セントケージ・スカーレット -06-
「セントケージ・スカーレット?」
四人が一様に首を傾げる。言葉の響きは印象的で、やたらと格好良さを感じさせるものだが、それに思い当たるものはまったくなかった。
「まあ、知らなくても無理はない。歴史あるこの学園でも、実物を見たことのある人間はごくわずか。ほとんど伝説として語り継がれるような代物だからね」
「はあ」
クロノは、話がよく分からないという意味の中途半端な反応をする。
「我らが住まう国セントケージに住む者は、必ずセントケージ学園に入学し、そして、いかなる理由があろうとも、一度入学した生徒を退校処分にできない。いつからあるのかは知らないが、この学園において綿々と受け継がれてきたルールの一つだ。だから、今回も退校処分にはしないし、始めからそのつもりもない。
しかし、一方で、問題児が現れたときにそれを放置するのも良くない。真面目に学ぶ生徒たちの勉学を妨げることがあってはならないからね。よって、退校処分の代替措置として、〈セントケージ・スカーレット〉が発行される。現状では、この程度の理解で十分だ」
学園長の話を聞き、クロノを含む四人の反応は相変わらず鈍かった。
分かるような、分からないような……。いや、普通に分からないけどな。
「〈セントケージ・スカーレット〉というのは、簡単に言えば、セントケージ学園が発行する特別な通行証だ。この通行証を所持している生徒は、城壁の外の世界に行くことができる」
学園長は具体的な説明をはじめる。すると、それまで真剣味の欠けていたクロノが、今度は素早く反応する。明確に異彩を放つ言葉を含んでいたからだ。
「城壁の外? 学園の外ではなくて?」
「そうだ。セントケージ学園の外ではない。都市国家セントケージの城壁外に出ることができるし、各所のゲートも通行できる」
「なんで……」
セントケージ学園の学生、正確には中等部一年から高等部四年まで、計八学年の生徒は、学園の定める休暇期間、もしくは冠婚葬祭等の特殊事情がない限り、学園の敷地から一歩も出ることができない。おそらくはこれは、この学園におけるもっとも強力で厳格なルールだ。
とすると、一般に知られていない伝説的代物と学園長が直々に言及した〈セントケージ・スカーレット〉とやらは、その絶対的ルールをも凌駕する通行証ということになる。これは確かに普通じゃない。
しかも、話はそれに留まらない。なんと、街を囲む城壁のゲートすらも通行できるという。
都市国家セントケージの城壁は極めて頑強だ。最上部でも厚さが五メートルに達する分厚い壁を破壊することはできないし、越えることも考えるだけ無駄というもの。どういう材質なのかは分からないが、劣化もしないし、傷一つつけられる気がしない。
そんな城壁にはいくつかのゲートが設けられているが、通過するには通行証が必要だ。通行証が発行されるのは、隣国に赴く必要のある外交官、物資の運搬に携わる人、オヴリビ川で漁をする漁師、壁外で営農する農家の人くらいのもの。
そして、この話で最も重要なポイントは、城壁の通行証が子供に発行されることはないというものだ。これについては、一切の例外を耳にしたことがない。発行されるのはあくまで、主として職業上の理由によって妥当と認められた極めて少数の大人に限られる。
子供は城壁内から出られない。これこそ、この国における例外なきルール……のはずだった。
クロノ自身、別に出たいと思ったことはないし、多くの住民にとっても興味のない話だろう。地理的理由から外部との往来はほとんど皆無だし、そもそも衣食住に満たされ治安も安定しているこのセントケージから、無駄なリスクを覚悟して壁外に行く理由などあるわけがないのだ。
この街はこの街で完結している。この街はこの街だけで平和なのだ。
「あ……」
クロノは、何かがつかめそうな感触を得た。まだはっきりとは分からないけれど。
「何故に、このような通行証の発行が、退校処分の代替措置足り得るのか」
