セントケージ・スカーレット -03-


 クロノの全力の絶叫が終わるより前に、すべては終わっていた。

 ガラガラバラバラバシャバシャバシャ……。

 ドラゴンに抱えられたまま、可能な限りの対ショック姿勢を取っていたクロノは、自分の生存を確かめ小さく安堵し、目を瞑った状態のまま耳をすませる。

 周囲はとにかく騒々しい。いろんな音が混ざっていて、何が起きているのかはよく分からない。いや、分かりたくない。

 しかし、そのまま知らんぷりができないのも事実。砕けた壁の破片を振り払うと、クロノは覚悟を決めて目をうっすら開ける。

 まず、植物園の壁が目に入った。

「あちゃー」

 そこには見事なまでの大穴が開いていた。植物園と一般の教室が並ぶ空間とを隔てる高い壁には、ドラゴンのサイズにぴったりの穴ができていた。壁の石材は意外と脆かったようで、体感した衝撃以上の壊れっぷりに思えた。

 ちょうど正面に位置する壁面は、途中から水が噴き出し、小さな人工の滝を流れ下ったところにある浅い池に至る構造だ。もとは遥かに簡素なただの石壁だったらしいが、どこかの技巧派といじりたがりの庭師が結託して、いつの間にか出現したと聞いたことがある。このドーム型植物園は、どうやらその手の意欲を掻き立てるようで、似たような話題に事欠かない。ある日いきなり奇妙なオブジェが出現しても、誰も気に留めないだろう。

 そんな手作りの池に大小様々な岩塊が転がっている。パッと見た限り、巻き込まれた生徒はいないみたいで、その点は不幸中の幸いと言ったところなのだが。

 そこまで思い巡らせたところで、植物園内の音が耳に入ってきた。クロノは、身体をよじって反対側を見る。

「うわぁ……」

 植物園は、校舎側の石壁を除くと、側面や上部の大部分は光を透過する素材でできている。太陽光が燦々と降り注ぎ、植物もスクスク育つ楽園となっている。一年中過ごしやすい気候が維持されている学園のオアシス。ここにいれば、森林浴効果で心も肺もリフレッシュ!

 そんなこんなで、休み時間や放課後には生徒たちの憩いの場となっているわけだが……。

 楽園は今、大いなる災いに見舞われていた。蜂の巣をつついたように、逃げ惑う生徒たち。

「なんかもう、ゴメンナサイ」

 クロノが謝ったところでどうしようもないわけだが、なんだかみんなの癒しの時間を乱してしまった気がして申し訳なくなる。セントケージ学園では、この手の騒動が発生することはままあるのだが、平和を尊ぶクロノとしては、他ならぬ自分がその当事者となってしまったことに、居た堪れなさを感じずにはいられない。

 もっとも、人的被害についてはあまり心配していない。学園の指導方針として、やたらとサバイバル能力を求めるところがあるので、この程度のことで大怪我をするような者はまずいないし、逆に負傷したら、「実戦的な状況に対応して身の安全を確保することができなかった」としてマイナスの評価となってしまう。

 クロノとしては、こういうやんちゃ過ぎる学園の方向性が、平和を乱す生徒たちをのさばらせてしまう根本原因だと思っていたりもする。正直勘弁してほしい。

 なお、破壊行為そのものは良くないことなので、厄介事を起こした生徒はあとでしっかりペナルティーを科せられることとなる。

 コスプレだかなんだか知らんが、地獄の業火に焼かれ、ドラゴンの丸焼きとなるが良い! 俺はその前に退散させてもらうけどな!

 そんなわけで、とりあえず、一向に逃してくれないドラゴンに話しかける。

「おーい、そろそろ解放してくれないか?」

 返事がないので見上げる。

「おーい」

 すると、ドラゴンの視線が何かを捉えていた。

「あー、見つけたのか……」

 クロノもドラゴンの視線を辿っていく。予想ではその視線の先に、あのミスティーとかいう銀髪少女が……。

「ん?」

 クロノは、ドラゴンのコスプレをした少女(本人談)に掴まれているというこの意味不明かつ異常な状況にも徐々に慣れ始めていた。だがしかし、そんな状況においても霞まぬ違和感を垂れ流す生徒を視界に捉えてしまった。

 逃げ惑う学生たちには目もくれずに、何やら黒くてゴツイ機材を肩に乗せた女の子が仁王立ちになってクロノたちの方を向いていたのだ。

 作業用のつなぎのようなものを着ているが、土いじりの格好というよりは、どこかの工場の機械工のような雰囲気。ここは植物園だが、それでも園芸が趣味とは思えなかった。

 襟元の開きかけのファスナーから学生服が見える。当然ここの生徒のはずだ。亜麻色セミロングの髪を細いリボンでまとめている。

 女の子は、ドラゴンに怯える様子を微塵も感じさせない。いや、むしろこの状況を楽しんでいるようにすら見える。口元に微かな笑みをたたえ、獲物を見つけたハンターのような眼差しで対峙している。その様、まさに威風堂々!

「おい! そんなところに突っ立ってたら危ねーぞ!!」

 クロノは消すことのできない違和感を無理やり脇に押しやって、努めて常識的な対応をした。

「お名前を伺ってもいいですか!!」

 女の子はクロノの言葉が聞こえなかったのか、聞こえてもまったく意に介していないのか、脈絡もなく名前を尋ねてきた。

「俺はクロノ・ティエムだ! お前、とりあえず逃げろ!!」

「私は、エミル・オレンセって言います! 趣味は、撮影です!!」

「撮影?」

 撮影という言葉を聞いてから彼女の持っているブツを見ると、ようやくそれが何であるのか分かってきた。

 とりあえず、大きなレンズが見える。てことは、あれは恐らくビデオカメラなのだろう。随分と立派なものだが、良いムービーを撮るためにはあのぐらいのものが必要なのだろう。

 しかし、何だかいろいろと物騒な雰囲気の突起物が見えている気がするのは引っかかるところ。いや、ビデオカメラとはああいうものなんだろう……か?

