セントケージ・スカーレット -05-
セントケージ学園というのは、都市国家セントケージのど真ん中を占有しながらも、ある種の自治区のように機能している。〈学園憲章〉に基づいた独自の意思決定機構、統治制度が確立しており、学園外部からの干渉をほとんど受けないシステムとして運営されている。
そして、これらのシステムが可能な限り生徒たち自身により維持されていることも大きな特徴だ。そのおかげで、生徒たちは座学だけに偏らず、より実践的な社会参画を学ぶことができる。
そんなわけで、この学園では、ほとんどの場面において事は生徒たち自身の手に委ねられ、生徒たち自身で処理することが求められている。
にもかかわらず、今回は学園長直々のお呼び出しである。
これはもう……何ていうか、今すぐ帰りたいね!
クロノがそんなことを考えているうちに、学園長室に到着した。柔らかいカーペットの弾力を感じながら、中に入っていく。
広い窓から降り注ぐ自然光。見晴らしも良好。室内には、適度にお洒落であり、それでいて落ち着きのある調度品の数々がゆったりと配置されている。
まさにここは、マッタリするには持ってこいの癒し空間だった。
こんな状況でなければな!
「そこにおとなしく座っていなさいね。学園長はもうすぐ来るそうよ」
ピース・キーパーはそう言うと退室していく。
ここに至るまでにいくつものセキュリティーゲートをくぐってきたから、今さら逃げることができないというのは明白だし、もちろんそんな気もない。
閉まった扉はガチャリと音を立て、それに連動して複雑な機械音を微かに響かせる。結論だけ言えばロックしているということなのだろうけれど、ただのロックではないようだ。
そうして、学園長室にはクロノ・ティエム、シェル・ポリフィー、ミスティー・シンプス、エミル・オレンセの四人が残された。
四人は長椅子に並んで座っている。
「ハァ……」
端に座っているクロノは、かなり大きくため息をついた。
その横でシェルは立ち上がると、自分の身体を覆っている白いマントを取り払った。
「な、何をする気だ!」
クロノはトラウマ気味に声をあげる。というか、完全にトラウマだ。災厄を招く白いマント!
しかし、取り払ってみると何て事はない。シェルは普通に高等部の制服を着ていた。一切の着衣の乱れはない。デフォルトの制服をセンス良くデフォルメした、平たく言えば、極々普通の学生の格好をしていた。
「うるさいわね」
目の前に立っているので、クロノはマジマジと見てしまう。
学内の流行そのまんまではなく、自分流にアレンジしているようで、やはりこだわりがあるんだろう。もちろん教室に現れたときも制服だったが、あのときは息を整える暇もないような状況だったからなあ。
などと思っているうちに、マントはすでにシェルの手の中からも消えていた。
「クロノさん!」
クロノの反対の端に座っていたエミルが、連射式ロケットランチャー付きビデオカメラのモニターを見ながらニコニコしている。すでにロケットランチャーの部分はなくなって、少しばかりゴツイだけのわりと普通のビデオカメラになっているが。
「どうした?」
クロノは少々憮然とした感じの返答をしたが、そのニュアンスは完全にスルーされた。
「本当にありがとうございました!」
エミルは、零れ落ちそうなほどの笑みを湛えて礼を言った。
「何が?」
クロノにはよく分からない。
「いい絵が撮れましたよー。ご協力感謝します!」
「そういうことか……。どういたしまして」
俺の学生生活という大きな代償があったわけだが。
クロノは、ここで話の相手を切り替え、一番気になっていたことを尋ねてみる。
「ところで、お前らはいったい何をやっていたんだ?」
お前らというのは、シェルとミスティーのこと。言わずもがな、諸悪の根源だ。
「考えれば分かるでしょ」
シェルが偉そうに言う。
クロノはその傲慢な態度に身体をプルプルと震わせた。眉間にしわが寄る。
「な、なあ、ミスティー……だよな。ちょっと分かりやすく説明してもらえないかな?」
精神衛生の観点から、隣のシェルは無視して、沈黙と眠たげな眼差しを維持し続けていたミスティーに尋ねた。
ミスティーは表情そのままに視線だけをスライドさせクロノに向けた。
クロノはさらに続ける。
「教室で真面目に勉学に励んでいた俺が突然巻き込まれ、散々な恐怖体験をし、ピース・キーパーに捕縛され、挙句の果てには学園長直々のお呼び出し。善良な一学生には受け止めきれないほどのビックリ展開なわけだが、これはいったい何がどうしてどうなった?」
クロノはギリギリの自制心を働かせつつも、まくし立てるように言った。それを聞いたミスティーは、視線を左右に一往復させる。
そして、一言。
「鬼ごっこ」
「…………ハイ?」
「鬼ごっこ、知りませんか?」
「いや、鬼ごっこは知ってるけど、あれが……鬼ごっこ……だと?」
クロノは、身体がワナワナするのを抑えきれない。放出されるどす黒い負のオーラが目に見えそうだ。
俺の学生生活は、こいつらの鬼ごっこのせいで崩壊したのか? そんなことって……。
不慮の事故というにはあまりに不条理。平和を愛する俺に何たる仕打ち!