学園長は、クロノの言葉を引き取り、話を続ける。
「セントケージ学園は、あくまで教育機関だ。よって、その学生に命じられるあらゆる事柄は、教育の一環でもある。〈セントケージ・スカーレット〉発行も含めてね。
だから別に、退校処分に匹敵するペナルティーを別の形で与えようとしているわけではないのだよ。これは単なる校外研修だと思ってくれれば良い」
「校外研修?」
言っていることは何となく分かるが、まるでイメージが湧かない。今の今まで考えもしなかったし、外の世界について知っていることも少なすぎる。
「校外と言うよりは、国外だけどね。まあ、詳しい説明はあとにしよう。とりあえず……」
今まで直立不動だったルイーゼが、学園長の言葉に反応して何かをテーブルの上に置いた。
「今話題の伝説的代物がこちらだ」
クロノの前に静かに置かれたそれは、見た目的にはそれほど突飛なものでもない。大きさは、見慣れたプリントサイズの長方形。しかし、素材はもう少ししっかりしたもので、厚紙のような感じだ。ただし、文字が書かれているわけではないので、通行証という感じはしない。
白い長方形の真ん中には、セントケージ学園の校章だけが金色に輝いていた。大きさとしては控えめな印象だが、それしかないので妙な存在感がある。そして、それは不思議なことに白い面から少し浮き上がって見えている。クロノは、角度を変えて確認してみる。錯覚ではないようだ。
クロノ以外の三人も興味を惹かれているようで、クロノの横から覗き込もうとする。すると、ルイーゼが三人の前にも同じものを置いていった。
「え、なんで私も」
シェルが声を挙げる。エミルとミスティーも、声には出さないが同様の反応をする。
「クロノ君が一人で壁を破ったり植物園を壊したりはできないだろう。それに、君たち三人はもともと
「え、分かっていたんですか!?」
疑惑、晴れた、俺!(涙)
「まあ、これでも学園長だからね」
「じゃあ、俺、なんでここにいるんですか?」
「まあまあ、こんな珍しいもの、滅多に手にできないぞ。面白いとは思わないかい?」
「いえ、俺は平和至上主義なので、特にそういう展開は求めていなくて……」
クロノがそう答えると、学園長は表情そのままに、同じ台詞をゆっくりと繰り返した。
「面白いと、思わないかい?」
クロノの本能がビビッと何かを感知する。
これは、面白いと言わないと何かヤバいことになる!
平和をこよなく愛するクロノは、無駄な抵抗もしない。危機を察知すれば引き下がる。
「た、確かに……面白いと言えば面白い」
「だろう?」
学園長の口調が戻る。
「でも、コイツらと一緒に行かないとダメなんですか?」
「さすがに一人だと危ないからね」
「いや、コイツらといる方が危ない気がするんですけれど」
実際、今日コイツらと出会ってからの出来事は、学園に入って以来最大の危機だった。間違いなく、揃って周囲巻き込みタイプのトラブルメーカーだ。一緒にいるだけでリスク増大確実、素早い退避行動が求められる。
しかし、クロノの目論見は一瞬で反故にされる。
「……ちょっと危ない方が刺激的で楽しいじゃないか」
にこやかに答える学園長。それにクロノも必死に食い下がろうとする。
「あ、あの、話に一貫性が……」
「さてさて、長話をしていてもなんだから、さっそく発行の手続きに入ろう」
抗議は軽くスルーされる……って―――。
「発行の手続き?」
ゲートでこれを提示すれば万事OKなのだと思っていたが。
「手続きというよりは、発行そのもの。今、君たちの目の前に置かれているものは、〈セントケージ・スカーレット〉ではなく、そのもととなるものだ。発行を完了するためには、さらに一つ手順を踏んでもらう必要がある」
ルイーゼは、再び四人の前に何かを置く。今度は小さく細長い容器だった。大きさは小指くらいだろうか。
「開けてごらん」
言われるままに開けると、少し太めの針が入っていた。何に使うんだコレ?
