お前、大丈夫?」

「何が?」

「調子悪そうに見えるぞ」

「別に。こんなもんだよ、私」

「そうか。ならいいんだけど」

 クロノは、会話をしながらも荷造りと部屋の片づけを進めていく。

 リナは、片肘つくのも億劫なようで、完全に転がってぼんやりと天井を見ている。

「ねぇ」

「あん?」

「一ヶ月って言ったっけ、校外研修の期間」

「そうだな、一ヶ月くらい。まあ、最長だと三ヶ月弱らしいが」

 そこまで言うと、リナはまた黙ってしまう。クロノは手を動かしたまま、横目で様子を窺う。

 ハードな稽古のせいではない。稀に見る低調さだ。

「お前、寂しいんだろ?」

「は?」

「いや、だからさ、俺と会えない期間が長くなるからしょんぼりしてるんだろ? 思い返せば、ここ数年、一ヶ月も顔を合せなかったことなんてないもんなあ」

 リナは身体を起こすと、突然スイッチが入ったかのように一方的に喋り出す。

「ハァ!? んなわけないじゃん! どこの世界にアンタに会えなくて寂しいヤツがいるの? アンタこそショックで頭イカれてるんじゃないの?」

「え……俺、そこまで言われるほど最悪なのか……」

 クロノは、予想以上に罵倒されて軽くへこむ。

「むしろ一ヶ月じゃ短いでしょ。校外研修って言うのはあくまで名目で、実際は奇人変人を校外に追い出すためでしょ? もっと長くしてもらうよう直訴してきてあげようか?」

「いや、お心遣いは結構。それはホームシックになりそう」

「ホームシックとか、またヘラヘラ冗談言ってさ。そういうのムカつくんだよね。ていうか、もう帰ってくんな!」

 リナは捨て台詞を吐くと、立ちあがって部屋を飛び出していってしまった。

 クロノは、一人散らかった部屋に残される。

「あーあ」

 一人呟いた。


 その後、寮では簡単な壮行会が開かれた。

「あれれー。リナちゃんも絶対いると思ったんだけどなあ」

 少し遅れて寮長も現れる。普段は寮に関して完全放置のスタンスを貫いているが、こういうタイミングのときだけふらりとやって来る、超フリーダムな独身二十八歳♂。

「ウィズさん、空気読んでください」

 クロノの後輩にあたる寮生の女の子が、小声で話しかける。

 ここはそれほど大きな寮ではない。リナが来たことも飛び出していったことも、だいたいみんな気付いているだろう。だから、何を今更という気もする。それに、こんなことで空気を読んでもらわないといけないほど繊細な人間はこの寮にいない。

「いやいや、ココスちゃん。僕は空気を読んだ上で敢えて裏をかいたんだよ」

「いえ、全然意味が分かりませんから」

「というのは冗談で、実はさっきリナちゃんとすれ違ったよ。壮行会やるらしいよ~って声かけたんだけど、今日は良いんです!だってさ」

「うわ、知っててあんなこと言ったんですか。性格悪っ……」

 ココスが引いているのを見てもニコニコしている寮長。

「そんなこと言っちゃって。僕が今まで何をしていたか聞いたら見直すよ?」

「それは多分ないと思うけど、一応言って良いですよ」

「ジャーン!」

 寮長は、わざわざみんなの視線が集まるのを待って、鞄から書類を数点取り出した。

「クロノの校外研修に関する諸々の書類だよ。これでも、大切な子供たちを預かる身だからね、寮長としてこういうことはきちっとやらなきゃいけないと思うんだよね。しかも、事務局じゃなくて、直接理事会の建物まで行ったんだよ。スゴイでしょ?」

 クロノは食べる手を一旦止めて書類を受け取る。

「これは、どーも」

「いやあ、理事会棟に来るよう呼び出されたときは焦ったよ。いったい何を怒られるのかと。僕、何かやらかしちゃったかなあってさ」

 普通、事務的なことは事務局で扱うから、いきなり理事会に呼ばれたら焦る気持ちは分からなくもないが。

「ていうか、寮生の心配じゃなくて自分の心配かい!」

「いやだって理事会だよ? 国に直接モノ申せるお偉いさん達だよ? 君、クビだから、荷物まとめて学園から出ていきなさいとか言われたらどうするの? せっかくの悠々自適ライフが!」

「あ、それなら大丈夫ですよ。ウィズさん家、俺が使わせてもらうんで。ちゃんと農園も面倒見るし」

 寮長の住まいはここから徒歩三分ほどで、少し奥まった目立たない場所にある。木造手作りの小さな家で、周囲は小規模ながら、畑や果樹園になっている。「買い物に行くのも面倒」の名言を生んだ、寮長お気に入りの農園である。

「後を継いでくれるのは嬉しいけど、僕もまだ怠惰に暮らしたいんだよ~」



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