こ、このガキどもがぁぁぁ!!
「鬼のシェルから逃げ切った私の勝ち。ひれ伏せ愚民。くっくっく」
ミスティーの台詞は続いていた。その言葉にあまり感情はこもっていないが、むしろ余計にイラっとしたシェルが口を開く。
「何言ってんの? 変な妨害のせいよ。ていうか、アンタのせい」
シェルはミスティーを飛ばし、その後ろでモニターを見つめてニヤニヤしていたカメラ娘ことエミルを指差す。
「アンタ、なんで妨害してきたの?」
「妨害? 私はただ良い映像を撮りたかっただけですよ?」
「それにしてはタイミング最悪だったんだけど」
「それが、なんだか『スクープが来る!』って気がして。ホントいきなり猛烈にそんな気がして植物園に駆けつけたんですよ」
どこかで聞いたような話だな。
ミスティーは正面を向いたまま眠たげな眼差し。そして一言。
「来る」
ガチャリ。
学園長室の扉が開いた。
「待たせてしまって済まないね」
学園長、パレア・チェルスキーの登場だ。
相変わらずの優しそうな表情。かなり背は高いが、特に威圧的な印象は受けない。
雰囲気は柔和なお爺ちゃんのようでもあり、逆に実はやり手の若人のようでもある。結構何を考えているのか分からないタイプ。
「四人とも、おとなしく待っていたかな」
学園長は正面の椅子に座ると、四人の顔を順番に見る。一人ひとりをしっかり見てから、ニコッとし、さっそく本題に入る。
「さて、今回の騒動、首謀者は誰かな?」
「…………」
誰も微動だにせず。沈黙流れる一秒。
その後、四人中クロノ以外三人の人差し指は迷うことなくクロノを射止めた。
「なるほど、なるほど」
学園長は微笑みながら深く頷く。
「え……いや……」
ガチャリ。
再び扉が開く。
ビシッとフォーマルな感じのスーツを着こなした眼鏡の女性が書類の束を抱えて入ってきた。
「秘書だ」
「学園長の秘書をやっているルイーゼ・シンドリックです」
歩く姿勢が美しい。ルイーゼは、学園長の傍に控える。そして、学園長に書類の束の一番上にあったものを手渡す。
学園長はそれにさっと目を通す。
「さて、現場検証なども済んだようだな」
クロノはほっと安堵の息をつく。
これで誤解が解けるだろう。
「で、とりあえず首謀者は高等部二年のクロノ・ティエムと」
「え! 嘘!? ちょっと待ってください!!」
秘書ルイーゼが、大型モニターをつける。
画面の中のクロノの目の前に……スッポンポンで涙目の少女が、小動物のような視線でたたずんでいた。
アングル的に考えて、これはピース・キーパーが装着している小型カメラの映像に間違いない。
画面の中のシェルは、助けを求めるような視線を無駄に上目遣いで周囲の人間に送る。
『そこの学生! これはどういうことだ!?』
ピース・キーパーの女性メンバーの一人が声を張り上げる。
『え、いや、これは……』
画面の中のクロノが言い淀んだところでシェルの一言。
『先輩に………イタズラされました』
画面の中のシェルはそう言うと頬をポッと赤らめた。
そして、現実のシェルも同じように頬をポッと赤らめた。
画面の中のクロノの両腕に簡易拘束具がはめられる。
「まあ、首謀者はクロノ・ティエムということでだな」
学園長はどうやら考え直す気がないらしい。確かにこの部分だけ切り抜いてくると相当終わっているが……。
「クロノ君に理解しておいてもらいたいことがあるのだよ」
学園長が手を伸ばすと、ルイーゼが新たなファイルを渡した。
「これを見てくれ」
四人と学園長の間に置かれたテーブルで開かれるファイル。
「セントケージ学園施設の損壊状況」
ミスティーが抑揚をつけずにタイトルを読む。
「よく見て欲しいのは、この列の数字なのだけれどね……」
学園長は、それはそれは丁寧な口調で言い聞かせるように語りかけた。
「被害総額概算」
学園長が指し示した列の上に書いてある文字を、今度はエミルが読んだ。
「一番下のが暫定的ではあるが、被害総額ということになる」
学園長の指はつつっと表の一番下に降りていく。
「ゼロがたくさん」
そう言ったシェルは、枠に書かれている数字を読むのを早々にあきらめる。
確かに、とっさには読めない桁数だ。というか、普通に読みたくねえぇ!!