「しばし撮影にご協力ください!」

 彼女、エミル・オレンセは、ビデオカメラのファインダーをのぞいて構えた。妙に勇ましい構え方だった。カメラマンというよりは、戦場の砲兵のようだと思った。

 ドラゴンなんてそうそうお目にかかれるものじゃないから、スクープだと思っているのかもしれない。彼女が撮影マニアだとしたら、この状況を撮り逃すというのはあってはならない大失態なのだろう。

 命知らずだとは思うが、何かに夢中になっている人間というのは、得てしてこういうものだ。

 でもな、もう少し考えて行動しないと、早死にするぞ!

 クロノがそんなことを考えていたところに、自称コスプレ少女の声が割り込んできた。

「ミスティー!」

 シェル・ポリフィーは、広いドーム型植物園の中にターゲットの銀髪を見つけ、その黒翼を広げた。周囲の木立が激しく揺さぶられる。

「あ、あの銀髪!」

 クロノも見つけた。小走りに茂みの向こうの死角に逃げ込む銀髪少女。

 そのときだった。

「衝撃に備えてください!」

 エミル・オレンセの声がしたため、クロノは遠くのミスティー・シンプスを追っていた視線を戻した。

「え!?」

 エミル・オレンセの肩に乗っていたビデオカメラと思しき物体の側部に、黒く無骨な突起部分がはっきりと見えた。太い筒のような形状のものが三つ並んでいる。

「すげえイヤな予感……」

「ファイヤー!!!」

 バシュバシュバシュッ!!

 三つの黒い筒の中から、ほとんど同時に細長いミサイルが飛び出してきた。煙の尾を引きながら、障害物をうまくかわして迫って来る。

「ロケットランチャー!?」

「いいえ、見ての通りビデオカメラです!!」

 クロノは激しくツッコミを入れたい衝動に駆られるが、そのタイミングでミサイルは到達する。しかし、シェルはそのすべてをドラゴンの腕で薙ぎ払った。

「ドラゴンの鱗にこんな玩具は通用しない」

 シェル・ポリフィーが淡々とした調子で言うと、早くも第二陣が飛んできた。そして直後に第三陣。そんでもって第四陣。

 あのビデオカメラ、連射式!? 連射式ロケットランチャー付きビデオカメラ???

 装填する動作はまったく見えないが、とにかく次から次へと飛んでくる。早送りなのではないかと我が目を疑いたくなるレベルだ。

 着弾が重なり、爆煙で視界は悪くなってきた。もはや銀髪少女を目で追うことは厳しい。

鬱陶うっとうしいな」

 シェル・ポリフィーは、一時的にターゲットを目の前のデンジャラス撮影ガールに定めたようだ。

 そうこうしているうちに、ミサイルが弾幕となって襲いかかる。

 払いのけたものはその場で爆風を巻き起こし、その他は周囲の地面や壁面にぶつかって爆発した。ドラゴンのコスプレ(?)は超絶頑丈なようで、まったくビクともしていないが、周囲には瓦礫が積もっていった。

 シェルはその中のかなり大きな岩塊を持ち上げ、臆することなくエミル・オレンセに投げつけた。

「おい、さすがにそれは!」

 クロノは、連射式ロケットランチャー付きビデオカメラを持った少女の身を案じた。

 いくら凶悪な装備を持っていても、生身の女の子じゃないか!

 だが、その妙に高機能なビデオカメラは、岩塊がドラゴンの手を離れた瞬間に新たな突起物を生やし、その先端から一筋の閃光を放った。

「え……えぇぇぇ!!?」

 攻撃対象は粉々。本当に文字通りの粉末状になり、爆風とドラゴンの翼が起こす風に舞って消えた。

「レーザー銃……だと?」

 なんじゃあの攻撃力は!? ただの学生の持ち物にしてはハイスペック過ぎだろ?

「ていうか……」

 なんという場違い感。俺は一体何に巻き込まれているんだ?

 あっちの子、エミル・オレンセも、あの訳の分からんメカは魔法か何かだろ、よく知らんが。

 しかし、まあ何だっていい。このびっくりドラゴンに平然と挑んでいる時点で普通じゃないんだよ! とりあえず、俺を巻き込むな!!


 クロノ・ティエム先輩……。


 ふと、聞き覚えのある声が……気がした。

 それは確信を得られるほどの実感はないものの、先程の感覚と酷似していた。

 ミスティー・シンプスだ。

 正解です……。

 これも、そのようなニュアンスを何となく感じただけだ。媒介としての言葉が存在しているわけではない。

 しかも、それはガラス細工のように繊細で、そよ風のように微かな兆候。たとえ集中しても捉え続けられる気はしない。

 ただ、なんだか……。

 なんだか妙に……。

 シェルの脇腹をくすぐりたくなってきたああぁぁ!!

 クロノは突然湧き上がってきた衝動に突き動かされ、ドラゴンの掌の中から必死に身体を伸ばし、その巨体の脇腹をくすぐった。

「コチョコチョコチョ~」

「ひゃん!」

 この上なく可愛らしい声がしたと思ったら、クロノの身体は宙に放り出されていた。

「うわ!」

 軽く腰を打ったため、その部分をさすりながら周囲の様子を伺う。

 土煙でよく見えない。

 だが、そこにドラゴンのシルエットはなくなっていた。

「人間に戻ったのか?」

 クロノは、とりあえずシェルの姿を探した。

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