「ちょっと悪いのだが、これからそれを指にでも刺して、少しだけ血をいただこう」
「ちなみに、滅菌済みなのでご安心を」
ルイーゼが補足する。
クロノたちは、指示通り親指の腹に針を刺した。少しだけ鋭い痛みが走ると、ぷくっと血液が漏れ出てくる。
「そうしたら、その血液をセントケージの校章につけてくれ」
クロノは、指紋の上で赤い水玉のように溜まった血液を眺める。
これは、血判状か何かなのだろうか? 何かの誓いの儀式なのだろうか?
「あ、みんなちょっと待ってくれ」
金色の校章に狙いを定めていたところで、学園長の待ったがかかる。四人は動きを止める。
「ルイーゼ、少し暗くしてくれないか」
ルイーゼは滑らかな手つきで手持ちのパネルを操作する。
学園長室の広い窓にスモークが入り、外部からの光はほぼ完全にカットされる。室内照明も切っている。
目を凝らすと物の輪郭が辛うじて分かるぐらいの薄暗い空間。音も光もどこかに行ってしまった。
そして、学園長が望む条件は整ったのだろう。
「二度と見ることはないだろうから、よく見えるようにしたんだ」
学園長の静かな口調が、闇に染みわたる。
クロノたちには、学園長の言っていることも考えていることも全然分からない。
ただ、必要なことなのだと理解する。理解できる。
そうするべきなんだ、そういう手順が必要なんだ、そういうシナリオなんだ。
「では、みんな、やってくれ」
具体的に命じられたわけではないが、四人はほとんど同じタイミングで、ゆっくりと指を……血の一滴を近づけていく。
血を待ちわびる金色のエンブレムは、光源もないのに色彩を強くし、接触を受け入れようとする。
指は磁石に引きつけられるように、自然と置くべき場所に動いていった。その場所を、知っていた。
そして、到達する。何かに触れる。何かに触れている……はず。
しかし、そこはまだ触れるべきと思っていた白い面ではない。そこから数ミリの隙間があいている。
そう思うとすぐに、血液の触れた部分が仄かに光り出す。赤く赤く。
しばらくは同じ場所だけ光っていたが、やがてその光は広がり出す。
数ミリの空白に染みわたるように、平面的にゆらゆらと広がっていく。
その光の広がりは周縁部でより強く、通過するとまた鈍くなっていく。
本当にわずかな血液だったはずだが、連鎖反応の引き金としては十分だったようで、隅々まで行き渡っていく。何も見えなかったところに、色を与える。空虚な隙間を、鮮烈な景色に塗り替える。
その光景は神秘的だった。そして、魔法的だった。
このようなものを習ったことはない。聞いたことだってない。
でも、これまで聞いたどの説明よりも理解できた。魔法とは、こういうものなのだと。
今まで持っていたイメージとはまったく違う。しかし、それらを否定することになろうとも、より根源的な意味において、魔法とはこういうものだったのだ。
「ルイーゼ」
赤い光が再び闇に溶けあったのを確認すると、学園長は短く静寂を破った。
ルイーゼが再びパネルを操作すると、学園長室はもとの明るさを取り戻す。
すべては元通りである。テーブルの上のそれを除いては。
「これが……〈セントケージ・スカーレット〉」
クロノは呟くように言った。
最初に置かれた白い厚紙のような物体はそのままで、その上により小さな深紅の薄板が乗っていた。掌に収まるサイズ。表面には小さな校章も見える。
金色の校章は、もともと〈セントケージ・スカーレット〉に刻印されていたようだ。おそらく本体は透明で見えなかったのだろう。だから、先程までわずかに浮き上がって見えていたのだ。
「手に取っても構わないよ」
四人ともそれを手に取る。
血液の赤よりはいくぶん鮮やかで、磨き上げられた宝石のような透明感もある。
表面は非常に滑らかで、傾けると鏡のように景色を反射しているのが分かる。
よく見ると色は一様ではなく、わずかな濃淡が模様のように見える。
「これからの君たち―――セントケージの魔法使いの必携品だ。絶対になくさないように」
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