「教室の壁面大穴、廊下の諸々の設備の破壊、さらには植物園の大規模損壊。この短時間にこれだけ盛大にやってくれた事例は私も聞いたことがないよ。
一方で、人的被害がなかったのは幸いと言ったところか。まあ、うちの学園で何年も学んでいる生徒が、これしきのことに巻き込まれて怪我をしてしまうようではむしろ落第ものだけどね。学園の教育がしっかり行き届いていることが改めて証明されたという意味では、実に喜ばしい」
学園長はひとしきり説明を与えてくれた。そして改めて。
「ただね、この額は私もはじめて見るものだよ」
そ、そうでしょうねー。
クロノの目の前に提示されている金額は、学生であるかどうかに関係なく、一個人が弁償できるようなレベルではなかった。
もはやこれは、どうにか屁理屈をこねて誤魔化すしかない!
もしくは、真実が真実として受け入れられるのを願うしかないが、そんな願いも虚しく話は進んでいく。
「一応聞いておこう。クロノ君、学内の何らかの保険に加入は?」
「あ……」
クロノは言葉に窮する。保険……自分には関係ないと思っていた言葉。
カリキュラムの都合や校風など、諸々の事情を考えると、セントケージ学園において施設等の損壊は決して珍しいことではない。そして、そういった事態であっても、この学園においてはやはり生徒たちだけで解決することが求められている。そのような必要性もあり、学内には施設修繕を専門に扱う集団がいたりするが、当然無償ではない。あくまでビジネスだ。
すると、自分で対処できないような施設損壊に対応するためには、結局のところ金が必要となる。しかし、度が過ぎれば払いきれない。そこで登場するのが保険である。
日常的に様々な規模の損壊が発生するセントケージ学園において、非常に重要な役割を果たす保険サービスだが、これもまた学生の組織がビジネスとして提供している。同じ業種の団体が複数存在し、しのぎを削っているが、クロノも入学時にさんざん勧誘されていた。
ただ、結論から言うと、クロノは一切の保険に加入しなかった。理由は簡単で、慎ましい学園生活を送る自信があったからだ。
学内の保険サービスは、多くの生徒が加入するようなものではない。大抵は、無駄に元気で遠慮なく暴れ回りたい人や、かなりスケールの大きい魔法を使える人、すなわち、施設損壊の可能性が高く、何かあったときに支払いが厳しい場合に加入する。
「あ!」
クロノは急に振り返った。
「コスプレ娘、さすがに保険入ってるだろ?」
クロノは一縷の望みをかけ、シェルに言う。
「保険?」
「あれだけ激しい魔法を使うんだ、相当勧誘されただろ?」
この学園で目立つ行動をすると、保険と新聞はすぐやって来る。つまり、コイツのところに来ないわけがない。
「そうね」
「良かった。真犯人が払うんだから、これで万事解決だ! ワハハ!」
追い立てられるように分かりやすいアクションを取るクロノ。しかし、そこに非情な現実がつきつけられる。
「勧誘はすべて蹴散らしたけど?」
しれっと言ってのけるシェル。
「な……何だって?」
「私、人生に保険はかけないタイプなの」
ちょっとそんな気はしていたが、それでもクロノは頭を抱える。抱えずにはいられない。
ウオオオオ!
しかし、すぐに切り替えて、その向こうのカメラ娘にも質問する。
「おい、お前は入ってるよな? 頼む、入ってるって言ってくれ!」
「あ、私ですか? そりゃ勿論、入ってるわけないじゃないですか」
エミルは陽気な口調で答えるが、クロノはまたズーンと表情を暗くする。
「この子は行儀が良いので、人様に迷惑をかけないって信じてますし」
エミルは多機能暴力カメラを愛おしそうに眺め、撫でる。
「それはダメな親の常套句ダアァァ!!」
発狂するクロノをよそに、エミルは隣のミスティーに話しかける。
「ミスティーは入ってますか?」
「いえ、入ってませんね」
「ということは、四人とも未加入ですね。気が合いますねー」
「そういう問題じゃねええぇぇ!!」
取り乱すクロノ。そこに手が伸びてくる。クロノの肩が強い力で押さえ付けられる。
「どう落とし前をつける気だね?」
それは学園長の腕だった。学園長の表情は相変わらず柔和だが、誰も逃れられない不思議な圧力を秘めていた。
クロノは急速に落ち着く。というか、血の気が引いていく。
「い、いえ、本当にすみません。あの、俺、とても弁償とかできないんですけれど……もしかして、退校処分ですか?」
奉仕活動でどうにかなるレベルの額ではないことは明らかだ。
高等部二年になってまだ一ヶ月たっていないっていうのに、ここに来て早めのリタイアか。ま、これも人生さ、フウ。
学園長は、腕を引っ込めて椅子に座り直す。
「セントケージ学園というところはね」
学園長の口元が微かに緩む。
「このセントケージ学園というところは、とにかく心が広いのだよ。守るべきルールは極めて厳格に守ってもらうことになっているが、生徒がそれに反した場合に、正し、許すという点においても妥協はしない」
クロノは空気の変化に気付き、学園長の話を大人しく聞くことにした。
「だから、退校処分なんていうことはしないよ。ただ……」
「ただ?」
「ひとつ提案があるのだがね……。〈セントケージ・スカーレット〉というのは知っているかな?」
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